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57 お買い物は楽しく

「こちらの商品、汗ばむ季節に最適なんですよ。とにかく透けないんです。少し暑いな、ってときに上着を脱いでも周りの目線を気にしなくていいんですよ。ほら、凄くないですか?」


 姉に連れてこられて、ベイエリアのショッピングモールに来ている貴文の前では、前回と同じ店員が新しい下着について力説していた。確かに店員が手にした胸の見本は、新しい下着越しでは全く透けてはいなかった。


「そうだよなぁ、やっぱり透けるのは嫌だよなぁ。かと言って変な下着着てたらおじさんになっちゃうし」


 意図せず冬物の暖か下着は義隆からプレゼントされてしまったから、半年ぶりの訪問なのに、店員はしっかり貴文を覚えていてくれた。


「前回買っていただいた下着は気に入っていただけたんですね?」


 嬉しそうに貴文の前に新作を並べてきた。貴文が天然素材を気に入っていることを覚えているから、内側の肌にあたる部分は綿のものばかりだ。


「こちらですねぇ、シルクでできているんです。肌触りもサラッとしていて汗ばむ季節も快適ですよ」


 そんなことを言われると、興味を持ってしまうのは仕方の無いことだろう。


「うわ、すっごい滑らか」


 貴文は渡された下着に触れて驚いた。今まで綿100%こそが最高の肌触りと信じて生きてきたのに、これは凄い新発見である。シルクの下着なんて、女性ものの高級品高なのかと思っていたのだ。


「どうしよう……でもちょっと高いよなぁ」


 この前買ったものより1.5倍は高い。パンツに至っては倍近い値段がする。けれど肌触りがいい。これなら汗ばむ季節も快適に過ごせそうだ。何しろパンツだ。パンツは重要だ。


「貴文さん、俺が買ってあげますから安心してください」


 うんうんと首を捻っている貴文を、背後から包み込むようにして義隆が現れた。


「うわ、義隆くん。どうしてここに?」


 素朴すぎる疑問に義隆は笑って答える。


「視察ですよ。このショッピングモールは我が一之瀬家の管轄なんです」


 義隆がそんな風に現れたから、さっきまでにこやかに貴文に接客してくれていた店員は、急にぎこちなくなってしまった。


「こちらの商品を、お買い上げで?」


 もはや貴文ではなく義隆の方しか向いていない店員は、貴文の顔を見て気まずそうな顔をした。


「貴文さんはいつも三枚しか買いませんけど、もう少し買いましょう?せめて五枚」

「いやいや、三枚でいいんだよ。あのね義隆くん。三枚には深い理由があるんだよ。一枚は履いて、一枚は洗濯して、一枚は箪笥の予備。ね?無駄がないだろう?」

「貴文さん、万が一乾かなかったらどうするんですか?」

「だから一枚が箪笥の予備なんだよ。さすがに一晩部屋干しすれば乾くよ。パンツだし」


 貴文はそう言って、買ってもらうというのに三枚という枚数をゆずらなかった。


「あの、こちらのシルクの商品なのですが、手洗いもしくは洗濯ネットに入れていただく必要がございまして」


 店員がやっとの思いで口をはさむ。


「洗濯ネット?」


 聞いたことのない単語に義隆が首を傾げた。


「わかりました。ヒャッキンで探してみます」


 貴文がすかさず返事をしたので、店員はどことなく安心したような顔になった。


「お色はこちらの三色で上下揃えられますか?」


 貴文はまったく気が付いていなかったが、どうやらセット商品だったらしい。


「そうしてくれ」


 今度は貴文より早く義隆が返事をした。


「かしこまりました。お包み致しますのでレジでお待ちください」


 店員は軽く会釈をすると、商品を全て持って去っていった。


「貴文さん。洗濯ネットとは何ですか?」

「洗濯機で洗濯するときに衣類を入れるネットだよ」

「ではヒャッキンとは?」

「百円ショップのことだよ。まあ、税込みで110円になるけどね」

「百円?商品が百円なんですか?」

「そうだよ。このショッピングモールにも入ってるから、一緒に行く?」

「はい、もちろん」

「ええと、視察……だったよね?」

「その百円ショップという店を視察します」


 義隆がそう宣言すると、離れたところにいたスーツの人たちが動き出した。その中には秘書の田中もいた。


「こちら、新しいパッケージに入ったお品になります。サイズはお間違いないでしょうか?」


 レジで商品の確認をすると店員が丁寧に紙袋に入れていく。会計の際、義隆が田中から何かを受け取ろうとしたのを貴文は制した。


「ちゃんと俺が払うから。もしかすると義隆くんのお小遣いなのかもしれないけれど、義隆くんは働いてはいない学生だろう?支払いをさせるわけにはいかないよ」


 そう言って貴文はスマホ決済で会計を済ませた。


「一緒にヒャッキン行ってくれるんだよね?」


 少しすねたような顔をした義隆にそう言えば、すぐさま笑顔になって貴文の腕を掴んできた。


「荷物は俺が持ってもいいですよね?俺はアルファですから」


 義隆は年明けからやたらとアルファというようになった。貴文からすれば聞きなれないことだが、周りに打開るときは、それが普通なのだと納得しておくことにした。

 後ろからはぞろぞろとスーツの人たちが付いてくる。よくよく前を見れば、ダーク系のスーツを着た人が数人歩いていた。前も後ろも護衛だらけのようだった。


「義隆くんは、ヒャッキンって利用したことがないんだ」

「恥ずかしながら。知りませんでした」


 そんなやり取りをしながら目的地に付けば、休日なだけあって結構混雑していた。義隆の姿を見て悲鳴を上げるご婦人がいるあたり、まるでアイドルのようだと貴文は思った。


「ええと、洗濯関係はあっちだね」


 店内の案内を確認しながら通路を進む。かごを持った人や、ベビーカーとを押す人がいて、そう簡単には目的地にたどり着かない。


「すごい人ですね」

「そりゃあなんでも百円だからね」

「なるほど」

 

 通路が狭いせいか義隆は貴文の肩を抱いてピッタリと体を付けてきた。


「あったあった。これだよ」


 目当てのものを見つけて貴文が言う。


「これが洗濯ネットですか。サイズがいろいろあるんですね」

「布団が丸ごと入るのもあるからね」

「そんなに大きくても百円なんですか?」

「そうだよ。だって百円均一だから」


 貴文は下着用の洗濯ネットを二つ持ってレジに並んだ。


「貴文さん。このあと一緒に食事にしませんか?」


 時刻は確かに昼時だった。ここに来る前に姉にメッセージを送ったら、「じゃあ別行動で」と返事が来ていた。


「視察は?」

「兼ねているので店が指定なんです」

「と、言うことは?」

「経費で落ちます」


 サラリーマンにとって一番大好きな言葉だった。

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