0037. 革命計画、フェーズワンを策定せよ
目の前の和紙に広がる、私の壮大な「産業革命計画リスト」。
私は腕を組み、二歳児にあるまじき真剣な表情で、その十項目を睨みつけた。第一次産業から第三次産業まで、やるべきことは山積みだ。しかし、私の時間も、この家にいられる期間も有限。全てを一度に始めることなど不可能だ。
(さて、どこから手をつけるか……)
優先順位、プライオリティだ。やるべきことが多い時こそ、何が一番重要か、計画の根幹となるボトルネックはどこかを見極めねばならない。
そして、それはもう決まっている。
「やっぱり、基本は『食』よね」
私はリストの【農業】【酪農畜産】【漁業】といった第一次産業、そしてそれに関連する【加工業】【製造業】といった第二次産業の項目を、指でとんとんと叩いた。
「『医食同源』『衣食足りて礼節を知る』。古の言葉が示す通り、豊かな食こそが文化の礎であり、心の平穏の源なのだから」
……決して、私が食いしん坊だからという訳ではない。断じてない。前世で恋しかったコンビニスイーツや、ファミレスのハンバーグ、行列のできるラーメン屋の味を思い出して、よだれが出そうになっているわけでは、断じて。
誰にともなく心の中で言い訳をし、私は思考を巡らせる。
(異世界転生モノの知識チートで言えば、まずは「澄酒」「塩」「砂糖」あたりが定番だけど……)
脳内でシミュレーションを開始する。
砂糖は、魅力的だ。甘味は正義。しかし、原料のサトウキビや甜菜が、この温暖な安房の国で手に入るか、あるいは栽培可能か、全くの不明。
カエデの樹液からメープルシロップ、という手もあるが、カエデの木を探すところから始めなければならない。ハードルが高い。
澄酒は、この時代、神事や外交にも使われる超高級品だ。成功すれば莫大な利益を生むだろうが、ただでさえ貴重な米を大量に消費する。領民を飢えさせてまで造る酒など、本末転倒だ。それに、下手に手を出せば、政治的な問題に巻き込まれる可能性もある。
(となると、直近で実現可能なのは「塩」作りか。海に面したこの国なら、揚浜式か入浜式の製塩法を導入すれば、品質も生産量も向上させられるはず。あとは、衛生管理のための「石鹸」や、衣類を改善するための「綿花」の栽培もいいな。農具の改良も必須……千歯こきに、唐箕……設計図くらいは描けるはず)
次々とアイデアが浮かぶ。だが、ここで私は重大な問題に気づいた。
農業改革――例えば、塩水で種を選別する「塩水選」や、苗を規則正しく植える「正条植え」、あるいは緑肥を使った肥料の改良。これらは確かに、この土地の収穫量を劇的に増やすだろう。しかし、それは諸刃の剣だ。
(もし、この稲村の地で実験して、大成功したら……?)
私の脳裏に、敵対する上杉方の領主たちが、ほくそ笑む顔が浮かんだ。
(間違いなく、すぐに噂が広まる。上杉方の息がかかった商人が探りに来て、技術はあっという間に盗まれる。私が苦労して編み出した技術で、敵を豊かにしてしまうなんて、悪夢以外の何物でもない。私の善意が、里見家を滅ぼす引き金になりかねない……!)
大規模な改革は、外敵のいない、完全に守られた我が聖域である、未来の神領で行うべきだ。
「……農業改革は、引っ越してから、ね」
私は、農業関連の項目を一旦保留とし、計画を練り直す。
(じゃあ、この家にいる残り一、二年で、私に何ができる?)
答えは一つ。敵に知られても直接的な軍事的脅威にはならず、かつ私の生活の質(QOL)を劇的に向上させる「屋内での研究開発」だ。技術の基礎研究。来るべき神領での産業革命のための、プロトタイプ開発。
私は新しい和紙を取り出すと、新たな計画を書き出した。
【極秘・おうち研究開発リスト】
* 安眠確保計画: ふかふかのベッドと羽毛布団を実現する!スプリングの代わりに竹を使えないか?羽毛は鶏や鴨をたくさん飼うところから。まずは、寝心地の良い枕作りから始めよう。
* 移動手段開発計画: 荷運びを楽にする大八車や一輪車の改良。あと、個人的に自転車みたいなものが欲しいけど、チェーン構造は無理だから、まずはペダルなしのランニングバイクから試作するか。
* 究極の調味料開発計画: 醤油、みりんを再現し、食生活に革命を起こす!大豆と麹菌が必要だけど、麹菌ってどうやって手に入れるの?納豆菌みたいに、藁から?発酵・熟成の期間も考えないと。
* 〝うま味〟探求計画: 昆布や鰹節から、最強の出汁(〇〇の素)を開発する!干し椎茸からも良い出汁が取れるはず。これらを粉末にして混ぜ合わせれば…究極の複合出汁が完成する!これがあれば、どんな料理も劇的に美味しくなる!
* その他: 上記を実現するための、小規模な製鉄技術の研究(たたら製鉄の改良)、船や魚網の新しい設計図の作成……
(うん、これならいい)
漠然とした目標ではなく、具体的なプロジェクトリストになった。これなら、父上たちに「こういうものが作りたいから、腕のいい職人を集めてほしい」と「お願い」もしやすい。
前世で尊敬していた先生が、よく口にしていた言葉を思い出す。
『意味のないことをたくさんするのが人生だ。でもな、行動に移さねば、意味のないことさえ始まらないんだぞ』
そうだ。私の壮大な「ひきこもりモフモフ生活」は、誰かが与えてくれるものじゃない。
これは、ただの自己満足じゃない。私の快適な生活は、家族の笑顔に繋がり、領民の豊かさに繋がり、ひいてはこの里見家を内側から強くすることに繋がるはずだ。
私の「ひきこもり」は、世界を内側から変えるための、最も平和的で効率的な革命なんだ。
あらゆる障害を乗り越え、この私の手で実現させてこそ意味がある。
「さあ、始めよう!」
私は筆を握り直し、高らかに宣言した。足元では、私の決意を感じ取ったのか、狐火ちゃんが顔を上げ、「きゅん!」と可愛らしい声を上げた。
「――令和式産業革命計画、本格始動!」
その声に、狐火ちゃんが応えるように、力強く鳴いた。私の最初の革命の同志は、この愛すべき狐火ちゃんだ。




