0013. 生まれる前から物語は始まっていた
プロローグ:神々の後処理
モノクロの部屋に、今はもうない魂の余韻が漂っていた。里見が去った静寂の中、四つの声がぽつり、ぽつりと呟く。
「行ったの」
「行ったのじゃ」
「行きおったわ」
「行っちゃったわねぇ」
やがて、妖艶な声質の“彼女”が、くすくすと笑い出した。
「あの子、私たちのこと、完全に気づいていたわね。多重人格か何かだと思っているみたいだったけど。あえてスルーするなんて、なかなかの胆力と直観力。
今回は今までよりは長く期待できそうで、楽しめそうだわ。どんなハチャメチャを巻き起こしてくれるのかしら」
古風な口調の“わらわ”が、楽しそうに続ける。
「うむ。あのくらいでなければ、膨大なエネルギーを扱う器にはなれぬからの。さて、約束通り、彼女の身体は事故死に偽装するのじゃ。
それと、部屋の荷物はオマケじゃ。全てアイテムボックスに詰めて、保管してやる。向こうで中を見て、目を丸くして驚く顔が今から楽しみじゃのう。愛用のPCやらゲーム機やら、向こうでは何の役にも立たぬガラクタばかりじゃが、それもまた一興よ」
エセ関西弁の“わし”が、にやりと笑う。
「ほな、アイテムボックスに多少、説明の手紙も入れといたろか。見てビックリ、手紙見てまたビックリ! の方が楽しみ甲斐があるやろ。『この手紙が読めるころ、あなたはもう……』みたいな、ベタなやつでどうや?」
最後に、理知的な“私”が冷静に締めくくった。
「悪趣味ですよ。陰陽師スキルの練習方法は、私がまとめておくから、ついでに書いておきます。
それから、母親になる女性には、今夜にでも夢枕に立って神託を授けておきましょう。生まれる前に伝えておけば、守り役の狐(狐火)の存在で混乱することもないでしょうし、あの子が戸惑うこともないでしょうから。前日の夜の時間にお邪魔しようかしらね」
それぞれが満足げに頷くと、神の気配は虚空に溶けて消えていった。
――蛇足だが。
後日、現実世界で発見された里見の身体は、検死で「横断歩道上で発生した交通事故死」と断定された。
しかし、不可解な点が多すぎた。事故の衝撃とは別に、遺体にはほとんど外傷がなく、まるで眠っているように穏やかな顔をしていたこと。
そして何より、彼女の住んでいたマンションの部屋から、家具家電はおろか、生活用品の一切合切が忽然と消え失せていたのである。
警察は単なる事故ではなく、何らかの事件に巻き込まれた可能性を視野に入れ、大規模な捜査本部を立ち上げた。特に、彼女が生前、社内でパワハラを受けていたとの同僚の証言から、元上司である部長と課長の二人が重要参考人としてマークされた。
連日の事情聴取と家宅捜索。二人はもちろんアリバイがあり、シロと判断されたが、会社での評判は地に落ち、疑いの目は晴れなかった。
その強烈なストレスからか、部長の頭は見る見るうちに寂しくなり、課長は特徴的だった福耳がストレスで萎びてしまったという。寿命もいくらか縮まったらしい。
転生前の彼女の呪詛「呪われろ、スキャンダルで失脚しろ、ついでに毛根も死滅しろ!」は、ささやかながらも、しかし確かに届いていたのだった。
この事件は、物的証拠が何一つ見つからなかったため、やがて迷宮入りとなる。「OL不審死事件」として奇怪な未解決ミステリーとなり、定期的にTVの特番で取り上げられ、好事家の間で長く語り継がれることになった。
後日、この顛末を風の噂(神の悪戯)で聞いた里見本人は、「ざまぁ」と一言だけ呟きつつも、新しい生活に満足していたので、直ぐに忘れてしまったという。
転生前夜:母への神託
安房国、里見家の居城の一室。
いつ産まれてもおかしくない大きなお腹を抱え、当主の妻である真里は、浅い眠り、微睡みの中にいた。戦国の世の緊張感とは裏腹に、新しい命を宿す身体は安らかな気に満ちている。
すると、どこからか凛とした、それでいて慈愛に満ちた声が響いてくる。
《……真里。真里よ、聴こえますか》
意識の狭間で、真里は眉をひそめた。
「……? わらわを呼ぶのは、誰じゃ……誰の許しがあって、こちにきたのか」
武家の妻としての警戒心が、夢の中にまで及ぶ。
《やっと繋がりましたか。何度も呼んで、声が少し枯れましたよ。早く気づいてくださいね。私は宇迦之御魂神。あなたに神託を授けに来ました。言葉を伝えるから、きちんと覚えておくのよ》
その御名を聞き、真里は夢の中ではっと平伏した。五穀豊穣を司り、民の暮らしを守る、あの御稲荷様。まさか、このような形で御声を賜るなど。
「ははぁ、五穀豊穣の御稲荷様ではありませぬか。この真里めに、御声をかけてくださるとは。ありがたく、御神託、一言一句忘れずにお受け致しまする」
ふと気づけば、寝所の風景は消え、己が満天の星空と黄金色の稲穂がどこまでも続く、神聖な気に満たされた場所にいることを悟る。
《真里。あなたのお腹の子は、幾多の縁を結び、この地を照らす星となるでしょう。あの子に、我がささやかなる加護を与えます。そして、あなたには視えませぬが、御使いの白狐を一匹、守り役として遣わします。その子を、しかと育てるのですよ》
「ははっ! 宇迦之御魂神様、御神託、誠にありがとうございまする。ありがたき幸せにございます!わらわの身命に賭して、この地と殿のため、お腹の子を育ててみせまする」
真里の偽りない言葉に、宇迦之御魂神は満足げに頷いた。
《ただし、真里。一つだけ、心に留め置きなさい。あなたのお腹の子は姫ですが、決して政略のために嫁に出してはなりませぬ。あの子の縁は、あの子自身が結ぶもの。親といえど、それを歪めてはなりません。よいですね》
「……かしこまりましてございます。全て承知致しました。殿にも、確とお伝えいたします」
真里は深く頭を下げた。戦国の世において、姫が嫁がないことがどれほど異例か。だが、神の言葉に否やはない。
《よろしい。それじゃぁね。元気に育ててね》
宇迦之御魂神の気配がふっと消え、神聖な場所から現実の寝所の闇へと意識が引き戻される。
その瞬間、真里のお腹に、生命の始まりを告げる強い痛みが走った。
「……っ! だれぞ、だれぞ、おるか! 」
遠くから侍女たちがバタバタと小走りに駆けつけてくる足音を聞きながら、真里は不思議と安らかな気持ちに満たされていた。御神託のことは、娘が無事に産まれてから、殿に話をしましょう。
(加護を授かりし姫……。きっと、この乱世を生き抜く、健やかで強い子が生まれる)
痛みの中で、真里は確かな希望を抱いていた。




