自立
病院には800人ほどが集められていた。
各病室には、看病者用の臨時ベッドを総動員し、一室に7、8名が収容された。
しかしこれだけ人がいるにも関わらず、誰も、一言も喋らない光景は、まさに監獄のようであった。
あれだけ献身的に声をかけ続けてくれていたサチも、いまでは俯いて、ベッドの端で小さくまとまっている。
イヴは彼らを眺めながら、つい数ヶ月前までは村全体がこんな様子だったことを思い出していた。
生まれてから11年、誰も喋らないのが当たり前だったのに。
慣れというのは恐ろしいものだ。当たり前になると、もうそれ無しでは生きられなくなる。会話は楽しい。会話は面白い。会話がないのは怖い。声がないのは寂しい。声が聴きたい。声が。
見慣れたはずの光景が、地獄絵図だ。私はこんな地獄の一部だったのだ。
「山号寺号って話があってな、昔お坊さんが、どんな寺にも、なんとか山なんとか寺と名が付くって言うてん」
あの時、アケビがかけてくれた言葉。
私が「来て」と初めて声を発した、そのエネルギーになった言葉。
アケビは多分、喋りたくて仕方がなかったのだ。会話というのは、楽しいもの、会話というのは面白いものだから。
それなのに私は、この町に来ても、声をかけられなかった。挙句倒れた。話したいことはたくさんあった。きっと村のみんなにも迷惑をかけている。病院に閉じ込められていなければ今頃は村に戻れていたはずだ。言葉がぶくぶくと泡のようにできては弾ける。サチにだって。あんなに力強い心を持った人が、いまでは絶望に打ちひしがれている。私のせいで。私のせいで。
イヴは自分の中である衝動が動き出していることに気がついた。
話したい。声が聴きたい。交流したい。
おそらくこの衝動に身をまかせてしまえば、村の計画は台無しになってしまうだろう。
しかしこれは、止められなかった。
イヴが初めて、能動的に交流を求めた瞬間だった。
「あのう、山号寺号って知っとりますか。昔お坊さんが、どんな寺にも、なんとか山なんとか寺という名前がつくと、言うたんだそうです」
返答ではない、初めての言葉は、アケビの影響をもろに受け、似非関西弁ようになった。
鬱々としていた病室内にも、なんやかわいらしいなといった空気が少し流れた。
「イヴ。ダメだよ」
サチが少ない言葉を費やして、イヴを止めようとする。しかしイヴは話すのをやめようとはしない。
「サチ、例えばなあ。悪霊退散、鬼退治。とか、ドイーツ産ソーセージ。とか」
イヴがあまりに饒舌に喋るから、サチは止められなかった。
イヴがあまりに楽しそうに喋るから、サチは数日ぶりに聴く人の声を、うっとりしながら全身で浴びた。
また、同室の者たちも同様であった。中には涙を流す者もいた。
「喋りたい時は喋ったらええねんですよ。黙ってる方が健康に悪い。みんなで喋れば怖くないんです」
うんうんと、皆んなが頷く。
「それでは皆さん、私の話を聴いて言葉チャージでした」
イヴが頭を下げると、誰からともなく拍手が起こった。イヴは肩で息をしながら、初めての高座に、生きる意味を感じていた。




