村の長
「で、どういうことやねん」
アケビは村長に詰め寄るが、ふぉーとか、んぐぉーとか言うている。なにを言うておるのだ。
――1時間前。
「騙したんか。自分たちが喋れなくなるから、道連れにしようと俺をこんなところまで誘い込んで。策略か? 首謀者は誰や? お前か」
6畳間の隅で女子2人は首を横に振る。
「じゃあ誰やねん。誰の命令や。誰のせいで俺は喋れなくなるんや。早くそいつのとこ連れてけよ」
アケビの腹の底から出る低い声に、2人はたじろいでしまう。特に八百屋の娘は、事の顛末を話したことを後悔し始めていた。首謀したわけではないとはいえ、男の人生に余命宣告をしたも同然だからだ。お金をもらってもやりたくない憎まれ役を自ずから買って出てしまった娘。頭には自責の念がこびりついている。
「俺は温厚やけど、温厚なコアラやけど、そろそろ怒るで。コアラってコラァって怒るんかな。聴いたことないからわからんわ。今度聴きにいこ」
ショックのあまりアケビは訳の分からないことぶつぶつとぼやき続けている。訳の分からないことを延々と言い続けるのはこの男の性ではあったが、言葉の量が減っていくという現実を前にした今、この行為は、「どうせ家賃には足りぬのだ。この金でステーキを食ってしまえ」というものと同じ類いのことだった。要は自暴自棄である。
パルプンテ状態のアケビを見かねてか、少女は一つ息を吐き、
「来て」
とだけ言った。
咄嗟に、「えっ」と八百屋の娘が声を漏らす。
こいつほんまに口緩々やな。こんなん言葉なんぼあっても足りひんやろ。
アケビは、少女のあとに続いて八百屋を出て、村役場と思しきところまで行きついた。やはりこの村に連れてこられたのは、村の政治が絡んでいたのだ。それをこんなに幼い無垢な少女を使うだなんて。出てくるのは卑劣な野郎に違いない。
少し待たされた後、一行は村長室に通された。扉に村長室と書いてあったからわかった。自分で村長とか言うな。校長先生も校長室ってつけるんやめろ。恥ずかしないんか。アケビの脳内である。
――そして、冒頭に戻る。
しかし、どんな悪漢が出てくるのかと思いきや、出てきたのはボケ老人である。想定とのギャップに少し息が苦しくなる。人間というものはギャップに非常に弱い。想定よりも上回られると到底太刀打ちできない。
村長(ボケ老人)は、
「わたしはね、生い先も短いから、言葉を出し惜しむこともない。何であれば、死ぬまでに言葉を使い切るのもよいかもしれんなあ」
などと言うかと思えば、
「いやしかし遺言の途中で喋れんくなったら……」
などとのらりくらり追求をかわす、熟練味のあるピッチングだった。
「おほん、えー、それで、なんだったかなアクビくん」
「アケビや。呼ばれて飛び出えへんから」
「すまないねえサケビくん」
「作・ムンクちゃうねん。あんな笑くぼできひんわ」
「あれ笑くぼなの?」
「笑くぼちゃうか? って笑くぼはどうでもええねん。これはどういうことやって訊いてんねん」
「君、よく喋るなあ」
「あー、埒あかん!」
アケビは大いに苛立っていたが、反面冷静さも持ち合わせていた。ここで沸点に到達してしまえば、役場を追い出されてしまう。一度役場を追い出されると、もう取り付く島もなくなるだろう。何せアケビはすでに感染しており、彼らの目的は達せられているのだから。
これは長丁場になるぞと、村長室に向かい合わせで置かれた革張りのソファにドカッと腰かけた。立ち退きを拒む近隣住民のデモさながらだ。
一方で、この村長(ボケ老人)は、アケビと話している間に別のことを考えていた。
この男の喋ることへの躊躇いのなさ、そして会話の基礎体力。おそらく膨大な言葉の貯金があるとみた。生け贄として囲っておくだけでは勿体無い。
そして、村長(ボケ老人)は、アケビをおだてることにしたのだった。
「えーと、アケビん君」
「アケビや。てもみんみたいに言わんとって。マッサージせんよ」
「きみに本当のことを話そう」
村長(ボケ老人)は、湯呑に注がれた熱いお茶を一口すすり、
「君にこの村に来てもらったのは他でもない。この村を救ってほしいんだ」
「え、救うって? いや救うとか言われても……」
虚を突かれたアケビは上手く受け身がとれない。そこに村長(ボケ老人)が畳みかける。
「君の喋る能力を見込んでのお願いなんだよ。いわばスカウト、ヘッドハンティングだ。わかってくれんか」
「えー? 参ったなあ」
と言いながらもアケビは満更でもなかった。ここまでの人生、人から頼られた経験がない。ただでさえ、不要だと勘当されたのだ。人間の生理的欲求の一つ「承認欲」がうずきだす。20有余年生きてきて、初めて、生きている意味を知ることができるような気がしていた。
あまりにもわかりやすい反応を見て、もう一押しで落ちると踏んだ村長は、
「言わば君は勇者だ。この村を救う正義のヒーローなんだよ」
ととどめきった。ダメ押しの一点。名采配。
「えー、そこまで言うなら」
――落ちた。
「で、何すればええんや?」
「そこから君に考えてほしい」
「丸投げかよ。投てき種目に『丸投げ』があったら入賞するぞ爺さん」
「そこの2人は好きに使っていいから」
村長からの突然のキラーパスに八百屋の娘は、
「す、好きに……」
と狼狽え、顔をトマト色に染める。そして我に返り、
「で、でも、もし喋れなくなったら……」
「もし言葉が無くなるようなら、わしの言葉が無くなるまで念仏でもなんでも聴かせてやる。安心せい」
「村長……」
八百屋の娘は、村長の心意気に心底感動し、純情丸出しバカ乙女と化している。
「ま、そういうことだから、後はよろしく頼むよ、勇者くん」
こうして、喋らない少女、ポンコツ八百屋、口だけ男の最弱パーティーが結成された。