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『言語の海と、芥川龍之介、太宰治』

『言語の海と、芥川龍之介、太宰治』



昔、何度も全集を読み返した小説家を挙げてみるとすれば、芥川と太宰が挙げられる。この二人は、兎に角今でもメジャーだが、本当に何度も全集を読んだ。言葉の配列や、文脈の流れ、起承転結など、自分はこの二人に影響を受けていることは、間違いないと思っている。

二人の特徴を挙げれば、芥川は、文章が、無駄のない簡潔明瞭な文章である。太宰は、句点読点の多い、やや読者に寄り掛かる様な文章である。しかし、自分がもっと、本質的に影響を受けたのは、文章に留まらない、小説家としての生き方である。



芥川も太宰も、思い返せば、周知の通り、小説に命を懸けた小説家である。小説という媒体を通して、読者に生き様を見せた小説家である。こう言った、自分の人生よりも、小説を第一として生きることは、並大抵のことではない。側にある死が、二人には見えている。

芥川も太宰も、全集に於ける短編小説の量を見れば、言語の海で生存していたのかと思うくらい、内容、姿勢、共に、普通では考えられないくらいの執筆力である。未完結の小説もあるし、言葉の断片を記したメモの様なものも、大量にある訳で、我々の眼前に、それらは時として異常に存在する。



芥川や太宰が、しかし、今日まで小説家として、読者に影響を与える理由は、やはり、人間の普遍性を描いているからであろう。そしてまた、普遍的なものを描くこと程、一見容易な様で、難しいことは無いのである。それは、小説家が、常識的で、倫理的であるからこそ、多くの読者に内容が響くのであろう。

言語の海と、芥川龍之介、太宰治として、題したこの文章が、結句、何を言いたかったかと言えば、その様な、二人の人間的普遍性のことなのである。それが故、言語の海に、存在出来たのであろう。そして、それが、芥川龍之介賞、太宰治賞、として、現代でも権威ある賞として、二人の名が、残存している理由である。

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