表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/51

八百屋の娘

 店の灯はついていた。どうやら、この店舗が唯一この商店街で店を開けているらしい。軒並み閉店、あるいは営業自粛しているとあらば、もっと繁盛していてもよさそうなものだが、人気ひとけはまるでなかった。むしろ自粛しないことで、不買運動でもされているのだろうか。


 あるいは、商店街ではなく市場のような文化で、昼になったら閉めるという機構なのか。はたまた本当にシャッター商店街なのか。


 「入ってみていい?」と少女に聴くと、うんともすんとも返ってこなかったため、暖簾をくぐった。棚には、ナス、トマト、ピーマン、レタス、トウモロコシ。スイカもある。今夜はカレーにしようかしら。


 客はアケビたちのほかにいないものの、この店は開いており、棚には野菜が並んでいる。つまり営業しているということだ。そうなればもちろん話せる店主もいるはず。村人が話さないのは極度の人見知りという可能性もあるが、相手が商人(あきんど)であれば話は別だ。野菜を買えばこちらが客。話さない訳にはいかないはずだ。


 アケビは自分が無一文であるということなどすっかり忘れて、


「すいませーん。野菜買いたいんですけどー」


と店中に響く声を出した。


 すると、二階からガタガタッと何かが倒れる音。


 しばらく様子を伺っていると、キシキシと階段の軋む音と共に、涙目の女の子が下りてきた。

 どうやら急いでつけたであろう黄色いエプロン。後ろの紐がまだ結ばれず下がっている。


 踏まなければといいけど、と思った。


 ――踏んだ。


 女の子は派手に転ける。前に積まれた、野菜の入った箱が倒れ、中の茄子や南瓜やピーマンがごろごろと音を立て転がる。


()ったあ〜」


 エプロンと一緒にスカートがはだけ、純白の布が露わになる。あ、この子ドジっ子や。


 瞬間、彼女は青ざめてハッと口を押さえる。


 いや、押さえるとこそこちゃうやろ。この子やっぱりドジっ子や。


 そしてこちらを一瞥。アケビの視線の先にある純白に気がつく、すると刹那今度は顔を赤くして、はだけたエプロンを押さえる。口と交互に押さえる。口、エプロン、エプロン、口。エプロン、エプロン、エプロン!


 16歳くらい(推定)の女の子は、顔がトマトのように真っ赤になり、立ち上がった。ツカツカとアケビに近づき、涙目で顔を覗き込む。


 あれ、何これ。私の純白見たんだから、責任取ってよねとかそういうやつ? え、何この棚からぼたもち。棚ぼた。棚ぼたと七夕って似てるよね。


 とかいう妄想も束の間、下駄の上から、思いっきり踏まれる。痛ったあ〜。


 そしてずかずかと店の奥へと戻っていく。階段を上る音がして、また、何かが倒れる音がする。悲鳴に似た何かが聴こえる。彼女は一体何をしに下りてきたのだろうか。


 少女が、つかつかと店の奥へと進む。


「え、さすがに居住スペースはダメじゃない?」


 少女はやはり答えない。アケビは後を追うほかない。


 キシキシと音を立てながら、年季の入った急勾配の階段を上る。この階段から何度彼女は落ちたのだろう。二階に上がって、左側の襖を開けると、4畳半の和室があり、襖でさらに仕切られた先から、すすり泣く声が聞こえる。


 少女が襖を開けると、すすり泣きが止み、女の子が少女を目を合わせる。2人は言葉を交わさないが、女の子はすくっと通常らしいの状態に戻る。顔見知りのようだ。


 アケビは襖の陰からひょっこり顔を出し、


「なんでみんな喋らへんの」


と問う。


 女の子は、ひっ、と声をあげた。


 そんなびびらんでも。


 彼女にとっては、もう客と店主ではないから、この問いに答える義務はない。


 だが、彼女は少女を一瞥すると、全てを了解したように大きく息を一つつき、答えた。


「コトバ、ヘル」


「言葉、ヘル? 地獄? ここ、言葉の地獄なん。それは嫌や。言葉ヘヴンがいい」


「……。ゲンショウ」


 手を下げるジェスチャーがつく。


「ん? 落ちる、現象? 怪奇的なやつか。やからこんなゴーストタウンになってんねや」


「……。ディクリーズ」


「なんや、ここ言葉違うんや。どおりでカタコトな訳や。え、じゃあ今まで俺、伝わらへん言語でひとりで喋ってたん。恥ずかしっ。犬に話しかける独身ぐらい恥ずかしいことしてるやん。うわあ最悪や。英語、たぶん英語やんな? 英語なあ、俺苦手なんよなあ。むかし駅前留学して、ホームシックなったくらいやからなあ。でも背に腹は代えられん。お、おほん。あー、あいあむバージニアウルフ」


「あー、めんどくさいっ」


「うわ急に喋った」


「なによバージニアウルフて」


「え、喋れるやん。バレへんと思ってボケたのに、バレてるやん。恥ずかしっ」


「あんた何で無尽蔵に喋ってんの。馬鹿なの? ここに来たってことは、もう感染してるんだから、喋ったら無くなっちゃうじゃん。って何であたしがこんな部外者のために命懸けで。お人好しがすぎたわ」


「感染? 命? へ? 」


「言葉を喋ると減るの。貯金みたいに失くなるから喋れないの。だから黙る。アーユーオーケー? 」


「なにそれ面白い設定」


「ただの映画の設定だったらどんなによかったか」


 女の子は、少し涙交じりの声になって。アケビは悟る。


「え? え? 無くなるの? 言葉。え、俺喋れへんと死んでまうで。まってまって。……。あいあむノット、バージニアウルフ。アイムソーリー。……。しーゆーグッバイ! 」


 アケビは逃げだした。


 しかし、少女にまわりこまれてしまった。

 相変わらず耳が聡い。

 

 少女は黙って首をふる。手術後、助からなかった医師のように。


 俺は身に覚えのないところで何かに感染し、何のゆかりもない場所で、どうやら命を落とすらしい。

 

 絶望という感覚を生まれてはじめて味わったアケビは、その場にただただ立ち尽くした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ