2019/03/31(5)〜雫と白旗〜
5
11時50分、光希と正雪が自分の席につき資料を見ていて、愛が教師のように資料を指さしながら、二人に教えていた。
「ここまではいいですか。」
「わかりました。」
「とりあえずな。」
「十分です。」
愛が書類を置いて時計を見る。
「ではそろそろお昼にしましょう。」
愛が白旗を見ると、白旗が頷いて扉を開ける。
「来てるよ。」
執務室の扉のすぐ横に小さなカートが置かれていて、そこにお弁当箱が三つと、お茶のペットが置かれていた。
「じゃぁ僕は自分の部屋に戻って食事を摂るね。同級生三人で会話に花を咲かせるといいよ。12時40分ぐらいになったら、ここに迎えに来るから、それから四人で高等部の初顔合わせの会場に向かおう」
「はい。」
愛たちが頷いた後、白旗が部屋を出ていった。
「さあいただきましょう。」
三人で美味しいお昼を食べながら、つかの間の休憩を楽しんでいた。
ほんの数時間前までお互いがお互いを話しにくいと思っていたが、ずいぶんと打ち解けた会話ができるようになっていた。
まだ社交辞令的な面はあるが、それでも沈黙が続くよりずいぶんといい。
「正雪ってほんとにインドアなんだな。姿勢が悪いわけだよ。」
「そういう菊高はなんでも感覚に任せすぎなのです。あれぐらいの短文なら、なんなく覚えられるでしょう。」
愛が二人の会話を微笑みながら聞いていた。
「水晶の趣味ってなんだよ。」
「私の趣味ですか。」
愛がお箸を一度お弁当において二人を見た。
「宝石や紅茶、香水、星座、花などの勉強をすることです。スポーツや楽器も一通りたしなみますが。あとは。」
「ちょっとまて、ほんとにそれ全部趣味か。」
「はい。」
二人が黙った。
「何か、私は変なことを言いましたか。」
「いや、本当にそれが趣味ならいいけどよ、半分ぐらい無理やり教わったんじゃないかと思って。」
「あっ。」
愛が一瞬返事に詰まってから、首を振った。
「いいえ、どれも私が興味をもって探求してきたことです。」
「すげえなあ。」
「どれも楽しいですよ。」
愛が卵焼きに箸を伸ばした。
(あせったわ。二人の表情。まるで私を見透かしたようなあの顔と空気。)
愛がポーカーフェイスを保ったまま、冷静さを取り戻すように自分に言い聞かせていた。
それからも三人の初対面通しらしい会話が続き、30分が経った。
「うまかったなあ。」
「ええ、お弁当だというのに非情においしかったです。」
「お口に合ったようで、なによりです。」
愛が自分のお弁当箱を片付けて、二人を見る。
「少し退室しますね。時間までには戻ってきますから、お二人は引き続きゆっくりしてください。食べ終わったお弁当は私が出していきます。」
「サンキュー。」
「ありがとうございます。」
「いえ。」
愛が三人分のお弁当箱を持って、部屋を出た。
(さてと。)
扉のわきに置かれたカートにお弁当箱を置いて、愛が歩き出した。
(この校舎にはあまり来たことないけれど。)
愛が建物の中を知っているかのように慣れた足取りで廊下を進み、適当な門で右に曲がった。
(やっぱりここだった。)
愛の前にある扉の上に、高等部1年主任教員室と書かれた金のプレートが埋め込まれていた。
(一応話のすり合わせをしておかないといけないし。)
愛が扉をスリーノックした。
「休憩中に失礼いたします。水晶です。」
「どうぞ。」
愛がゆっくり扉を開けて部屋の中をうかがう。
「いらっしゃい。」
「今お時間よろしいでしょうか。」
「いいよ。」
愛が会釈をして部屋に入り、扉を閉める。
「いろいろな意味で君は来ると思っていたよ。」
「ご確認しておきたかったことが一つあり、うかがっただけです。ながいはいたしません。」
「そう。」
「はい。」
「何かな。」
白旗は部屋の奥に置かれた大きなテーブルにお弁当とパソコンを置いて愛を見た。
「内緒話も今ならできるよ。」
「そのパソコンのモニターに、このフロアーにつけられた防犯カメラの映像がすべて映っているのですか。」
「正解。」
「あいかわらずですね。」
「成功学園で内緒話はやすやすとできないからね。」
「そうですね。」
愛が数歩白旗のテーブルに近づいた。
「白旗先生。」
「はい。」
「金子君と菊高君に白旗先生が成功学園の学生だったことや主席の椅子に座っていたことをお話しするつもりはありますか。」
「ないよ。僕や水晶さんが話さなくても、彼らはいつか知ることになるからね。水晶さんだって知っているんだ。この学園に関りの長い生徒はだいたい知っているよ。だって僕はほんの4.5年前までこの学園の生徒だったんだから。」
「わかりました。では私もそのつもりで彼らとかかわるようにいたします。失礼いたしました。」
愛が会釈をして部屋を出ようとすると、白旗が愛を引き留めた。
「待って。」
「はい。」
扉の方を向いていた愛が白旗を振り返る。
「今少し時間ある。プライベートなことなんだけど、一つ聞いてほしいことがあってね。」
「はい、なんでしょうか。」
愛がしっかりと白旗のほうを向いた。
「目つきが変わったね。」
「そんなことはありません。どういったお話でしょう。」
実際愛の目つきがほんの少しきつくなった。
それでも、ほんの少しだ。
白旗がそれを見逃さなかった。
「数日前に僕の親戚の叔母が自分の誕生会を開いたんだ。僕はそれに呼ばれて行ったんだけどその時叔母がこんな愚痴をこぼしててね。」
白旗が愛をまっすぐ見て話しを続けた。
「自分が母親同然に育てている女の子が連絡してこないんだって。その日のパーティーにも来ていなかったんだ。とても気にしていたよ。」
「そうですか。」
「君はどう思う。性別や年齢も君と同じだから、君ならその子の気持ちがなんとなくわからないかと思ってね。叔母さんすごく気にしてたんだ。その子がまだ連絡をしなかったら、もうきれてしまいそうだったよ。」
「私が思うにですが。」
「うん。」
愛が高い声のトーンを変えずに、話した。
「高校への入学を前に忙しかったのではないでしょうか。それか、年齢特有の反抗期化もしれませんね。」
「なるほどねえ。そんな幼いことをするような子じゃないと思うんだけどな。」
「あくまで、私が白旗先生から聞いたことを頼りにかってにした推測ですから、かならずしも合っているとは言えませんよ。」
「十分だよ、ありがとう。」
「いえ、この程度のことであればいつでも。」
愛が会釈をして扉のほうへ向かった。
「金子君と菊高君と執務室でお待ちしていますね。」
白旗に背を向ける愛に向かって、白旗が言った。
「髪ゴム珍しいものをつけてるね。」
「大切なものなんです。なくさないようにと思いまして。」
愛は扉のところで白旗に向き直り、軽く礼をしてから部屋を出た。
「失礼いたします。」
扉をしめて、執務室に戻りながら、愛が軽く息をはいた。
(髪ゴムに気づくあたりが、目ざといというかなんというか。わかってて触れるあたりがわざとらしい。)
愛が自分の髪ゴムに触れる。愛の長い黒髪をポニーテールにするためにつけている髪ゴム。
学園にいる間はシュシュや飾りのついた髪ゴムは使用できない。
愛がつけているのもただの黒いゴムだ。
大きい黒いゴムに小さな黒いゴムがついていて、その小さい黒いゴムはアイのポニーテールの陰で外からは目立たないようになっている。
それを白旗は目ざとく指摘したのだ。
ただの黒いゴムだから、校則違反にはならないため問題はないが、気にする人は気になる形のゴムだ。
(さて、戻ったら高等部の四季秀会初顔合わせね。今年はどんな顔ぶれになったのかしら。前年度のことをどういうふうに彼らが認識しているかで、今年の239期生への風当たりは変わるでしょうね。)
「ただいま戻りました。」
愛が執務室に入ると、二人がおのおのスマホを触ったり、ぼーっと考え事をしていたりした。
「遅かったな。」
「すみません。」
愛が自分の席について時計を見る。
「もうすぐ出発ですね。会場についたらあまり言えないので、今のうちに伝えておきますが、会場についたらさっき練習したとおりにしてください。ああすれば、基本的に失敗はしませんから。」
「わかった。」
「わかりました。」
白旗が部屋に来て、三人が立ち上がった。
「準備はできてるね。」
「はい。」
「なら行こう。」
白旗の後ろに愛と正雪と光希が続いて、高等部1年の校舎を出る。
「寒いな。」
「明日から4月なのに、まだこんなに冷えてるんじゃ桜も開花しないわけだよ。」
成功学園の敷地はとにかく広い。
広すぎて、1年目の生徒や教師はかならず迷子にやる。
「高等部全体の顔合わせや会議の時は高等部兼用校舎の会議室を使うんだ。」
高等部兼用校舎は高等部1年の校舎から歩いて10分ぐらいのところにあった。
ほかの校舎よりも大きい。
「体育館とか、室内プールとか、生徒総会とかをするときによく使う校舎だよ。学年指定のない事由選択教科の時に使うような大講義室もあるね。」
愛たちは白旗の後ろに続いて、高等部兼用校舎に入り、エレベーターで20階に上がった。
「このフロアーは会議室が並んでいるんだ。
今日は2010室だからここだよ。」