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episode 1

陽光が窓から差し込むリビング。その窓は、いつもは開かれていないはずだった。


「あれ……? あの窓……」


私がそう呟いた次の瞬間、言葉を失う。


窓から、人が入ってきたのだ。


フードで顔は覆われているが、背丈と体格からして男性だとわかる。父よりも大きい。


──まさか、盗賊!?


逃げようとした足が、床に張りついて動かない。 身体が震え、指先まで凍りついたように冷たい。


男は私に気づき、こちらへ向かってくる。


息が詰まる。魔法が使えない今、私には抵抗手段がない。殺されるかもしれない。


私は反射的に目をぎゅっと閉じた。


──しかし、次の瞬間、聞こえたのは穏やかな声だった。


「君、名前は?」


「……え?」


「名前がないのかい? 僕はテオ」


おそるおそる目を開けると、フードの下から覗く緑の瞳が、静かにこちらを見つめていた。


「あなた、盗賊では……?」


私は震える声で問いかけた。


「僕は何も盗まない。安心して」


その声は、妙に落ち着いていて、まるで騎士のような品格すらあった。


「それなら、なぜ……」


「君はソフィアで間違いないかい?」


彼はフードを脱いだ。プラチナ色の髪が朝の光を反射し、まるで祝福された聖騎士のように輝いていた。


「……はい」


私は小さく頷いた。彼はそれを見ると、ふっと微笑んだ。


「──君のことを、探していたんだ」

そう言って、テオは懐から革装丁の手帳を取り出した。銀の留め具を外し、手際よくページを繰る姿は、学士というより宮廷調査官のようだった。


「僕は、君に縁談を申し込んだ人物から依頼を受けた。ソフィア嬢は実在するのか、どこに住んでいるのか、真実を調べてほしいとね」


「……え?」


私は、つい声を漏らしてしまった。


「君の名は王都の貴族の間でも知られている。だが、その所在は不明。王都学術院に“ソフィア・エストレーリャ”の部屋は用意されていたが、中は空だった。手がかりはそこで尽きた。だから、両親の居城があるセリフィアの森へ来たというわけだ」


まさか、そんな風に探されていたなんて。


喉がからからになり、私は生唾を飲み込んだ。


「……私は十三の頃、誘拐未遂に遭ったのです」


口にした瞬間、胸の奥に沈めていた記憶が、水面に浮かぶ。


「実際には傷ひとつ負わずに保護されましたが、両親はそれを非常に恐れました。それからすぐ、この森へ移り住んだのです。……あれ以来、ほとんど外へ出ておりません」


「……なるほど」


テオは真剣な面持ちで頷いた。


「では、君のご両親が縁談相手に居場所を伝えぬのも当然だ。だが……」彼は言葉を切ると、私を見つめた。


「ならば、なぜ君自身には何も知らされぬまま、縁談が立ち消え続けているのか。……君の意志は?」


私は言葉に詰まる。


「……私の意志?」


「そう。君が、この森で永遠に閉じ込められるような生活を望んでいるのなら、僕はこのまま立ち去る。だが、もしも少しでも、この世界を見たいという想いがあるのなら――僕は君を連れ出したい」


その声は、決して激情ではなく、誠実な静けさに満ちていた。


私は震える指先で胸元を握った。


「……チャイムを鳴らしてくださればよかったのに」


「鳴らしても、君は出てこなかっただろう?」


「それは……そうですが……」


母が、「外の者が来ても決して応じてはいけない」と何度も言い聞かせた。テオはそれも知っていたのかもしれない。


「驚かせてしまってすまなかった。……僕は、もう帰るよ。使命は果たした」


そう言って彼は、軽やかに身を翻す。


私は、反射的に手を伸ばした。


「待って……!」


思わず漏れた声に、テオは足を止め、肩越しに私を振り返った。


「君の人生は、それでいいのかい?」


それは、剣よりも鋭く、私の心を貫いた。


両親に守られて、何不自由なく暮らす穏やかな日々。 けれど、出会いも自由もなく、ただ時間だけが静かに過ぎていく――


それが、私の望んだ未来だっただろうか?


「……それでいい、なんて……」


言いかけて、私は自分の頬が濡れているのに気づいた。


ずっと封じていた思いが、涙となって零れていく。


「本当は、ずっと……こわかったのです。こんな風に、何も始まらないまま、終わってしまうのではないかと」


テオはそっと歩み寄り、私の頭に手を置いた。


「……分かった。君の心は、ちゃんと届いたよ」


そのぬくもりは、十年ぶりの“他人”の手のひらだった。


誰にも届かないと思っていた私の孤独が、今、ようやく言葉になった。


「行かないで……」


その言葉は、ほとんど子どものような懇願だった。


けれどテオは、困ったように微笑んだ。


「ソフィ。君は立派な大人だ。僕には君を連れ去る権利も義務もない。……けれど、君自身が一歩を踏み出すなら、僕は必ず迎えに来る」


そして、彼の背中は静かに、扉の向こうへと消えていった。


私はただ、その背中に、小さな希望を託して祈ることしかできなかった。


──どうか、また来てくれますように。

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