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光と闇  作者: Dark
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第一章:8 無情なる刃

 扉を開けたフリージアは、瞬時にリオンを見つけた。

 ふと、リオンと目が合った瞬間、信じがたい光景に目を疑った。

 リオンが足を滑らせ、体制を崩してしまったのだ。

 次に見た攻防は、フリージアには一瞬過ぎてよくわからなかったが、折れて飛んでいくショートソードはフリージアに多大な衝撃を与えた。

 フリージアに背をむけ、勝負を諦めたように剣を手放し、左手を頬に添えたまま動かないリオンに、非情の刃が振り下ろされようとしている。

 フリージアは悲鳴とともに両手で顔を覆った。

 しかし、暫く経ってもおぞましい音は聞こえてこない。

 それどころか、警備兵たちの怒号や鎧の擦れ違う音、足音さえも聞こえなくなった。

 恐る恐る手をどけると、また悲鳴をあげそうになった。

 バトルアックスは、リオンの頭をかち割る寸前で止まっている。

 ミノタウロスは凍りついたように固まって微動だにせず、リオンもまた微動だにせずミノタウロスを見つめていた。

 何が何だかわからないフリージアを、突如悪寒が襲った。

 フリージアはこの悪寒を知っている。

 殺気だ。

 だが、感じる殺気は、今までに感じたことのあるそれとは種類が違った。

 今までに感じたことのあるリオンの殺気は、冷水をかけられたような凍えるような冷たさと激しさ、速効性があった。

 しかし、今感じている殺気は、穏やかとさえ言えるほど静かで、徐々に体の内側から冷やされるようなおぞましさがあった。

 それは死を覚悟させるような恐怖ではなく、生を諦めさせるような癒やし。

 フリージアは、もうリオンから目が離せなくなっていた。

 時が止まる。

 風はなく、雲は流れず、花の香もない。

 リオンも、ディブロも、警備兵たちも、元山賊も、ミノタウロスも、彫像と化す。

 絵画の世界に迷い込んだような錯覚。

 フリージアは悟った。

 この奇妙な静寂は、この場にいる全員がリオンの殺気に呑まれた結果なのだと。

 リオンの放った殺気は、穏やかな水面みなもに落ちた一粒の滴がもたらす波紋のように静かに、緩やかに、確かに広がり、そして全てを呑み込んだ。

 息をするのも忘れてその風景を見ていたフリージアは、当然の息苦しさを覚えた。

 意識的に大きく息を吸い込み、吐き出す。

 同時にある違和感に気づいた。

 自分の知識、あるいは価値観、考え方と剥離した何かを感じる。

 気づいた瞬間、切り刻まれるような感覚に身震いする。

 本能的に、その違和感について考えたくないと思った。

 だが、身じろぎひとつ取れない彼女は否応なく思考の海に引きずりこまれる。

 ひとまず違和感の正体を探ってみた。

 といっても、違和感の正体についてはすぐに察しがついた。

 殺気だ。あるいは殺意といっていい。

 リオンの放つ殺気。それから読み取れる殺意。

 そこには殺すという意志以外は存在しない。

 唇が青ざめる。

 これまで人が人を殺すことには必ず理由があると思っていた。

 それは憎しみや怒りといった感情、あるいは快楽といった欲望。

 殺意とはそういった感情や欲望に付随する、あくまでもおまけ。

 感情や欲望がなければそもそも成立しないはずだった。

 だが、リオンは違った。

 目障りだとか傷つけられたからという理由すらなく、ただそこにいるから殺す。

 彼は理由も感情も欲望も必要とせず、殺意のみを成立させている。

 それは、決して体の内側から徐々に冷やされる、生を諦めさせる癒し、そんな生ぬるいものではない。

 純粋な殺意。

 それを理解した時、強烈な寒気がフリージアを襲った。

 真冬の雪山に放り込まれてもここまでの寒さは感じないだろう。

 自らの意思とは無関係に体がガクガクと震えだす。

 それに伴って、少しだけ彼女の体に自由が戻る。

 ぎこちない動作で胸の前で腕を交差させ、震える自分の体を抱きしめるようにぎゅっと力をこめた。

 だが、震えがとまるどころか、今度は吐き気までが彼女を襲う。

 思わず口を手で覆った。

 内臓を直接まさぐられるような感覚。

 いやな汗が噴出す。

 心臓がうねり上げる。

 無限にわきあがる恐怖。

 目が回り、視界が不規則にゆれる。

 吐き出したくてもそれすらもかなわない。

 ただ、意識だけは鮮烈に、鮮明に保たれている。

 絵画のように時が失せた世界で、動いているのは彼女だけ。

 気付いているのは彼女だけ。

 純粋な殺意がどれほどおぞましいものなのか。

 純粋な殺意を抱けるリオンがどれほど恐ろしいものなのか。

 いったい何が彼にこのような哀しい殺意を抱かせるのか、それを知りたかった。

 フリージアは揺らぐ視界の中で懸命にリオンの姿を捉える。

 無性に彼の顔を見てみたくなったが、リオンは彼女に背を向けたままであり、表情をうかがい知ることはできない。

 彫像のように動かなかったリオンに時が戻る。

 やがて、リオンの右手は軽く鞘に添えられ、左手は刀の柄に向かう。

 リオンは刀の柄を掴むと、間髪いれずに抜刀した。

 真横に伸ばされた腕の先には、無情の刃が血を吸わんと煌めいている。

 雲の切れ間に射す光に反射する白銀の刃はおぞましいほどに美しく。

 リオンの殺意がそのまま投影されたように、それ自体が殺気を放っている。

 そして、この静寂を打ち破る、微かなリオンの声がフリージアの耳に届いた。

「『絶無』」

 視界が歪む。

 眩暈とは違うそれにくらくらした。

 立っていることができず、石でできた床に強かに膝をぶつける。

 痛みを感じることはなかった。

 ただ、あまりの息苦しさにそのまま四つんばいになって突っ伏す。

 ぼちゃり、と何かが水溜りに落ちた音が彼女の耳に届く。

 音のしたほうに顔を上げると、すぐ近くにミノタウロスの首が転がっていた。

 首だけになる前と同じ表情で、目をかっと見開いたまま世界を見つめていた。

 気が遠くなる。

 まぶたが重くのしかかり、少しずつ視界に靄がかかっていく。

 途切れそうになる意識を懸命に手繰り寄せ、リオンを、その向こうにいるミノタウロスを見た。

 バトルアックスを振り上げた格好のまま、首から噴水のように激しく血を撒き散らし、雨となってリオンに降り注いでいた。

 やがて徐々に血も止まり、バランスを失って巨体が崩れ落ちる。

 はっきりと体感できるほどの地響きが辺りを包む。

 鮮血を浴びたリオンは疎ましそうに髪を掻き揚げた。

 髪はもともとの色もあり、まさに血そのものと化している。

 血が付着しても目立ちにくいはずの漆黒のコートが、一目でわかるほど血に染まっている。

 足元は血に呑まれた地面が奇妙な色で蠢いていた。

 意識が闇に引きずり込まれていくような感覚に、彼女は抗うことができない。

 世界が細く狭まっていく。

 突如、彼女の耳に獣の雄たけびが届いた。

 最後の力を振り絞って目を開くと、元山賊頭を守っていたミノタウロスが咆哮をあげながら、リオンに迫ってる姿を捉えた。

 ミノタウロスは何かを振り払うように無意味にバトルアックスを振り回し、狂乱状態になっている。

 リオンがミノタウロスに顔を向ける。

 リオンの横顔が彼女に映る。

 霞がかった視界の中で、リオンの横顔だけが鮮明に見えた。

 リオンの透き通る美しい碧眼に、深い深い闇が宿っている。

 やがてそれは消えさり、彼女が闇にいざなわれる。

 最後に見たものは、口角を吊り上げ、醜悪な笑みを浮かべるリオンの姿だった。

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