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37 知らぬは本人だけらしい

「なんだか悪いね」


 貴文は着なれないタキシードに緊張していた。着替えさせられ、大きな姿見に映る自分を見て思ったことは、腹話術の人形みたいだな。だった。おまけに、タキシードのネクタイの結び方がわからず四苦八苦していると、さらっと義隆に結ばれてしまった。髪型もパーティー用の華やかなセットに義隆がしてくれた。しかしながら、シャツもジャケットもさることながら、靴のサイズまで貴文にピッタリのサイズだった。ついでに言えば、パンツも靴下も身に着けているものはすべて義隆が用意してくれたものだ。ちなみに、貴文が着てきたトレーナー上下やパンツは風呂から出ると跡形もなくなくなっていたのであった。


「貴文さん、とてもよく似合ってますよ」


 なぜだかよくわからないまま、貴文は義隆に手を引かれて階段を下りていた。ホテルの階段は段差が緩やかで、別にそんな介護じみたことをしてもらわなくてもいいのだが、流されるままに貴文は手をつないでいた。ピカピカの黒いエナメル靴が赤い絨毯によく映える。そんなことを考えながら階段を降り切れば、目の前には大勢の給仕が立っていた。


「貴文さんこっちです」


 手を引かれなんだかよくわからないまま開かれた扉をくぐる。部屋の中はものすごく明るくて、一瞬目を細めた。


「昼の部では俺が最年長なんですよね」


 義隆が笑いながらそう言って、貴文を中央のテーブルに連れて行った。


「このケーキがおいしいんです」


 見たことがあるフォルムのケーキなので、おそらく義隆が好きだと言っていたケーキ屋のものなのだろう。皿にヒョイヒョイとケーキを乗せ、義隆は貴文を壁際に連れてきた。


「おじいさまはまだいらしていないので、ゆっくりとおいしいものを食べましょう」


 壁際にはイスとテーブルが並んでおり、そこに座って食事をしている姿が結構あった。確かに義隆よりも年下の子の姿が沢山あってみな楽しそうに過ごしている。貴文と義隆が座ると、どこからやってきたのか給仕が銀のお盆にのった飲み物を持ってきた。


「アイスティーのご用意がございますが、いかがなさいますか?」


 義隆がアイコンタクトをしてきたので、黙って頷いた貴文であった。


「いい香りだね」


 ストローで飲んだが、なかなかの香りが口いっぱいに広がって、やはりいい茶葉が使われているのだと思う。


「危ないからホットは出されないんだ」


 それを聞いて、なるほどと思う。確かに小さな子どもしかいない会場で、温かい飲み物を配れば何かしらの事故が起きるだろう。さすがに良家の子どもたちなので、走り回ったりはしてはいないのだが。


「危険なことは取り除いた方がお互いのためだよね」


 そんな話をしていると、軽やかな声が聞こえてきた。


「お兄様、今日こそご紹介してくださいな」


 淡いピンクのふわふわしたスカートが視界に入り、貴文が顔を上げればそこにはまるで人形のように愛らしい少女が立っていた。


「美幸、待っていてくれればよかったのに」


 義隆が名前で呼んだので、さすがの貴文も察しがついた。家で母と姉から嫌というほど教えられた。義隆の妹でオメガだ。


「だって、待ち切れなかったんですもの」


 少しすねたような顔をして、ちらりと貴文の顔を見た。かわいらしい顔立ちでそんなことをされてはアラサーベータはドキドキしてしまうというものだ。


「仕方がないな……美幸。こちらの方は杉山貴文さんだよ」


 名前を呼ばれたので貴文は立ち上がってお辞儀をした。


杉山貴文(すぎやまたかふみ)です。今日はお招きいただきありがとうございます」


 日本屈指の名家名門一之瀬本家のご令嬢だ。実際には貴文にとっては雲の上すぎる存在で、こうして顔を合わせて挨拶をしてみたものの、なんとも現実味がなかった。言うなれば、映画スターが来日して偶然街中で出会ってしまった時のような、そんな感じだ。だから気の利いた事も言えないし、何をすればいいのかも思い浮かばない。


「ご丁寧にありがとうございます。一之瀬美幸(いちのせみゆき)です。義隆の妹にございます」


 スカートの裾を摘まんでかわいらしくお辞儀をしてくれた。ふわりと鼻に届いた甘い香りはオメガのフェロモンなのかもしれない。さらさらと流れた髪の下には、繊細なレース模様のネックガードがあった。今日の装いに合わせたのか、薄いピンク色が白い肌によく映えていた。

 挨拶を終えた後、特に気の利いた話題など持ち合わせていない貴文は、どうしたらいいのかわからずあいまいな微笑みをするにとどまった。何しろ義隆の妹だ。もはや貴文とは干支でいえば一回りも違うのだ。それに、最近は十年一昔ではなく、五年ひと昔と言われるらしいから、貴文など下手をすれば三昔前になってしまう。


「美幸はあちらに戻った方がいい」


 義隆が見た先には美幸と似たような背格好の子たちが見えた。おそらく一之瀬一族のオメガの子たちなのだろう。


「貴文さん、すみません。美幸を送りますので少し待っていただけますか?」


 義隆に申し訳なさそうに言われたが、そんなこと貴文には気にならなかった。ただ、一族しか参加していないパーティーで、しかも子どもの部だというのに周りを警戒しなくてはならないのは少しかわいそうに思えた。


「俺は大人だから大丈夫だよ」


 手を振って見送った後、先ほど食べたケーキのおいしさが気になった。だが、取りに行ってみれば、テレビでしか見たことのない、ホテルの予約専用と言われるシャインマスカットのケーキが置かれていたではないか。きれいに切り分けられていて、よく見れば白い帽子をかぶったパティシエらしき人物も立っていた。


「あの、ケーキ、もらえますか?」


 子どもの部にふさわしくないいい年をした大人である貴文に声をかけられたことに驚いたのか、なぜだか背筋を正して対応されてしまった。憧れのシャインマスカットのケーキと、クリスマスらしいブッシュドノエルを皿に乗せてもらい、貴文はいそいそと席に戻った。またもやタイミングよく給仕の人にアイスティーを渡されて、いざ実食となった時、頭上から声が降ってきた。

 

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