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22 所詮はベータですから

「至れり尽くせりよねぇ」


 食後に義隆から渡された菓子折を広げて母が呟いた。手土産用の菓子なのに、賞味期限が3日しか無かったのだ。杉山家の知っている菓子折は半年ぐらい賞味期限があるものだったから、そのあまりの短さに驚いたのだった。


「あー、せめてアールグレイぐらい用意したかった」


 いつもの黄色いラベルの紅茶のティーパックを眺めながらボヤいたのは姉である。いやいや、この黄色いラペルだってそこそこ良いお値段だ。


「だったらマグカップじゃなくてティーカップぐらい用意すればいいじゃないか」


 初めて見る焼き菓子に貴文は戦々恐々としていた。なにしろあの一之瀬家のおぼっちゃまがお気に入りの菓子屋の品である。庶民であるベータの杉山家の口でその味が理解できるのだろうか。


「だって、沢山飲みたいじゃない」


 姉はそんなことを言いながら、家族全員の紅茶をマグカップにどんどん注いでいく。それに合わせて貴文は家族全員に菓子をくばった。


「半生菓子ってことよねぇ」


 食品会社の営業事務である姉はじっくりとその菓子を眺めた。


「やっぱりウチみたいな問屋を経由するのとは違って作りが違うわよねぇ」


 そう言ってフォークをつき立てればあっさりと菓子が割れた。


「これは確かに日持ちはしないわね」


 大きな口を開けて、大きく割れた菓子を口に入れた。


「すっごい、美味しい」


 もぐもぐと口を動かしながら、姉はうっとりと目を閉じた。それを見ながら父も母もやや小さめに切り分けた菓子を口に運ぶ。


「あら本当。美味しいわね」

「この紅茶が高級に感じるほど美味いぞ」


 そんな家族の反応を見つつ貴文も一口食べてみる。確かに美味しい。ドライフルーツだと思っていたら、どうやらコンポートだったようだ。そのおかげなのか、下のタルト生地も柔らかくなっていた。これでは日持ちはしないはずだ。だが、美味しいものに罪は無い。


「あ、生クリーム載せたら美味しかったかも」


 貴文は思わず余計なことを言ってしまった。するとすかさず姉が反応した。


「あるわよ」


 立ち上がり素早く冷蔵庫から取り出したのは、ホイップクリームの入った袋だった。


「クリスマス商戦の試作品なんだけど、植物性油脂を使った作られたクリームだからヘルシーよ」


 そう言って姉は自分の焼き菓子にたっぷりとクリームを乗せた。そのまま父と母も順番に乗せていく。そしてもちろん貴文もクリームを追加した。高級な焼き菓子が一気に庶民の味へと変貌した。


「やっぱり味変も楽しまなくちゃ申し訳ないわよねぇ」


 姉の一言に父と母が同意する。もちろん貴文もそうは思うのだが、この背徳感のある贅沢は貴文の犠牲の元に成り立っているのでは無いだろうか?


「ところで貴文」


 マグカップで紅茶を飲みながら父親が口を開いた。いつになく真面目な顔だ。


「一之瀬様から話は聞いているんだ。これから毎日送迎していただくのだろう?こちらからは、何も渡さなくていいものなのか?」


 父親はいかにも中間管理職らしい心配をしてきた。いや、そうじゃなくても普通は心配するところだ。それなのに、逆に菓子折を渡されて味変までして堪能してしまった。


「どうなんだろう?俺の体調が心配らしいよ」


 貴文がそう言うと、母親が貴文の顔を覗き込んできた。


「別に顔色が悪いわけでもなさそうだけど」


 小首をかしげながら言ってきた。


「うん。俺もそう思う」


 貴文が答えると、すかざず姉が口を開いた。


「でもね。突然倒れて一週間も意識が戻らなかったんだもん。そりゃ心配だよ。検査しても何も出なかったって説明されたんだよ。何が原因か分からない状態で満員電車には乗せられないんじゃない?」

「何それ、俺の体に未知のウイルスでも潜んでいるとか?」

「そうじゃなくてー、どこに病気が隠れてるのか分からない。ってことよ」


 姉はそう言って最後の一切れを口にした。余程美味しいのか、なかなか飲み込まない。


「でもそれなら一之瀬様には関係ないんじゃないのかな?俺の体が原因なら精密検査だって俺が自腹で受けるべき……」

「ちっがーう」


 貴文の言葉を遮って姉が言った。


「分かってないなぁ貴文は。いーい?相手は名家名門一之瀬家なの。もうぶつかったか、ぶつかってないかなんて問題じゃないのよ。すれ違った瞬間に貴文が倒れた。ってことが事実でそれが全てなの、分かる?」


 貴文は首を横に振ったが、父親は首を縦に振っていた。つまり、父親は理解しているようだ。


「もうね、関わっちゃったからほってはおけないの。沽券に関わるのよ。一之瀬家の沽券にかけて貴文のことを何とかしたいのよ。だって一之瀬家のお抱えの病院に入院させたのに原因不明なんて恥ずかしいじゃない。一之瀬家のお抱えはそんなもんなのか。って世間に認識される訳にはいかないのよ」


 今度は母親が首を縦に降っていた。どうやら理解出来ていないのは貴文だけのようだ。


「だからもう、あちらが気の済むまで貴文は付き合うしかないの。いいじゃない、仕事で疲れてるのに満員電車に乗らなくていいんだもん。うっかり寝ちゃっても乗り過ごすことがないんだから」


 姉はそう言ってカラカラと笑った。


「いいか貴文。会社の皆さんに迷惑がかかるからな。一之瀬様のいいようにするんだぞ」


 とどめに父親からそう言われ、隣に座る母親はまたもや大きく首を縦に振ったのだった。

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