20 大丈夫です。代々慣れてますから
「はい、わかりました。すぐに向かいます」
島野真也は29歳のベータ男子である。職業は普通の会社員である。だが、親は名家一之瀬家で従僕をしている優秀なベータであった。本来なら、真也も一之瀬家に仕えるはずだったのであるが、残念なことに一之瀬家に真也と年の合う子どもがいなかったのである。ひとつ二つ違うのなら、同じ学校に通ったりして影の従僕として仕えることができたのだ。だが、義隆とは10以上も離れているためそれはかなわなかった。一時、分家のアルファが恋人にしたシェルター在住のオメガの護衛をしたことがある。オメガにアルファは近づけないため、優秀なベータの護衛が付くのである。
シェルター在住のオメガであったからか、真也の名前を知った途端に微笑んで「一之瀬家の侍従のベータね」と言ってきた。シェルターでは、そんなことまで教えているのかと真也は驚いたものだ。そんな経験があったから、今回の話には内心おおいに驚いていると同時に、伝説の一之瀬家の運命の番に会えるのだと心が躍った。もちろん。父親に連絡をすることは忘れなかった。
「…………」
指示された病院について真也は一瞬頭が真っ白になった。だがしかし、そこは優秀なベータとして一族で代々一之瀬家に仕える身である。瞬時にモニターに映し出された相手のデータが頭に浮かんだ。
「杉山貴文について、ですが……家族構成としては父母姉の四人家族です。29歳独身ですが恋人はいません。合コンとかにも参加はしていませんね。ナチュラル志向な量販店のバームクーヘンのキャラメル味が好きです。デスクの二段目の引き出しに、ペン立てを利用してストックしています。キャラメル味三個に季節の味、それからノーマルを一つが基本です。これからの季節ホットのミルクティーをよく飲みます。とくに好き嫌いはないようです。社食ではその日の定食かカレーをよく食べます。安いからだと思います。大学は卒業していますが、ベータが安定のために卒業する大学だったと記憶しています。だから本人の口からは卒業した大学の名前は出てこないですね。特に趣味もないようで、休みの日は母親に代わって家事をしていたりするらしいですよ」
真也がさらっとそれだけのことを言うと、目の前の人物、つまりは一之瀬家の跡取り息子である義隆の秘書である田中は、眉一つ動かさずに手帳にメモを取った。
「確か同期だったな」
「ええ、偶然にも隣の席です」
真也がそう言えば、田中は頷いた。
「月曜日になったら、同僚らしく心配してあげてください。彼はオメガです。フェロモンが正常に分泌されていないためベータと診断されただけでした。立派なオメガの子宮も確認しています」
「っ……」
驚きすぎて変な声が出そうになったのをかろうじて真也はこらえた。同期として入社して、ここ数年は隣に座って仕事をしてきた。だが、一度たりともそんな兆候を見たことなどない。
「恐ろしいほどの偶然で義隆様と遭遇し、フェロモンが分泌されたのでしょう。ですが、一瞬すぎて彼の体が付いていかず意識を失いました。眠っているように見えますが、あれで発情しているそうです」
田中に言われてモニターに映る貴文を見た。とても静かで穏やかな寝顔だ。
「匂いはほんのわずかに感じるほどしか出ていません。医師が言うにはフェロモンが分泌されるべき管が詰まっているそうです。それを解消すればオメガとして覚醒するそうなんですが……後頭部や首の手術なんて、普通受けませんよね?」
「そうですね」
真也は意図を考えながら慎重に答える。
「なので、マッサージをするそうです」
「マッサージ、ですか」
後頭部や首周りを?誰が?肩が凝ったといってするかもしれないが、実はオメガだと知ってそんなことできるはずがない。
「つまりですね、義隆様の運命。と思われます。わかりやすく言えば義隆様の一目惚れですからね」
「……はぁ」
真也は思った。田中の気持ちはわかる。どこからどう見ても平凡そのもののベータ男子なのだ貴文は。おまけに義隆よりも10以上年上だ。
「義隆様自らが開花させたいそうです」
「なるほど」
「つまり、彼、杉山貴文の送迎をしますから、彼が出社したらよく見ておくように」
そう言って田中から見せられたのは義隆の電話番号とメッセージアプリのIDだった。




