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硫黄と火  作者: 忠腹 丹子
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 真っ暗な視界。微睡と言う霧が立ち込める脳は、あらゆる機能の能力を著しく低下させる。地に足が付かず、肉体が感じる浮遊感は赤ん坊を寝かしつける揺り籠の様なもので、意識をより深い所へ(いざな)う。


「―――」


 声が、聞こえる。それも夢の産物か、現実で実際に声をかけられているのか、それらの境で発生する幻聴なのか。蕩けた脳は、瞼を開けろと確認しろと言う指示を送らない。このまま揺籃(ようらん)に身を任せ、落ちてしまえと囁いている。


「――様」


 食器を使い始めたばかりの子供が、スプーンで食べ物を口に運ぶ時の様に、酷く緩慢な動きで瞼を開け、下を向いていた顔を正面に向ける。

 大理石で建てられた王城の謁見の間。純白の御座に居る存在は、先ほど白河夜船(しらかわよふね)から下船をしたモノで、その眼下で膝をつき首を垂れているモノが1人。


「―――ノアか」


 微光を発する銀色の虹彩と、日輪が宿っているかのような金髪、頭頂部には日暈を彷彿とさせる円環が、光の反射によって出来ている。その瞼が瞬きをする事は無く、感情の宿っていない人形の様に、ただ一点、正面のみを見続けている。

 体には白銀の鎧を纏い、傍のテーブルにも一切の穢れのない兜が置かれている。その鎧はまるで体の一部なのではなかろうかと思う程に、肉体の凹凸に沿って作られ、鎧と言うよりもオーダーメイドのスーツとでも表現した方が良いのかもしれない。

 アダム・カドモン。自らを絶対の神とし、世界で最初に楽園を築き、後に創られた全ての箱庭の模範となった存在。


「御父様、お眠りの所申し訳ありません。お耳に入れて頂きたい事がございます」


 ノアと言う名のモノの肌は雪の様に白く、頭髪は羊毛の様に白い。眼はまたばらの花の様に赤く、美しい。真紅の鎧を身に着けた騎士だ。


「―――申せ」


 美しいピアノの音色の様な声でありながら、全く抑揚のない声は機械的で不気味さを覚える。


「エリュシオンが、奈落の王(アバドン)の1柱であるゲヘナによって滅亡しました」

「―――」


 アダムは何も言わない。その視線は報告を聞いているのかすら不安を感じる。余りにも透き通った瞳は、ノアを見ているようでノアを見ていない。正面に固定された視線、その眼には何も映ってはいないかのような、そう思わずはいられない。しかしノアはそんな事気にせず、報告の続きを行う。


「そして、1年前よりエデンと戦争状態にある奈落の王アジ・セリオンの軍勢が攻勢を強め、騎士団にも犠牲が出ております」

「―――」

「一般の守護騎士の死傷者は200を超えました。指揮官の犠牲はカイナン、マハラレル、ヤレド、ナアマです。恐らくこのタイミングで攻勢を強めた理由として、他の奈落の王の合流があるかと思われます。手に入れた情報によれば、ロンギヌスが先の4人のうち2人を屠ったとの事です。また真偽は不明ではありますが、元楽園守護騎士が与しているとか」

「―――どこだ」

「どこだ、ですか?」

「押されている戦線はどこかと聞いている―――」


 ノアの眼前に半透明の青色の地図が現れる。エデンを中心に、周囲数百キロにも及ぶ詳細な地図。ノアは慣れた手つきで人差し指と親指を使い、現代人が地図アプリをズームアウトするような動作をする。そして数か所に印をつける。


「以上になります」


 その言葉を聞き、初めてアダムは正面を見据えていた顔を動かす。自分の左手の方にある町を一望できるテラス。温かい日差しは見ていると安心感を覚え、眼下の緑と純白の調和がとられた街並みは美しい。彼方に見える城壁の向こう側で、激闘が繰り広げられているとは到底考えられない程、長閑な光景。


「ノア、貴公が示した地点の掃討を行った―――もうそこに我らの敵対者はいない―――指揮官にはより強力な加護を授けた―――今のうちに立て直せ―――」


 城から見える景色に変化は何もない。当然だ。楽園の内から見える外の光景は、アダムの権能によって偽りのモノに差し替えられているのだから。住民に争いが悟られぬように、住民が安心して幸福を享受できるように。不安の種になりかねないモノは徹底して排除している。

 アダムは再び顔を正面へと戻す。


『主と争うものは粉々に砕かれるであろう、主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、地のはてまでもさばき、王に力を与え、油そそがれた者の力を強くされるであろう』旧約聖書サムエル記上2章10節


 ここから本来の光景が見えたのであれば、万の雷が降り注ぐ様を確認できた。敵対者の細胞の欠片すら存在する事を許さない、滅する神の裁きたる落雷の雨が。

 エデンは最強の楽園としても知られている。楽園守護騎士団の質が他よりも高いのもあるが、最たる理由が支配者であるアダムの圧倒的な権能が所以だ。座していながら任意の場所に裁きの鉄槌を下せる。その威力は絶大で、奈落の王ですら時として消し去るほど。

 絶対神。他に並び立つモノの居ない、世界の無二の支配者。唯一神とも呼ばれる神は、民を導く圧倒的なカリスマと力を持っていなければいけない。


「―――報告は終わりか」


 一神教の別名として砂漠の宗教と言うものがある。反対に多神教は森の宗教と呼ばれる。何故か。砂の民は自分達の力で生きなければならないが、緑豊かな土地に住む民は食料の宝庫たる森の恩恵によって、生かされていると考えた。

 そこで前者の過酷な環境に必要だったのが万民を導き、万民を支配し、万民を守護する絶対的な存在であった。そしてそれは唯一無二でなければいけない。強大な存在が多数存在してしまえば、信じるモノの違いによって争いが生じ、明日を生きるのも精一杯な砂の民にとって、戦争は余りにも致命的な被害を齎す。

 故に信じる存在は1人でなければいかない。誰もが敬い、誰も抗わない、圧倒的で絶対的な唯一の神。


「―――」


 ノアが立ち去った後、アダムは緩やかな動作で座から離れ、テラスへと向かう。

 大理石の地面には、足裏に泥でもついていなければ本来なら足跡はつかない。しかし、アダムが歩いた所には光の足跡が残り、数分その場で明かりを発し続けている。

 温かい風が頬を撫でる。

 城下で栄える太陽に照らされ、まるで天に祝福されているかのような純白の都市。

 住民たちは満面の笑顔で日常を謳歌している。

 皆、整った容姿をしている。老若男女問わず、時代が時代ならば全員が一流の俳優やモデルになれたであろう。

 エデンに見た目による格差は無い。アダムがそうであるように楽園を創ったから。


「―――護らなければいけない」


 その双眼は遥か彼方を見ている。虚構の景色の向こう側、自分が生み出した騎士と神の敵対者の戦場、それよりも遠い先。何光年先とかと言う話ではない。アダムの眼はここではない、異なる世界を見つめているかのようだ。


「創らなければいけない―――」


 その顔に凡そ感情と言うものは見て取れない。腹話術によって、人形が話しているかのように見せかけているような、無感情さ。


「無知―――白痴こそが、ヒトがあるべき本来の姿―――」


 エデンに裸体を恥じらうモノは居らず、互の恥部を慰め合う事も、撫で合う事も、それらを恥じらうモノは1人とていない。

 そう、(アダム)が定めたから。

 エデンでは公衆の面前で肌を重ねる事は異常ではない。己が生まれた時のままの姿で歩くことも、普通の事であり、後ろ指を指すモノは居ない。

 それがヒトのあるべき姿だと、(アダム)が考えたから。


「理性とは―――かつての支配階級が、ヒトを御しやすくするために作った手綱に過ぎない―――」


 城下では常に住民達が、肉体と肉体が触れ合わせ、重なる事で発生する快楽に耽っている。


「これこそが穢れを知らない清らかな精神―――無原罪―――」

「善悪の区別も無く、道理も理性も無い―――」

「それらの概念を知らないのだから―――」

「それらを考える理性も無いのだから―――」

「この世全ての存在が赤子であったならば、戦争と差別は起きない―――赤子に無駄な知恵を入れる蛇が居なければ、(われ)の名の下に、永遠の平和と平等は維持される―――」

「―――究極の無知のみによって理想郷は築かれる―――」

「閉じられた極小の世界―――飽きや慣れを知らず、分からず、感じないヒトは、その中で永久にお互いを慰め合う―――余計な情報は不要だ―――それは、破滅の引き金になりかねない―――」

「故に―――」


 アダムの瞼が閉じる事は無い。宿る瞳はぶれる事無く、ただ一点を見つめ続け、まるでそこに何かが居ると知り、その何かに話しかけている様に、説明している口調で話している。


「我は、エデン以外の全てを滅する―――」


 淡い光を発している銀色の両眼。瞬きをすることなく、揺らぎもしない瞳。人形のような眼。それは、コチラを見つめている。


「我は―――ヒトを愛している―――」



「フゥーハッハッハッ!」


 エデンの外。神の敵対者と騎士団の争いを一望できる丘の上で、男が1人が哄笑する。

 白髪碧眼、やや筋肉質な事が分かる体躯をした、容姿端麗の白人男性。その眼は目が合ったモノの内心を見透かすようで、一種の恐怖心を覚える。肉体に合うように作られたオーダーメイドのダブルスーツを着こなす姿は、世界を飛び回る一流のビジネスマンと言われても不思議ではない。

 先ほど戦場の降り注がれた万雷の鉄槌。男はそれを目の当たりにしていた。


「これが自称絶対神の力! その名は伊達では無いと言う事か!」


 戦場に不釣り合いな恰好の男性。名をコーデックス・アルビオン・アイスアトラス。今はコーデックスとだけ名乗っているモノだ。

 アイスアトラス。それは南極の楽園とその支配者の事であり、コーデックスは元楽園守護騎士団パラダイス・クルシアタの所属であった。しかし今は奈落の王と共に、世界中の楽園を滅亡させている反逆者の1人。


「幸福しかない楽園ねぇ」


 スーツのポケットに手を入れたコーデックスは、エデンを囲う純白の城壁に嘲笑的な感情の混じった視線をぶつける。


人形の家(ドールハウス)の間違いだろ。外を知らない箱入り娘が、部屋にある人形で遊んでいるようなもの。それを楽園、幸福、平等、人間のためなどと言う耳障りの良い言葉に変換しているだけで、やっている事は自称神の一人遊びだ。全く、言葉を誤魔化すのが上手なんだから」


 そこまで言うとコーデックスは「ククク」と喉を鳴らし嗤う。


「滑稽だねぇ......誰かのためじゃなく、己がための楽園だろうにね。真に人間を思うならば、干渉し過ぎないと言うのが大事だろうに。人間は本来、御し難い存在だ。人間は首輪のついた躾けられた犬じゃない。自分の創造主との約束を破り、時には創造主、神に反旗を翻し、神を否定する。そうして、かつての人間は進歩し続けた」


 ポケットから手を出し、両手を広げる。


「人間を含む生物は、繁栄と進化をしながら生きていくものだ。だからこそ、時には衝突して何かの種が絶滅する事もある。それが時には同じ生物の事もあれば、神である事もあるだけだ。それは自然な事であり、世界の秩序だ。ある種の繁栄と進化には、必要不可欠な尊い犠牲であるから。人間とは可能性の塊だ。そして、神こそが数多の可能性を潰し、意図する所へ誘導し、操りやすくするために、意識を統一させるために、支配階層が生み出した虚像。楽園の神とは人間のためだとか何とか言っておきながら、結局人間の進化が恐ろしいために、知性を与えず、自分と言う絶対の存在を、神であるとアピールして、自分に牙をむかない人形を創り上げ、遊んでいる幼稚で愚かな存在に過ぎない」


 「ふぅ」と短く息を吐き、城壁に背を向ける。今までコーデックスの背中が向いていた場所、丘の下には彼の手勢が膝をついて待機している。青色の胸当てをつけた数十万の戦士達。彼らもまた、かつて楽園守護騎士団に名を置いていたが、コーデックスの思想に共感し叛逆の徒となった。


「さぁ皆、無知蒙昧(むちもうまい)の自称神に気づかせてやれ。そして住民の目を覚まさせろ。それが無理なら殺せ。意思を持たない人間など、人の形をした正しく人形だ。生きている価値など無い。僕たちが救うのは、意思を取り戻し、人間であろうとする存在だけだ」


 彼を始めとする元楽園守護騎士団が所属する組織は、全面的に奈落の王と思想が一致しているわけではない。怒りの日を名乗る組織の目的は、高度な人類文明の再構築。そのために楽園を根絶し、科学によって神秘の殆どを駆逐し、技術によって神の如き力を再現するに至った、崩壊前の文明まで人々を裏から密かに導き、人間と言う種が自立できるようにすること。そうして最後、神を殺させる。

 目標の最初期段階、楽園の滅亡には奈落の王達に一時的に協力するのが効率的だと判断して、利用しているに過ぎない。楽園亡き後、敵対する事になる関係。

 コーデックスはにこやかに、晴れやかな声で告げる。


「聖戦を始めようじゃないか」

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