ぺたぺたさん研究
「ぺたぺたさん、ぺたぺたさん、お話しましょう」
誰もいない体育館裏で、わたしとゆんちゃんは、朗読するみたいな口調で声をそろえた。
――ぺた。
アスファルトの上にぺたりとぬれた足あとがあらわれた。アヒルの足あとみたいなのが二つ、チョークで書いた「○」に重なっている。姿は見えないけれど、両足をそろえて立っているのだとわかった。
「やったあ! 来た!」
「すごいすごい! ゆんちゃんすごい!」
「わたしだけじゃないよ! みっこもでしょ!」
「そうだね。わたしたち、すごーい!」
「すごいすごーい!」
わたしたちは手をにぎり合ってぴょんぴょん飛んだ。
だって、わたしたち、おばけを呼び出したんだ。うれしくないわけがない。
夏休みの小学校は、たいてい門がしまっていて入れない。だけど、プール開放日と図書室開放日は自由に入れる。
今日は図書室開放日だ。だけど、わたしとゆんちゃんは、図書室にはいかないで、まっすぐ体育館裏にきた。ここなら、だれにも見つからないと思ったからだ。学校の周りをぐるっと囲っているフェンスが、体育館裏だけ壊れているから、近寄ってはいけないことになっている。フェンスの向こうは小川が流れていて、落ちると危ないからだそうだ。
たしかにフェンスの穴はくぐりぬけられるくらい大きいけど、ビニールテープが張ってあるし、近寄らなければ小川に落ちることもない。
小川からはすずしい風がふいてくる。そして、蚊が多い。わたしたちはむき出しの腕や足をボリボリかきながら、チョークでアスファルトに文字を書いたのだった。
これは自由研究だ。おばけの研究なんてだれも思いつかないにちがいない。きっとわたしたちだけだ。
ただ、ちゃんと呼び出せるかどうか自信はなかった。
「まさか本当に〈ぺたぺたさん〉が来てくれるなんて!」
ゆんちゃんがうっとりとした目で「○」の上の足あとを見つめている。わたしもうんうんとうなずく。
信じていなかったわけじゃないけど、まさか本当に現れるとは思わなかった。〈ぺたぺたさん〉をやっても、必ず来てくれるとはかぎらないからだ。クラスの子たちもやってみたことはあるけど、まだだれも成功していなかった。
「みっこ。わたしから質問してみてもいい?」
「うん。いいよ」
わたしがうなずくと、ゆんちゃんはキリッとした顔になって息を吸った。
「あなたはだれですか?」
足あとが「○」の上から消えた。そしてすぐにひらがなを一文字ずつふんでいく。五十音もチョークで書いてあるのだ。
ぬれた足あとが、ぺたり、ぺたり、と動く。
――こ た ろ う
あれ? こたろう?
ゆんちゃんがわたしの腕をつっついた。質問は代わり番こだから、早く質問しろといっているのだ。
「えっと……あなたは、〈ぺたぺたさん〉ではないのですか?」
――こ た ろ う
ゆんちゃんと顔を見合わせる。ちがうおばけを呼び出しちゃったんだろうか。
「あなたは……」
――で も
ゆんちゃんが次の質問をしようとしたら、足あとが動いていた。わたしはゆんちゃんの口を手のひらでおさえた。
――に ん げ ん は ぺ た ぺ た さ ん と よ ぶ
「『人間はぺたぺたさんとよぶ』……ほら、やっぱり〈ぺたぺたさん〉なんだ」
ゆんちゃんはわたしの手をはらいのけて、そのままわたしにだきついた。わたしも飛び出しそうな心臓をおさえようと、ゆんちゃんにだきついた。
〈ぺたぺたさん〉は、〈こっくりさん〉とか〈キューピットさん〉に似ている。こんなふうに呼び出すのを降霊術というらしい。呼び出しにおうじてくれたところで、姿は見えないし、声も聞こえない。けど、紙の上で質問すると答えてくれる。
呼び出し方には決まりがあって、それはなんだか魔術みたいでドキドキする。
〈こっくりさん〉だったら、紙の上の方に鳥居を書く。だいたい真ん中あたりに。その両側に「はい」「いいえ」、その下に五十音をひらがなで書く。ここまでが準備。
あとは二人一緒に十円玉に人差し指を乗せて「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」っていう。
〈こっくりさん〉がきたら、十円玉が勝手に動き始める。ひと文字ずつ止まって、言葉を伝えてくる。
終わるときはちゃんと「お帰りください」っていって帰ってももらう。〈こっくりさん〉が「はい」って答えるまで指を離してはいけない。もし、離してしまったら、呪われる。
〈キューピットさん〉のやり方も似ている。ちがうのは、紙への書き方だ。
紙にいっぱいに大きくハートを書いて、ハートの耳の部分に「YES」「NO」って書く。その下に、ハートの中におさまるように五十音をひらがなで書く。準備ができたら、二人で鉛筆を握る。あとは〈こっくりさん〉と同じ。
ただ、キューピットさんは飛んでくるから、窓を細く開けておかなければならない。それで、帰ったあとは、すぐに窓を閉めること。それが決まり。
〈こっくりさん〉も〈キューピットさん〉も二人でやるから、どちらかが動かしているんじゃないかっていわれることもある。誰々の指に力が入っていた、と見物していた人がいい出して、「動かした」「動かしてない」といい合いになることもある。実際、わたしも自分がやっていて、相手が動かしているなー、って感じることもあった。
その点、ぺたぺたさんはいんちきなんてできない。十円玉や鉛筆を動かす手伝いをしなくても、〈ぺたぺたさん〉は自分で言葉を伝えることができるから。
〈ぺたぺたさん〉を呼び出すのは外だ。地面が砂ならば木の棒で、コンクリートやアスファルトならばチョークで文字を書く。まずは、横並びに「○」「×」、それから、そのまわりをぐるっと円になるように五十音で囲む。
最後に五十音の円の中に水を置く。入れ物はコップでもバケツでもいいんだけど、お水の量が多いほど〈ぺたぺたさん〉は長くいてくれる。
そう。こっちから「お帰りください」という前に「帰る」といい出すことがあるのだ。だから、お水はなるべく多い方がいい。それで準備はおしまい。
あとは、呼び出しの呪文をとなえるだけだ。
「ぺたぺたさん、ぺたぺたさん、お話しましょう」
すると、「○」のところにぬれた足あとがつく。それが、〈ぺたぺたさん〉がきてくれたという合図。ぬれているのは、置いてあるお水で足をぬらしているからだという。
今回わたしたちは掃除用具入れから持ってきたバケツいっぱいにお水を入れていた。だから、いっぱい話ができるはずだ。
わたしたちは、クラスではじめて〈ぺたぺたさん〉の呼び出しに成功した。ほんとうはそれだけでもすごいことなんだけど、わたしたちの目的はもっとすごいことだ。
〈ぺたぺたさん〉にインタビューするのだ。そしてその記録を夏休みの自由研究として提出するのだ。
「ゆんちゃん、ノート、ノート」
「あ。そうだった」
ゆんちゃんがごそごそとコットンバッグからノートを出している間に、わたしは青いペンを取り出した。提出するノートは黒ペンで清書するけど、インタビューのメモは青にしようと決めていた。青は〈ぺたぺたさん〉が好きな色だからだ。
ノートは地面に開いて置いた。わたしはノートの前に座りこむ。ゆんちゃんは立ったまま、ノートをちらりと見て、書いてある質問を読み上げていく。
「好きな色はなんですか?」
〈ぺたぺたさん〉のこたろうさんは、ひらがなの上にぺたぺたとぬれた足あとをつけていく。
――あ お
わたしは質問の答えを青いペンで書きこんでいった。
「いつからいるんですか?」
――ず っ と む か し
「どこに住んでいるんですか?」
――お が わ
「小川って、この小川?」
ゆんちゃんがフェンスの向こうを指差した。
―― ◯
ノートに書いていない質問だ。わたしは急いでノートにいまの質問を書き足し、答えを書いた。
すごい。こたろうさんは、学校の裏の小川に住んでいるんだ。ということは、うちの小学校ではみんな〈ぺたぺたさん〉を知っているけど、ほかの小学校の子たちは〈ぺたぺたさん〉っていうおばけがいるって知らないのかもしれない。
これは本当にすごい自由研究になるかもしれない。新学期に発表するのが楽しみだ。
見上げると、ゆんちゃんもこっちを見ていた。声を出さずに二人で大きくうなずく。
まだだれも呼び出したことのないぺたぺたさんにインタビューしたことがわかったら、テレビ局が取材に来るかもしれない。
研究の名前はどういうのがいいだろう。『みっことゆんちゃんのぺたぺたさん研究』とかどうかな。あとでゆんちゃんと相談しなくちゃ。
「ぺたぺたさんは……こたろうさんは、どうして足あとだけなんですか? どうしてわたしたちの前に出るときだけ姿を消しているんですか?」
――× け し て い な い
「えっと、でも、いま、姿が見えないですよ?」
――い つ も み え な い
「普段から、透明ってこと?」
―― ◯
「……」
びっくりしたのか、ゆんちゃんがだまってしまった。
わたしもびっくりしたけど、こたろうさんが帰ってしまうといけないから、代わりに質問を続けることにした。
「体がないんですか?」
―― × か ら だ あ る と う め い な だ け む か し と う め い ち が う
「透明ちがう? 昔は姿が見えていたってこと? わたしたち人間にも?」
―― ◯
これは大発見だ。昔は生きていて、おばけになったから透明になったということだろうか。
「みっこ、メモして、メモ」
「あっ。そうだ。いけない」
すっかり手が止まっていた。ゆんちゃんにまたインタビューを任せて、わたしは記録係にもどった。
ゆんちゃんはノートに書いていない質問ばかりするから、わたしは急いで書かなければならない。
ぬれた足あとが次々と文字をふんでいくけれど、次の文字をふむころには前の足あとはもうかわいている。
「どうしていつもは出てきてくれなかったんですか?」
ゆんちゃんが質問した。
わたしたちが〈ぺたぺたさん〉を呼び出したのは初めてだけど、ほかの子たちがやっているのは何度も目にしている。でも出てきたことはない。みんなにできなくて、わたしたちができたのはどうしてなのか不思議だった。
――と お い
「なにが遠いんですか?」
――お が わ
小川が遠い。
そうか。小川のそばだから〈ぺたぺたさん〉が出てきてくれたんだ。たいていみんなは校庭の砂に文字を書いて〈ぺたぺたさん〉をやっている。校庭は体育館の向こう側だから、〈ぺたぺたさん〉のすみかの小川からだと遠くて行けないってことなんだ。
――ぺた、ぺた、ぺた……
突然、ぬれた足あとが文字の輪から出て行った。
「ちょっとまって」
あわてて引きとめると、足あとはフェンスの前で止まった。けれど、声をかけたからとまったわけではなく、帰るつもりではないらしい。
穴があいてビニール袋が張られているフェンスの前で、足あとが片方ずつ現れたり消えたりする。
――ぺたぺたぺたぺた。
なにか伝えたくて、その場で足踏みをしているようだ。
「……あ!」
「なに? みっこ、なにかわかったの?」
「うん。穴だよ。フェンスに穴があいているから通り道ができたっていいたいんじゃないかな。ほら、〈キューピットさん〉だって、窓がしまっていたら来てくれないじゃん」
わたしがそういうと、足あとがふたつそろってついたり消えたりした。「そのとおり!」というようにぴょんぴょん飛びはねているんだ。
どうやらこたろうさんは、チョークの文字をふんで話すってことをわすれているみたいだ。
「せっかく文字盤書いたのに、意味ないじゃん……」
ゆんちゃんがふりかえって、チョークで書いた「○」をうらめしそうに見た。
わたしは「ゆんちゃんだって質問を用意したのに意味ないじゃん」といおうとしたけど、やめておいた。〈ぺたぺたさん〉と話せるならなんでもいい。
と、そのとき。
冷たい風がふいてきたかと思うと、たちまち空が暗くなった。
見上げたおでこに、ぽつりとちいさなしずくが落ちてきた。
「雨だ」
ゆんちゃんと同時につぶやいた次の瞬間、空の底が破けたみたいに、いきなりたくさんの雨が落ちてきた。
集中豪雨だと気づいたときには、すでにわたしもゆんちゃんもずぶぬれだった。
それでも急いで体育館の壁にぺたりと背中をつけた。だけど屋根の位置が高くて、ちっとも雨やどりにならない。
「ねえ、あれ!」
ゆんちゃんの指差す方を見ると、フェンスの穴の前には、こたろうさんがいた。さっきはぬれた足あとでこたろうさんの居場所がわかったけど、いまは地面がびしょびしょだから、足あとなんて見えない。それでも、そこにこたろうさんがいるのがはっきりわかった。
だって、雨がザーザー降りしきるから。
こたろうさんに当たった雨がはね返って、全身の輪郭が浮かび上がっている。透明だけど、そこにいるのがわかる。
氷かガラスの人形みたいだ。身長は私たちと同じくらいだろう。頭になにか被り、背中になにか背負っている。この姿をわたしたちは知っている。
「〈ぺたぺたさん〉ってもしかして……」
ゆんちゃんが雨音に負けないように声をはりあげた。わたしも大きな声でこたえる。
「うん。カッパだ!」
しばらくの間、こたろうさんは雨の中を楽しそうに飛んだりはねたりしていた。雨が大好きなんだな、と思った。
やがて、雨がだんだん小降りになって、空が明るくなってきた。
こたろうさんは、わたしたちに向かって手を振った。はね返る雨はもうほとんどなかったけれど、水かきのついた手が振られるのをたしかに見た。
あたり一面の水たまりが、こたろうさんが足をつけるたびにちゃぷちゃぷとゆれる。水の上に足あとがつくみたいに。
透明の足が小川に向かっていく。
そして、フェンスの穴の前でふっと消えた。
ずぶぬれになったわたしたちは、すぐに帰る気分にはなれなくて、日が暮れるまでこたろうさんがもどってくるのをまっていた。
だけどもう〈ぺたぺたさん〉のこたろうさんは現れなかった。
そして、日暮れまでびしょぬれのまま過ごしたわたしたちは、夏だというのにかぜをひいて、残りの夏休みは寝こんだのだった。
『ぺたぺたさん研究』ノートは、予定通りに自由研究として提出した。花丸がついたけど、先生のコメントには「たのしいお話をつくりましたね。よく考えて書けています」とあった。
わたしたちは体育館裏にいってみた。フェンスは修理されたらしく、穴がなくなっていた。
あれから何度かゆんちゃんと一緒に〈ぺたぺたさん〉を呼び出そうとしてみたけれど、一度も足あとはつかなかった。
フェンスの穴がふさがったから、通り道がなくなって来ることができないのか、もうここにはいないのか、それを聞くこともできない。
それでも、わたしは、〈ぺたぺたさん〉に会えたこの夏をずっと覚えていようと思う。
〈おしまい〉