捻くれた贈り物
ある屋敷に、見事な庭園があった。
旧華族の男が、英智と慈愛をもって人々を救った功績として与えられたものだ。
男には息子と娘、二人の子供がいた。どちらも父親の美徳を受け継いだ素晴らしい兄妹だ、と人々は褒めそやした。
特に妹には兄にはない才能があった。
植物を育てる才能が。
そして庭を美しく彩る才能が。
全てが調和した最上の庭園。一目見たいという者が後を絶たなかった。
そして人々の欲は見るだけにはとどまらなかった。
「なんと美しい花だ、もっと長く見ていたい」
「あの果実はどのような味がするのだろうか」
「希少な薬草だ。難病に効くという」
ある者は取引を持ち掛けた。
ある者は情に訴えかけた。
ある者は厚かましいとその言葉を飲み込んだ。
裕福な者たちは金を積み上げた。あまりに安い額で譲られてしまうと、自らの名誉を損なうからだ。特に美しい花などは所有していることがステータスのようになっていった。
彼女は必要以上に値が吊り上がるのをよしとはせず、どれだけたくさん払ったかを誇示しようとするような者達からの過剰な対価を受け取ることは拒んでいたが。それでも適正価格としてついた価格は高いままであった。
富裕層が見向きもしない一般的な果実などは、貧しいものに無償で振る舞うこともあった。
庭園は大きいとはいえ、農園では無い。
そのようなことをしていれば、管理に消費が追いつかなくなるのは当然のことで。
彼女の富と名声が大きくなるほどに、庭園は少しずつその美しさを損なっていった。
そんな折、彼女の父親が亡くなった。
兄が家を継いだが、屋敷と庭園はそのまま妹のものとなった。
最後の木が白い花を散らし切った頃。
もう木が一本しか残っていないような庭に訪れる客などいない――はずだった。
「私に会いたい方?」
その年のクリスマスイブのことだった。
「ええ、お坊ちゃまのご友人という方で天城様、と」
「お兄様の……お通ししていただけますか」
現れたのは野生の獣のような気配の青年だった。鋭い目つき、群青色の髪によく鍛えたことがわかる筋肉質な体、そうかと思えば仕立ての良いスーツに身を包んでいる。
じろじろと庭園と娘を見ていたかと思えば、薦められるがままに椅子に座って紅茶を飲み始めた。
「天城様は……庭園は初めて、ですよね?」
おそるおそる尋ねたのは、何百人と訪問した全ての人の顔と名前を覚えているわけではないからだ。
「いや、まだ貴女の父が存命中に、一度だけ来たことがある。お前の兄に連れられてな」
彼女はその答えを受けて安堵する。
父が生きていた頃、つまり彼女はあくまで美しく手入れするだけであり、その訪問客の全てに応対していたわけではない。
自分で案内していたのに忘れているというならば非礼にあたるが、兄に案内されたのであればその可能性はないだろう。
「お前の兄は何かにつれ妹と庭を自慢していた。あまりにうるさいから実物も見てないのに褒められるか、といったら強引にな」
「身内びいきの強い兄でお恥ずかしい限りで……そのような話は聞いた覚えはございませんが……」
「ふん……恥ずかしいだのといって妹には知られないようにしていたらしい。わざわざいない時を指定して隠れるように覗き見ただけだ」
彼女はその言葉を聞いてますます小さくなる。
相も変わらず彼は仏頂面だ。兄に振り回されたことを怒っているのではないかとさえ彼女は思った。
しかし出てきた言葉はそれとは逆で。
「お前の兄が自慢するだけはあった」
そこには美しい庭園に対する掛け値なしの賛辞があった。
「だが今は実に無惨なものだな」
すぐ後に付け足された皮肉によってかき消されてはしまうのだが。
「多くの人を幸せにした結果です」
「では誇らしいと?」
「ええ」
「では最後に残った柿、あれを買い取ろう」
「それは……」
「これまでの有象無象のように買いたたいたりはしない」
彼女にとってはお金の問題ではなかった。
それを口には出せずに、しばらくの沈黙が両者の間に流れた。
なぜ買い取ろうとするのか。柿ひとつ買いとったところで庭園は元には戻らないのに。その意図がわからず、何か理由をつけて断ろうとすると。
「それ見ろ。自分をごまかして何になる。人を助けた? 富と名誉? ずっと我慢してきた癖に。否定するならあの最後の木を売り払ってその金で慈善事業でも贅沢でもしてみせろ」
本来ならば、彼女は怒っていいはずの言葉だった。だがここにきて初めて天城が見せた熱とは対照的に、彼女の纏う空気は冷えきっていた。
苛立ち紛れに投げつけられたそれは、確かに彼女にとっての本心を突いていたからだ。
「そう思わないと、やってられないじゃないですか」
彼女の表情に浮かんでいたのは諦観の色。
「庭園は愛でるもの。そういって断れたらどれほどよかったか。この庭は自然の姿に還っていくでしょう。ですからあのまま眠らせてあげてください」
「馬鹿な女だ」
「そんなことをわざわざ言うためにいらっしゃったのですか、こんな日に。プレゼントが嫌味とは今年はついてないようで」
あきれた様子の彼女を見て、青年は不満げに舌打ちをする。
「あの場所を貸せ。私の指定したものを植えろ。管理はお前に任せる。よこせと言われても俺のものだから断れ。育てたいものがあれば聞いてやらんこともない」
彼女は目を丸くする。それはまるで――
誰も入ることのできない国一の庭園がある。
そんな噂が流れ始めるのはしばらく先のこと。
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挿絵はオープンチャットの花言葉短編企画で優勝したので主催者のゆきや紺子様より賞品としていただきました。