プロローグ
小鳥がさえずり、古木が風に揺れて葉を鳴らす音がする。 ここは、王都から遠く離れた〈セリフィアの森〉の奥。誰も訪れぬ、静寂と精霊に守られた地。
この地にある、古びた石造りの屋敷の二階。 今朝も、母は私の部屋の窓辺のカーテンをそっと開けて、 「お目覚めの時間ですわ、ソフィ」 と、柔らかな声で起こしてくれる。
階下に降りると、銀の燭台に朝の光が反射して、食卓はまるで聖堂のように静かだ。
「おはよう、ソフィア」 と、父が優雅に紅茶を注ぎながら微笑む。
私は、王国魔術学院で研究職を務める父と、元宮廷魔導師である母の、たったひとりの娘。
「愛しているよ、我が娘」 「あなたは私たちの宝ですもの」
二人は私に朝の抱擁を与えたのち、上品な身なりで玄関の扉をくぐり、王都の職務へと向かっていく。
「私も……愛していますわ」
私は彼らにそう微笑み返す。けれど、扉が閉じた瞬間、広い館は再び、私ひとりの静寂に包まれる。
気づけば、この生活は十年を越えていた。 今年、私は二十三歳。いつの間にか、婚姻適齢期と呼ばれる年齢にも達している。
何不自由なく育てられ、愛情も惜しみなく注がれてきた。だからこそ、胸の奥がきしむこの感覚に、私は罪悪感すら抱く。
──息が詰まる。
街へ出ようとすると、 「どなたと? どこへ? 何時に戻るのです?」 と問い詰められ、縁談話はすべて「娘にはふさわしくない」と退けられる。
私は、鳥籠に閉じ込められた歌姫のよう。羽はあるのに、空を知らない。
愛されている。けれど、自由ではない。
これを贅沢な悩みと呼ぶなら、私はきっと、心のどこかで罰を受けているのかもしれない。
今朝も、寝台の中でブランケットにくるまりながら、ため息をひとつ。 魔力を封じられた身のまま、もう一度眠りにつこうとまぶたを閉じかけた、そのときだった。
──階下で、小さな物音。
ネズミかしら? 父が結界を張ったはずだけれど……。
私はそっと寝台を抜け出し、らせん階段を音を立てないように駆け下りた。
その先で、運命が音を立てて開かれようとしているとも知らずに。