0032. 二人でつかんだ、最初の“一歩”
――さらに二週間後。(訓練開始から、約一ヶ月)
例の「温もり」を糸口に、私は日課の練習に励んでいた。それは、果てしなく地味で、根気のいる作業だった。
最近、ほんの少しだけ、体の中にある微かな魔素の流れを感じられるようになってきた! 最初は点だった感覚が、徐々に繋がり、今はか細い絹糸のように体内を巡っているのがわかる。
(よし、いいぞ! この小さな流れを、少しずつ、もっと太く、もっと強く、体内で巡らせるイメージで……)
まだまだ薄い紙一枚分くらいの頼りない感覚だけど、これは大きな、大きな一歩だ。闇の中で、ようやく手探りで見つけた扉の取っ手のようなものだ。
《琴ちゃんが、気づいてくれた!》
私の炎が届いたのが、手にとるようにわかるわ。琴ちゃんは、私の力を感じてくれている。彼女の魂が、私の魂の揺らぎに、確かに応えてくれている。
なんて愛おしいのかしら。胸の奥が、温かいもので満たされていく。もっと、もっと私のことを知ってほしい。
そうね、私の力のかけらを琴ちゃんにプレゼントしましょうか。
私が意識を集中させていると、ぼんやりと霞んでいた狐火ちゃんの影が、いつもより近くに、ふわりと寄ってきた。
そして、その影から、ほぅ、と吐き出すように、小さな光の玉が私のほうへ飛んできたのだ!
(うわっ! 何あれ!? )
遊んでほしいのかな? 私も遊びたいけど、まだ寝返りが精一杯だし……。
光の玉は、私のすぐそばで、シャボン玉のようにゆらゆらと漂っている。すぐそばでお世話をしてくれている乳母さんは、全く気づいていない。ということは、これはやっぱり魔素の塊か何かだろう。
(よし、触ってみよう!)
私がえいっ、と寝返りを打って、手を伸ばそうとした、その瞬間。
ふわり、と私の体が浮いた。乳母さんに「あらあら、姫様」と優しく抱き上げられ、元の仰向けの姿勢に戻されてしまったのだ。
「姫様、そちらは危のうございますよ。あまり端に行かれますと、寝台から落ちてしまいます」
(邪魔しないでぇぇぇ! 私の!)
《あら……。また人間に邪魔されたわ》
どうして、私の贈り物を渡させてくれないのかしら。この人間は、いつもいつも、私と琴ちゃんの間に割り込んでくるわね。
《琴ちゃん、諦めないで! もう一度いくわよ!》
私は、死角を狙って、もう一度、光の玉を飛ばした。今度こそ、受け取ってちょうだい。
そこから、たきの優しいお世話と私の必死の攻防戦が始まった。おむつを替えられながら、ずりずりと光の玉ににじり寄る。あやされて体を揺すられながら、その遠心力を利用して手を伸ばす。
そして、ついに――!
指先が、その光の玉に触れた。ぷにゅん、とした心地よいゼリーのような感触。それは一瞬で私の指先に吸い込まれ、跡形もなく消えてしまった。
だが、指先から、あの時と同じ、温かくて優しいエネルギーが体の中にじゅわっと流れ込んでくるのが分かった。
(これだ!)
これは、狐火ちゃんが私に魔素を分けてくれているんだ! 私たちの共同作業!
私は、狐火ちゃんに向かって腕をぶんぶん振った。その意味はもちろん、「もっとちょうだい!」だ。
そこから、私と狐火ちゃんの、たきの目を盗んでの〝魔素ボール千本ノック〟が始まったのだった。
――さらに四ヶ月後。(訓練開始から、半年)
私は、ハイハイを完全にマスターしていた。行動範囲が格段に広がり、訓練の効率は飛躍的に向上した。
そして、狐火ちゃんとの魔素ボールのキャッチ(というか吸収)も、だいぶ上達した。
どうやら私の体には魔素の容量があるらしく、朝に10個ほど吸収すると、お腹がいっぱいになるような感覚になり、もうそれ以上は取り込めなくなる。
でも、そのおかげで、新しい遊びが生まれた。吸収しきれなかった魔素ボールを、手でポンと打ち返せるようになったのだ。
初めてボールを打ち返した時、狐火は目を丸くして驚いていたが、すぐにそれが「遊び」だと理解したらしい。嬉しそうに九本の尻尾を大きく振り、また新しいボールを投げてくれる。言葉は通じなくても、このキャッチボールが、楽しくてたまらなかった。
――そして、訓練開始から一年後。
一歳の誕生日を迎えた私は、ついに【身体強化】のスキルを完全にモノにし、おぼつかないながらも、自分の足でトテトテと歩けるようになっていた。
当たり前だと思っていた「歩く」という行為が、こんなにも自由で、素晴らしいことだったなんて。私は、その足で真っ先に、いつも私を見守ってくれている存在の元へと向かった。
そして何より、嬉しい変化があった。
私の魔力は、気づけば【P】から【O】にランクアップしていた。
そのおかげで、今まで霞がかって見えなかった狐火ちゃんの姿が、だいぶはっきりと、鮮明に見えるようになっているのだ。
燃えるような真紅の瞳。雪のように白い、一点の曇りもない毛並み。そして、それぞれの先端に小さな蒼い炎を宿した、ふさふさの九本の尻尾。その姿は、ゲームのCGで見ていたよりも、ずっと気高くて、神々しくて、そして、とてつもなく愛らしい。
(……ああ、やっぱり、私の狐火ちゃんだ)
私は、その愛しい姿に駆け寄った。
そして、一年間ずっと夢見てきた、そのモフモフの毛並みに、思いっきり顔をうずめようと、手を伸ばして――
すりっ。
私の手は、狐火ちゃんの体を、まるで陽炎のように、幻のようにすり抜けた。
(……そっか。まだ、触れないんだ)
姿は見えるようになったけど、まだ彼の実体に触れるほど、私たちの繋がりは強くないらしい。あと一歩のところで届かない、温もり。
少しだけ、泣きそうになった。
《琴ちゃんが、私を見ている……! やっと、その瞳に私が映ったのね!》
嬉しくて、つい九本の尾を大きく振ってしまう。私のもとへ来てくれる!
あ……手が、すり抜けてしまったわ。ごめんなさい、琴ちゃん。まだ、私の体は現世に定着しきっていないの。貴女に抱きしめてもらうには、まだ力が足りないみたい。
《でも、だいぶ近づいたわ。あと、もう少しよ。だから、そんなに悲しまないで》
悲しそうな顔をする琴ちゃんを、私は心配そうに覗き込む。想いよ、届け。
すり抜けた私の手を、狐火ちゃんが心配そうに覗き込んでいる。
その優しい眼差しから、想いが伝わってきたかのように、私は涙をぐっとこらえて、にっこりと笑った。
「もうすこし、だね!」
言葉は届かなくても、きっと、想いは届いている。
そう信じられるくらいには、私たちの絆は、この一年で、確かに、確かに深まっていたのだから。




