0020. 閑話・【二郎太郎】御神託という名の混乱
先日、母上がおれに妹ができたと教えてくれた。
さすがに産後すぐということもあり、まだその顔を見ることは叶わぬが、胸の内には確かな温もりが灯っていた。
おれには病で伏せがちな兄上がいるが、それ以外の兄弟はいない。初めての〝弟妹〟の誕生はただただ嬉しかった。
(早く会ってみたいものだ。兄として、何をしてやれるだろうか)
兄上はご病気のこともあり、あまり外で遊ぶこともできない。ならば、おれがこの子の遊び相手になってやらねば。剣の稽古もいいが、姫君ならば手習いや歌の方が喜ぶだろうか。
どうすれば、兄らしく見えるか、皆目わからぬ。今度、父上の右腕である氏兼叔父上にでも、良き兄としての心得を聞いてみるとするか。叔父上には弟と妹がいたはずなので、何か良いことを聞けるかもしれぬ。
そんな穏やかな思案に耽っていた矢先のことだった。
館の中がにわかに騒がしくなった。廊下をドタバタと走り回る小姓たちの慌ただしい足音。家臣たちがひそひそと交わす、潜めた声。普段は泰然としている父上の近習たちまでどこか緊張した面持ちで警備を固めている。
やがて父上から直々に氏兼叔父上へ「火急の要件」での呼び出しがかかったと聞いた。普段、父上は叔父上に対して、そのような性急な呼び方はしない。
(何か、あったのか……?)
外から使者や早馬が到着した気配はない。ならば、館の内での出来事か。生まれたばかりの妹の身に何かあったのでは――。
悪い予感が胃の腑が冷えるような心地がした。
しばらく、いつもと同じ様に部屋で書を読みながらも、落ち着かずに過ごしていると母上の侍女の一人が息を切らしてやって来た。
「若様、いらっしゃいますか。御方様から殿がお呼びになっているとのことで、広間に参るように、とご指示がございました」
「母上から? わかった。今から向かうと父上と母上に伝えてくれ」
「はっ! 御方様にお伝え致します」
なぜ、父上が呼んでいるのに、母上からの指示とは。些細なことだが、普段とは違うちぐはぐな流れに胸の内の不安がさらに募る。
部屋を出て、広間に向かっていると廊下の角から母上とその侍女頭であるたきが姿を現した。
「母上。先日、お子を産んだばかりで、もう部屋から出歩いて大丈夫なのですか」
おれが駆け寄ると、母上は穏やかに微笑んだ。
「あぁ、二郎太郎。心配してくれてありがとう。この通り、もう歩けるまでになっているので、大丈夫よ。ちょうどよかったわ、一緒に殿の下にいきましょう。殿と氏兼はもう広間で待っておいでですよ」
母上の表情は落ち着いている。妹の身に何かあったわけではなさそうだ。少しだけ安堵したが、ならば一体何が。
母上とたきと共に広間に入ると、上座には父上。その隣に、叔父上。そして、本来であれば控えているはずのたきまでが、おれたちと同じ列に座るよう促されている。その異様な指示におれは息を呑んだ。
「真里、ご苦労じゃったの。二郎太郎とたきも、こちらに座れ。たきは部屋の隅に控えんでもよい。そなたにも話があるゆえ、この場に呼んだのじゃからな」
父上の普段とは違う硬く厳しい声。たきをわざわざ家臣の列に座らせるとは。これほどの話とは何事だ。
「それと、誰ぞある! この広間の襖を全て取り払い、遠くへ下がっておれ! これより、我が里見家の行く末を左右する密議を行う!」
父上の号令で、小姓たちが慌ただしく動き、広間はがらんとした一つの大部屋となった。おれたち五人だけが、広い空間にぽつんと取り残される。
「殿、そこまでの話にございますか」
叔父上が、静かに問うた。
「そうじゃ。その方らにする此度の話は、ここにいる五人以外、何者にも話をしてはならぬ。この話がどこぞに漏れた場合、如何様なことになるのか、分からぬゆえな。心して聞け」
「承知致しました」
父上の言葉に、おれと叔父上、たきは覚悟を決めて平伏した。そこまでの大事とは何なんだ。頭が混乱して、父上の話が理解できぬ。
「さて、準備が整ったな。話の始まりは先日、そなたの妹である琴が産まれる前夜に遡る」
父上は、静かに語り始めた。
「あの日の夜、儂の夢枕に御使い様が立たれたのじゃ」
(……夢枕? 御使い様?)
父上の言葉が、にわかには信じられなかった。
「さらに驚くべきことに、同じ夜、真里の夢枕にも、同じ御使い様が立たれた。そして、我ら夫婦に同じ御神託を授けられたのだ。同じ日に夫婦揃って同じ御神託を授かる。これが何を意味するか、わかるか。我が里見家の家運が天に認められた証に相違ない!」
興奮気味に語る父上をおれは冷静に見つめていた。
(……おかしい)
背筋に、冷たい汗が流れた。
神仏が俗人である父上や母上の夢枕に立つなど聞いたことがない。ましてや、夫婦同時になど。御仏の教えにも、稲荷大明神の伝承にも、そのような話は一つもなかったはずだ。
これは、御神託などではない。
父上と母上は何者かに――恐らくは、人の心を惑わす妖の類に誑かされているのではないか。
おれは、ゴクリと喉を鳴らした。これはお家の一大事だ。
ちらりと叔父上を窺う。叔父上もきっと同じことを考えているに違いない。だが、叔父上は顔色一つ変えず、静かに父上の言葉に耳を傾けている。その落ち着き払った様子が逆におれの焦りを増幅させた。
父上は決して愚昧な方ではない。母上も聡明な方だ。そのお二人が揃って信じ込んでいるとは……。
おれは父上と母上の目を覚まさせるため、そして、我が里見家を守るため、これから語られる言葉の一言一句を聞き逃すまいと、固く、固く決意した。
この混乱の先に何が待ち受けているのか。今はまだ誰にも分からなかった。




