karute-2 「汗」
ぷうんと、饐えた臭いがする。それから食欲をくすぐる甘い香り、香ばしいにおい。中堅製菓会社に勤める高須三平太は大量の汗をかきつつ、ひとり休憩室で悩んでいた。チョコレートを食べ、ビスケットを頬張り、それをアイスココアで流し込みながら。
「うーん、痩せなくちゃなぁ。」
上司である営業課長に現在の体重を半減させなければリストラすると告げられたからだ。
「でも運動は大変だし、薬は苦いし…」
食事制限は――はじめから考えていない。悩む間も自社製品を己の口に運ぶのを忘れない彼であった。
帰宅途中、三平太はいつものバイキングレストランでおよそ5人分の食料を摂取した。店員が迷惑そうな、苦笑いの表情で礼を言う。少し繁華街を歩くと、見慣れない看板が古いビルの端にある。看板を読むと…
<霧崎美容外科 痩身手術 モニター募集>
とある。
「ああ、この手があったかぁ。こりゃ楽だ〜」
躊躇なく三平太は古臭いビルの扉を叩いた。
「…はい、手術終了。包帯と絆創膏は明朝には取れます。あとはレポートを出していただければいいわ。」
スレンダーだがめりはりのある容姿が白衣に見え隠れする。女医は手術の片付けをしながら言った。
「あのぉ、ホントにもう終わり? ホントにお金も掛かんないの?」
麻酔でまだ朦朧とした頭で三平太は目の前の美女に訊ねた。何をされたのか、それすらわからないが、心もち体が軽くなった気もする。しかし無料とは、あまりに都合が良すぎる。
「ええ、あくまでも新技術の痩身のチェックが目的ですから。ただ再手術は行えませんから、リバウンドには注意して下さいね。あなたが日々の努力を行うか、その容姿に自信を持っていれば、問題はないけど。そうでけりゃ、あとで綻びがでるわ。覚えておくことね」
薄暗がりの診殺室、女医はささやくよう言った。
「う、うん。わかった…」
ぞっとするような微笑を浮かべ、闇色の女医は大柄なクランケを見送った。
次の日。出社した三平太を見て、社員全員が朝茶を噴出し、卒倒し、絶叫した。
体積が半減したと言ってもいいだろう。少しだけふくよかな三平太がそこにはいた。
「き、ききき君、ホントに高須君か? んな馬鹿な、いやでもその顔はしかし」
課長も脂汗を流し、さわやかに笑う男に質問した。
「ははは、やだなあ、僕に決まってるじーないっスか。…これでリストラ、ないですよね?」
コロンの香りがする。三平太はにんまりと笑った。汗ひとつかかずに。
高須三平太はダイエットに成功した。他の男の驚きと羨望の目、女達の憧れの眼差し。身も心も軽ければ仕事も対人関係もはかどる。彼は社の内外を問わず人気者となった。
そんな中、ひとり三平太を睨む目が在った。
課長である。
彼を切らねば自分が飛ばされる。課長は執拗に体重がきっちり半減していないことをつつき、毎日のようにねちねちと愚痴を言った。
辟易しつつも、三平太はまた例の美容整形外科に行こうと企んでいた。金さえ出せば、また痩身整形をしてくれるに違いない。あれから一ヶ月。実のところ暴飲暴食がたたり、またまた全身にぽってりと肉が付いてきたのだ。憧れの目で見ていた女子社員も、いつの間にか値踏みするようになっている。
彼はまた飲食街の外れの古ビルへ向かった。
「――ま、しょうがないわね。綻んだら、今度は自分でなんとかして頂戴。私もそろそろ本業に戻らないといけないから…。」
薄明かりから女医の顔が見えた。氷のような、ぞっとする微笑を浮かべた美女だ。
「え、えぇまあ。」
三平太はあいまいに返事をして、手術室へ向かった。
翌日。
ふたたび彼は変わった。よりスリムになり、肌には余分なたるみは見つからない。顔つきまで変わった。しわもない、精悍なマスク。目も切れ長になり、口も大きめだが薄い唇がセクシーだ。高須三平太は全女子社員の憧れの的に返り咲いた。
「高須さんて、少し見ないうちにすごく素敵になったわ。いったいどうして?」
「ふふふ、秘密だよ」
ほどなく、彼は会社一の美女を自宅まで連れ込んだ。何をするのも自由だ。彼女は自分の顔を見、体に触れるだけで満足なのだ。
明け方。満足げに眠る三平太の後姿に、女は擦り寄った。彼の首筋に何かが付いているのを見止めた。
「うーん…あら、くびの後ろ、糸が付いてる」
彼女がその糸を引っ張る。
ぷつん。
小さな音とともに、いきなり彼の首周りは倍、いや三倍になった。ぶるんっと首が震える。大量の汗が流れ出、部屋はむせ返るような熱気とすえた臭いに包まれた。
「え?」
体調の異変に目を覚ました三平太だったが、鈍く脂肪で詰まった自分の声には気づかなかったようだ。
闇色の診殺医、霧崎ひかるが施した痩身の秘術とは、どんなものだったのか。『糸』はどうやら彼の隠したいものを上手に内側に隠し、縫いこんだものだった。一本がはじけたことにより、彼の背中にはたわんだ縄のように肉色の紐が浮かび上がってきた。
ぷつん。
ひとつをきっかけに彼の体のいたるところから音がした。女がようやく悲鳴をあげる。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっ!!!!」
汗まみれの、脂肪が波打ち、渦巻く。
ぷつん。
ぷつん、ぷつん。
ぷつんぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつ…
・・・診殺医 霧崎ひかる karute2「汗」終わり。