27 知らなかったのは俺でした
「いい?よく聞きなさい。あの日あんたが倒れた日の夜、一之瀬義隆様がうちを訪ねてきたのよ。ショッピングモールで倒れたあんたはさっさと隣接する病院に連れていかれてたの。つまり、私は倒れたあんたを見ていないってわけ」
姉はそこまで一気に喋ると、またもや深いため息をついた。
「でも、私はあの日あんたと待ち合わせをしていたじゃない?だから行ったのよ。たぶん、あんたが倒れてからずいぶん経ってしまったんだと思うのよね。すごい静かでさ、駐車場の入り口だから人通りも少ないじゃない?それなのにそこに立ってたのよ」
「誰が?」
今度こそその問いかけは間違ってはいないはずだ。貴文は姉の顔を横から少しだけ確認した。
「田中さんよ。荷物を持った私を見るなり『杉山貴文様のご身内の方ですか?』って言ってきたのよ。なんだかよくわかんないけど、絶対アルファってことだけはわかったの、だから頷いたわけよ」
姉はそこまで言って、また一つため息をついた。この話は父親や母親も知っていることなのだろうか?貴文は内心悩んだが、口に出すのはやめておいた。
「で、ご丁寧に名刺を渡されてさ、見たら一之瀬グループの親企業の秘書さんじゃない?だいぶビビったわよ」
「うん、俺も驚いた」
貴文は素直に同意した。目が覚めたら知らない天井で、至れり尽くせりで検査をして、退院手続きなどはすべてお任せだったのだから。そして、車に乗り込む直前に素性を明かされたのだ。驚きすぎてたいしてリアクションもできなかったというものだ。
「で、家に一人で帰って父さんと母さんに説明するじゃない?夜に来ますって言われたってさ、何時なのかわかんないからカレーを作って手早く夕飯を済ませようとしたわけよ。そしたらさぁ、六時半回ったぐらいでインターホンが鳴ったのよ。みんなでびっくりしちゃって、モニターで見たら田中さんだったから、安心して玄関を開けたのよ。そしたらさぁ、いたのよ、一之瀬様がっ」
姉はバシィと貴文の肩を叩いた。さほど痛くはなかったが、連続して叩かれると地味に痛くなってくるものである。
「そりゃ、びっくりだね」
気の利いた返しがおもいつかなくて、貴文は出来るだけ無難な言葉を選んだ。どうせ何も返事をしないでいると、聞いていないのかと怒られるのだ。
「そうよ。玄関開けた私も驚いたけど、ついてきた母さんも驚いたわよ」
そこまで聞いて、貴文はふと気が付いた。
「あのさ、一つ聞いてもいい?」
「なによ」
「なんで、一之瀬……義隆……様の顔をしってるわけ?」
「はぁ?あんた馬鹿なの?それでも社会人?日本のトップとか、次代の経営者たちって特集みてないの?って、そうか、あんたの会社は五大名家の系列じゃないいんだ」
「残念ながら」
「それじゃあ、しょうがないか。いーい、五大名家に連なる企業に勤めているとね、新年のご挨拶に一族のトップの動画を見るの。そしてグループ企業のトップたちの顔写真付きあいさつ文の載った冊子が配られるのよ」
姉はそう言うと、立ち上がって本棚から一冊の冊子を持ってきた。
「これはいつも行く隣の市にあるショッピングモールで新年に配っていたやつ。ショッピングモールごとに担当の名家が違うことぐらい知ってるわよね?」
「そのくらいは」
ショッピングモールの外壁が二色に塗り分けられているのが、担当する名家のカラーなのだということぐらい、小学校で習うことだった。だから、就職とか引っ越しの時、近くにあるショッピングモールの外壁の色を気にする人は多い。貴文は、あえて色のついていない会社を選んで就職活動をしたのだから、その手の情報に疎いのは当然の結果だった。
「一緒に行ったショッピングモールも、いつも行くところと同じカラーなのよ。買い物しやすいから」
今更ながらに納得した貴文であった。
「話を戻すわよ」
姉は軽く咳ばらいをして、まじめなトーンで話し始めた。
「みたこともないぐらい立派な菓子折りを出してきて、一之瀬様が深々と頭を下げてきたの。それを見た瞬間、私も母さんの驚きすぎて抱き合ったわよ」
当然悲鳴の一つも上げたことだろう。貴文は思った。
「そしたらさ、父さんが慌てて玄関に出てきて、ものすごい勢いで土下座したのよ。初めてみたわ。スライディング土下座ってやつ」
姉がまじめに話をしているのだけど、貴文の脳内ではその光景が再生されていた、
(おもしろすぎるんだけど。万年中間管理職の本気の土下座、見てみたかったなぁ)
そんな貴文の心理を察したのか、姉の手が伸びてきて、貴文の頬をつねった。
「いたたたた」
「あんた今、おもしろがってたでしょ」
姉は少し頬を膨らませ、手を離すと続きを話始めた。
「問題はここからなの。当然一之瀬様は父さんに頭を上げてくれっていうでしょ、言われたからには父さんも頭を上げるじゃない?玄関先に一之瀬様を立たせっぱなしにもいかないから、上がってもらおうとしたんだけど、断られたわけ。日が沈んでから訪ねてきたのは近所に見られないようにって配慮だったらしいのよね」
ここまで話して、姉は天井を見つめた。そうして自分を落ち着かせようとしているのか、両手を胸にあてて目を閉じた。
そして、
「いい、よく聞いて、そして絶対に忘れちゃだめよ。どうせ忘れたくても忘れられないから」
姉はカッと目を見開いて貴文の肩をつかみ、横並びのまま顔を向き合わせた。確か面と向かっては言えない。ようなことを口にしていた気がする。なんて貴文が心のどこかで思った時、衝撃的なことを告げられたのだった。




