0026. 閑話・【光賀】百の魂と奇妙な謁見
昨日、里見の殿様から「商いの話がある」と、急な呼び出しを受けた。
わしのような若輩の連雀商人に、一体どのようなご用向きか。最近、城下では殿の弟君である氏兼様が腕利きの職人を集めて何やら新しい拠点作りに励んでいるとか、若様の二郎太郎様が領内を隅々まで調べて回っているとか、奇妙な噂を耳にする。
まさか、その手の事業に関わることか。そうなると大商いになるな。しっかりと考えねばと胸算用をしながら、わしは里見様の居城へと向かった。
広間に通されたわしは、その光景に我が目を疑った。
上座には殿だけでなく御方様が、そしてその膝の上には、生まれたばかりだという姫君までがいらっしゃる。
(……なんだ? これは。ただの商談ではない。何かの値踏みをされているのか?)
御方様と姫君が商いの話に同席なさるなど、前代未聞。ただならぬ雰囲気に、わしは背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、深々と平伏した。
「里見様、仰せの通り、光賀仁右衛門、罷り越しました。本日はお声がけいただきまして、誠に光栄に存じまする。どのような商いもこの安房一の商人、光賀にお任せください」
まずはしっかりと挨拶をしたうえで、些か嘯いておく。これがわしのやり方だ。
「うむ、面を上げよ。仁右衛門、そなたの腕を見込んでの頼みがある」
殿の口から語られたのは想像を絶する、そして、あまりに厄介な依頼だった。
「――お主に頼みたい商いの話は、人買いよ」
人買い。連雀のわしですら、表立っては手を出さぬ汚れ仕事。
「真里の実家がある、甲斐の国から百人規模で子供の奴隷を買い付けてこい。これは我が里見家の未来を担う兵を育てるための、重要なる一手である」
(甲斐……。御方様のご実家とはいえ、あの武田様が治める厳しい土地。事を起こすのは容易ではない)
だが断れば、この安房での商いはもうできなくなるだろう。
(やるしかない。ならば、商人として最大限の利を引き出すまで!)
わしは商人としての仮面を被り直し、交渉に臨んだ。
「承知いたしました。して、お代はお一人あたり、いかほどで?」
「一人あたり、五百文でいかがじゃ。どのような歳の子、幼子でも構わぬ」
五百文。話にならない。利が出ぬどころか、持ち出しをせねばならぬ。
「里見様、それはあまりに……。甲斐の山道は険しく、追剥も出まする。武田の関所も厳しい。百人もの子供を動かせば、必ずや騒ぎになりましょう。それを抑えるための手間賃も考えますと、せめて七百文はいただかねば、商いとして成り立ちませぬ」
すると、殿はあっさりとそれを呑んだ上で、「遠い甲斐まで骨を折らせる。労いとして、さらに百文上乗せしよう。八百文でどうだ」と、鷹揚に笑った。
その瞬間、わしは気づいてしまった。
この交渉、全ては殿の――いや、その隣で静かに微笑んでおられる御方様の筋書き通りなのだ、と。
こちらの要求を一度呑み、さらに上乗せして見せることで、こちらに「大きな恩を売る」。見事な駆け引きじゃ。この商談を仕切っているのは殿ではなく、御方様だ……!
「人数は、最低でも五十、出来れば、百は欲しい」
最低でも五十人。大商いではないか。わし一人でどうにかなる数ではない。
話がまとまりかけたところで、わしは最後の切り札を切った。
「ありがたきお言葉。ですが、道中の寺社への寄進も必要となりましょう。その費用も考えますと……」
「案ずるな」
わしの言葉を遮り、殿が言った。
「仮に久遠寺や浅間大社に助力を頼むのであれば、幾許かの寄進が必要であろう。その寄進代の一部を里見家が負担しようぞ。一人あたり二百文を出そう。これで、一人あたり一貫文となる。それと今川家の駿河の湊まで我が里見水軍の船もいくつか出そう。陸路よりはよほど楽であろう」
どこまでこちらの思考を読んでおられるのだ。久遠寺や浅間大社に預ける算段まで見抜かれていたとは。
わしはもはや感服し、平伏するしかなかった。
「……この光賀仁右衛門、里見様の海よりも深きお心遣いに、身命を賭してお応えいたしまする!」
謁見を終え、殿から預かった武田様宛ての書状を懐に城を辞去したわしは、すぐさま旅の支度を始めた。
寄進代を除けば、一人あたり八百文。年嵩の者だと割に合わぬ。赤子や口減らしで売られるような幼子を中心に買い付けねば、利益は出んだろう。だが、これは危険だがわが生涯で最大の商いになるやもしれぬ……!
そこまで考えて、ふと、わしの脳裏にあの広間での光景が蘇った。
あの赤ん坊なのに泣きもぜず、ぐずりもしないの姫君。退出の挨拶をする際、初めて、その小さな姫君と、目が合った気がした。
その瞳は、まるでこの商談の全てを見透かしているかのように、静かにじっとわしを見つめていた。
そして、その瞳の奥に宿っていたのは、深い知性と、そして、これから買い付けられるであろう百の魂に対する、底知れぬ慈悲と覚悟の光だった。
(……考えすぎか)
わしはかぶりを振った。だが、全身に鳥肌が立つのを感じていた。
あの瞳の記憶は、なぜかいつまでも頭から離れなかった。
この商い、ただの儲け話ではない。何かとてつもなく大きな、そして、得体の知れない何かが背後で動いている。
そんな荒唐無稽な考えが頭をよぎる。わしの商人としての勘が、そう告げていた。
これは己の運命をも変えかねない、大事業になる。わしは武者震いを抑えながら、東海道への道を急いだ。




