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異世界への扉

 少女の後についてどれだけ歩いただろうか。

 あるいは、そんなに歩いていないのだろうか。


 景色の変わらない道を歩き続ける。ゴールのわからないマラソンほどしんどいものはない。人は目標があるから前を向けるのだ。アケビの目線はだんだん落ちてきて、ついには少女の踵だけを追って足を動かしている。歩き始めてしばらく経つと景色も目に入らなくなったから、実のところ景色が変わらなかったのかどうかも定かではない。


 後進はペースを決められないから、先頭のペースに付いていくしかない。少女が踏んだ所を正確になぞろうとするが、歩幅が合わない。歩幅が合わないと、なぜか呼吸まで苦しくなる。意外と神経質なのだろうか。


 吸う空気も吐く空気も、時間も距離感も、だんだんと曖昧になっていく。


 もしやこれこそが、現状タイムトラベルに最も近い行為なのではないだろうか。距離も時間も空間も、すべてが溶け合い混ざり合う。あらゆる規則や境界があいまいになる。欠点といえば、どんどん足腰に乳酸がたまっていくことくらいだ。それで時空を超えられるならいくらでも……。


 いや、足腰に乳酸がたまるとはとんでもない欠点ではないか。欠点を見逃して、危うくヘルニアになるところだった。一人で黙って考え事をしていると、こうした思考の落とし穴にハマることが往々にしてある。今回はなんとか乳酸のたまった落とし穴を回避し、正気を取り戻した。


 黙って歩くのがたまらなくなって(乳酸はたまるが)、


「どこ向かってんの。そっちにジョナサンはないよ」


などと声をかけ続けても、少女は変わらず黙黙と歩く。ただついていく他なかった。


 無言最強説である。


 かつて先人は「おとこは背中で語れ」などとよく言ったものであるが、それもあながち間違いではなかったことに気づかされる。言葉だけで何かを語ろうとすると、口八丁の人間が“反論”する。言葉に対しては、言葉をもって反抗すればよいだけであり、非常に簡単な方法と言える。しかし、言葉ではなく行動で示してしまえば事情は一変する。行動に対しては、行動で反発しない限り状況は動かない。行動の伴わない口八丁人間にとっては、付け入る隙がなくなるという寸法だ。


 その意味で、このただただ無言で歩き続ける少女は、漢の中の漢だった。

 口八丁人間アケビの付け入る隙は一切なかった。


 身体中の水分がすべて汗と化し、そのほとんどを吸ってひたひたになった浴衣の重みを感じていると、突然、少女の踵が止まった。

 足でも攣ったかと思い、ふと顔を上げると、正面には関所のようなものがあって、関守のような男がこちらに睨みを効かせていた。


 なんやここ。近くにこんなとこあったんや。


「なあおっちゃん。ここってまだ都内? 」


 やっと話せそうな人間を見つけたアケビが嬉々として声を投げたが、関守は拒絶するように目線を切った。


 なんやこの人も喋らんのかい。


 というかここはどこなのでありますか。そういえば山道も歩いたような気がするし、辺りは木々が茂っている。閑静で、キャンプにはうってつけやなあと思いつつ少女の動向を見守る。

 

 少女は書類のようなものに、記号のようなものをさらさらと記述すると、その紙をポストのようなものに投函した。何かそれは、現代世界のものとはまったく別の、知らない世界のもののように感じられた。


 少女の一連の所作を見届けた関守は、関所の奥へと入っていった。



 ――少し間があって、神々しい演出は一切なく、ただ扉が開いた。



 扉が開くとそこには、村と呼べるような一つの集落があった。

 悠々自適なスローライフゲームもここが舞台なんじゃないかと思うほどの長閑な風景が広がっており、「おいでよ」とか「あつまれ」とか言わんばかりである。少しばかりだが、人の往来もある。


 だが。


 この長閑な村には、強烈な違和感がある。日常の風景として、なくてはならないものが欠けている。


 人の声である。


 そこらに植わっている木々が風に揺れる。サラサラと音をたてる。しかし、人の声はない。

 役場にも、長屋の辺りにも、人がいて、口をパクパクさせているにもかかわらず、声が一切飛んでいないのだ。


 ただ深呼吸を続ける者。

 口パクで何かを言い続ける者。

 無言で辞書を読み続ける者。


 アケビは、少し大きめの声で、


「存在するのにイヌとはこれいかに。近寄ってきてもサルと呼ぶが如しよ」


と漠然と宙に声を放ってみた。


 すると、村人は一斉にこちらを向いて、さっき河原で少女がしたのと同じように、ふんふんと頷くではないか。


 これはどういう了見か、と、こちらを向いた人々に話しかけてみる。


「なんで誰も喋らへんの」


 返事はない。


「え、いつもこんな感じ? 」


 返事はない。


「メジャー流の歓迎か。村を挙げたサイレントトリートメントか」


 返事はない。


 なんやとんでもない異世界に来てしもうたみたいやなあ。こら誰かと話すのは、引っ掛け橋でナンパするよりも難しいで。

 少女が先導する様子もないため、ひとまず観察しながら、村を練り歩いてみる。少女はピカチュウさながらに後ろをついてくる。村の人々は労働している様子はないし、農作物を育てているようにも見えない。


 ここの住人はどうやって生計を立てているのだろう。


 「みんな喋らへんの?」とか「こっち行ってみてもいい?」とか少女に話しかけながら歩いていると、向かい合わせに建物が並ぶ、商店街のような通りに出た。かつて商店だった名残りが見受けられるが、この区画は人通りもない。


 誰もいないことを確認して商店街を通り抜けようと横道に折れると、「後藤青果」と書かれた店先に、軽トラックが一台止まっていた。


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