教育について、ウザイくらい語ってやる!
『教育をうるさく言う者にログなやつは居ない』
何故なら当たり障りの無い事しか言わないから。
毒にも薬にもならない事しか言えないから。
毒も薬も同じだから。
問題発言と取られるのが怖いから。
でも……言いたい事が言いたい!
だから語るとしよう。
結論!
〘建前こそ教育のガンである〙
だから。
建前の教育は偽善である!
建前の教育は虐待である!
建前の教育は個性を殺す!
教育とは…、
『人によって道を説く』by孔子
『人間を作ることである』byルソー
しかし、近代化以降、個性よりも無個性が尊ばれた。
『平均的な子どもが良いのです。個性なんて要らないんですよ!』by私が小学一年生の時のクラスの担任
1クラス30~40人もいて、個性の強い児童は邪魔なだけだと、ハッキリ示した。
キツイ教師だったが、悪ガキやその保護者に屈せず、教室の秩序を守った事は、認めざる得ない。
建前でなく、本音の教師だった。
しかし、日本が個性よりも無個性な人材を欲したのはなぜか?
それは工場作業と云った労働者に、必要な能力だったからだ。
機械という無機質な装置に、合わせられる人間を必要としていた。
しかし、それでも令和の現在と比べて、戦前は個性を尊ぶ傾向が強かったと思う。
義務教育1つ取っても、それは顕著に現れている。
元々、義務教育は小学校4年生までしかなかった(3年のところもあった)
そこからの進学先は多岐に渡る。
小学校高等科(5年制)
中学校(5年制)
高等学校(7年制)
女子なら女学校、高等女学校。
他にも陸軍や海軍の学校や、教師になるための師範学校。その他の職業に就くための高等〇〇学校・専門学校が、数多く林立していた。
また、飛び級も当たり前で、早期卒業も可能だった。
小学校高等科から中学校に編入して、5年を待たずに高校へ進学する事もできた。
さらに、私立大学は中学校を出れば入学できたので、高校へ行く必要が無かった。
高校は4年制の国公立大学へ、行く者だけが進学していた。
現在ように、取り敢えず高校へ行く者は皆無だった。
社会学者・小室直樹は戦前の教育を〘八ヶ岳〙型。
前後の教育を〘富士山〙型と称した。
戦前はそれぞれの教育機関が峰々を形成していたが。
戦後は東京大学を頂点に、教育機関に序列が生じた。
それはピラミッド型のヒエラルキーである。
そのため、どの学校も…。
『上の学校を目指せ!』
と、児童生徒に圧を掛ける!
児童生徒の適正は無視される。
強いられるのは、勉強のための勉強。
進学のための進学。
右を向いても左を向いても、同じ事しか言われない。
なのに表向きは…。
『個性を大事にしましょう』
『一人一人違うんだよ』
『多様性、多様性』
建前ばかりが覆っている。
さらに空気(雰囲気)を読む、日本の独特な慣習も、状況を悪化させている。
建前を守る事が目的化して、教育の中身が無くなってしまった。
〘本音と建前は1つでなければならない〙
儒教の1派〘陽明学〙の言葉で知行合一。
本音から離れ過ぎたことによって、建前は教育のガン細胞となった。
それを治すには〘知行合一〙有言実行である!
戦後GHQは、日本の学校から個性を奪った。
時代が進み……それは社会が発展するほどに個性が消え失せた。
高校進学率が99%を超えた。
大学は16校から700校以上に増えた。
高校へ行くのが当たり前。
大学へ行くのが当たり前。
行かない何てあり得ない。
進学は強制となった。
同調圧力の前では、個性は潰されてしまう。
しかし、個性が無くなれば社会は潰れてしまう。
学校は社会の縮図。
少子化の昨今、不登校の増加は、社会の潰れぐわいに、他ならないと言えるだろう。