2話 意地悪な姉
◇◇◇
「《リネット》! また妹の持ち物を壊したのね!? 全く、なんて意地悪な姉なのかしら!」
(またか)
部屋に戻ろうとした廊下で、怖い形相を浮かべて私を怒鳴りつけるのは、この家の女夫人であり、私の義理の母親だ。
「お義母様、私は《ウル》の物を壊していません」
「また嘘をついて! ウルはこんなに泣いているのよ!?」
そう言ってお義母様が指すのは、大きな目からポロポロと涙を流す、私の妹、ウルの姿だった。
「お姉様、ごめんなさい、私がきっと、お姉様の気に食わないことをしちゃったんですよね? だから、私が大切にしていた髪飾りを壊したんですよね?」
ウルの手に握られているのは、まるで足で踏み潰されたように壊れた、見たこともない髪飾りだった。
「知りません」
「いい加減にしなさい、リネット! 可愛い妹が妬ましいからって、こんな嫌がらせばかりして! 死んだ母親はお前にどんな教育をしていたのかしらね!?」
「お母様は関係ありません」
「まぁ! 反抗ばかりして、可愛くないわ!」
「お母様……私はもう大丈夫だからお姉様を許してあげて。私のために怒ってくれてありがとう、お母様、大好き」
「ウル……! 姉と違ってなんて可愛い娘なのかしら! 流石は私の本当の娘だわ!」
ウルを抱き締め、意地悪な姉に虐められた、可哀想な妹を慰めるように、優しく頭を撫でるお義母様。だけどその隙間から見えるウルの表情は、さっきまでの泣き顔とは違い、微笑んでいた。
「はぁ、疲れた」
やっと義母と妹から解放され、部屋に戻った私は、机の上で頬杖をつきながら、深くため息を吐いた。
私の名前はリネット=メルランディア。二十二歳で、《メルランディア子爵》家の長女。
ウルは私の三歳下の妹で、正確に言うと、お父様が外で不貞を働き出来た異母妹に当たる。お義母様は、本当の母親が亡くなった後に連れてきた後妻で、まだお母様が亡くなって数日も立っていないのに浮気相手とその子供を家に連れ込んだお父様には、心から失望した。
「いい加減にして欲しいのはこっちよ、ほんと何のためにこんなことしてるんだか」
ウルから身に覚えのない罪を着せられるのは、これで何度目だろう。
幼い頃から、気付けば、ウルは姉に虐められる可哀想な妹を演じるようになった。元から、実の娘であるウル贔屓なお義母様は当然、今はお父様も家の者も、皆が、妹の言い分を信じてる。
可愛い妹を虐める、意地悪な姉――それが、今の私。
「もう今更よね」
正直、慣れてしまった。
「さて、今日も頑張ろう」
姿勢を正し、気を取り直して、机に向き合う。
沢山積まれた書類を手に取り、一枚一枚に目を通し、必要があればペンを走らせ、判を押し、訂正があれば直す。
いつもならもっと早く取り掛かれたのに、お義母様とウルに捕まった所為で、遅れてしまった。
(クリフ様に相応しくなるために、頑張らないと)
ここ、《ラングシャル帝国》では、貴族は国を背負う者として、男も女も関係なく学び働く義務がある。
それは結婚後も変わらず、基本は、仕事で家を空ける夫に代わり、使用人の雇用や家の維持管理などの家門の運営の役目を果たすことが多く、私も、結婚すれば、例に漏れずその役目を背負うことが決まっている。その為に、今は花嫁修業と称して、メルランディア子爵家の家門の運営を行っていた。
産まれた時から決められた婚約者、《クリフ=ノートリダム》様。
亡き父親に代わり、早くにノートリダム伯爵を継いだクリフ様は、騎士として既に立派に活躍されており、ラングシャル帝国の騎士として働かれていた。帝国の直属の騎士になるのは極めて難しく、《帝国騎士団》に勤めているのは、優秀な証だった。
優秀なクリフ様に恥じないよう、努力していた。
家門の肩書だけでなく、努力で帝国の騎士になったクリフ様を心から尊敬していたし、政略結婚だけど、結婚するからには、お互いを思いやり、支え合えるような関係になりたいと思っていた。
クリフ様を好きになりたいと、好きになってもらいたいと、政略結婚でも、お互いが歩み寄れば幸せになれると思っていた。
今、家族に除け者にされているからこそ、クリフ様とは、温かい家庭を築きたいと願っていた。
――――そんな望みは、粉々に砕け散ったけど。
◇◇◇
「リネット、僕は君と婚約破棄する」
「――え?」
定期的な面会の日、メルランディア子爵家に訪れたクリフ様は、婚約破棄を告げると、その為の書類を、応接室の机の上に手際よく並べた。
「最後の情けで慰謝料は取らないでおくから、ここにサインしてくれ」
「ま、待って下さい! どうしてですか? 急に婚約破棄だなんて言われても納得出来ません」
慰謝料の言葉が出てきたのだから、私に落ち度があっての婚約破棄なのだろう。だけど、そんな覚えが全く無い。気付かないうちに、何かしてしまったのだろうか?
「白々しい! 話は全てウルから聞いた。可愛い妹を虐めるなんて……君が、そんな最低な女だとは思わなかった」
「っ! 私、ウルを虐めてなんかいません!」
「嘘をつくな! 君がウルを階段から突き落とした話も聞いたんだ!」
「あれは、ウルが勝手に足を滑らせただけで、私は何も――」
「もうおよしなさい、リネット。本当のことは全てクリフ様に話してあるんです」
「全く、お前がいつまでもウルを虐めるから、こんなことになるんだ」
「お義母様……お父様」
応接室には、私とクリフ様以外に、お義母様、お父様、ウルの姿もあった。
クリフ様の隣で寄り添うように座るウルの姿を見た時から嫌な予感はしていたけど、的中してしまった。
「ごめんなさい、お姉様……私、ずっとクリフ様には、お姉様に虐められていることを黙っていたんだけど、大切な髪飾りが壊れて泣いているところをクリフ様に見られてしまったの」
「あの髪飾りは僕がウルにあげた物なんだ。それを壊すなんて!」
一度も見たことも触ったこともない、あの髪飾りのこと? あれは、クリフ様からの贈り物だったの?
「私……ずっとクリフ様が好きだったの。だけどお姉様の婚約者だから諦めようと思って……最後に我儘を言って、思い出に髪飾りをプレゼントしてもらったの」
「好きだった……? ウルが、クリフ様を?」
初耳だし、ついこの間まで、ウルには他に彼氏がいた気がするんだけど……
「ごめんなさい、お姉様! 私、こんなつもりはなかったの! どれだけ虐められても、お姉様の幸せを望んでいたから、お姉様の婚約者を奪う気なんて微塵も無かったの! ごめんなさい、ごめんなさい、お姉様! 悪いのは全て、私なの!」
「まぁ、悪い姉を庇うなんて、なんて心優しい妹なのかしら」
「全くだ」
この場に、私の味方はいない。お義母様もお父様も、誰もが妹の味方で、私は悪者。
「ウル、泣かないで」
「クリフ様……」
「一途に想ってくれていた君の想いに、僕は答えるよ。そして、ウルと結婚して、これからは僕が君を守る」
「クリフ様……嬉しい、こんな私を好きになってくれてありがとう……」
虐めていた姉から虐められていた妹を助ける、心優しい王子様の構図。
もう何を言っても無駄なんだ、と、悟った。
「リネット、お前はもう家から出て行きなさい。これ以上家に置いていたらウルに何をするか分からんからな。すぐにとは言わん、修道院に行く手続きはしておいてやる」
「……分かりました」
婚約破棄の書類にサインしたそのすぐ後に、婚約を結ぶウルとクリフ様の姿を見ているのが辛くて、その場を立ち去ろうとした私に、お父様は冷たく、言い捨てた。
事実上の勘当だろう。お父様は、ずっと私が邪魔だったものね。
「婚約おめでとう、ウル、クリフ様!」
「ありがとう、お母様、お父様!」
私を除き、閉じられた扉の一枚先では、祝福の言葉が並んでいて、とっくの昔に、私は家族の一員じゃなかったんだと思い知った。
「……家族はもう諦めていたけど……クリフ様だけは……信じて欲しかったな」
部屋に戻り、一人になると、自然と涙が溢れて、止まらなかった。あの人達の前で最後まで涙を流さなかったのは、私の最後の意地だ。