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2.「元気でいてくれればいい、それだけでいいからな」

 然るに私は、異世界転生、又は異世界転移という現象に巻き込まれてしまったとしか思えなかった。

 異世界転生と言えば…トラックに轢かれて死亡し、異世界の神に強力な力を付与されて蘇り、ファンタジーの世界で他者を圧倒し、異性にチヤホヤされる、と言ったところが定石だろうか。

サブカルチャーに詳しいわけではないが、昨今はそういったストーリーの小説やアニメーションが流行っているという程度の知識はあった。

 そして今、フィクションである筈のその現象の渦中に、自分がいるという推測を立てている。

 異世界と思われる根拠が四連の月だけというのは、不足だろうか?例えば魔物や、魔法使いのような者が現れれば、速やかに納得できるのだが。懸念材料としては、トラックに轢かれた覚えがないこと、神のような者とも接触していないことだ。更に言えば、こうした転移や転生は、十代の若者が主であるように思う。私はもっと、別の何かに巻き込まれたのかもしれない。


「はぁ…」

 涙はとうに枯れ果てていたが、遣る瀬無い思いを吐き出すように、私は深い溜息をついた。自分のことはともかく、コロスケとタロマルがひもじい思いをしている頃だろうと思うと、居た堪れなかった。こういう不測の事態に備え、合鍵を渡してある友人がいるにはいるが、行方不明に気付くのには多少時間が掛かるだろう。


 泣きじゃくったまま夜明けを迎え、私は疲労を引きずっていた。しかし、このまま惨めに飢えて死ぬのはごめんだった。何に巻き込まれたのかもわからず、無為に死ぬわけにはいかない。今まで決して順風満帆な人生ではなかったが、こんなどことも知れぬ場所で人知れず朽ちていくような死に方は絶対にいやだ。

 私は水分の葉(と名付けた)を数枚もぎ取り、じっくり咀嚼してから、気力を振り絞って立ち上がった。

 生きる為には水と食料が必要だ。川か池を探そう。




 1m程の手頃な枝を杖代わりにして、草を掻き分け歩く内、この森が驚くほど多様性に乏しいことに気付いた。見分けが付いていないだけなのかもしれないが、どこもかしこも水分の樹(と名付けた)しか生えていないのだ。もしかすると、巨大な植林地帯なのだろうか?だとすれば管理者のような者にもいずれ出会えるかもしれない。そんなことを考えていた矢先。

 その獣はクマのような体にウサギのような大きな耳を持ち、明らかに肉食と思しき牙を覗かせて、私の前に突然飛び出してきた。

 私は絶句して後ずさりした。未だ左足は痛みがあり、走って逃げるのは難しい。僅かに記憶にある、クマと対峙した時の対処法、目を離さずゆっくり距離を取ることを試みた…。

 …じりじり、じりじり。

 後退するそんな私に合わせて、獣は全く同じ速度で、じわじわとにじり寄って来る。

 嗚呼、ダメかもしれない。

 いずれ飛びかかってこられた時が最期の瞬間になるという確信がある。

 剣道の心得があるとは言え、こんな木の枝では戦いようもない。そう思っていたはずだが私は自然と木の枝を握り直し、正眼の構えを取っていた。気持ちがすっと落ち着き、心技体が一気に研ぎ澄まされた。自然と少し気持ちに余裕ができ、攻撃はできなくても、20年間で全身に叩き込んだ体捌きで、攻撃をかわすことはできるかもしれない、そう思えた。

 私はすり足気味に先程より早く後退していた。左足の痛みも、構えを取ってからはあまり感じない。獣は相変わらず等間隔を保って私に迫ってくる。いつまで続くのか…。

 そう思った瞬間、獣は風圧を感じるほどの勢いで、唸り声すらあげずに真っ直ぐ飛びかかってきた。私は正眼の構えを崩さず、獣に相対したまま右手に大きく飛んで、大きめの樹に背を預けながら体勢を維持した。獣が間髪を入れずにこちらに向き直ったその刹那、私は怒号と共に右目目掛けて一閃の突きを放った。その一撃で枝はあっさり折れながらも獣の右目を正確に穿った。獣は聞いたことがないような耳障りな咆哮をあげて頭を振り回している。

 叫んでひるませるつもりだけのつもりが、長年染み付いた癖で、効きそうもない突きを同時に繰り出してしまった。しかし、運良く急所にあたり、隙は作れたはず…!私は枝の残骸を振り捨てて、一心不乱に駈けた。アドレナリンのせいか、足の痛みは全く無い。

 どれだけ走り続けたかわからないが、肺と足の筋肉が限界を迎えて、私は少し開けた草むらに倒れ込んだ。深呼吸しながら四方八方を見渡し、耳を澄ませた。鬱蒼とした樹々と、その樹々の葉の揺れ、鳥の鳴き声だけが響いているだけだった。どうやら、諦めてくれたらしい。


 自衛の為とは言え、動物を傷つけたことで胸が痛んだ。と同時に、今更になって体が震えている。肉食の野生動物と対峙する機会などなかった私にとって、こんな事態は臨死体験と同義なのだ、二度とごめんだ。

 そんなことを考えながら安心して座り直した時、私はあまりのことに目を大きく見開くことになった。


 目の前に、川が流れている…!

 私は這うように駈けより、その水の透明度に驚かされた。それほど深くなく、幅は10mにも満たないせせらぎだ。少し冷たい水を手で掬って飲んでみた。

 葉っぱの味がしない水がこれほどおいしいとは!私は犬猫のように水辺にかがみ込んで貪るように清流を飲んだ。

 すっかり喉が潤った後、左足を水流で冷やしながら余裕を持って川を見渡してみると、川の中ほどに魚らしきものの影がいくつも動いているのを見つけた。しかし釣り道具も火もない現状、おまけに川魚をそのまま生で食べる気にはならなかった。つくづく文明に維持された生活だったと思い知らされる。このまま体と頭を洗いたいところだが、体を温める手段がスウェットしかない今、この気温下では避けた方がいいだろう。結局、今のところ水分補給くらいしかできない。

 対岸は相変わず水分の樹で覆われており、全容は見えない。小高い山も丘も、見当たらない。あたりを見渡す為に樹に登ってみることも考えたが、上部ほど葉の密度が濃いこの樹の天辺に向かうのは難しそうだ。

 遭難時のセオリー、かどうかはわからないが、川の下流を目指せば湖や海に辿り着くはずだ。湖畔や海岸には人がいる可能性が高い。川沿いに進めば水にも困らない。私は次なる目標に向けて歩を進めることにした。




 私は、つくづく浅慮な人間のようだ。

 強烈な腹痛が絶え間なく続き、結局意を決してから数時間ほどで、それの対応に追われて進行を止めざるを得なかった。清流と言われるような川でも、生水を飲んでどうなるか知らなかったわけではない。飢えと乾きがそれらの浅い知識を跳ね除けてしまっていたのだ。己の短慮が情けなかった。




 腹痛が治まったのは夜が明けてからだった。私は一晩の間便意と戦いながら、水分の草を布団とし、水分の草で飢えと乾きを凌ぎ、水分の草をちり紙代わりに用いていたのだが、日が登る頃にはすっかり回復していた。なんと万能な葉っぱだろうか。

 気を取り直し、私は川を右手に下流目指して歩を進めた。左手は代わり映えのしない水分の樹の森だ。昨日のクマウサギ(と名付けた)に少し怯えながらも、慎重に進み続けた。




 それから4日間、歩き続けた。

 ヒゲが伸び、口から葉っぱの匂いが漂い、スウェットから強烈な加齢臭が漂う頃、巨大な湖に辿り着いた。

 湖の周りは相変わらず森だ。しかし、湖畔の一角にあるそれを見て、私は思わず膝から崩れ落ちた。

 家屋だ…!

 私は疲労を忘れ、ほぼ対岸にあるそこを一心不乱に目指した。


 ログハウスのようなそれは、遠目で見た印象よりも遥かに朽ち果てていたが、辛うじて建物としての形状は保っていた。私は入口の木製扉に人工物の趣を感じ、ここ数日で最も大きな安堵を覚えた。扉は施錠されていないどころか、鍵のような機構が見当たらない。私は躊躇うことなく軋む扉を開け、中を覗き込んだ。

 中は8畳ほどのフロア1間で完結していて、家具も何もない部屋だった。屋根にも壁にも穴があり、一部は腐食が始まっている。

 そんな廃墟と言って差し支えない、殺風景極まりない部屋の壁にただ一点、絵画が掛かっているのに気付いた。


 今にして思えば、近寄ってそれを見た時が、私の絶望の頂点だったかもしれない。


 それは絵画ではなく、地図、それも平面化した世界地図のようだった。南極らしき大陸はそっくりだが、私がまるで見たことのない大陸群と地形と文字だか記号だかが書き込まれており、地図の左上に太陽らしき意匠のシンボル、地図の右上に四連月のシンボルが描かれている。学の浅い私だが、文字には全く見覚えがない。キリル文字のような、しかしどこか象形文字のようにも見える。

 架空の地図だったとして、ここまで精密に書くものだろうか。架空だとしたら、毎晩頭上に鎮座する四連月が描かれていることはどう説明する?

 もう疑うべくもない。私は言葉も分からない異世界の、しかも人知れぬ森の中に、裸一貫で迷いこんでしまったのだ。

 せめてもの慰めは、正確(と思われる)な世界地図を作ることができる文明レベルの世界だということだ。いずれ、その文明の持ち主と出会えるかもしれない。未だ剣と魔法の世界である可能性も残っているが、今のところ、超常的な現象には全く出くわしていない。

 念の為、地図から現在地を読み取れないかと目を凝らしたが、何の手がかりも得られなかった。




 私は軋む木の床に正座で座り込み、黙想した。

 このままアテもなく、危険と隣合わせの探索を続けるべきか。或いはこのログハウスに誰かが訪れるのを期待して待つか。

 未だ雨天には出くわしていないが、少なくともここなら風雨は凌げる。

 ここを拠点として、ログハウスの構造材を失敬したり、その辺りに無数に生えている水分の樹を利用して生きる為のツールを作ることもできなくはないように思える。

 結論は割とすぐに出た。




 それからの日々は順風満帆…というわけには、もちろんいかなかった。何しろ、サバイバルやアウトドアの知識など、ほとんど持ち合わせていないのだ。

 まず欲しかったのは刃物だが、このログハウスは組み木と紐で作られており、金属が見つからなかったのだ。仕方なく手頃な石を拾い、試行錯誤を繰り返して石包丁のようなものを数個作った。

 作った、と一言で言えば簡単だが、石器時代のイラストなどを必死に思い出して、石を石で削るという苦行を、使い勝手を試してまた削るという苦行を、ただただ繰り返した。やがて、細めの樹を切れる程度の刃ができあがった時には日が暮れかけていた。

 次は火だ。こちらは最初から難航を予想していた。喉を潤すレベルの水分を持つ葉を宿す樹で、縄文時代にやっていたような着火ができるとは思えなかったからだ。しかし、予想に反して、水分の樹の枝部分は、葉に対して圧倒的に水分が少なく、樹脂が多いことが分かった。これは…と思い、自己流やテレビで見たのを真似したりなど、摩擦を試してみると、笑えるほどあっさり煙が上がり、数日ぶりに火を見ることができた。


 嬉しい偶然の発見もあった。ログハウスに水分の葉を敷き詰めて絨毯代わりにしていたのだが、石器作りでできた手の傷や歩き続けて酷使した足の無数の傷が、葉っぱに触れているところだけ、明らかに治りが早かったのだ。特に裸足で傷付き続けた足の裏は、草絨毯の上を歩き回っている関係なのか、如実に回復を実感できた。思い返せば、川の水で受けた腹痛が早く治ったのも、水分の葉を食べたことが関係あるのかもしれない。こんな万能な薬効の植物があるものだろうか、と疑問に思いつつ、ふと「薬草」という言葉が頭を過ぎっていた。


 こうして、釣り竿、石斧、石槍、火。これらを得た私は、ようやくタンパク質にありつくことができるようになった。

 川の魚は俊敏で警戒心が強く、手製の竿で何度試しても釣果はさっぱりだったが、河口付近に細工したせき止め水路に迷い込んだ魚は石槍で容易く捕獲できた。

 この魚、体色は多色性で見る角度によって色が変わる。形体で近いのは…鮎か鯉だろうか。世界が変われど、生体の適応性はさほど変わらないのかもしれない。

 構築するコツを掴むのにかなりの時間を要した焚き火で食べたナナイロアユ(と名付けた)の味は、塩気も何もあったものではないが、生涯忘れることはないであろう美味に思えた。




 私は、図らずも異世界でサバイバルデビューを果たすことになった。ゴールは異世界人に出会い、助けを求めること。そして、もしもその手段があるのならば、元の世界へ帰還すること。


 父ちゃんは決めたよ。ここで生き延びられるだけ生きてみる。何の希望もなくても、命ある限り生きていくのが生き物の務めだ。

 智明、もう会えないかもしれない。母ちゃんと新しい父ちゃんに思うところがあるとは思うけど、俺はずっとお前の味方だ。

 同じ太陽も同じ月も見られないけど、父ちゃんはお前の幸せをずっと願ってる。

 ただただ、元気でいてくれればいい、それだけでいいからな。

 こっちもやれるだけやってみる。諦めちゃダメだぞ。

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