32 それはどうかと思うけれどそれもそうかと
「クリスマス会、ですか?」
結局話はそのまま有耶無耶になってしまったのだけれど、二十代最後のクリスマスだ。それなり楽しい思い出を残したいと貴文は思ったのだ。
「うん。大人のクリスマス会だから居酒屋か、頑張って駅チカの洋食系のお店で飲む感じかなぁ」
確か去年はカレー屋だった。あんこの入ったナンをケーキの代わりにして、ひたすらビールを飲んでいた。赤くて辛いチキンが美味しくて、ビールが進んだことを覚えている。
「参加されるんですか?」
義隆がマグカップのお茶を差し出しながらきいてきた。既に慣れすぎて、帰りの車に乗り込んだらお茶とお菓子となっていた。
「なんか、俺だけ誘って貰えなかったっぽくて、さ」
会社を出るとすぐに高速に入るから、なんとも言えないが、今はどこの駅前も派手さの違いはあるけれどイルミネーションで飾られている。もっともこの車、外から見えないけれど中からも外は見えない。
「参加、されたかったんですか?」
至れり尽くせりとはまさにことことで、オットマンを上げながら、貴文の靴を脱がせてくれるのは義隆だ。こんなこと、誰かが見たら卒倒するに違いない。こんななんの取り柄もない平凡ベータの靴を脱がせるなんてことを、名家一之瀬のご子息がしているのだから。
「えぇ、それはまぁ……その、二十代最後だし、なんか思い出が欲しい、かなぁ、って」
クリスマスを思わせるデザインのクッキーを頬張りながら、どこか歯切れ悪く貴文は答えた。姉が話した情報が確かなら、下から見上げるような目線で貴文を見ている名家のアルファは、あろうことか貴文に一目惚れをして全力で口説こうとしているのだ。もっとも、今は口説かれると言うより絆されそうな雰囲気ではある。
「俺とじゃダメですか?」
まるで雨に濡れた子犬のような目をして貴文を見つめてきた。全くもって反則である。
(ぐぅ、顔がいい)
内心貴文は負けていた。男か女か、ベータかオメガかアルファかなんて関係ないのだ。ただ、純粋に義隆の顔がいい。性別とか年齢とか、そんなこと考える暇がないほど義隆の顔がいいのである。
「義隆くんは……未成年だから、遅くなるのは……」
何とか口に出せた言い訳は、未成年というワードだ。貴文は保護者では無いから遅い時間まで義隆と一緒に出歩くことは出来ないのだ。
「じゃあ、イルミネーションの綺麗な通りを少し歩くのダメですか?」
上手い逃げ道ではある。飲食店に入るわけではなく、まして繁華街でもない。SNSで見かける綺麗なイルミネーションの飾られた通りを歩くのなら、法令には引っかからないだろう。
「えっと、いつ?受験生だろ?時間とか……」
「受験生にも息抜きは必要です。貴文さんは息抜きもせずに受験勉強されたんですか?」
そんなことを言われると純粋に困る。貴文の受験勉強は息抜きだらけだったのだから。
「あーうん。風邪とかひかれると……」
「コートを着てマフラーをして、手袋をしてマスクもします」
そこまで言われてしまえば、断るためのワードが出てこない。
「うん、それだけ揃えれば大丈夫だね」
そうして水曜日のノー残業デー、ウキウキと着替えをする真也を貴文は恨めしそうに見つめた。
「なんだよ。その恨みがましい目は」
シッシッと払うように手を動かし、真也が言う。
「独身社員の自主企画って聞いたぞ、俺だって独身なのに……二十代最後なのに」
ウジウジと文句を口にする貴文に、真也は呆れた顔で言い返した。
「あのなぁ、天下の一之瀬様とイルミネーションデート出来るって言うのに、なに文句言ってるんだよ。普通じゃ考えられないんだからな。あの一之瀬様だぞ。告白して振られる女がどれほどいると思ってるんだよ」
そんなこと言われても、貴文は告白なんかしてないし、ベータだし、アラサー男子だし、10以上年下のアルファ男子とデートしてなにが嬉しいと言うのだろう。
「いや、俺男だしベータだし」
貴文がそう口にした途端、後頭部に軽い打撃があった。
「杉山くん、くれぐれも、くれぐれもだぞ」
聞き覚えのある声に振り返れば、既に完璧な帰り支度の課長が立っていた。
「課長?なんなんです?くれぐれも?」
頭の中にはてなマークがいっぱいの貴文は、首を傾げた。
「知らないとでも思っていたのか。あの一之瀬様とデートなんだろう?くれぐれも、粗相のないように頼むぞ」
「え?うちの会社取引なんかありました?」
「取引なんかない。だが、なにごとも穏便に、だ」
課長はそう言って貴文の肩をバシバシと叩いて出ていってしまった。
「穏便って、言われてもなぁ」
貴文は小さく呟きつつ、カバンを背負った。そうして何故か別れ際、真也が耳元で囁いた。
「大人らしくコーヒーぐらい奢ってやれよ」
そうして背中を叩いて本日のメンバーの方へと行ってしまった。そんな真也を眺めつつ、貴文はいつもの待ち合わせ場所である地下駐車場に向かうべく違う出口を目指す。
いつも通りに車に乗り込んだけれど、今日はお茶はなく、10分程度移動して義隆と一緒に車から降りた。駐車場がないから田中はそのまま車で立ち去ってしまった。何となく周りを見れば、誰もがイルミネーションに夢中で、車から降りた貴文と義隆の事など見ていなかった。
「暗いから、足元気をつけてくださいね」
本来なら貴文が、言うべきセリフはあっさりと義隆に言われてしまった。
「ああ、うん。ありがとう……あ」
ここで貴文は自分の失敗に気がついた。送迎して貰えるようになって、貴文は冬場のアイテムをひとつ使わなくなっていた。だが、今日は必要だった。
「手袋、忘れちゃいましたね」
そんなことを言って義隆が貴文の手を握ってきた。貴文だって成人男性であるから、それなりに手は大きいはずなのに、年下の義隆の方が大きかった。
「あ、うん……そう、だね」
握られた手が暖かい。いつもマッサージされているから知っている体温だ。ゆっくりと歩道を歩くと何となく気持ちが上がって来るものだ。マフラーはしてはいるものの、頬に当たる風は冷たい。コートを着ているとは言えど、空腹なので体温が上がることはない。
「あ、あれ飲もうか」
貴文の視線の先にはキッチンカーが数台見えた。
「あれは何ですか?」
義隆がアルファらしくないことを聞いてきた。どうやら彼の知識にキッチンカーはなかったらしい。
「あれはキッチンカーっていうんだよ。名前の通り車の食べ物屋さん。昔は石焼き芋が寒くなるとたくさん走っていたけどなぁ、今はあんな風におしゃれな感じだよね」
少しだけ得意げに話す貴文のことを義隆が見つめている。辺りが暗かったからそれほど視線は集めてはいなかったが、キッチンカーの列に並ぶと、ちらちらと義隆の顔を覗き見する視線が増えた。初めて義隆に教えることができ、気分が上がってしまっている貴文は、そんな視線にはまるで気づかなった。だが、そんな視線に慣れきっている義隆は、そんな失礼な視線に対して遠慮なく威嚇のフェロモンを放つのであった。




