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光と闇  作者: Dark
7/9

第一章:6 復讐者

うわ~。

約一年ぶりの投稿。


長い間あけてすいませんでした。

 薄暗いリオン部屋で、リオンとフリージアがテーブルを挟んで椅子に座っている。

「そうですか。そんなことが……」

 フリージアは沈痛な面持ちになった。

 リオンが今朝起きた事件を詳細に話したためだ。

 リオンの部屋に流れる重苦しい沈黙の中、窓の外からは雨の持続音が、天井からは雨が屋根をたたく連続音が響く。

 リオンは右肘をテーブルにのせて頬杖をつき、少しの間、思慮にふける。

 まだ乾ききっていない髪から雫が落ちる。

「腑に落ちないな」

「えっ? 何がですか?」

 フリージアの疑問詞を無視してリオンは立ち上がり、そのまま扉に向かって歩き出した。

「どこへ行くのですか?」

「少し出かけてくるだけだ」

「出かけるって、外は大雨なのですよ」

「すぐに帰ってくる。お前は待っていろ」

 リオンは扉を開けると部屋を出て、背を向けたまま扉を閉めた。

 ひとり残されたフリージアは、その場で死んだ者を想い、手を組んで祈りをささげる。

 それから三十分ほどたったころ、扉が開く音がして、フリージアは振り返った。

 そこには、全身ずぶ濡れになったリオンがたたずんでおり、足元に少しずつ水溜りができていく。

 リオンの髪は垂れ下がり、顔に纏わり付いて鬱陶しそうだ。

 フリージアは慌てて立ち上がり、リオンのもとに駆け寄った。

「大丈夫ですか? あっ、タオル持ってこないと」

「いや、いい」

 リオンはフリージアを制止すると、髪をかき上げていつものツンツンした感じに戻した。

「それより、さっき何をしていたんだ?」

 すでに踵を返してタオルを取りに行こうとしていたフリージアは、振り返ってリオンの疑問に答えた。

「あの、お祈りしていました」

「何のために?」

「亡くなったお方のために、です」

「いつから?」

「リオンさんが出て行ってからです」

 リオンのまなじりが小さく動いた。

「俺が出て行ってからということは、三十分くらいか。その間、ずっと祈っていたのか?」

「はい。そうです」

 フリージアは少し物悲しそうな表情になった。

「私は修道女ですから。誰かのためならいくらでも祈ることができるのです」

「……そうか」

 リオンは何か言おうとしたが、喉元まで出てきた言葉を飲み込んだ。

「今から領主の城に行く。ここには戻ってこない。お前も準備しろ」

「ええっ!」

 唐突に言い渡されてビックリしているフリージアをよそに、リオンは部屋の隅に置いてある荷物に向かって歩き出す。

「ちょっ、ちょっとまってください。話がよく見えないのですが」

「一緒に来ればわかる。早く支度しろ」

 ふくれっ面するフリージアを完璧に無視しながらリオンは荷物を背負い、もう一つを右手に持った。

 フリージアは少しいじけながら言う。

「わかりました。身支度してくるのでホールで待っていてください」

 フリージアは部屋を出ると、開けっ放しになっていた扉を音を立てないように閉めた。

 自分の部屋に戻って身支度を終えたフリージアは、ホールに向かった。

 途中、リオンが通った後なのか、廊下や階段がびしょびしょに濡れている。

 掃除が大変だろうな、と思いながら歩きホールにつくと、玄関の脇の壁に腕を組んでもたれかかっているリオンの姿が目に入った。

 あたかも、何時間も待たされていたかのような、不機嫌そうな無表情をしているリオンを見て、フリージアは慌てて駆け寄ろうとした。

「あ、ちょっと待っておくれ」

 突如、最近聞き慣れた声に呼ばれて、声が聞こえた方向である左手に振り向くと、ちょうど厨房から出てきたミレイアが近づいてくるところだった。

「ミレイアさん、帰ってきていたのですね」

「少し前にね」

 よく見れば、ミレイアの髪は濡れており、今しがた帰って来たということが分かる。

「まったく。嫌になるね。途中で雨はふるし、嫌なこともきいちまったしね」

 フリージアは、ミレイアの言う『嫌なこと』が何のことかすぐにわかった。

「ブロードさん……」

「殺したって死なない男だと思っていたのにねえ。まったく、常連客が一人減っちまった」

 ミレイアは寂しい微笑みを浮かべた。

 あまりにも痛々しいその笑みは、フリージアの胸を締め付けた。

 ミレイアは、うなだれてしまったフリージアを気遣うように話をかえた。

「そういえば、出かけるんだってね。さっきあの子から聞いたよ」

「あっ、はい。領主様のところへ行くんです」

「領主様のところに? 何で領主様に会いに行くんだい?」

「えっと、それは……」

 フリージアは言葉に詰まった。

 何も知らされていないフリージアには、答えられるはずがない質問だった。

 フリージアは横目にリオンを見た。

 リオンは依然として、腕を組んで、不機嫌そうな無表情を決め込んでおり、視線で「早くしろ」と催促している。

「ごめんなさい。私は何も知らないのです」

「えっ? でも、あのこは出かけるって言ってたけど」

 リオンを見ながら不思議そうな顔をするミレイアに、フリージアは、わざとリオンに聞こえるように大きな声で言った。

「リオンさんは、私の意見は全部無視して、独断で何もかも決めるんです!」

 聞こえているにもかかわらず無視しているリオンを見て、ミレイアは苦笑を漏らした。

「大変な思いをしてきたんだね。あのこは護衛なんだろ? 護衛の方が主導権を握ってるのもおかしな話だね」

「名目上は護衛ですけど、実際は一緒に旅をしているのと変わらないんです。フールデルト教会は、たとえ布教でも、修道女が男女一組での旅なんて許しませんから」

「ああ、それでかい」

 納得したというようにミレイアうなずいた。

「つまり、あんたも、果たされない想いを胸に抱えて禁じられた恋に身を投じる乙女というわけだね」

「違います!」

 真っ赤になって否定するフリージアを見て、ミレイアは豪快に笑った。

「おい」

 今の声は、ずっと黙っていたリオンのものだった。

 フリージアとミレイアの視線がリオンに注がれるなか、リオンは苛立ちを隠さずに言う。

「いつまでしゃべり続けるつもりなんだ。早くしろ。俺は気が長くない」

 フリージアは怒りを通り越して思わず苦笑してしまった。

「そういうわけなので、私たちはもう行きます」

「ああ。気をつけていくんだよ」

「はい。お世話になりました」

 フリージアはお辞儀をすると玄関に向かって歩き出し、それを見たリオンは壁から背を離し、玄関の扉を開けて外に出た。


       ―――――――


 ミレイアと別れてから数分、リオンとフリージアは領主邸に向かって歩き続けていた。

 リオンはすでに領主の城までの道を村人に訊いていたのか、迷うことなく大通りを突き進んでいる。

 たたきつけるような雨の所為で二人はずぶ濡れになり、リオンはフードをかぶっても意味がなかったのか、フードをかぶっていない。

 フリージアはうつむき加減に、歩いていた。

 ミレイアのことを考えると、自然と足取りが重くなった。

 ミレイアは豪胆に笑っていたが、ずいぶん無理をしていたことを、フリージアはわかっていた。

 明るい振る舞いの裏に深い悲しみがあることを、フリージアは痛いほどわかっていた。

 全ては、自分に気を遣わせまいとして気丈に振舞っていたということもわかっていた。

 だからこそ、気を遣わせてしまった自分が情けなくて腹立たしくてどうしようもなかった。

 自噴と自責の念に、うつむいてため息をついた。

 突然、何かに腕を引っ張られて大きくバランスを崩した。

 転びそうになったが、リオンがうまく支えたおかげで転ぶことはなかった。

「あ、ありがとうございま……」

 言いかけて、フリージアは硬直した。

 顔を上げるとリオンの顔が目の前にあり、しかも、抱きしめられているに等しい状態だったからだ。

 さっき引っ張られたほうの腕もリオンにがっちりつかまれている。

 それはつまり、フリージアを引っ張ったのはリオンに他ならないということだ。

 フリージアはうわずった声で訊いた。

「い、いったい何を?」

「何をぼんやりしている。壁にキスでもするつもりだったのか?」

「えっ?」

 フリージアは素っ頓狂な声を上げた。

 辺りをきょろきょろ見渡してみると、ついさっきまでの進行方向に木造の家があった。

 あと一歩踏み出していれば、間違いなく壁にぶつかっていたはずだ。

 フリージアはさらにしょんぼりした。

「すみません……」

 リオンは冷たい目で見つめていたが、フリージアを離してまた歩き出した。

 フリージアは、今度はちゃんと前を見ながらリオンの後をついていった。

 いつのまにか、領主の城が見えてきた。

 正門の前には、鉄製の格子門を挟むように、二人の警備兵が槍を持って立っている。

 正門に近づいていくと、一人の警備兵が訝しげに訪ねてきた。

「失礼。ここは領主様の邸宅です。何かご用件がおありでしょうか?」

「用がなければ、こんなところに来はしない」

 警備兵は眉をひそめた。

「失礼しました。しかし、領主様は、現在ご多忙を極めております。ご用件は私が中へお伝えしましょう。なんとお伝えすればよろしいでしょうか?」

「お前ら下っ端に話すだけ時間の無駄だ。さっさと門を開けろ」

 リオンの無礼千万極まる言い方に、応対していた警備兵もさすがに不快感をあらわにし、もう一人の警備兵は憤慨して突っかかってきた。

「おい! 下手に出てりゃ、いい気になってんじゃねーぞ!」

「よせ、下がっていろ」

「こんなこといわれて黙ってろってのか、フォール!」

「いいから下がれ」

 突っかかってきた警備兵は不満そうにぶつぶつと悪態をついたが、おとなしく下がった。

 突っかかってきた警備兵を制止した、フォールと呼ばれた青年は厳しい表情で、リオンの前に立ちふさがる。

「確かに私は下っ端に過ぎません。しかし、私たちには領主様をお守りする使命があるのです。今、民心は荒み、その心を癒すべく領主様は多忙を極めておられます。今朝の事件に関わった、あなたは知っているはずだ、リオン・ティアーズ殿」

 リオンの眦がかすかに動いた。

「俺のことを知っているのか」

「あなたは有名人ですから。突然現れた旅人が、わが領地の誇りであり、警備兵隊長であるディブロをあっさりと打ち倒した。この噂はあっという間に広まりました。今ではあなたを知らぬ者の方が少ないでしょう」

 フリージアは驚愕した。

 まさか、リオンがそこまで有名になっているとは思いもよらなかったのだ。

 それに比べ、リオンは平然としたもので、目の前の人物がどういう発言、あるいはどういう行動をとるのか静かに待っている。

「しかし、それは今、重要なことではないでしょう。魔物に襲撃されたさい、私は城を警備していたため、その場に立ちあえませんでしたが、そのときの状況を仲間より伝え聞いております。仲間を失い混乱した、私の仲間を助けてくださったとか。そのことには深く感謝しております。本当にありがとうございました」

 フォールは深々と頭を下げた。

「しかし! 先ほども言ったように、私の使命は領主様をお守りすることなのです! あなたを領主様に合わせた結果、あなたの用件が領主様にとって重要ではなかった場合、領主様はあなたといた時間、無意味に業務を滞らせたことになってしまう。それは領主様にとって、そして私にとっても好ましいことではないのです。その上、あなたは礼を尽くさなかった。礼をもって接するのなら、私も礼をもって接しましょう。しかし、無礼をもって接するのなら、私も礼を尽くすことはないでしょう。もう一度お尋ねします。領主様には、なんとお伝えすればよろしいでしょうか?」

 フォールの毅然とした態度に、もう一人の警備兵は感心したように見つめている。

 その時、フリージアは肝を冷やしていた。

 なぜなら、普通は毅然とした態度で接されれば、自然と居住まいを正すものだが、リオンなら二人を捻じ伏せて押し入る可能性も否定できないのだ。

 フリージアが懸念そうに見つめるなか、リオンのとった行動は、フリージアにとって驚くべきものだった。

 リオンは右手を胸の辺りに持っていくと、恭しく頭を下げた。

「申し訳ありません。この地を襲った悲劇に、心を痛めておられる領主様の心中をお察しすることもできず、そればかりか、荒んだ民心を癒すために、多忙を極めておられることへの配慮もできずに、私用に走ってしまったこと、お詫びの言葉もございません。我が無礼をお許しください」

 フォールは眉をしかめた。

 リオンの言動に不自然な点があったわけではない。

 ただ、リオンの言葉と態度は丁寧ではあるのだが、丁寧であるというだけで、事務的といえるほど淡々と話していた。

 そこに敬意など微塵もこめられておらず、敬意がこめられていない敬語ほど、腹が立つものはないのだ。

 それでも、表面上は礼を尽くしているため、フォールは何も言えずに聞いていた。

「本来なら日を改めて非礼を詫びるのですが、どうしても今でなければならない私用なのです。度重なる無礼をお許しください」

「かまいません。用というのは何でしょう?」

 リオンは頭を上げると、フォールを見据えた。

「私を傭兵として雇って頂きたいのです」

「傭兵として……ですか? 確かに、あなたの力は聞き及んでおります。戦力としては相当なものになるでしょう。おそらく、魔物が現れたためにそのようなことを言っているのでしょうが、魔物が何日も連続して現れることは極稀なことです。あなた方には旅程がありましょう? 旅程を延長してまで、ここにとどまる意味はあまりないように思えます。それに、私たちも領地の財源を無意味に使うことはできません。どうか、お引き取りください」

 リオンは不敵に微笑んだ。

「あなたは私を試しておられるのか? それとも、礼を尽くさなかったことを根に持っておられるのか? いや、それは今、どうでもいいことですね。私も魔物が出たという理由だけで、傭兵になろうと思うほど愚鈍なつもりはございません。今回の事件、人間が関わっている可能性がございましょう?」

 フォールは怪訝そうに眉をひそめた。

「確かに、今回の件、人間が関わっている可能性があります。しかし、あなたはいったいどうやってそのことを知りえたのですか?」

 とたん、さっきまでただうなずいたりして聞いていただけのもう一人の警備兵が険しい表情になり、槍を構え、疑念と敵愾心をこめた視線をリオンに送った。

「そのことは、領主様や私たち警備兵、そして、魔物が襲撃してきたおり偶然その場に居合わせた少数の村人たちだけです。その村人たちには箝口令かんこうれいを出しておりますゆえ、噂が広がったとは考えにくい」

 フォールは厳然たる面持ちで、槍を構えた。

「私達を納得させるだけの理由を述べていただきたい。それができないと言うのなら、私達は、あなた方を魔物襲撃事件に関わった容疑者として拘束、および尋問しなければなりません」

 フリージアはビクッと震えた。

 フリージアは怯えた様子でリオンの裾をギュッと握り、リオンを見上げた。

 だが、いまだ消えぬリオンの不敵な笑みは、フリージアを不安にさせ、二人の警備兵に強い警戒心を抱かせるものだった。

「どうも邪推しているようですね。わかりました。説明させていただきます」

 リオンは淡々とした口調で説明を始めた。

「トロールと戦った場所ですが、不可解なことがありました」

「不可解なこと? しかし、あの場所に不自然なものなどなかったと思いますが?」

「はい。確かに不自然なものはありませんでした。」

「なら、どうして不可解だと思ったのですか?」

「あの場所は、この領地の中心地に近かったですから」

 雨脚が強くなる。

「仮に、トロールの群れがタール山脈から攻め込んできたと想定した場合、必ず領地のはずれの方に住む村人が気付くはずです。トロールの足はあまり速くありません。発見した村人が警備兵に知らせに行って、警備兵がトロールの元につくまでの間、トロールがまっすぐに領地に中心地に向かったとしても、中心地付近で戦闘になるとは考えにくい。空を飛べる魔物がトロールを運んできた、ということも考えてみたのですが、これは三つの理由から可能性がありません。まず一つめの理由ですが、飛行系の魔物の死骸を確認できませんでした。二つめは、トロールを運ぶだけ運んでどこかへ飛び去るとは考えにくい。そして三つめ、これは根本的なことですが、トロールほどの巨体を運べる魔物はそうそういるものではありません。以上の理由から、魔物が運んできたという可能性はなくなります」

 リオンは垂れ下がってきた髪をかきあげた。

「残る可能性は、魔物が突如出現した。そんなことが可能なのは、召喚士などの特別な力を持った者、もしくは魔に属する、ヴァンパイアのように人間並みの知性を持つ者。しかし、魔に属する存在は、太陽の光を嫌う傾向にあります。明け方にうろつくとは考えられない。したがって、人間が起こした事件であると推測しました」

「なるほど、聡明なお方だ。確かに、魔物は何者かの手によって召喚されました。しかし、まだ疑問があります。あなたは魔物や、召喚士といった職業に詳しいようですが、召喚士は魔物を呼び出すさい、魔法陣の展開と呪文詠唱が必要なはず」

「ほう。召喚士について詳しいのですね」

「一般常識程度には。とにかくこの領地の中で、そのような不審な動きをする者がいれば、領民が必ず私たち警備兵に通報するでしょう。そうすれば、たとえトロールが呼び出されても、その人物を逃がすことなく捕らえ、無力化することができたはずです。相手が召喚士ではないからこそ、我々が手をこまねいているとは考えなかったのですか?」

「当然、そのことも考えました。ですから、私は推測を裏付けるために調査を行いました」

「その調査について、教えてくださいますか?」

 とたん、リオンは狡猾ともいえる笑みを浮かべ、皮肉った口調で言った。

「なに、簡単なことです。トロールと戦った場所の周辺の家々をたずねて回ったのです。親切にも、犯人と思われる人物の特徴を教えてくださいましたよ。『このことは誰にも言ってはならない』というお言葉つきで」

 二人の警備兵は思わず苦笑した。

 フォールは一瞬、リオンが嘘を言っているのかと思ったが、今までの理路整然とした説明を考えても、その可能性はないように感じられた。

 そもそも、箝口令をしいても、いずれ秘密が漏洩するのは推測できていた。

 フォールは警戒を解いて槍をおろし、続いてもう一人の警備兵も槍をおろした。

 フォールは頭を下げた。

「わかりました。あなたを信じましょう。邪推してしまったこと、お詫びします」

「いえ、あなたが私を疑ったことは至極当然のことであり、謝る必要はありません。むしろ、この地を守る警備兵にふさわしい謹厳な姿勢でした」

「そう言ってくださると助かります。いまから、領主様にお伝えしてきますので、少々お待ちください」

 フォールはもう一人の警備兵に視線で合図を送り、門を開けさせた。


―――――――


「さて、まずは自己紹介しましょう。私はクオールド・セインバーグと申します」

 お辞儀をしながら自己紹介したのは、老齢で人のよさそうな笑みを浮かべた領主だ。

 リオンもお辞儀をして答える。

「リオン・ティアーズです」

「フリージアと申します」

 簡潔な自己紹介の後、それぞれソファーに腰掛けた。

 雨に濡れたリオンたちを配慮してか暖炉が炊かれており、暖炉側のソファーに二人は座っている。

 事務室だからか、取り立てて特徴のない簡素な部屋だ。

「何かお飲み物はいりますか?」

「では、お言葉に甘えてコーヒーを」

「私は紅茶をお願いします」

 領主は下女に飲み物を持って越させた後、下女をさがらせた。

 二人とも持ってこられた飲み物をすすり、クオールドもコーヒーをすすった。

「これは、フィリアル山脈で採れるコーヒー豆を使っていますね」

「ほう、コーヒーについて詳しいのですね」

「好きなものですから」

 フリージアはちょっと驚いてリオンを見た。

 これまでリオンが自分の好みなど言ったことがなかったためだ。

 リオンは何を食べても美味いとも不味いとも言わないので、そういう好みを知ることは出来ないでいた。。

 確かによくコーヒーを飲んでいたが、それもほかに飲むものがないから飲んでいたんだろうという程度にしか考えていなかった。

 一つリオンのことがわかって内心喜んでいるフリージアを尻目に、リオンはカップを下ろすと、少し神妙な顔つきになった。

「さて、本題に入りましょう。単刀直入に伺います。私を傭兵として雇っていただけるのですか?」

 クオールドは少し困ったような顔つきになった。

「そうですね……まず、あなた方が何を報酬として望んでいるのかということと、雇う期間をお聞かせ願いたい」

「報酬は金貨五枚。前金に金貨二枚と貰います。期間は一週間。その間、泊まれる宿の手配をお願いしたい」

「一週間の間に何もなかった場合はどうするのですか?」

「その時は、前金だけ貰って私たちはこの領地を出ます」

 リオンは言い終わるとコーヒーをすすった。

 クオールドは悩んでいるのか、コーヒーをすすると黙ってしまった。

 沈黙が続くなか、窓の外から雨が降る音だけが聞こえる。

 不意に、リオンが口を開いた。

「言い忘れていました。一つ条件があるのですが」

「何ですか?」」

「犯人の生殺与奪権を私に与えてもらいたい」

 クオールドは目を丸くした。

 目の前にいるリオンという少年が、まさかこのような条件を提示してくるとは、夢にも思っていなかったからだ。

 フリージアも驚いた様子だ。

「リオンさん、そんなこといけません!」

「黙っていろ」

「でも!」

「黙っていろ」

 フリージアは口をつぐんだ。

 ドスのきいた低い声に、戦慄してしまったのだ。

 クオールドも、得も言われぬ恐怖を感じていた。

 クオールドは微笑を浮かべたが、口元が微かに引きつっている。

「それは……なぜそんなことを?」

「単純に気に食いません。だから殺します」

 聞いた者がぞくぞくするほど、感情の欠片も感じられない冷たい口調だった。

 リオンは不敵な微笑を浮かべた。

「で、どうなさいますか? 条件を呑んでくださるのですか?」

「……私としては、犯人の身柄を拘束し、拘置所へ送り、しかるべき罰を与えたいと思っているのですが……」

「つまり、私の条件は呑めないと?」

「……そうなります」

 リオンは、交渉そのものがめんどうくさくなったのか、傍若無人にもソファーにもたれかかった。

「クオールドさん。あなたにとって犯人に罰を与えることは、さほど重要ではないはずだ」

「どういうことですか?」

「あなたにとって重要なことは、犯人が持っている力でしょう?」

 クオールドは深くうなずいた。

「そうですね。瞬時に魔物を呼び出した宝石のようなもの。そんなものは聞いたことがありません。だからこそ、犯人を尋問し、力の正体を暴き、場合によっては国王陛下に報告しなければなりません」

「そうでしょうね。つまり、力の正体を暴きさえすれば、犯人はどうでもいいということですね?」

「……さすがに、どうでもいいということはありませんが、尋問が終われば、処罰を検討し、拘置所へ送るだけです」

「なら、私がその場で尋問して必要な情報を聞きだせば、犯人を殺しても、なんら問題はありませんね」

 クオールドは苦笑した。

「あなたが尋問するのですか? しかし、尋問する側にもそれなりの覚悟が必要ですが、あなたにできるのですか?」

「当然、可能です。そうでなければ、このような提案を出したりはしませんよ」

 クオールドは、また悩みだした。

 返事を待つ間、リオンはコーヒーをすすって時間をつぶした。

 リオンがコーヒーを飲み終わり、カップをテーブルに置いたその時、クオールドが口を開いた。

「わかりました。あなたを傭兵として雇わせていただきます」

「それは、私の条件を呑んでくださるということですね?」

「はい」

「では、犯人について、情報交換しましょう。もっとも、私が知っていてあなたが知らないことがあるとは思えませんので、私が集めた情報を整理しながら説明します。すべて話し終えたとき、私が既知していないところがあれば教えていただきたい」

「わかりました」

 リオンは深く腰掛けると、淡々と説明し始めた。

「犯人は、茶色でよれよれのフードつきのコートを着ていた。フードを目深にかぶっていたことと、声を誰も聞いていないため性別不明。宝石のようなものを使い、赤黒い光とともに魔物が現れた。ここまでが私が得た情報です。どこか間違いがあれば指摘していただきたい」

「いいえ、間違いはありませんよ。そして、私が知っていることも、あなたが提示してくださった情報と同じぶんだけです」

「犯人について手がかりや目星は付いていませんか?」

「残念ですが、まったく」

「そうですか。では、一つ質問させていただきます。そして、その質問はクオールドさんにとって不愉快なものである可能性が高いと思われますが、冷静に聞いていただきたい」

「たとえ私にとって不愉快であっても、犯人の手がかりにつながるかもしれないのでしょう。お話ください」

「この領地の民で、何か不審な動きをしている人物がいるか、もしくはそういった噂が流れているということはありませんか?」

 突然、クオールドの目つきが鋭くなった。

 先ほどまで温和な表情だったため、それは激変といえるほどの変化だった。

 一気に緊張感が増した部屋で、フリージアは不安そうにリオンを見た。

 依然として無表情をくずさないリオンは、ただクオールドを冷たく見つめている。

「それは、つまり私の領民を疑っているということですか?」

 クオールドは声こそ荒げていないものの、口調は厳しくなっていた。

 リオンはただ、口元にうすい冷笑を浮かべ、それを受け止めた。

「前もって警告したのですが、やはり冷静には受け止めてくれませんでしたか」

「自分の領民を疑われて、冷静でいられるわけないでしょう!」

 とうとう声を荒げて叫んだクオールドを、リオンはどこか見下すような視線を送っている。

「クオールドさん。あなたは自分の領民をまったく疑ってないのですか?」

「当然でしょう!」

「いいえ。嘘ですね」

 リオンの断言。

「何故そう思うのか、お聞かせいただきたい」

「何、簡単なことです。犯人がわざわざ顔を隠していたということは、見られては困るということ。そして、顔がばれて困るのは、この領地の住民くらいです。こんな簡単なことに、領主であるあなたが気付かないはずがない。ただ、あなたは疑いたくなかっただけでしょう? だから、あなたはこの可能性を無意識的に排除した」

 容赦ないほど淡々とした言い方に、クオールドの眼光は鋭くなる。

 三度訪れた静寂は、不穏な空気に包まれる形となった。

 薪が爆ぜる音が響く。

 クオールドの表情に徐々に影が差していった。

 とうとう俯いてしまったクオールドは、苦しそうに声を振り絞った。

「魔の者の仕業である可能性はないのですか? 太陽は雲に遮られていますし、フードをかぶっていたのは、わずかな太陽光も浴びないためであるということも考えられませんか?」

「まったくないわけではないですが、可能性は低いでしょう。もし魔の者であったなら、トロールを呼び出した後、自分も戦闘に参加しているでしょうから」

 クオールドの微かな希望は残酷に打ち砕かれた。

 すべてを言い終えたリオンは静かに、冷酷に返事を待った。

 やがて、クオールドは重々しく口を開いた。

「……残念ですが、不審な動きをしている領民の噂や情報はありません。もし、不審な動きをしている領民がいれば、嫌でも私の耳に入りますから」

「そうですか。では、私はこれで失礼します。これ以上ここにいる意味はないで。とりあえず、これから泊まることになる宿を教えていただきたいのですが」

 思いやりの欠片もなく、ただ用件だけを伝えたリオンを見て、フリージアは怒りがこみ上げてくるのを感じた。

 フリージアは何か言おうとしたが、その前にクオールドが口を開いた。

「わかりました。警備兵たちが使っている宿舎に空いている部屋があるのですが、そこでもよろしいですか?」

「はい」

 リオンは立ち上がり、クオールドは顔を上げた。

 クオールドの表情を見たフリージアはやるせない気持ちになった。

 クオールドの目はくぼんでおり、痛々しい微笑を浮かべている。

 それは、自分にとって最もあってほしくないことを突きつけられた悲しみをよく表していた。

 フリージアは胸を締め付けられているような苦しさを感じた。

 ふと、フリージアはリオンを見上げた。

 リオンの横顔は無表情で、目的を果たしたことの達成感すら感じられない。

 少なくとも、クオールドの痛みなど少しも感じていないことは、フリージアにもわかった。

 事実、リオンにとって他人の痛みなどどうでもよく、今回のことも、道端にあった邪魔な小石を蹴飛ばしたくらいにしか考えていない。

 フリージアは視線を移して、クオールドを見た。

 何か謝罪の言葉を捜したが、結局何も見つからなかった。

 落ち込んでしまったフリージアを知ってか知らずか、クオールドはやさしく訊ねた。

「あなたも警備兵が使っている宿舎でよろしいですか? それとも別に宿を手配しましょうか?」

「いえ、私も警備兵の皆さんが使っている宿舎でかまいません」

「わかりました」

 クオールドはテーブルの上にある鐘を手に取ると、軽く振って鳴らした。

 すると、すぐに下女が部屋に入ってきた。

「宿舎の空き部屋に彼らを案内してくれ」

「かしこまりました。では、私についてきてください」

 フリージアは深々と頭を下げた。

 自分にできる精一杯の謝罪として。


―――――――


 降り止まない雨の中、ディブロは中庭の中央で空を睨み、たたずんでいた。

 中庭には多くの花壇があり、様々な種類の、色とりどりの花々が咲き誇っている。

 しかし、空の涙に煌く花弁はどこか物悲しげに見える。

「何でこんなことになっちまったんだろうな、ブロード」

 空に投げかけた言葉はむなしく吸い込まれた。

 返ってこない返答に視線をおろすと、リオンが向こうから歩いてきていた。

 まるで何も感じていないように無表情なリオンに、ディブロは怒りがこみ上げてきた。

 矢も楯もたまらずリオンに歩み寄り、荒々しく胸倉をつかみ上げた。

 リオンはまるで動じずに、白眼視するだけだ。

「何のつもりだ?」

「それは俺の台詞だ! いきなり傭兵になって、犯人を殺す権利だと? 何をたくらんでいるんだ!?」

「何もたくらんでなどいない。ただ気に食わないから殺す。それだけだ」

 ディブロは射殺すように睨み付けている。

 ディブロは振り払うようにして手を離し、声だけは静かに、威圧的に言った。

「やつを殺すのは俺だ。お前には殺させない」

「ほう。お前は契約を破るというのか?」

「そんなもの、俺には関係ない。たとえ領主様がなんと言おうと、復讐を果たすのは俺だ」

 とたん、リオンは鼻で笑った。

 ディブロは声を荒げる。

「何がおかしい!」

「くだらないと思ってな」

「くだらないだと?」

「死んだ者に、死んだ過去に突き動かされ、現在を歪めるのはくだらないとしか言いようがない。いや、愚かと言ったほうが正しいか」

 ディブロの目に殺意が宿った。

 剣を抜き、リオンの喉元に突きつける。

「お前に何がわかる! 俺の痛みが、俺の悲しみが、俺の苦しみがお前にわかるのか!?」

「理解できるわけないだろう? 理解するつもりはない、理解したくもない」

 ディブロの体が怒りで震える。

 今にも斬りかかりそうなディブロに、更なる追撃を加える。

「それに、こんな状況を望んだのはお前自身ではないのか?」

「なんだと!?」

「お前は腕に覚えがあるようだが、この領地を退屈に感じたことはなかったのか? 自分の腕を試せない、平和で何も起こらないこの領地に辟易した事はなかったのか? 自分の腕を存分に振るえる混沌を望んだことはなかったのか?」

「そ、それは……」

 ディブロはたじろぎ、剣をおろした。

「やはりな。お前は混沌を望んだ。そして、やってきた混沌はお前の望まぬものだった。そしてお前は平和を崩されたことを自分勝手に嘆いている。愚かなことだ」

 ディブロは歯が砕けんばかりに歯を食いしばった。

 怒りで顔が歪んでいるが、先ほどのような迫力はまるで感じられなかった。

「お前が俺に突っかかってこなければ、あの男は死を免れたかもしれない。お前が自分の責任を忘れ、感情にませて私情に走らなければ、この結果とはまた違うものになったかもしれない。」

 リオンは嘲るように鼻を鳴らした。

「あの男も哀れだな。こんな無能な上官に従わなければならず、結果として自身の死を招いた。いや、こんな上官に仕えていた時点で、あの男も馬鹿だったのだろうな」

「ブロードを馬鹿にするのか!?」

「事実を言うことが馬鹿にするということならそうなるな」

 ディブロに蓄積されていた様々な感情が一気に爆発した。

 剣を振りかぶり、叫ぶ。

「はああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 豪快に振り下ろされたロングソードは、リオンがわずかに横にずれただけでむなしく空を斬った。

 リオンは一歩踏み込むと、みぞおちに強烈な一撃を入れた。

 ディブロは崩れ落ちるようにうずくまり、忌々しげにリオンを見上げた。

 リオンは冷たく見下ろしている。

「以前にも、似た場面があったな」

 リオンは初めてディブロと会った日のことを言っているのだ。

 リオンは身を翻して背を向けた。

「怒りに囚われれば、剣の動きが単調になる。感情などくだらない」

 リオンは歩き出し、建物の中に入っていった。

 残されたディブロを、雨だけが包み込んだ。

 痛みも、悲しみも、苦しみも共に。


―――――――


 フリージアは貸し出された部屋のベッドに座っていた。

 警備兵の宿舎だけあって、部屋の中はとても簡素だ。

 二段式のベッドが二つに、正方形のテーブルが一つ、そのテーブルの上に手燭が一つ、背もたれ付きの椅子が四つあるだけだ。

 フリージアはなんとなく眠れなかったので、立ち上がって窓の前まで行った。

 窓から見える景色は前庭の一部だが、その光景はとても美しく見えた。

 降り続いていた雨もすでに小雨となり、途切れた雲の間から差し込む月明かりに照らされた花々は冷たくも温かさのある輝きを放つ。

 幻想的な光景に恍惚としそうになったが、胸に引っかかる何かのせいで、見とれ続けて入られなかった。

 フリージアは窓から離れ、手燭を手に取り部屋を出た。

 フリージアは、どうしてもリオンに訊きたい事があったのだ。

 それに、もう一つやらなければならないことがあった。

 フリージアは、ディブロのことで罵倒してしまったあの日から、リオンとまともに会話をしていないのだ。

 なんとか仲直りしようと、何度も謝ろうとしてきたが、不思議とタイミングが合わなかったせいで、今に至るわけだ。

 早く謝らなければと、手燭の灯りを頼りに廊下を進む。

「誰だ!?」

「きゃあ!?」

 突然の声にビックリしてフリージアはしりもちをついた。

 手燭を前に突き出して目の前を照らすと、そこにいたのはロングソードを構えたフォールだった。

 フォールは険しい表情をしていたが、すぐに温和な表情に戻った。

「申し訳ありません。侵入者かと思いまして、とんだ勘違いでしたね。驚かせてしまったようですね。大丈夫ですか?」

「あっ……はい、大丈夫です」

「よかった。立てますか?」

 そう言って手を差し出そうとした刹那、背筋を冷たいものが流れた。

 振り返ると、そこには闇を纏ったリオンがいた。

 そして、手に持ったロングソ-ドはフォールの首筋に当てられている。

「なぜ、お前は剣を抜いている?」

 フォールの心臓がうねる。

 闇を映したリオンの瞳は鋭い光を帯びている。

 返答を誤れば間違いなく死ぬ。

 そう確信できるほどの殺意を全身に帯びていた。

 フォールが答えようと思ったその時、背後からフリージアが先に答えた。

「違うんです! フォールさんは、私を侵入者と勘違いしてしまっただけなのです! 勘違いされたことも謝ってくださいました。だから、リオンさん、剣を収めてください!」

 フリージアが必死に捲くし立てるも空しく、リオンから殺気が消えることはなかった。

 フォールの息づかいが荒くなる。

 額から頬を伝って嫌な汗が流れ落ちる。

 リオンは呟いた。

「怪我はなかったか?」

「えっ? ……はい」

「そうか……」

 リオンから殺気が消え、ロングソードが収められた。

 フォールにのしかかっていた死の重圧が消え、崩れそうになった。

 いまだ治まらない動悸に、冷や汗が流れ落ちる。

 目の前にいるリオンは初めて見たときと変わらない、どこか不敵な姿だ。

 だが、先ほどの剣を突きつけていたときのリオンは、異形の者のように見えた。

 リオンはフォールに背を向けると、そのまま歩き出した。

 フリージアは慌てて立ち上がり、フォールに一言謝罪すると、リオンを追いかけた。

「待ってください、リオンさん」

 二人の後姿を見ていたフォールは震える声で呟いた。

「彼は……本当に人なのか……?」



―――――――



「あの、さっきはありがとうございました」

「何のことだ?」

「助けに来てくれたのでしょう?」

「……お前の悲鳴が聞こえたからな」

 フリージアは、助けに来てくれたという事実がうれしくてにんまり笑った。

 リオンの部屋に入る前、部屋の扉は開けっ放しになり、部屋に入れば、リオンが何か書いていたのだろう、書きかけの書物がそのままになって放置され、漆黒の羽でできたペンが無造作に机の上を転がっていた。

 それは、フリージアの悲鳴を聞きつけて、急いで飛び出したということに他ならないからだ。

 リオンは椅子に座り、机の上を転がるペンを手に取った。

 ペンは滑らかに書物の上をすべり、真っ白な空間を黒に染めていく。

 テーブルの上にある手燭の灯りがリオンの顔に深い陰影をつける。

「いつまでそうやって突っ立っているつもりだ? わざわざ俺の部屋まで来たからには用件があるんだろう?」

 フリージアは、喜びのあまり肝心なことをうっかり失念していたことにようやく気が付いた。

 一度深く深呼吸をして、覚悟を決めた。

「あの、あの時はあんなことを言ってしまってごめんなさい」

「何のことだ?」

 リオンは何のことで謝られているのか本当に気付いていないようなので、フリージアは詳細にあの日のことを説明した。

 リオンはペンの動きを止め、少し呆れたようにフリージアを見やる。

「そんなことを今まで気にしていたのか」

「そんなことじゃないです。私が言ったことは本当にひどいことでした。だから、ごめんなさい」

 フリージアは深々と頭を下げた。

 リオンは無表情に見つめていたが、再び書物に目をむけ、ペンを滑らせる。

「俺は気にしていない。だから謝る必要などない」

「でも……」

「必要ないと言っている。これ以上謝られてもくどいだけだ」

 フリージアは頭を上げた。

 ずいぶん乱暴な言い方だったが、いつもの冷たさはまるで感じられなかった。

 そのことに、フリージアは内心驚いてリオンをまじまじと見た。

 温かい声というには小さすぎる変化だが、気のせいで済ますには大きすぎる変化だった。

 とにかく、これで一つ目の用件が終わった。

 後は、もう一つ用件を済ませればいいだけの話なのだが、せっかくなのでもう少し会話をしたいと思った。

 そこで、話題を考えながらキョロキョロとあたりを見渡すと、あるものがないことに気付いた。

「あの、斧はどうしたのですか? そういえば、ここに来るとき持っていませんでしたが」

「あの斧なら鍛冶屋に売った」

「売ったのですか?」

 リオンは懐から巾着を取り出した。

「この中に、売って得た金が入っている」

「もしかして、売るためだけに持ってきたのですか?」

「当然だ。あの斧は無駄に装飾が豪華だったからな。資金は潤沢なほうが良い」

 リオンは巾着を懐に入れ直した。

「でも、資金なら教会から給付された布教金があるじゃないですか」

「あれは布教の旅に必要最低限の分しかないだろう。お前はそれでいいのかもしれないが、俺には金が必要になるときがある」

「そう……ですか」

 会話が途切れてしまったフリージアは、とりあえずリオンのそばまで行った。

 近くで見てみると、リオンが何か書いている本はかなりの分厚さがあった。

 フリージアは開かれたままの本を覗き込みながら言った。

「何を書いているのですか?」

「日記だ」

 フリージアは慌てて後ろに飛びのいた。

「す、すみません! 日記だとは思わなくて……」

「かまわない。見られて困りはしないからな」

「でも、人の日記を見るのはよくないことだと思います。だから、その……ごめんなさい」

 フリージアは深々と頭を下げた。

 リオンは少しの間フリージアをジッと見ていたが、視線を本に移すと、最後の行を書き終え、本を閉じた。

「故意にやったわけではないだろう。なら、仕方のないことだ。謝る必要はない」

 フリージアは頭を上げた。

 またしても、いつも通りの冷たさを感じない声色。

 リオンはいつも通りの無表情だが、いつも通りの冷酷さはまるで感じられない。

 リオンさんなりに気遣ってくれたのかな?

 そんな風に思うと、心があったかくなったような気がした。

「でも、ちょっとビックリしました。リオンさん、日記を書いているのですね」

「昔からの習慣だ。書かないと一日が終わった気がしない」

 フリージアは微笑んだ。

 今までリオンの人間らしいところを見たことがなかったため、安心したのだ。

 フリージアはポツリと呟いた。

「私も書こうかな、日記」

 とても温かで穏やかな時間がながれる。

 だが、ずっと浸っているわけにはいかなかった。

 フリージアは、リオンに訊かなければならないことがあり、そのために会いに来たのだ。

 フリージアは神妙な面持ちで訊く。

「もし、この事件の犯人が現れたら……殺すのですか?」

 蝋燭の炎が揺れた。

 リオンの顔に冷酷さが戻り、室温が一気に冷えたような錯覚を覚えた。

「当然だ。領主と交渉したときに言ったはずだ」

「どうして殺すのですか?」

「気にいらないからだ」

 とても単純で冷酷な答えにフリージアは困惑した。

「本当に、気にいらないという理由だけで殺すつもりなのですか?」

 リオンは、フリージアを見つめた。

「……俺の目的である可能性がある」

「リオンさんの目的?」

「復讐だ」

 リオンは小さく自嘲気味に笑った。

「くだらないと思うだろう?」

「いえ……くだらないなんて思いません。ただ……」

 フリージアは言葉を濁したが、最後まで自分の意思を言い切った。

「私は復讐なんてよくないと思います。憎しみからは憎しみしか生み出されません。どんな理由があろうと、人を殺すのは、私は賛成できません」

 フリージアを見つめていたリオンは立ち上がり、右手をフリージアに向かって伸ばす。

 フリージアはビクッと震えて目を閉じた。

 少しして、フリージアは自分の頬に触れられている感触がして目を開けた。

 リオンは右手を、割れ物を扱うかのようにやさしく添えていた。

「お前の目は美しい。純粋で、穢れを知らない無垢なる者の瞳だ」

 蝋燭の炎に揺らぐリオンの瞳からは温かさも冷たさも感じられない。

「だが、それは所詮、無知からくるものだ。絶望を知ってなお、お前は変わらずにいられるのか?」

 フリージアは何も答えられなかった。

 フリージアの瞳から涙が零れ落ちる。

「あなたは……どうしてそんな目をしているのですか?」

 吸い込まれそうな深い虚無と闇を湛えているリオンの瞳。

 人に無くてはならないはずの何かが欠落している瞳。

「あなたは……どんな絶望を背負っているのですか?」

「俺は……」

 言いかけて、背を向けた。

「くだらないことを話した。用件は終わったのだろう? ならこれ以上話すことはない」

「リオンさん……」

「俺はもう寝る。お前も部屋に戻れ」

「……わかりました。おやすみなさい」

 扉が閉まる音が静かに響いた。

 


―――――――



「本当に来ると思いますか? リオンさん」

「まだなんとも言えません。間を置かずに来るかもしれませんし、油断させるために数日置いてから来る可能性もあります。どちらにせよ、一週間以内に来る可能性が高いと思います」

「そうですか……」

 クオールドは深いため息をついた。

 リオンはゆっくりとした動作でコーヒーを啜る。

 隣で座っているフリージアは何か思いつめていた。

 それぞれが物思いにふけり、深い沈黙と静寂が訪れた。

 だが、それは勢いよく開かれた扉の音に破られた。

 皆一様に扉のほうを見ると、息を切らした一人の警備兵がそこに立っていた。

 その切迫した表情から、物事の緊急性が見て取れる。

「なにごとだ!?」

「領主様、魔物が一直線にこの城目指して――」

 警備兵の声は、すさまじい轟音によって掻き消された。

 リオンとクオールドは窓から外をのぞいた。

 眼下に見える光景は、吹き飛ばされた正門と破壊された塀。

 そして、五体のミノタウロスと茶色のコートにフードを目深にかぶった人間。

 苦々しげな表情のクオールドと対照的に、リオンは口元に笑みをこぼしている。

「くそっ! まさか本当に来るとは……! リ、リオンさん!?」

 クオールドから驚愕の声が漏れた。

 リオンは窓を開け、窓枠に足を掛けていた。

「一体何を……」

 クオールドが言い終わる前に、リオンは窓から飛び降りた。

 クオールドの口から悲鳴に近い声が漏れ、窓から身を乗り出して見下ろした。

 リオンは華麗に着地を決め、平然と立っていた。

 一安心したクオールドは部屋を出ようとしたが、警備兵に引き止められた。

「お待ちください! どこへ行くつもりですか?」

「決まっている! 我が領地を脅かさんとする者がそこにいるんだ! 私も剣を持って戦う!」

「そんな、無茶を言わないでください! 領主様にもしものことがあれば、誰がこの領地を治めるというのですか!? お願いします。どうかご自重ください」

「しかし……!」

「クオールドさん」

 フリージアが

「感情に流されてはだめです。きっと、今クオールドさんが出ても、どうにもならないと思います」

「だからといって、警備兵たちを送り出して、自分だけ安全な場所で傍観するなど我慢ならない! それに、先程も言ったが私は領主としての責任を果たさなければならないんだ!」

「いいかげんになさい!」

 厳しい叱責だった。

「あなたの仕事は剣を持って戦うことではないでしょう。この事態を見届けた後、事後処理をするのがあなたの責任です。あなたが剣を持って戦場に出て、万一にでも死んでしまうようなことがあれば、それこそ責任を果たすことはできないでしょう。それに、あなたが戦場に出れば、警備兵さんたちはあなたを守りながら戦わなくてはならなくなります」

 フリージアは祈るように胸の前で手を組んだ。

「私は、守りながら戦うことの難しさを知っています。だから……」

 真っ直ぐにフリージアを見つめていたクオールドは、ゆっくりとソファーに腰掛けた。

「……あなたの言っていることが正しいようです。いや、お恥ずかしい。この歳になって取り乱すとは。お前にも迷惑をかけた。行ってくれ」

 あとの言葉は、心配そうに見ていた警備兵に言ったものだ。

 警備兵はうなずくと、走って部屋を出て行った。

「しかし……憎悪というものは簡単に消し去ることが難しいようです。今、私は、自己満足の復讐のために、全ての責任を放棄して剣を取りたいという衝動に駆られています」

 不安そうに見つめているフリージアに、クオールドは力なく微笑んだ。

「大丈夫です。あなたの言ったように、私は私の責任を果たします」

 フリージアはほっとして微笑んだ。

 瞬間、怒号と咆哮、続いて鋭い金属音と地響きが轟いた。

 フリージアはクオールドに頭を下げると、大急ぎで部屋を飛び出した。

 クオールドはやつれた笑みを浮かべた。

「あなたは……戦う力が無くても行ってしまうのですね」

 嫌味ではなく、ただ優しい声だった。



―――――――



 フリージアは城内の廊下を必死に走った。

 自分に何が出来るわけでもないのはフリージア自身が一番わかっていたが、それでも行かなければという、一種の強迫観念に駆られて、無我夢中で走った。

 途中、あわてるあまり、窓の外を不安げにちらちらと覗き見る下男下女に何度もぶつかりそうになったが、ついに前庭に通じる扉が視界に入った。

 わりと広い城内を必死に走ったせいで息が切れていたが、さらに足に力をいれ、速度を上げる。

 とうとう扉が目前に近づき、フリージアは勢いに任せて扉を開いた。

Lion's diary

本文より一部抜粋。


 人は愚かにも混沌を望む。

 平和な日常を退屈と思い、何かが起きることを期待する。

 平和な日常を当然のように享受しながら。

 その何気ない日常が、いかに危うい均衡の元に保たれているかも知らずに。

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