0040. 閑話・【鞍馬の頭領】影に射す、一筋の光
京の北、鞍馬の山奥。
我ら一族が隠れ住まうこの里には、鳥の声と沢の音、そして、若者たちが己が技を磨くために鋼を打っては研ぐ音だけが静かに響いておる。
かつて、我らが祖先は判官・源九郎義経様に仕え、その影として平家を討ち、奥州まで付き従った。だが、「再び世が乱れた時、我が名の下に参ぜよ」との義経様の遺言を守り、我らはこの地に還り、以来、数百年。ただひたすらに技を磨き、その〝時〟を待ち続けてきた。
だが、世は鎌倉から室町へと移り、我らを呼ぶ声は未だかからない。義経様との宿願は、もはや「誉れ」ではなく、我ら一族をこの山に縛り付ける「呪い」となりつつあるのではないか。若者たちの未来を想うと頭領としての儂の心は重かった。
そんな、ある日のことだった。
見張りの若者が息を切らして駆け込んできた。
「お頭! 何者かがこちらに! 鞍馬寺の副貫主様が、見知らぬ武士を一人、伴っておられます! 何やら急ぎのご様子!」
鞍馬寺の副貫主自らが道案内だと……? ただ事ではない。
「……怪しいな。儂の部屋へお通ししろ。ただし、〝備え〟は怠るな。客人が道を外せば、いつでも蜘蛛の巣にかかるようにな」
儂の言葉に若者は「はっ」と短く応えると、音もなく姿を消した。
しばらくして、客人が部屋へ通された。一人は見知った副貫主。
そしてもう一人は……なんと、熊の如き大男であった。身の丈六尺はあろうか。その屈強な体躯は、到底、隠密の業を行う者には見えぬ。
部屋の影という影に我が配下の者たちが息を潜めていることにも気づかぬ様子で、その男は堂々と儂の前に座した。
「ご挨拶が遅れ、失礼致しました。某、坂東は安房国・里見家に仕える者、堀内兵部少輔氏兼と申す」
(安房……坂東の、あの新興の……。細川様とは関わりなき、独立した国人か)
「坂東の里見家がこの京の山奥に何の用じゃ」
儂の問いに氏兼と名乗る男はちらと副貫主を見た。
「御坊、これより先は鞍馬衆の方々との内密の話。誠に申し訳ないが席を外していただけぬか」
副貫主が退室し、部屋には儂と氏兼殿、そして見えざる配下たちの張り詰めた沈黙だけが残った。
「さて、堀内殿。話を聞こうか」
「はっ。我ら里見家は鞍馬衆の皆様を我が主君の家臣としてお迎えしたい」
氏兼の言葉に儂は鼻で笑った。氏兼殿の本気度を測るためのいつもの探りを入れる。
「金雇いの話か。何人要る。仕事の内容は。金はいくらだ」
「いえ」
男はきっぱりと首を横に振った。
「傭兵としてではござらん。貴殿ら一族郎党、赤子や年寄りも含めた全てを里見家の正式な家臣としてお迎えし、安住の地と生涯を懸けるに値する役目をお与えしたい、と主は仰せです」
「……何?」
破格という言葉ですら生ぬるい。ありえぬ申し出だ。
「我ら一族、百を超すぞ。それだけの人間をどう養うというのだ。戯れ言はよされよ」
「戯れ言ではござらん。我らが土地は温暖にて、食は豊か。皆様が住まう屋敷も門前町も今、まさに築いておる最中にございます。そして、皆様に果たしていただきたい役目は、ただ一つ」
氏兼殿は、その熊の如き巨体を深々と折った。
「――とある、貴き御方様をその御命の限り、お守りいただきたいのです」
その男の瞳を儂はまっすぐに見据えた。
その瞳には私欲の色はない。あるのはただ、己が主君への、そして、その〝貴き御方〟への揺るぎなく、どこまでも純粋な忠義の色だけだった。
そのあまりに真っ直ぐな瞳。
それは、かつて我らが祖先が九郎義経様の瞳の中に見たという、光と同じ種類のものかもしれぬ。
鎌倉の世は終わり、室町もまた乱れている。我らが待ち続けた〝時〟は来なかったのかもしれない。ならば、新たな主君にこの技とこの忠義を捧げる。それこそが義経様との宿願を今この時代に果たすということではないのか。
「……氏兼殿。その話、お主一人の偽りではないと、どうして信じられようか。我らを誘き出すための敵方の謀りごとやもしれぬ」
儂が最後の疑念をぶつけると男は少しも迷わず、即答した。
「我が首をここに置いていきましょう。それでも、足りませぬか」
儂は、ふっと息を吐いた。
「……面白い男よ。その覚悟、確かに受け取った。だが、この儀、儂一人では決められぬ。一族の長老たちと議にかけるゆえ、しばし、この里に逗留されよ」
「はっ。ありがたき幸せにございます」
客人が去った後、儂は一人、天井を見上げた。
「皆、聞け。坂東より嵐を呼ぶ風が吹いてきたわ」
儂の呼びかけに部屋の影から、静かに数人の長老たちが姿を現す。
数百年、動かなかった我らが宿命の歯車が、今、坂東から吹いてきた一つの朴訥な風によって、大きくきしみながら、回り始めたのを感じていた。
これは好機か、それとも破滅への誘いか。我らの真価が問われる時が来た。




