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52 今更だけど後ろにいました

「うふふふ、凄い人混みですわねぇ」


 冬の貴婦人の装いらしく、ファーの襟巻きをして、白いコートに身を包んだ華やかな女性がなんだか嬉しそうに笑っている。その傍らには中肉中背と言った、明らかにごくごく普通の男性が立っている。並んで立っていて、一応楽し気に会話をしていれば、周りからはカップルに見えなくはないだろう。


「そうですね。麻子様」


 大きなため息をついて返事をしたのは誰あろう、貴文の同僚で、ベータの島野真也(しまのしんや)である。隣に立っているすらりとした誰が見てもアルファにしか見えない美人は田中麻子(たなかあさこ)、義隆の秘書をしている田中の妹である。


「いやだわ、真也さん。麻子と呼んでくださいな」


 茶目っ気たっぷりにそんなことを言い、真也の腕をとる。ただでさえ背が高いのに、今日も張り切ってピンヒールなんぞを履いてきた麻子は、真也より確実に10センチは高かった。腕が上に持ち上げられ、真也はだいぶおかしな体勢になってしまい、そっと麻子の手の位置を変えた。


「うふふふふ、真也さんたら、照れてますのね」


 麻子は楽しそうに笑っているが、真也はそんなことは出来なかった。なにしろこの人込みだ。どこから誰が出てくるのかなんてわからない。何を考えて駅で待ち合わせをして初詣なんか計画したのか。数メートル先を歩く同僚に聞きたいところだった。まあ、聞くことなんてできないけれど。聞かなくてもだいたいわかる。あの同僚はわかりやすいぐらいの平凡ベータのなのだ。受験生の初詣と聞いて、単純に天満宮で合格祈願。と思ったのだろう。三が日の人ごみを考えてなどいないことぐらいすぐに分かった。ただ、いいことが一つ。貴文と義隆が、はぐれないように手をつないでいることだった。


「麻子……さん」

「はい、何でしょう?」

「お暇だったんですか?」

「いやだわ、真也さんったら、忙しい兄に代わってわざわざ来ましたのよ」

「そうなんですか。では、お子さんは?」

「ですから、兄に預けてますの」


 それじゃあ原因と結果が逆だろう。と真也は内心突っ込みたかったが、あえて口に出すことはやめた。うっかり何か言えば、数倍返ってくることが分かっているからだ。


「それに、真也さんは身バレしてますでしょ?」

「ええ、そうですね」

「ですから、身バレしていない私が来たんです」

「なんで?」

「あらぁ、彼女と初詣デートってことではありませんかぁ」

「彼女……」


 どう考えても不釣り合いである。


「だいたいここ、学業の神様がまつられている神社ですよ」

「よろしいじゃありませんか。未来の旦那様の出世をお願いに来た。ってことにいたしましょう」


 にこやかにほほ笑む麻子に、真也は言い返す気力などなかった。


(それっていったいどんな設定なんだよ)


 心の中でつっこみつつ、真也は大人しく周囲を警戒するのであった。


「あらあら、やっぱりですわねぇ」


 そうして案の定、調子に乗った一般アルファが義隆に手を出してきた。正確には貴文を下げずんだのだが、そんなことをすれば義隆の逆鱗に触れるというものだ。


「義隆様が威嚇のフェロモンをだしているな」


 真也は周りの様子をうかがった。倒れたり、気分が悪くなっている人はどうやらいないようだ。受験生が感染対策として、マスクを着用してくれていたのが良かったらしい。そうなると、正面に立ち、義隆に自分をアピールするために素顔をさらしている女子高校生らしい二人組だけが当てられたに違いない。


「あら、なかなかいい判断をされましたわ」


 モデルのようなポージングをして麻子は立っていた。その姿は若干境内の中において浮いてはいたが、今は逆にいい方向に目立っていた。玉砂利をピンヒールで踏みしめながら、麻子が獲物に近いた。


「お嬢さんたち、少し、よろしいかしら?」


 腕を組み、仁王立ちをした麻子は、誰よりもアルファらしかった。





 そんな騒動があったのに、同僚はまったく反省をしていないらしい。

 いや、そもそも自分の行動がどれほどの人員を動かすことになっているのかなんて全く知る由がないのだろう。


「なにをするつもりなのか想像はついているんだけどさ」


 一つ隣の車両に乗り、真也は小さくため息をついた。通勤の時とは全く違うブルゾンを着込み、キャップを深めにかっぶっただけなのだが、貴文に気づかれることは全くなかった。少々拍子抜けしたが、まあ、らしいといえばらしいので良しとしておく。ポケットにしまい込んだものを何度も確認している様子はなんだかとてもかわいらしかった。その様子をスマホのカメラで隠し撮りをしているのだが、周りの乗客が何も言ってこないところがまた恐ろしいことだ。確かに、撮影しているようには全く見えないから仕方がない。はたから見れば、壁に寄りかかってスマホを操作しているようにしか見えないのだから。


「走っている姿もかわいらしい。っと」

 

 真也は改札を慌てて抜ける貴文の姿を撮影した。写真ではシャッター音で周囲にばれるから、動画で撮影するのが鉄則だ。その前後の様子も確認できるから、一石二鳥なのである。そのまま真也も改札を抜け、背後をゆっくりとついていく。小走りとはいえ、たいして早くないところがらしいのだ。


「さてさて、報道陣がやけに多いなぁ」


 真也が聞いていたのより、カメラの数が増えているようで、確認をすれば、案の定義隆が会場入りしたことを確認したテレビ局がカメラと共にレポーターを送ってきたらしい。

 校門の前には受験生の保護者がひしめき合っているが、その中に紛れて貴文の姿もあった。いつも着ている通勤用のコートの下は、義隆がプレゼントした服らしい。


「そういうところは気をつかうんだな……いや、あいつの服装センスなさすぎだった。何も考えず一式着てきたな」


 貴文の服装を見てそう分析しつつ、真也は周辺に気を遣う。真也の他にも一之瀬家お抱えのシークレットサービスが数人待機しているのが見えた。試験終了の鐘が鳴り、もう少しすれば受験生が出てくるだろう。とにかく警戒は怠るわけにはいかなった。


『義隆様が出てこられました』


 インカムから聞こえる声に緊張が走る。なにしろ同僚でもある貴文という男は、平凡すぎて何をしてくれるのか全く予想が付かないからだ。ただわかっていることは、今日買ってきたものを義隆に手渡すだろうということだけだ。


「貴文さんっ」


 真也の目の前で、義隆が同僚の名前を呼び駆け寄った。これで報道陣に名前が知れてしまった。


「あ、あの……今更なんだけど、これ、渡したくて」


 もじもじしながらポケットから取り出したものを義隆に手渡す。


「ご、合格祈願のお守り……あ、明日も頑張ってね」


 貴文がそう言った瞬間。


「ありがとうございます。貴文さん。明日もがんばります」


 そう言って義隆が貴文を抱きしめた。当然報道陣は待ってましたとばかりに一斉にシャッターを切りまくる。レポーターが興奮した声で何かを言っているが、聞き取れるような状況ではなくなってしまった。


「月曜日、どう言ってやろうかなぁ」


 いつものワンボックスに乗り込んで消えていった同僚の今後を思うと、真也はため息を一つ吐き出したのだった。

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