甥っ子のように可愛がっていた悪ガキ2人組、実は双子の姉妹でした 〜育て方、間違えちゃったかな? それでも俺、兄やってます〜
──田舎の空気は、こんなにも澄んでいたっけ。
久しぶりに降り立った駅のホームには、あの頃の景色がそのまま残っていた。どこか懐かしくて、それでいて少しだけ寂しい。それが、望月 悠のふるさとだった。
「……変わってないな」
ぽつりと呟いて、リュックのストラップを握り直す。
東京での仕事に区切りをつけて、有休をまとめて消化中。ようやく時間ができたから、なんとなく帰ってきた。それだけだった。
駅前の商店街はシャッターが目立つようになっていたが、角を曲がればあの「三原豆腐店」が今も元気に営業していて、ちょっとホッとした。
祖母の家──今は叔母さんが住んでいる──は、駅から歩いて15分ほどのところにある。家の前に着くと、ガラガラと引き戸の音。
「おやまぁ! 悠ちゃん! 大きくなって……じゃないわね、もう社会人だったわね!」
両手を広げて出迎えてくれたのは、相変わらずのテンションの高い叔母さん。小柄な身体で、パワフルに話しかけてくる。
「久しぶりです、叔母さん。元気そうで何よりっす」
「当たり前よ。あんたが東京行ったの、もう何年前だったかしら。……高校卒業してすぐだった?」
「そうですね、8年ぶり……かな」
「うわぁ……じゃあ、あの子たちも、もう高校生か」
ふいに言われた「その言葉」に、悠は眉をひそめた。
「あの子たち?」
「ほら、あんたが高校の頃、よく面倒見てた双子のガキんちょたちよ。あの悪ガキ2人組、覚えてない?」
「……あー、あの騒がしいの。よく庭でキャッチボールとか、ドッジボールとかしてた子たち?」
「そうそう。狐春と陸」
「……狐春と陸?」
記憶の中では、確かに毎日のように遊びに来ていた2人組がいた。日焼けした肌に、いつも泥だらけの半ズボン姿で──てっきり、どっかの甥っ子か近所の悪ガキだと勝手に思ってた。
「え、あの子たち……女の子だったの?」
「今ごろ気づく!? あんた、当時も言ったじゃないのよ、“双子の姉妹”って」
「うそ……まじで?」
頭をガツンと殴られたような衝撃。
あの悪ガキ2人組が、“姉妹”だった。しかも──今は高校生?
「今、どっちも高校2年よ。しっかりしたもんよぉ、狐春は生徒会で副会長してるし、陸の方は……まぁ、ちょっとアレだけど」
「アレ?」
「まあ、見ればわかるわよ。あとで会ってきなさいな。久々なんだし。あの子たち、ずっと悠のこと“兄ちゃん兄ちゃん”って言ってたんだから」
“兄ちゃん”。
その言葉に、ほんの少しだけ胸の奥がくすぐったくなった。
8年前の夏の日。麦茶を片手に、汗だくになりながら2人と遊んだ時間──
彼女たちが女の子だと知らなかった自分に、若干の後悔すら湧いてくる。
「……じゃあ、ちょっと行ってきます。顔見て驚かせてやる」
「ふふ、驚くのは悠ちゃんの方かもねぇ?」
ニヤニヤと笑みを浮かべていた伯母さんの姿に、少し違和感を覚えた。
午後の陽射しが差し込む商店街。
昭和の香りが漂う小さなスーパーの前で、悠は昔を思い出すように自販機の前に立っていた。
麦茶。お茶。スポーツドリンク。
「懐かしいな、ここの自販機もまだあったか……」
財布を取り出していると、背後から話し声が聞こえた。
「いいって言ったじゃん、もう。こはるは買いすぎなんだってば」
「でも、冷蔵庫スカスカだったし、帰り道に寄った方が効率的だと思ったの」
──聞き覚えのある声。
その響きに、反射的に振り返る。
すると、視界に入ってきたのは制服姿の女子2人。
一人は清楚な黒髪ストレートで、手に買い物袋。
もう一人はショートカットで少しだけ制服を崩して着ている。どこか挑発的な表情。
──一瞬、心臓が跳ねた。
(まさか……)
目が合った。
黒髪の方が目を丸くして、ほんの一瞬だけ時が止まったように見えた。
「……もしかして、悠お兄ちゃん……?」
その一言で、すべてが繋がった。
「狐春……? ……いや、マジで……?」
「わ……ほんとに悠お兄ちゃん? 久しぶりすぎて……!」
狐春が駆け寄ってくる。
制服の裾をふわりと揺らしながら、表情は8年前とまったく違う──いや、でもどこか変わっていない。
「おい、マジ? お兄ちゃんって、あの? 昔の?」
ショートカットの少女、陸が口を尖らせて睨んでくる。
「おっさん、なに普通に再会してんの?」
「お、おっさん言うな。まだ25だ」
「ほぼおっさんじゃん」
変わっていない。というか、悪化してないかこの子。
「久しぶりに帰ってきたんだよ。こっち、全然変わってなくて驚いたわ」
「それ、こっちのセリフです。悠お兄ちゃん、ちょっと垢抜けたっていうか……東京の人って感じ」
「……なんか複雑な気分だな」
狐春は恥ずかしそうに微笑み、陸は未だにふくれっ面。
けれど──まぎれもなく、あの“悪ガキ”たちの面影がある。
「……2人とも、大きくなったな」
「当たり前でしょ。こっちは高校生よ」
「お兄ちゃんは、まさか忘れてた?」
「いや……えーと、ちょっとだけ、男の子だと思ってた時期が……」
「最悪だな、それ」
3人の距離は、8年のブランクを感じさせるようでいて、不思議と自然に戻っていく。
「じゃあ……今日は時間ある?」
狐春が、少しだけ遠慮がちに聞いた。
「せっかくだから、うち来てよ。お母さんもきっと喜ぶと思うし」
「……そうだな、行こうかな」
「えー、なんでうち来るの。別に来なくていいじゃん、こはるー」
「素直になりなよ、陸」
「うるさいし!」
そうして再び始まった、“兄妹”のようで、どこか不思議な関係。
狐春と陸──名前だけじゃなかった。彼女たちは、あの頃の双子だった。
狐春と陸の家は、昔と変わらない場所にあった。
けれど門扉の横には新しい表札があり、庭の柿の木も少し剪定されていた。
「ほんとに来たし……」
陸がブツブツ言いながら玄関を開ける。
「いらっしゃい、悠お兄ちゃん。上がってください」
「お、おう……」
8年ぶりの家。懐かしい匂いがした。木の床、古びたソファ、少しだけホコリっぽい空気。
だけど、そこに暮らしの温度がちゃんと残っていた。
「飲み物……麦茶でいい?」
狐春が自然に台所に立って、グラスを取り出す姿は、完全に“お姉さん”だった。
「ありがと。……なんか、狐春、大人っぽくなったな」
「そうですか? ……でも、悠お兄ちゃんの方が、ずっと変わりましたよ。背、伸びました?」
「社会人やってると、いろいろ伸びるんだよ。背も胃袋も、ストレスもな」
ふっと笑い合う空気。その隣で、陸は少しだけ不満そうに頬を膨らませていた。
「ふーん。なんか、こはるだけ楽しそう」
「……別に、そんなことないよ?」
「ふーん……」
その“ふーん”に、8年分の距離と複雑さが詰まっていた。
居間のソファに3人で並んで座ると、会話はしばらく止まった。
気まずい沈黙ではない。だけど、あの頃のように無邪気にはしゃげるわけでもない。
「……お前らさ、昔は毎日のように俺んとこ来てたじゃん」
「うん。だって、悠お兄ちゃん、いっつも遊んでくれたし」
「そうね……“兄ちゃん”って、呼んでたよね」
「呼んでたな……陸も呼んでたじゃん?」
言った瞬間、陸がビクッと反応した。
「うるさい。今は呼んでないし」
「なんでよ?」
「……恥ずかしいじゃん、今さら」
そう言ってそっぽを向く。その耳が、少しだけ赤くなっていたのを、悠は見逃さなかった。
「まぁ……呼ばれなくても、お兄ちゃんって気持ちは残ってるよ。……多分、俺の中に」
「……ずる」
「ん?」
「そうやって、急に昔みたいなこと言うの。……ずるいよ」
その言葉が、陸の口から出た瞬間──何かが胸に引っかかった。
少女はもう、子どもではなかった。
「ごめん、なんか。……帰ってきてよかったのか、まだよくわかんねぇけどさ」
「ううん。帰ってきてくれて、うれしいです」
狐春の笑顔が、ふとした瞬間に儚げに見えた。
この8年、2人がどう生きてきたのか──悠はまだ何も知らない。
「でも……まだ“兄ちゃん”って呼んでくれるなら、俺、また守ってやりたいなって思ったりしてる」
「……は?」
陸の頬が真っ赤になった。
「な、なにそれ……バカじゃないの……!」
「うわ、ツン戻った」
「は!? 戻ってないし! もともとだし!」
狐春はくすっと笑って、小さく呟いた。
「……おかえりなさい、悠お兄ちゃん」
それは、8年前の夏に置いてきた言葉だった。
◆ ◇ ◆
夜の静けさが、町全体を包んでいた。
星がにじむ空を見上げながら、悠は縁側に腰を下ろしていた。狐春と陸の家の縁側──かつて何度も2人と蚊取り線香を焚きながら、ふざけあった場所。
その隣に、麦茶を持った狐春がそっと腰かける。
「昔と……変わらないですね、この場所」
「ああ、変わらない。……でも、お前らは、すっかり変わっちまったな」
「変わらないわけ、ないですよ」
静かに、しかし確かに。狐春の声には重みがあった。
「……お父さんが亡くなったの、覚えてますか?」
「あぁ……。でも、詳しくは知らない」
「小学四年の冬でした。突然で。事故でした」
「……」
「その時から……ううん、たぶんその少し前から、私は“姉”になりました」
狐春は、淡々と話す。その口調はまるで報告のように、感情を殺していた。
「お母さんも、すごく頑張ってくれた。でも夜勤が多くて、家事とか、陸の面倒とか……」
「お前が全部、やってたのか」
「いえ……できることだけです。陸は、ああ見えて繊細で……寂しがり屋なんです」
「そう見える」
そのとき、背後のガラリという戸の音。
陸が、肩にタオルをかけたまま出てきた。
「……盗み聞きとかじゃないから。水、取りに来ただけだし」
「別に言い訳しなくていいよ」
「うるさい。……でも、こはるがそういう話してるのって、なんかズルいし」
陸も縁側に座る。少し距離をあけて。
夜風に髪が揺れて、どこか切なげだった。
「お兄ちゃん、東京で楽しかった?」
「うーん……楽しい時もあったし、しんどいことも多かったかな」
「……ずっとさ、思ってた。あのままこっちにいてくれたらって」
「陸……」
「でも、あたしもバカだから、言えなかったし。……どーせ東京でリア充やってんだろって思ってたし」
「リア充って……」
「うるさい。言ってみただけ」
夜の沈黙が、3人の間を包む。けれどその静けさは、どこかあたたかい。
「……じゃあさ」
悠が、ぽつりと呟いた。
「今からでも、“兄ちゃん”に戻っていいか?」
「……戻るってなによ」
「もう一度、お前らをちゃんと見守るって意味」
狐春は微笑んだ。
陸は、少しだけ肩を寄せた。
「……考えとく」
「おーい、ツンすぎだろそれ」
夜空に、三人の笑い声がかすかに混じった。
◆ ◇ ◆
夜も更けた頃。陸はすでに自室へ引っ込み、狐春と悠の二人は、こたつのある居間で静かに向き合っていた。
カップには冷めかけの麦茶。天井の蛍光灯が、少しだけ揺れている。
「……こんなふうに、2人きりで話すのって、すごく久しぶりですね」
「たしかに。昔は、陸も絶対くっついてきたしな」
「ふふ、今じゃすぐ逃げますけど」
狐春がゆっくりと湯呑を手に取り、少し間を置いて口を開いた。
「……悠お兄ちゃんに、話しておきたいことがあるんです」
「ん?」
「私……」
彼女は一瞬、言葉を飲み込んだ。そして小さく笑う。
「……ずっと、待ってたんですよ。お兄ちゃんが、帰ってくるの」
心臓が、ドクンと跳ねる。
「私たち、本当に子どもだったけど、でも……嬉しかったんです。遊んでもらえるのが。名前を呼んでもらえるのが。怒られるのも、撫でられるのも、全部。」
「……」
「だから、いなくなって……寂しかったです」
声がかすかに震えていた。
「それでも、忘れないようにって思って……私、日記を書いてたんです。“お兄ちゃんにまた会えたら、これを話そう”って。でも、今日になっても全部言えないくらい──いろいろ溜まってました」
狐春の目が潤んでいた。感情の波を抑えながら、それでも前を見ていた。
「……お兄ちゃんは、今の私を見て、どう思いましたか?」
「……綺麗になった。正直、びっくりした。昔の狐春の面影はあるけど……でも、もう全然違う」
「嬉しいです。その言葉」
その瞬間──
バタン、と廊下の戸が勢いよく開いた音がした。
「……っ、なに話してんの」
陸が、扉の前に立っていた。顔はうつむいて、表情は読み取れない。
「陸……」
「……なんで、こはるだけ。ずるくない?」
唇が震えている。怒っているようで、泣きそうでもあった。
「私だって、寂しかったし。会いたかったし。……でもさ、何か言うと、こはるの方がちゃんとしてるからって、いつも私の方が“子ども扱い”されて……」
「そんなつもりじゃ……」
「わかってるよ! でも、そう見えんだよ!」
その言葉に、部屋の空気が凍った。
狐春が立ち上がりかけて、でも何も言えずに止まった。
悠は静かに立ち上がり、陸のそばへ近づいた。
「陸」
「……なに」
「兄ちゃんは、誰が大人かとか、ちゃんとしてるかとかで見るつもりはない。お前も、狐春も、どっちも……俺の、大事な妹だって思ってる」
「……兄ちゃん」
「だから、今は怒ってもいい。泣いてもいい。全部、受け止める」
その言葉に、陸の肩が震えた。
「……バカ」
ぽつりと、それだけ言って。
陸はその場にしゃがみこんで、泣き声を必死にこらえていた。
翌朝。狐春の家には、静けさだけが漂っていた。
朝食の時間をとっくに過ぎても、誰も口を開かなかった。
狐春はキッチンで味噌汁をかき混ぜながら、時折、振り返る。
リビングでは悠がコーヒーを片手にぼんやりとテレビを見ていた。
陸の姿は、そこにはなかった。
「……今日は、朝から出たみたいです。学校、早く行くって」
「そっか……」
昨夜のことが、二人の間に沈黙を残していた。
「……私、どうしたらよかったんでしょうね」
狐春がそっと口を開く。
「素直に全部話したのが、間違いだったのかもって……陸の気持ち、ちゃんと考えたことなかったかも」
「違うよ」
悠が椅子を引いて立ち上がる。
「間違ってなんかない。狐春は、ちゃんと想ってた。陸も……それがわかってる。だから余計に、言葉が出せなかったんだと思う」
「……」
「俺もさ、何年もあいつらから逃げてたんだよな。だから……“兄ちゃん”なんて、簡単に名乗っちゃいけなかったのかも」
狐春は、ふっと小さく笑った。
「……でも、嬉しかったです。お兄ちゃんって、呼んでくれて」
「狐春……」
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
玄関に出ると、そこには見覚えのある年配の女性──近所の和菓子屋の奥さんだった。
「おはよう、望月くん。ちょっと、お願いがあるんだけど」
「どうされました?」
「陸ちゃんね、学校でちょっとだけ……喧嘩、しちゃったみたいで」
「……え?」
「大きなことじゃないけど、顔をちょっと擦りむいてね。先生が保護者呼び出してるの。お母さんも連絡取れなくて……」
悠は、すぐにジャケットを羽織った。
「俺、行きます。陸のことでしょ」
「ありがとう。助かるわ。……なんだか、“お兄ちゃん”って感じね」
狐春が、そっと見送った。
その背中に向かって、心の中で呟いた。
──行ってあげて、兄ちゃん。
その頃、学校の保健室では、
膝を抱えて俯く陸が、小さな声で呟いていた。
「……別に、泣いてないし……」
でも、指先が微かに震えていた。
保健室のドアをノックした瞬間、悠は思わず息を呑んだ。
ベッドの端に座る陸は、制服の袖を捲り、擦りむいた肘を見つめていた。
「……よぉ。怪我、大したことないって聞いたけど」
声をかけると、陸は顔を背けた。
「なんで来たの。あんた、兄貴面しに来たわけ?」
「そうだよ」
「……バカじゃないの」
保健室の先生が気を利かせて部屋を出る。二人きりになった空間に、しんとした空気が漂う。
「聞いたよ、ちょっと口論になったって」
「うるさい。別に悪くないし。……あっちが先にバカにしてきたんだし」
「何て言われた?」
「“お前の家、親もいなくて寂しそうだな”って」
悠は拳を強く握りしめた。
「そいつ、ぶっ飛ばしていいか?」
「やめて。……先生には、“手出したのは私だけ”って言ったから」
「それでも……」
怒りと後悔が混じる中で、陸がふと口を開いた。
「……こはるの方が、うまくやれるんだよね。勉強も、バイトも、人付き合いも」
「それがどうした」
「私は……うまくやれないし。思ったこと、全部ぶつけちゃうし。……あんたが帰ってきたとき、“またあたしのこと子ども扱いするんだろうな”って、思った」
悠はゆっくりと彼女の隣に座る。
「陸、ちゃんと聞け。俺は、子ども扱いなんかしてない」
「嘘だよ。だって、昨日のあれ……こはるとだけ、特別っぽく話してたじゃん」
「……あれは、狐春が先に話し始めたからだよ。陸だって、話したいことがあるなら……俺は、全部聞く。全部受け止める」
陸の肩が、ピクリと揺れた。
「……どうせ私なんか、また後回しにされるって思ってた」
「違う。絶対に、もう後回しにはしない」
その瞬間、陸が顔を上げた。目には涙が溜まっていた。
「……だったら、もっと早く帰ってこいよ、バカ兄貴……」
「……ごめん」
ふいに、陸が額を悠の肩にコツンと押しつけた。
「……ちょっとだけ。ちょっとだけ、こうしてていい?」
「ああ、いいよ。いくらでも」
初めての喧嘩。
それは、8年分の積もった想いをぶつける、必要な衝突だった。
そして、初めての“本音”の距離。
陸との一件のあと、悠は学校の階段を下りながら、胸の奥に何か強く張り詰めた感覚を抱えていた。
──自分は、逃げていた。
あの双子が「子ども」だと決めつけていたから。
ちゃんと向き合わずに、ただ懐かしさだけで見ていた。
玄関先で待っていた狐春が、陸の手を引いて迎えに出てきた。
「おかえりなさい、悠お兄ちゃん」
「……ただいま」
少しだけ照れくさくて、でも不思議とあたたかい。
陸も、そっぽを向きながらも、ぼそっと呟く。
「……来てくれて、ありがと」
3人で並んで帰る道。
田んぼの風が心地よくて、昔の夏の空気を思い出す。
「なぁ」
悠が、不意に口を開いた。
「……俺さ、本当はもう一度だけ“兄ちゃん”って呼ばれたら、それで十分だと思ってた」
「うん……」
「でも、今はちょっと違う。……これからも、ちゃんと“兄”でいたいって思うようになった」
狐春が、足を止める。
陸も、後ろを振り返った。
「子ども扱いはしない。
でも、困ってたら支えるし、間違ってたら叱る。
逃げそうになったら背中を押す。
そういう“兄”でいたい」
二人は、顔を見合わせた。
「……じゃあ」
狐春が小さく微笑んで、言葉を繋ぐ。
「今からでも、呼んでいいですか?」
陸が、ぽつりと続ける。
「……“兄ちゃん”って」
悠の目に、ほんの少しだけ涙が滲んだ。
「もちろん」
ゆっくりと歩き出す3人。
並ぶ影が、昔より少しだけ近くなった。
キッチンに、出汁の香りがふんわりと立ちのぼる。
「うどん、卵落としたほうが美味しいって、絶対」
「いやいや、普通の方が好みって奴もいるんだよ」
「兄ちゃん、それ老けた証拠じゃない?」
「うるさい、黙って座ってろ」
そんなやりとりが、久々に賑やかな食卓を彩っていた。
狐春が丁寧に盛りつけをして、陸が半分ふざけながら薬味を振る。
悠は割り箸を割りながら、ふたりの様子をただ見守っていた。
「……こうして3人でご飯食べるの、ほんとに久しぶりだね」
「昔は縁側で、麦茶飲みながらおにぎり食べてた」
「なつかし〜。でも、あのときって私ら、泥だらけじゃなかった?」
「今は制服で食べてるあたり、ちゃんと成長したなって思うよ」
笑い合う中で、ふと悠は思った。
──血の繋がりなんて、関係ない。
こうして笑って、食べて、時には喧嘩して──
それが“家族”なんだと。
食後、片づけを終えたあと、陸が唐突に言った。
「さーて、次は兄ちゃんに宿題でも手伝ってもらおっかな」
「それ、私も便乗していい?」
「2人とも、やる気あるのかないのか分かんねぇな……」
「あるよ。兄ちゃんとやるなら、なんかちょっとだけ楽しいし」
「……ふふ、ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ!」
言葉ではごまかしても、照れた笑顔は隠せなかった。
悠もそれに気づいて、小さく笑った。
夜、2人が自室に戻ったあと──
悠はふと、リビングの電気を消し、静けさの中で天井を見上げた。
「……もうちょい、ここにいてもいいかもな」
決して派手でも、完璧でもない。
でも、この日常を守っていくためなら、
“兄ちゃん”でいる意味はきっとある。
週末の朝。澄んだ空気の中、玄関には小さなスーツケースが一つ。
「え、マジで? 帰ってくるって……こっちに“住む”の?」
陸が驚いた顔をして聞く。ソファの背にもたれ、頬をふくらませている。
「正確には“しばらくいる”ってだけ。仕事の半分くらいはこっちでもできるからな」
「……ふーん。ま、別に……兄ちゃんがいようが、いなかろうが……どうでもいいし」
「それを“気にしてる人”の言い方だぞ、それ」
「っ……うるさい!」
キッチンで狐春がくすりと笑う。
「でも、正直に言えば……嬉しいです。お兄ちゃんが、こっちにいてくれるの」
そう言って、彼女は振り返る。
前髪の隙間から見えた視線が、ふわっと揺れて──ほんの少し、潤んでいた。
「私、ずっと……あの夏の続きを、待ってたのかもしれません」
「こはる……」
陸が急に立ち上がり、ふてくされた声を投げる。
「ちょっと待って、なんでこはるだけ雰囲気出してんの?」
「雰囲気ってなに?」
「なにって……! もう、ずるい……!」
ばっと立ち上がった陸は、悠のシャツの裾を掴む。
「……じゃあ、私だって言う。兄ちゃん、帰ってくるの、嬉しい」
それから、もぞもぞと唇を動かして──ぽつりと。
「……一番最初に、ぎゅーってするの、私だから」
「な……」
「あと、膝枕も」
狐春がぽかんとしたあと、小さく笑う。
「陸、そういうのは順番じゃなくて気持ちですよ」
「うるさい。早い者勝ちだもん」
悠は、目の前のふたりを交互に見て、頭をかきながら苦笑した。
「なぁ……お前ら、妹だよな?」
二人は顔を見合わせて──同時に言った。
「“だった”でしょ?」
その瞬間、悠の心臓が跳ねた。
そして確かに、物語が“家族”という枠を超えて動き始めた。
──これは、ひとつ屋根の下で始まる、
ちょっと複雑で、ちょっと甘い、“兄と妹たち”の恋愛未満の日常。
これからきっと、もっと近づいて、
もっと困って、
もっとドキドキして──
やがて、“ただの兄妹”じゃいられなくなるような、そんな危なげな日常──
最後まで読んでいただきありがとうございます
悠と狐春と陸の甘酸っぱい関係……。我ながら書きたいもの書いたなぁって思ってますり
★おねがい★
下の☆☆☆☆☆から評価してくださると自分の作品がどのように評価されてるのか分かって参考になります(押してほしいだけ)
よろしくお願いします(◠ᴥ◕ʋ)