マヤ・ファンタジー前編
『 マヤ・ファンタジー 』
一の巻
「竜王丸さま、ぼちぼちそこらへんで今日はお止めなされ」
重蔵が庭先で手裏剣打ちの鍛錬に没頭している若者に声をかけた。
「まだ、夕方まで時間はたっぷりあるぞ」
手持ちの棒手裏剣を打ちつくした若者は笑顔で振り返りながら、答えた。
年齢のころは十六、七といったところであろうか、笑顔からこぼれる白い歯が眩しい。
重蔵は目を細めて若者を見詰めた。
重蔵はこの若者が好きだった。
殿がご存命であれば、どんなにか誇らしげにお思いになられたことか。
「そのように仰せられても、あまり根を詰められますると、夜の学問の時、うとうととされ、金明さまに怒られまするぞ」
「余計な心配じゃ、重蔵。それに、金明の講義にうとうととする余裕はないわ。まして、今日からは孫子の兵法の講義が始まるのじゃ。孫子の兵法、楽しみじゃ」
「と申されますると、四書五経は、はやお済みで?」
「丁度、きのうで終わった。今日から、いよいよ、孫子さま、呉子さまの兵法を学ぶこととなる」
若者は手裏剣が刺さっている板に近寄り、手裏剣を抜きながら、答えた。
「しかし、それにしてもこの棒手裏剣は打つのが難しい。先月の十字とか八方手裏剣は簡単に刺さっていたが、この棒手裏剣はなかなか上手に刺さるものではない」
「十字剣、八方剣は相手をひるませる程度のものでしかござりませぬ。殺傷力となりますと、この棒手裏剣の方が数段上でござる。棒手裏剣の場合は、何と申しましても、相手との間合いが大事でござる。間合いが短かすぎても、長くても、棒手裏剣の先端が正しく正面を向きませぬ。そのためには、棒手裏剣自体の出来具合も修練によって正しく掴み、適正な間合いに敵を置いて、即座に打たなければなりませぬ」
若者は歩数を測り、また棒手裏剣を打ち始めた。カツッ、カツッという快い音を響かせて、板に突き刺さっていく。竜王丸さまは武術の天才であろう、と重蔵は目を細めながら思った。
若者は武芸に稀有な天稟を示した。武士の表芸である剣術、槍術、弓術はおろか、重蔵の忍びの術もことごとく修得していった。五遁の術、忍びの体術、火術、忍薬、骨法術、拳法といった重蔵が修得している術を天性の資質で容易に修得していった。
「大将となるべきお方に忍びの術はふさわしくないとのお考えもござりましょうが、古くは、大伴細人という忍びをお使いになられた聖徳太子、多古弥という忍びをお使いになられた天武天皇の御喩えを出すまでもなく、忍びを活用され、治世の用に立てられた貴人は多うござりまする。甲賀流の祖となられました天慶年間の武将の甲賀三郎さま、あの源義経さま、楠木正成さまなぞはご自分も忍びの達人でござりました。竜王丸さまの今後のためにも、忍びの術、覚えておいて損はござりませぬ」
重蔵は口癖のように繰り返し、この若者に語った。
「お茶が入りましたよ。竜王丸さま、重蔵さま、少しお休みになられたら」
振り返ると、小袖、かけ湯巻姿の春日が微笑んで立っていた。
「ほい、竜王丸さま。春日さまのお茶だで。いただきましょうぞ」
「義清、弥兵衛はいずこに? 昼から見ておらぬが」
「昼から、村に野菜なぞ求めに行っておりまする」
「竜王丸さま。噂をすれば何とやらでござる。ほら、南部、北畠ご両人とも、あそこに戻られてござるわ」
重蔵が目で知らせた。見ると、野菜を入れた竹網を抱えて門をくぐり抜け、入って来る二人が見えた。
「義清さま、弥兵衛さま。お帰りなされませ。今日はどのような菜を購われましたか?」
春日の問いに義清が竹網の中を見せて、笑いながら答えた。
「良い椎茸がござった。それに、里芋と葱も買うてまいった」
「それなら、今夜は芋汁にでも致しましょうか」
「おお。それがよい。春日さまの芋汁は美味しうござるによって。味噌は身共の味噌をお使いなされ」
「いやです。重蔵さまのお味噌は塩辛いばかりで体には毒ですもの」
「ちと塩辛いことは塩辛うござるが、大蒜、葱など体によいものも混ぜてござる」
「重蔵さまが何と仰せられても、味噌はこの春日自慢の味噌を使いまする」
二人の会話を竜王丸はお茶を飲みながら聞いていた。
ふと、耳を澄ました。重蔵に言った。
「重蔵。お主の仲間が参ったようだ」
言われて、重蔵も耳を澄ました。
「確かに。少し、お待ちを」
重蔵は裏庭に歩いて行った。やがて、一人の行商人を伴って戻ってきた。
「弥平次と申す者でござる。笠のままでご無礼をつかまつる」
「弥平次でござる。忍びの常とて、面体を露わにすることは平にご容赦下されたく」
「弥平次には諸国の情勢を探らせてござる。話の中に、妙な話がござっての。申せ、弥平次」
「かしこまってござる。数日前に立ち寄った村の村人から聞いた話でござるが、龍神沼という沼がござって、時折り、龍が出るとの話でござる。夜、沼から龍が出て、天に駆け上り、明け方、天から沼に戻る、との話でござった。目撃した村人もござるが、恐ろしく、その後は二度と沼には近づかないとのことでござる」
「はて、玄妙な話であることよ。神代の頃ならともかく、今の世に龍などとはのう。竜王丸さま。竜王丸さまはいかがお考えで?」
「重蔵の言はもっともである。龍は迷信の世界での話であり、今の世に居るとは思われぬ。何かの企みでもあるのか。時に、その龍神沼のある周辺の村で何か変わったことはないか?」
「恐れながら、竜王丸さまに直に申し上げまする。この弥平次が調べた限りでは、近在の村に龍によるものと思われる被害なぞは出ておりませぬ」
「無害な龍ということか。龍が本物であれば、何か吉兆の異変が出るはずであろうが」
「その龍神沼はここから遠いのか?」
弥兵衛が訊ねた。
「いえ、それほど遠くはござりませぬ。たかだか、二十里あるかなしかの距離にござりまするが、なにぶん山の奥にござれば、三日ほどはかかるかと存じまする」
「行って、退治してやりたいものぞ。近頃、腕がむずむずしているところじゃ」
義清が刀を引き付けながら言った。
「まあ、義清さま。東郷さまが聞いたら、お怒りになられまするぞ。お家再興という志を忘れたのか、と」
「春日さま。それはそれ、これはこれ、じゃ。もう、竜王丸さまも元服を済ませ、武芸に関してはとうに我らを抜いてござるによって。竜王丸さまの腕試しの良い機会かとも思われまする。春日さまと重蔵殿の手前味噌の話を聞いているよりは、ましでござる」
義清の言葉を聞いて、竜王丸も思わず膝を乗り出して言った。
「腕試しの良い機会、と申すか。義清もそう思うか。実は、この竜王丸もそう思っていたところだ。龍退治、何と面白そうではないか」
「されど、竜王丸さま。東郷さまのお許しが出るかどうか。恐らく、お許しは無理でござろうなあ」
重蔵は、東郷金明の謹厳な風貌を思い浮かべ、溜め息を吐きながら呟いた。
その夜のことである。
「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦さをせずに、敵の国を勝ち取ることを最善とす。情報を集め、時には計略を用いて、簡単に勝てる状況をつくること、竜王丸さま、孫子のこの言葉、ゆめゆめお忘れなきよう」
東郷金明は第一回目の孫子の兵法講義を終えるにあたり、このように竜王丸に語り聴かせた。
「あい分かった。時に、金明。この竜王丸も、はや十七となった。そろそろ、諸国を行脚し、修行の旅に出たいと思う。金明、そなたの考えはいかに?」
「早い、とは申しませぬ。竜王丸さまは既に文武両道に優れた武士になってござる。そろそろ、諸国を巡る修行の旅に出る時かと思いまする。が、もう少しお待ちなされ。せめて、この孫子の兵法、呉子の兵法の講義が済むまでは辛抱なされ」
「心得た。そなたの講義が済むまでは待つことと致そう」
「ただ、お一人の旅はいけませぬ。お家の再興を志す大切なお体でござりますれば、南部、北畠の両名をお連れなさいませ。それならば、この東郷金明、安心にござりまする」
「それはようござりましたなあ。あと、たかだかひと月のご辛抱でござりまするな。義清殿、弥兵衛殿、その間ゆるりと旅の支度を整えておかれた方が宜しかろう」
満面に笑みを浮かべて、重蔵が言った。
「重蔵はいかがする?我らと共に行くつもりは無きか?」
「はっ。ありがたいお言葉ではござりまするが、はや重蔵めは年を取り過ぎましてござりまする。家と旅では異なりまする。何かと足手まといになりましては、心苦しゅうござりますれば、ここにて東郷さまと共に、お留守を預かることと致しまする。さりながら、万一の場合もござれば、先日の弥平次を陰供としてお付け致そうと存じまする」
「弥平次は手だれか?」
「はい、竜王丸さま。この重蔵が保証致しまする。重蔵若き頃の忍びの力をはや備えておりまする」
「おう、それなら、心安いことじゃ。さて、手裏剣の修練に戻ることと致そう」
竜王丸は棒手裏剣を打ち始めた。その様子を眺めながら、義清と弥兵衛は嬉しくてならぬといった表情をしていた。竜王丸との諸国行脚の旅を想うと、自然と笑みがこぼれてきた。
「重蔵さま。先ず、旅の初めは、龍神沼の龍退治となりまするな。時に、龍に刀は通用するものでござるかのう」
「義清殿。刀より、むしろ矢の方が宜しかろうと存ずるが」
「弓か。それがし、弓はあまり得手ではござらぬ。弥兵衛殿、汝はいかに?」
「それがしも、あまり得手ではござらぬ」
「ご両人、ご心配めさるな。弥平次はなかなかの弓の得手者でござる。あッ、忘れており申した。ほれ、この目の前に名人が居り申した。竜王丸さまほどの弓の名手は未だ見たことがござりませぬ」
「何と申される。竜王丸さまは弓もお上手か」
「まさに、武芸百般に秀でておられる。お家再興という大願が無ければ、武芸者として一流を開かれるお方でござるよ」
竜王丸が打つ棒手裏剣は糸を引いたように板に突き刺さっていった。三人はその光景を躍るような心で見詰めていた。
それから、一ヶ月ほどが過ぎた。このひと月は長かったものよ、と竜王丸は東郷金明の講義の最終を聴きながら思った。
いよいよ、明日は旅に出る。
旅は竜王丸にとって初めての体験となる。その日の宿が無ければ、樹の下か洞穴を探して仮の褥とする、その場合の野営の仕方はこう、寝方はこうでござる、と重蔵からの教えも聴いた。
このひと月の間、夜の学問は除き、朝の武芸鍛錬、昼の忍びの修練、全て実践に即していた。戦国の世の倣いで、夜盗も横行している。物騒な世情である。武者修行と称して、武芸の決闘に名を借りて、敗者から金品を奪う輩も居るとか、いろいろな噂話も聴いた。
「竜王丸さま。いよいよ、明日から諸国修行の旅にお出かけになりますること、まことにおめでとうござりまする。明日お召しになる烏帽子、直垂、袴、足袋の類、ここにご用意致しましてござりまする」
春日が去った後、部屋で竜王丸はわくわくする思いで、明日の旅立ちの品々を見ていた。太刀、腰刀、扇子も揃えてあった。重籐の弓と矢も用意されていた。
はッ、とした。人の気配を感じたのである。
「弥平次であるか」
「はッ」
「襖を開けて、こちらに来よ」
襖が静かに開けられ、農民姿の弥平次が現われた。
「面を上げよ。明日からは主従となる身じゃ。もう、遠慮は要るまい」
弥平次は面を上げた。存外若かった。二十四、五の若者であった。
猿に似た、ひょうきんな顔をしていた。
「随分と前から、隣に居たのであろうが、気付かなんだ。わざと気配を出すまではのう」
弥平次はにこっと笑った。笑うと少年みたいな顔になった。
「そちと重蔵の関係を尋ねてもよいか」
弥平次は少し躊躇したが、思い切ったように言った。
「父でござる」
言われて、竜王丸は弥平次の顔を見詰めた。よく見れば、なるほど、重蔵の面影をどこか残している容貌であった。
「重蔵に子が居たとは。して、忍びの術は重蔵に習ったのであるか」
「いえ、忍びはおのれの子に術は教えませぬ。あまりに苛烈な修行故。父の弟弟子に習いましてござりまする」
「なるほど。明日からは四人で旅をすることとなる。力を合わせて、愉快な旅としようぞ」
「承ってござりまする」
弥平次がまた隣室に消えた。襖を閉めた途端、弥平次の気配は絶えた。見事な忍びよ、と竜王丸は感じた。
翌朝はよく晴れていた。
朝の食事に、鯛の塩焼きが付いた。麦と米を混ぜた飯に、茄子の煮物、大根の漬物、ひじきの煮付け、大根の汁が付いた。
「ご馳走でござるな」
義清が嬉しそうに言った。
「弥平次さんとやらは、いずこに?」
春日が弥平次の膳を置きながら問うた。
「弥平次は陰供でござれば、膳は不要にてそうろう」
重蔵が春日に言った。その言葉を押し止めるように、竜王丸が庭先に向かって言った。
「弥平次。これへ参れ」
竜王丸の言葉に、弥平次がためらいがちに庭先に姿を現し、ひざまずいた。
竜王丸が縁側に立った。一振りの短刀を弥平次に差し出した。
「弥平次。陰供は不要。本日以降は我が家臣とする。主従の誓いとして、この短刀を与える」
弥平次は驚き、思わず重蔵の顔を見た。重蔵が軽くうなずいた。
「はッ。ありがたき幸せ、この弥平次、粉骨砕身し、お仕え致しまする」
弥平次は眼を潤ませながら、本当に嬉しそうな顔をして、その短刀を恭しく拝領した。
「さあ、竜王丸さまの家臣となった以上は、我らと同輩でござる。されば、こちらへ参られい、弥平次殿」
弥兵衛が膳の方に手招きをして、弥平次を招じ入れた。
「重蔵。弥平次のことを話してよいか?」
重蔵は一瞬怪訝な顔をしたが、竜王丸の意図を察し、みるみる頬が紅潮した。
「されば、身共から申し上げた方が宜しきかと思いまする。弥平次は身共の子でござる」
「おう、何と。重蔵殿にお子が居られたとは」
義清が驚いたような声を発した。
「まあ、それはそれは。重蔵さまもなかなか隅にはおけませぬな」
春日も驚いた様子であった。
「重蔵殿、晴れて親子の名乗りも済んだわけじゃ。思いがけないことではあったが、竜王丸さまに仕える者が一人増えたわけであるから、めでたい。これはめでたいことである」
東郷金明も謹厳な顔を崩して破顔一笑、大きな声で言った。
朝餉を済ませた竜王丸一行四人は東郷金明、西田重蔵、そして春日に見送られて、諸国行脚の旅に出た。
南部義清は鹿島の太刀の流れを汲む剣の達人であり、年齢は三十歳であった。
北畠弥兵衛は槍の達人で年齢は二十八歳であった。
西田弥平次は二十五歳とのことであったが、どうも本当の年齢ではなさそうな感じであった。或いは、三十近くになっていたかも知れないが、生来の童顔故、二十歳と称しても通用したと思われた。
「忍びの修練は厳しいものと聞いてござるが、まことか?」
歩きながら、義清が弥平次に訊ねた。
「さようでござる。それがしの場合は、五歳の時から始め、もうかれこれ二十年になりまするが、父重蔵の目から見たら、まだまだという修行の身でござるによって」
「重蔵殿の若き頃の働きは、春日さまからいろいろと聞いてござる。敵方の陣中に紛れ込み、弓の弦を全て切り捨て、合戦の役には立たないようにした武功とか、屋敷に忍び込み、天井裏から部屋に下り立ち、秘密の書状をまんまと盗み取った話とか、いろいろと聞いてござるよ。まことに優れた忍びであったと春日さまはおっしゃっておられた」
「ありがたいお話ではござるが、優れた忍びには逸話無しというのがそれがしのような忍びの者が理想とする忍びでござる。誰にも知られず、仕事をして、ひっそりと生き、ひっそりと死んでいく。逸話は残さず、武功は全ておのれだけの胸に秘めて死んでいく忍びがそれがしの理想の忍びでござれば」
「そのようなものでござるか。それがしのような武士の生き方とは反対でござるなあ。武士は合戦において人に知られた武功を立て、名を残し、死ぬ時は華々しく散っていくというのが理想でござるによって」
義清の言葉に、弥兵衛も我が意を得たりとばかり、頷いた。
「ただ、恥ずかしながら、それがし未だ武功を立てたことはござらぬ。竜王丸さまとお家再興で武功を立てるのが今のそれがしの夢でござる」
「それがしも、義清殿と同じ夢を持ってござる。竜王丸さまをお助けして、いつかは天下に北畠弥兵衛の名を轟かせたきものでござる」
竜王丸は微笑みながら、三人の話を聴いていた。名を挙げることに関しては、竜王丸とて南部義清、北畠弥兵衛の二人と何ら変わることは無かった。幼くして父母を喪った竜王丸に父母の面影として残る記憶は無かった。東郷金明、西田重蔵、春日によって語られる父母が全てであった。父は家の再興を果たす前に流行り病に罹り、若くして世を去った。
母も同じく疫病に罹り、幼い竜王丸を残してこの世を去った。父母の無念を晴らし、宇多源氏名流の佐々木の家名を再興することが竜王丸の夢となっていた。そのためには、おのれ自身が文武両道の武士棟梁となることが肝要であった。優れた棟梁の下には、優れた武士が集まる。
今は、南部義清、北畠弥兵衛、西田弥平次という三名の従士しか居ないが、おのれを磨くことにより、おのれの為に奉公してくれる武士を十倍、百倍集めたいものと竜王丸は思っていた。
佐々木・京極氏の家名を再興して、国を樹て、領民を安穏無事に暮らさせること、おのれの使命はそこにあると思う竜王丸であった。
道中、いくつかの村を通り過ぎた。戦乱の世とて、村は疲弊していた。
どうにも宿が見つからず、神社の社の軒先で一晩過ごした。
商いで旅をしている行商人も見かけた。
中に、陸地から遠い、山深い里ながら、魚を売り歩く行商人が居た。
晩の野営の菜として買おうとした義清を弥平次が止めた。
「どうして、止めるのじゃ。かなり、生きも良さそうじゃぞ」
「お止めなされ。魚の肉ではござりませぬによって」
「それならば、何の肉であろうか?」
「くちなわ、でござる」
「くちなわ。蛇のことか」
「さようでござる。時々、あの者は道を外れ、野原に入って行くはずでござる。野原で蛇を捕らえ、その場で皮を剥ぎ、ぶつ切りにして魚の肉と称して売るために」
「そういうものか。蛇の肉ということであれば、それがし、ご免こうむる」
「弥平次。よく知っておりゃるな。そなたも売り歩いた方か」
弥兵衛が冷やかした。弥平次は笑って答えなかった。これが弥平次の答えかと竜王丸は思い、微笑を口元に湛えた。
その夜は、運良く、百姓の家に泊まることが出来た。こんなものしか、出せませぬが、と用意してくれた夕餉は玄米粥と梅干、高野豆腐とふきの煮物であった。
「時に、あるじ殿、龍神沼を知っておりゃるか。このあたりと聞いておるが」
「知っておりまする。山を二つばかり越したところがその龍神沼でござる。はて、そこに行かれるおつもりでござろうか」
「さよう、龍神沼の龍を見に」
義清の言葉に、百姓は滅相も無いという顔をして頭を振り振り話した。
「おやめなされ。悪いことは申しませぬ。おやめなされ。龍を見るなぞと酔狂なことは」
「あるじ殿は見てござるのか?」
「おのれは見てはおりもうさぬが、もう少し先の村にて見た者がおりもうす」
「その者の話を聞いたことがござるか?」
「はい、聞いておりまする。何でも、明け方、ふと目を覚まして、庭に出て、用を足していると、空で妙な音がする。そこで、見上げてみると、長いものが空を飛んでおったと。びっくりして腰をば抜かしていると、その長いものは龍神沼の方に飛び去り、見えなくなったということですじゃ。暫くして、ばちゃっという水音がしたとのことでおりゃる。明くる日の夜、龍神沼にその村人は出かけたということでおりゃるが、今度は沼からその長いものが飛び出して来たということでござった。光るものが二つあり、丁度、龍の眼であったそうな。その者は確かに見たものは龍であったと話してござるが。今どき、龍なぞというのは、信じられないものよと村人は話しておりゃったが。果たして、どうしたものでござろうか。さりながら、龍神沼に龍を見に行くなぞという酔狂な真似はおやめなされよ」
「明日は、ここのあるじが言った龍の目撃者の居る村に行くこととなる。実際に見た者の口から龍の実際の姿を聴きたいと思うが如何であろうか?」
「竜王丸さま。それが肝心のところと存ずる。あるじが語ってござる、長いものとか眼のような光るもののもっと詳しい話が必要でござれば」
枕を並べて、雑魚寝をしながら、竜王丸たち四人はいろいろと龍のことを語り合った。
天を天翔けているというのは事実であろうが、そのようなものは鳥以外では見たことが無い。
また、沼から飛び出たとも云う。鳥でも無さそうだ。一体、何者であろうか。そんなことを語り合っている内に、ここ二日間の長旅での疲れもあったろうか、いつしか四人は眠り込んだ。
朝になった。
四人は玄米飯に干しいわし、昆布とごぼうの煮物、大根汁といった心づくしの朝餉を済ませ、龍神沼へと旅立った。弁当は梅干を握り込んだ姫飯(白米)であった。
「いろいろと世話になり、かたじけのうござった。それと、この手紙、旅の行商人をつかまえて、この宛先のところへ持参させてはもらえないだろうか」
弥平治が礼金と一緒に、重蔵宛の書状を主に託した。
「これは過分に過ぎてござる」
「いや、せめてもの心づくしでござる。気持ちよく、受け取って下されい」
「それならば、ありがたく。手紙の件も、確かに承ってござる」
百姓一家の見送りを受けて、竜王丸たちはこの村を去った。
険しい山をひとつ越え、小さな村に着いた。弥平治が道を歩いていた村人をつかまえ、龍を見たという村人のところに案内をしてもらった。
見たという村人は実直な若者で嘘をつくような男には見えなかった。
「仕事中のところ、すまないが、龍神沼の龍のことを話してはくれまいか」
その若者は昨日の百姓家の主が語ったことと同じような内容の話を竜王丸たちにした。
「あい分かった。して、そなたが見た、長いものとはどのようなものであったのか?」
「長いもの、と申しましたが、今となってはどうも自信が持てませぬ。長く見えたのかも知れませぬ。何と申しましても、飛んでいく速さが速すぎて、本来よりも長く見えたのかも知れませぬな」
「それはありうる話でござるな」
弥平次が大きく頷いた。
「龍ならば、ほれ、蛇のようにくねくねと飛ぶはず。この点は如何であったか?」
「いんや、くねくねとした飛び方ではござりますなんだ。一直線に飛んでござったわ」
「これはまた、妙な話であることよ。して、二つの光る眼ということであったが、これは如何であったか?」
「これは、確かに二つござって、おのおの光ってござった」
「光りかたで妙なことはなかったかのう?」
「それよ、それよ、妙なことは。その光は眼から出て、龕灯のように前方を照らしてござった。このような妙な光がござろうか」
「それも妙なことであるなあ。龍の眼は輝くことはあろうが、照らすという話は過去に聞いたことはござらぬな」
弥平治とその若者の会話を聴いて、竜王丸たちは一様に首を捻った。
「竜王丸さま。どうにも合点がいきませぬな」
「そうじゃ。どうも、龍ではなさそうな感じを受けるが」
「そのものは、夜現われるとのことでござった」
「なれば、義清、今夜龍神沼にて見張ることと致そうか」
「それがようござりまする。龍神沼に着きもうさば、直ちに野営の支度を致しましょうぞ」
龍神沼は周囲を鬱蒼とした森に囲まれた沼であった。いかにも龍が棲みそうな神秘的な佇まいを見せていた。昔、日照りが続いた時があり、一人の娘が雨乞いをしながら入水して命を絶ったと云う。その後、娘は龍となって昇天し、雨を壮大に降らせたという伝説がその名の謂れであった。険しい山道が上り坂となって、上りきったところが龍神沼であった。竜王丸たちは額に滲む汗を拭きながら、龍神沼を眺めた。水は殊の外澄んでおり、弥平次が少し飲んでみた。
飲めるとのことであった。沼の水で喉を潤し、握り飯で腹ごしらえをして夜を待つこととした。
「弥平次殿。そなたの忍びの術には流派がござるか?」
義清が薪を抱えて戻ってきた弥平次に訊ねた。
「ああ、ござりますとも。戸隠流でござる。始祖は仁科大助というお方でござる。別名、戸隠大助とも名乗っておられましたようで、そこから、流派を戸隠流という名になったのかも知れませぬな」
「昨日から気にはなっていたのであるが、そなたの足音は聞こえぬな。これも術の一つでござろうか?」
「お気づきでございましたか。最初の修練に、足並み十法という修練がござって、これが忍びの体術のいわば基本でござる。抜き足、摺り足、片足、小足、大足、刻み足、足り足、狐走り、犬歩み、うさぎ歩みといった技でござる」
「いわゆる、ぬきあし・さしあし・しのびあし、といったことであるな」
「隠れる術にもいくつかござる。狐隠れ、狸隠れ、木の葉隠れ、観音隠れ、鶉隠れといった術がござって、それぞれに必要な体術がござる」
「狐隠れとはいかなる術か?」
「狐は狩人に追われると、水中に飛び込んで、水草や蓮の葉や藻をかぶり、鼻先だけ出して隠れ通すという知恵を持っていると云われておりまする。忍びの術の場合は、潜水し、竹筒だけ空中に出して呼吸する術を言いまする」
「して、狸隠れとはいかなる術か」
「これは、木に登る登法の修得が必要でござる。狸の場合は狩人に追われると、狐とは異なり、樹に登って、樹の枝と木の葉の繁みに姿を隠すと云われておりまする。すばやく、大木に登り、姿を隠す術でござる」
弥兵衛も焚き火の支度をしながら聴いていたが、興味のあるところと見えて、弥平次に訊ねた。
「時に、弥平次殿、そなたは忍び道具を持参してござるか」
「いかにも、持参してござる。手裏剣、撒き菱、くない、しころ、錐の類でござるが」
「あまり、龍退治の道具とは思えぬが」
「いかにも、弥兵衛さまの仰せの通り、龍に通用する武器とは思えぬでござるな」
三人はからからと笑いあった。
夜が来た。
四人は早めに夕餉を済ませ、焚き火の火も消して、目を凝らして沼の様子を窺った。
夏のことでもあり、虫が多かった。弥平次が懐から皮袋を取り出した。中から細い棒のようなものを取り出して火を点けた。それを四人の潜むあたりに何箇所か置いた。不思議と虫が寄り付かなくなった。虫除けの忍薬と思われた。
時折り、夜の鳥が鳴く他は音とて無く、沼は静謐さを保っていた。静かな夜であった。このまま、無為に時が過ぎていくのかと思われた、その時であった。
静寂が破られた。
沼の中央が急に盛り上がった。
ザアッという音と共に、飛び出すものがあった。
それは一直線に天に駆け上り、一瞬の内に闇空に姿を消した。
「見たか?」
「確かに、見ましたぞ。竜王丸さま!」
「あれは、龍ではない」
「仰せの通り、龍ではござらぬ」
「大根のような形をしてござった」
「白い色をしてござった」
「二つの眼から光が放たれてござった」
「一直線に空に駆け上りましたぞ」
「何という、すばやさ。とても、この世のものとは思われませぬ」
四人共、今見た、この世のものとは思われぬ光景について口々に叫んだ。
茫然自失の四人とは別に、沼は微かにさざなみを漂わせながら、元の静謐さを取り戻し
つつあった。
四人は、不思議なものが沼に戻ってくるのをひたすら待った。目を皿のようにして、周
囲の空を見上げた。その不思議なものはなかなか戻って来なかった。
明け方になって、漸くその不思議なものはキーンという音と共に戻って来た。
姿を見せたと思った一瞬、それは斜め上方から沼の中央にざんぶと飛び込んで、あっという間に姿を消した。
竜王丸たちは興奮してそれぞれに見たことを語り合った。
「やはり、龍ではござらぬ」
「白い大根でござるわ」
「長さは二十尺ほどでござった」
「頭は五尺ほどもあったかと」
「尻の方に、小さな出っ張りがござった」
「翼のような出っ張りでござったわ」
「やはり、眼から光線を発しておった」
「しかし、それにしても素早い。一瞬の間でござるわ」
「沼に潜って、調べようではござらぬか」
「おう、それは良い。潜んでいる姿をじっくりと見たいものじゃ」
「身共は、水練はどちらかと言えば、苦手の方でござる」
「義清さま、安心めされい。この弥平次、魚でござる」
「それでは、皆の者、沼に入る支度をせよ」
「竜王丸さま。畏まってそうろう」
やがて、四人は褌姿となって、沼の水に体を入れた。夏のこととて、沼の水はさほど冷たくはなかった。それぞれ、水中に潜り、不思議なものの探索を始めた。藻が生え、魚が泳いでいる他は別に異常は見受けられなかった。
「弥平次、何か、あったか?」
「いえ、竜王丸さま。何もありませぬ」
「あちらの方も調べよ」
「承ってござる」
「義清、大丈夫であるか?」
「はっ、何とか無事でござる」
「弥兵衛、そちらはどうであるか」
「それがしも潜ってはおりまするが、特に何もござりませぬ」
一刻も探したであろうか。
弥平次が竜王丸を呼んだ。
「竜王丸さま。こちらにおいでくだされ」
「何か、あったか?」
「別なところに繋がる抜け道のような口がござる」
竜王丸たちが弥平次のところに近づいた。その口は水面から十五尺ほど下がったところにあり、幅は二十尺ほどはあった。この口ならば、先刻見た不思議なものはたやすく往来できるものと思われた。
「よし、この口を潜り抜けてみることとしよう。弥平次、義清を手助けせよ」
「承ってござる。さ、義清さま、この綱におつかまりなされ」
「すまんのう、弥平次殿。世話をかける」
竜王丸たち四人は弥平次を先頭に潜り始めた。口を潜り抜け、上方に向かった。
一の巻 終わり
二の巻
竜王丸たちが出たところは闇の中であった。徐々に目が慣れて、竜王丸たちは立ち泳ぎをしながら周囲を見渡した。
「竜王丸さま。どうも洞窟のようでござりまするな」
傍らに浮かび上がった義清が驚いたように小声で囁いた。
「二箇所ほど、灯りが燈ってござるよ」
弥兵衛が呟いた。
弥平次も周囲を怪訝そうに見渡していた。
「しかし、洞窟にしては少し妙でござる」
「ともかく、水から出るのが先決であろう。あそこから上がることとしよう」
四人は静かに泳いで、岸辺に近づき、そろりと岸辺に這い上がった。
立ち上がり、周囲を見た。鍾乳洞とは異なっていた。未だ、見たことはなかったが、昔東郷金明から諸国話として聞いた金山の坑道と似ている、と竜王丸は思った。しかし、それにしては、壁に掘った痕跡は無く、つるつるとしていた。まるで、何かに溶かされたような滑らかな表面をしていた。
四人は茫然と立ち尽くし、奥へ続く洞窟の道を見詰めていた。壁に二箇所、灯りが燈されていた。四人は灯りに近づき、仔細を観察した。驚いたことには、油の臭いもしなければ、蝋燭の芯も無かった。炎が無く、ただ小さく光っていた。竜王丸はその光を触ってみた。熱いだろうと思っていたが、意外に熱くは無かった。ただ、球体があり、それが光っているだけであった。四人は黙って、その光るものを見詰めるばかりであった。
“お前たちには不思議であろうが、それは蝋燭でも無ければ、油も使ってはおらぬ”
どこからか、声がした。四人はお互いに顔を見詰め合った。四人の声ではなかった。
警戒しながら、周囲を見回した。
“それは、熱を持たぬ灯りである”
心を鷲掴みにするような厳かな声であった。
「何者! 姿を見せよ!」
竜王丸は油断無く身構えながら、鋭く言った。
“どこを見ておる。ここじゃ、洞窟の中じゃよ”
四人は洞窟の奥に目を凝らした。
やがて、白い影が見えた。その影は竜王丸たちに近づいてきた。
老人であった。
ゆったりとした白い服を着ていた。古代の貫頭衣のようにも思えた。
背が非常に高かった。竜王丸たちの中で一番背が高く、六尺近い大男の義清ですら、びっくりするような身長であった。七尺近い身長であった。細長く彫りの深い顔に口髭と長い顎鬚が目立った。
“私を見て、驚いている様子だな。しかし、驚くことはない。お前たちに危害を加えるつもりは毛頭ない。安心するように”
驚くべきことに、老人の口は動いてはいなかった。しかし、老人の言葉は不思議な響きで竜王丸たちの耳に響いてきた。まるで、耳の中で言葉が発せられているような思いがした。
これが噂に聞いたことのある腹話術であろうか。竜王丸はそう思った。
「そなたはこの洞窟の主か?それがしたちは沼に出没する怪しきものを追って、ここに参りし者でござる」
竜王丸がこの老人に正面から相対する形で語った。
“お前がこの者たちの主人か。なかなか立派な若者だ。私はこの洞窟の主で、人々からはククルカンと呼ばれている者だ”
「それがしは竜王丸と申す。では、ククルカン殿にお訊ねしたき儀がござる。この洞窟の中で怪しきものを見ざるやいなや?」
“お前たちが探しているものは、あれであろう”
ククルカンは微笑みながら、おもむろに洞窟の奥を指差した。
そこに、紛れも無く、竜王丸たちが見た巨大な大根のようなものがあった。
それは、白くつるつると輝いて見えた。
「あっ、あれこそ紛れも無く、それがしたちが探し求めていたものでござる」
“あれは私の乗り物である。決して、怪しいものではない”
「乗り物と申されたか。はて、合点がゆかぬ。一体、どのような乗り物か?」
竜王丸たちから見たら、乗り物と言えば、馬か輿か駕籠といった乗り物であったが、今目の前にあるものはそれらのいずれでも無かった。
“はて、説明するとなると難しい。竜王丸と申す若者よ。乗ってみるか? 乗ってみればすぐ分かるぞ”
「竜王丸さま。およしなされ。捕らえる計略かも知れませぬぞ」
義清が竜王丸の手を引いて、囁いた。
“心配することは無い。私はお前たちの敵ではない。この乗り物でお前たちを案内してやろうと思っているだけだ”
「義清、このククルカン殿はそれがしたちの考えていることが全て分かるようだ。無駄に、時を過ごしても仕方があるまい。乗り物とやらに、乗ってやろうではないか」
「竜王丸さま、いざとなれば、相手は一人、こちらは四人でござりまする。組み打ちでよもや後れを取るとは思いませぬ」
弥兵衛が言い、弥平次も大きく頷いた。
「あい分かった。ククルカン殿、それではご好意に甘えようと存ずる。その乗り物にそれがしたちを乗せて下され」
“竜王丸、そなたの名前は覚えた。姓は佐々木か京極であろう。他の者の姓名を教えて欲しい”
「それがしの右に居るのが、南部義清」
ククルカンはじっと南部義清を見詰めた。ふと、微笑んだ。
“剣に自信のある者とみた。ただ、惜しむらくは猪突猛進”
南部義清は驚き、且つ、むっとした顔でククルカンを睨んだ。
「南部義清の右に居るのが、北畠弥兵衛」
“槍に自信のある者とみた。ただ、惜しむらくは優柔不断”
北畠弥兵衛もあっけに取られ、苦笑いをするばかりだった。
「その右に居るのが、西田弥平次」
“忍びの達人と見た。ただ、惜しむらくは親の愛情を知らぬ”
西田弥平次は少し嫌な顔をした。
「乗り込む前に、ククルカン殿、それがしたちはこのように裸である。今一度、洞窟の外に出て、服なぞ持参致したいと存ずるが」
“それもそうであろう。しかし、今一度、潜るのは大儀であろう。地上に出る道を案内してやろう。”
こう言って、ククルカンは洞窟の壁に近づいた。何やら、呟いた。今度は、ククルカンの唇が動いて言葉が発せられた。呪文のような響きであった。
驚愕したことに、壁の一部が扉のように開いた。中は空洞で上に上る階段があった。
ククルカンを先頭に階段を上った。行き止まりとなった。また、ククルカンが何か呟いた。すると、突き当りの壁の一部が開き、外界の眩い光が洪水のように押し寄せ、竜王丸たちの眼を眩ませた。
一行は外に出た。
眼下に、龍神沼が神秘的な水を湛えて広がっていた。
“ここから、下に降りて、服を着替えたらどうか。荷物は全て、持参しても構わない。勿論、武器も含めて。私にはお前たちの武器は意味を持たないから。私はここで待っている”
四人は旅の姿に戻り、荷物を携えて、先ほどの場所に戻った。すると、岩の扉が開き、ククルカンが待っていた。
“おお、その姿がお前たちの本来の姿か。実に素晴らしい服だ”
ククルカンは暫く、竜王丸たちの直垂・袴姿を見ていた。
“竜王丸、お前は大望のある身だな。貴人の血が色濃く流れている。流浪の貴公子であるか”
ククルカンは少し感傷的な顔になった。
また、ククルカンを先頭にして階段を下りて、洞窟の中に入った。
“これから、洞窟の道を通って、私の館に案内しよう”
ククルカンはその巨大な大根のようなものに近づき、指を鳴らした。
戸が開いた。中に座席があった。座席は一列に二つ、四列で八人が座れるような造作となっていた。
“順番にお入りなされ”
ククルカンに促され、竜王丸たちは乗り込んだ。
「ひどく、柔らかい床机でござるな。座り心地はようござるわ」
弥兵衛が感心したように言った。
中は白一色で座席の他は何も無かった。窓も無かった。
最後に、ククルカンが乗り込んだ。
ククルカンが何やら呟いた。戸が閉まった。また、何か呟いた。その乗り物がそろそろと動いた。動いたと思った瞬間、凄い速さで洞窟の中を走り出した。体がすごい力で背もたれに押し付けられた。
“さて、ゆるりと語ることとしよう”
“私は先ほども申したように、これから行くところではククルカンという名で呼ばれている”
“しかし、他では別な名前でも呼ばれている。これから行くところは中央の地方であるが、北部の地方ではケツァルコアトルという名前で呼ばれている。ケツァルというのは綺麗な羽毛を持つ鳥の名前で、コアトルというのは蛇のことだ。つまり、羽毛のある蛇ということになろうか”
ククルカンは少し微笑みを浮かべた。
“そうそう、説明するのを忘れておった。ククルカンのククルはケツァル鳥のことで、カンは蛇のことよ。従って、ケツァルコアトルもククルカンも同じ意味で、羽毛のある蛇ということになる。地方によって、言葉が異なっているのだ”
“名前の由来となると、私にも実は分かっていないのだ。現地人の名前の付け方は独特だからな。ケツァル鳥はその地方の神話では神の子の化身とされている。罰を受けて鳥に姿を変えられた神の子の化身という伝説もある。私がほんの気紛れで行ったことが神の仕業とされたのかも知れない。また、蛇はおそらく私の高い身長が蛇のように長いということでそのような名前がつけられたのかも知れない。私自身はこの名前が気に入っている”
“また、南部の国ではビラコチャという名前でも呼ばれている。私も忙しい男でな、いろいろと昔は活躍していろいろな国を動き回ったものだ”
“もう気付いていることと思うが、私はお前たちの住む星とは別な星からやってきた者だ。異星人とでも言うのであろうか”
「別の星、と仰せられたか。別の星とは一体どのようなものでござる?」
弥兵衛が眼を丸くしてククルカンに訊ねた。
“平たく言えば、今私を含め、お前たちが住んでいるところとは別なところと言うことじゃ。夜になると、いろいろな星が見えるであろう。その星の一つから飛んできたということじゃ”
竜王丸以下、愕然とした思いでククルカンを見た。
“私の住んでいた星は高度な文明を誇っていたが、自分たちの作った武器で争いが始まり、滅びの道を辿った。私はその愚かさが嫌になり、その星を飛び出した。偶然、この星に降り立ち、ここが気に入って住んでいるということだ”
“私の寿命はお前たちの百倍はある。私はもう三千年以上、この星に暮らしておる”
“時々は地上に出て、私を探しに昔の星の敵が来ていないかどうか、見回りをすることにしている。たまたま、お前たちの住んでいる国の村人に見られてしまったが”
“恐怖を持たせ、村人が近寄らないように、沼から出没するという派手なことをしていたのであるが、あにはからんや、お前たちのような向こう見ずの無鉄砲な若者がいたとは、少し私の計算違いであった”
ククルカンはまた微笑んだ。
“とは言うものの、実際のところは、私はお前たちを気に入っている。竜王丸、汝は若い頃の私を思い出させる。私も若い頃はお前のように、大望のある身でありながら、命知らずで無鉄砲な若者であった。はや、故郷の星を捨てて、四千年が経つ。どうも、年齢を取ると感傷的になるものだ。今のお前に、私はどうも郷愁を感じているようだ”
“さて、それはともかく、話を進めよう”
“前にも話したように、この星に来たのは三千年前であった。それから、五百年の間、私は住むべき館の建築に没頭した。と同時に、今通っているような道もこの星のいたるところに館から直接繋がるように造った。”
“館造り、道造りも一段落した後で、私は地上に出て、現地人と交流を始めた。これは、無論私の気紛れによる。何も、現地人と交流する必要はなく、現地人の発展をただ見てれば良かったのであるが、少しでも速く発展させてやりたいという私の善意と退屈しのぎの暇潰しという二つの気持ちから私は時折現地人の営みに介入した”
“しかし、その内、私を激怒させるようなことが起こってしまった。”
“竜王丸たちは思いもよらないであろうが、宗教儀式の中で、生贄という恐るべきことが行われ始めたのだ”
“農業が始まると、これはどこの国でもそうであろうが、天候に対する関心が最重要の関心となってくる。種を蒔くべき時を知り、種を蒔いた後は、太陽はちゃんと明るく地上を照らし、雨はちゃんと降ってくれるという状態が一番農業には良いのだ”
“いつのまにか、太陽を確実に上がらせるためには人にとって一番大切なもの、つまり人間の命を捧げなければならない、という考え方を採るような馬鹿な神官、祭司が増えてきた。また、旱魃が続けば、雨の神にやはり人間の命を捧げるという馬鹿げた思想がでてきた”
“その結果、身の毛もよだつような生贄の殺人儀式がはびこるようになってしまった”
“生贄を得るてっとり早い手段として、部族間の戦争が常態となり、花の戦争と称して捕虜獲得のためだけの戦争が定期的に行われるようになってしまった”
“生贄は生きたまま、捕らえなければならない。殺す戦争ではなく、捕虜を得る戦争で狙うは相手の王か貴族か勇敢な戦士ということになる。高位の捕虜を獲得したところで戦争は終わる。一般の農民は捕虜としての値打ちは無いと見なされ、戦争の対象からは外された”
“捕らえた捕虜は、竜王丸たちの国でもそうであろうが、儀式の時に斬首される。或いは、生きながら、胸を切り裂かれ、心臓を抉り取られる。その後、皮を剥がれる時もあれば、人肉を儀式の中で食べてしまう、ということも頻繁に行われるようになった”
“私は、捕虜を殺した後、その皮を剥ぎ取り、神官が剥ぎ取った皮を被って狂ったように踊っているという光景を何度も見た。まさに、吐き気を催す光景だった。また、人肉喰いということも耐え難い慣習だ。生贄となった人体は神と通じ合った人体であり、聖なるもので、その肉を食べるということは神と通じ合う、という妙な理屈で食べるのだ。馬とか牛とかいった大型の家畜のいない国では人の肉が手っ取り早い蛋白質補給源となるのか。これも私には耐え難い慣習であった”
“止めさせようとしたが、出来なかった。私は絶望し、現地人とは接触を持たないことに決め、彼らの前から姿を消した。それから、今に至っておる”
竜王丸たちも、ククルカンの生贄の話には思わず背筋が凍る思いをした。
「それがしたちの国では生贄の風習はありませぬな。神代でのことはともかく、今の世では、そのような野蛮な風習はござらぬ。ただ、今は戦国の世でござれば、戦場での首取りは常のことでござるが」
竜王丸がククルカンに言った。
“おお、はや着いたようだ”
“始めに、断っておくが、お前たちはもうお前たちの国を離れ、この星で言えば丁度反対側のところに居る。お前たちは知らないであろうが、この星は丸い形をしており、お前たちの国と今居るところは丁度反対側なのだ”
竜王丸たちはきょとんとしていた。ククルカンの話は竜王丸たちの理解をはるかに越えていたのであった。ククルカンは竜王丸たちの心の内を読み、微笑みながら言った。
“まあ良い。後で説明してやろう”
“さあ、我が家に着いた。降りることとしよう”
ククルカンがまた呪文みたいな言葉を呟いた。
扉が静かに開いた。
竜王丸たちが降り、最期にククルカンが降り立ち、扉は閉まった。
竜王丸たちは周囲を眺めた。今まで見たこともない光景が広がっていた。岩の洞窟では無く、白一色のつるつるした壁に覆われた部屋に居た。広大な部屋であった。千畳敷もありそうな、と竜王丸は思った。壁に穴が何本か開いていた。その内の一本の穴を通って、ここに辿り着いたものと思われた。
「ククルカン殿。壁の穴は今の乗り物のための穴でござるか」
“その通りだ。今、お前たちが乗ってきた乗り物は八人乗りの高速飛行自動車であり、壁の穴は全部で十本あり、お前たちの国の他、この星のいろいろな国に繋がっている”
“そう、先ず、この星のことを教えてやろう”
ククルカンが何か呟いた。床の一部から箱のようなものがするすると上がってきた。
箱には小さなものが付いていた。小型の硯箱のようなものだった。ククルカンがそれを外し、指で表面を触った。箱の中央が光を発し、丸い球体が映し出された。
竜王丸たちは茫然とその映し出された球体を見詰めた。
“これがこの星の実際の姿であり、空に浮かんでいる。美しい星だ。お前たちの国はこの小さな島だ。そして、今お前たちは反対側のここに居るのだ”
その球体はゆっくりと回転し、ククルカンは指で示した。
“お前たちの国を拡大して見ることとしよう。この島の・・・、この地方の・・・、ここが龍神沼だ”
ククルカンの説明に合わせ、地図が拡大されていき、龍神沼がようやく視界に現われた。
竜王丸たちは茫然とした思いで、小さな島が大きく拡大され、龍神沼の全景がその画面に徐々に出現してくる様子を見詰めていた。竜王丸は信じられないという表情をして、ククルカンを見た。
“この星も他の星と比べたら、それほど大きな星ではないが、お前たちの島もこのように海に浮かぶ小さい島だ。まして、龍神沼なぞはこの縮尺では目にも見えないほどの大きさでしかない”
「ククルカン殿。今、それがしたちはこの星のここに居ると申されたが、俄かには信じがたい話でござる。乗り物にて、ほんの少しの間、乗ったばかりでこのようなところに居るとは、まことに信じがたい」
“龍神沼から出て、夜明けに戻ってくるまでに、あの高速自動車はこの星の空を十周ほど回っているのだ。それほど速い乗り物なのだ。驚くには値しない”
“そうだ、ここの外界の様子を見せてやろう。ここは暑いところだ”
ククルカンはまた硯箱をいじり始めた。画面が変わり、鬱蒼とした森が現われた。
“どうだ。お前たちの国の森とは大分違った森であろう。もう少し、拡大してやろう。どうだ、この紅い花は。お前たちの国には無い花だ。ほら、ここに動物が居る。この動物は肉食の大型動物だ。南部義清と言えども、剣でこの動物を退治するのはなかなか難しい”
黄色い肌に黒の斑紋を持つ動物が大きく拡大された。その獰猛そうな顔に、竜王丸一同は思わず身構えた。
“そう身構えずとも良い。ここから相当離れた場所の画面に過ぎない。この地方では、この動物が一番強い動物だ。その強さ故、現地人には尊敬されており、この動物を倒す者は勇者中の勇者としてさらに尊敬されるのだ”
「この動物はそれがしたちの国にはおりませぬ。まことに、今それがしたちは異国に居るということでござるなあ」
義清が感嘆したように呟いた。
竜王丸たちは穴堀りに使われたという自動人形も見せられた。竜王丸たちと同じような身長の自動人形であったが、全身が金属で作られていた。お前たちの剣よりも強い金属で出来ているとのククルカンの説明であった。また、奇妙な部屋も見せられた。線香一本が燃え尽きる程度の時間で全身の疲労が回復するとの説明であった。ククルカンの説明によれば、この部屋に毎日入ることによって、長い寿命が保たれるとのことであった。その他、ククルカンの武器も見せてもらった。握りの付いた筒状のもので、筒の中から光が出て、敵を貫通し倒すとの説明であった。
“この武器を使ったことはほとんど無い。千年過ごした中で数回といったところだ。現地人はこの武器のことをシウコアトルと名付けて恐れている。シウは火、コアトルは蛇のことであるから、まあ、火の蛇といった名前か”
“竜王丸、少しこの国で過ごしてみる気はないか。このまま、元の国に帰ったところで面白くもあるまい。少し、この国を体験してみるのも悪くはないだろう”
「もとより、それがしたちは諸国を行脚し、いろいろと修行をするつもりでござるによって、この国で修行するのもよかろうと存ずる」
竜王丸は義清たちを振り返って言った。
「そなたたちの考えはどうじゃ?」
義清たちはお互い顔を見合わせていたが、考えは同じと見えた。
「それがしたち三人は同じ考えでござる。竜王丸の行かれるところ、それがしたちも喜んで参りまする」
“よし、それならば、お前たちに旅の土産として、三つのものを進呈しよう”
“一つは防御服である。実は私も着用している”
ククルカンは膚を覆っている透明で薄い布のようなものをつまんで示した。
“これは極めて薄いが極めて丈夫な防御服である。これで、頭から足の指まで着用すれば刀はおろか、矢も通さない。頭部用、上半身用、下半身用、手袋、足袋と全身を覆うことが出来る。頭部用は呼吸も出来るように作られてある。着心地も良い”
“二つ目はお前たちの武器をより頑丈に強くしてやろう”
“刀、槍、矢といった武器に特殊な合金を蒸着してやろう。刀なら斬鉄剣となり、何でも斬れ、しかも折れない刀となる。槍、矢の場合も何でも射抜く強度を持つようになる。私が進呈する防御服が唯一この斬鉄剣に対抗しうるものである”
“三つ目は携帯用の食料である。”
“小さな粒であるが、一日に一粒服用するだけで十分である。空腹感は感じない。水だけ飲んでいればよい。便は出ないが心配することはない。まあ、一ヶ月ほどの滞在で十分であろうから、三十粒ほど進呈しよう”
“どれ、お前たちの武器を貸してごらん”
ククルカンは竜王丸たちの武器を取り上げ、刃を剥き出しにした上で、四角い箱の中に入れた。これも線香一本程度の時間で済んだ。刃は何の変化も無かったように感じられたが、よくよく見ると、微かに青みがかった色になっていた。
“そうそう、大事なものを忘れていた。これじゃ”
ククルカンは小さな粒を二つ見せた。
“これは耳に入れる。表面が柔らかくなっている。これを耳に入れておけば、相手の言葉が全て分かるようになる。また、こちらのものは服の首のところにでも、このように付けておく。こちらの言葉が相手の心に伝わるようになる”
「つまり、異国の者同士でも意思がお互い伝わるということでござろうか。はて、玄妙なからくりでござるなあ」
弥兵衛がひどく感心したような口振りで話した。
“さて、それでは、一人ずつ、あの疲労回復の部屋に入り、旅の疲れをきれいに落としてから、この国の見物に出かけることとせよ”
ククルカンが竜王丸たちに言った。
直垂、袴姿より行者姿の方が動きやすく良かろうということになり、竜王丸たちは全員防御服を着用した上で、白い筒袖、股引という姿になった。一応、頭部用の防御も行った。
なるほど、ククルカンの言う通り、呼吸もしやすかった。驚いたことに、着心地も良く、暑苦しさは微塵も無く、むしろ清涼感さえ感じる防御服であった。
ククルカンが先頭に立ち、地上に出る穴の階段を上った。
出たところは密林の中であった。鬱蒼とした密林で、草の匂い、樹木の匂いが充満していた。木陰から洩れ来る太陽の光は眩いばかりで、相当暑いはずであったが、防御服のおかげで暑さは感じられなかった。汗もかかない。竜王丸たちはいっぺんにこの服が好きになった。
ククルカンと別れ、竜王丸一行は異国の地での冒険の旅に出た。
遠くで、鳥の甲高い鳴き声がした。また、獣の唸り声も聞こえた。不気味な響きであった。
「みなのもの、これからが修行の旅ぞ。油断することなく、おのれを磨こうぞ」
竜王丸たちは慎重に密林の中を歩いた。
ふと、弥平次が立ち止まり、地面に耳を押し付けた。
「大勢の足音が聞こえまする。方々、ご用心あれ」
その内、人の声が聞こえてきた。
竜王丸たちは緊張しながら歩を進めた。
二の巻 終わり
三の巻
ボロンカルはマヤの平和な村であった。
いたるところに南国の赤い花、黄色い花が咲き乱れる、マヤの平和な村だった。
村の周囲は鬱蒼と繁る厚い密林に囲まれており、数世紀にわたり、外敵の侵入も無く、人々は穏やかに暮らしていた。
周辺に川は無かったが、豊かな水量を蓄えた地底湖が村の外れの幾つかの洞窟にあり、人々は家事に使う水を汲んだり、水浴をしたり、洗濯をすることが出来た。
村には家畜として、七面鳥、犬が飼われており、野原には野生の七面鳥の他、鹿、うさぎ、雷鳥、うずら、土鳩、イグアナ、アルマジロといった動物がたくさんおり、人々は狩でたやすく捕らえることが出来た。
また、周辺の密林は計画的な焼畑が行われ、トウモロコシ、マメ、カボチャ、アボカド、トマト、綿花といったものを栽培し、豊かに暮らしていた。
しかし、数年前から他の部族からの襲撃が重なり、村人はマヤパン末裔の王国の一部落として自衛のための戦士軍を組織せざるを得なくなっていた。
その戦士軍の一人の長にホルカッブという若者が居た。
屈強な体をしており、戦士ということでマヤの風習で、体を黒い染料で隈なく塗ってはいたが、その膚はしなやかで艶があり、ホルカッブの身体は雨水を綺麗に弾き、濡れないという部落の女たちの評判を取っていた。
そのホルカッブが草叢に身を潜め、激しい雨に打たれながら、じっと前方を見詰めていた。
その視線の先に、数人のインディオと見慣れぬ姿をした白く背の高い男が雨宿りしながら、巨木の蔭に立っていた。
インディオは敵対しているメシーカ族の戦士だった。
白く背の高い男が脇に居た。
あれが噂に聞いたククルカン末裔の男か、とホルカッブは息を潜めながら思った。
その男は見慣れぬ服を着て、長大な剣を腰に差し、細長い棒のようなものを両手で持っていた。
あの長大な剣は見たことの無い金属で出来ているとのことだ。良く切れ、そして頑丈という噂だ。あの剣が欲しいものだとホルカッブは思った。
また、細長い棒のようなものを見詰めながら、あれが火を吐く棒か、とホルカッブは推測した。これも剣同様、部落の誰かが噂をしていた。
あの棒は稲妻を吐き、その稲妻に打たれた者は即座に死ぬという噂であった。
微かな音がした。ホルカッブは音がした方を横目で見た。
そこに蛇が居た。
頭が三角形をしていた。五尺ほどの長さの蛇だった。汚い斑点のある蛇だった。
毒蛇だった。
ホルカッブの右手が動き、蛇の首を掴んだ。すばやい動きだった。
蛇は体をくねらせ、ホルカッブの右腕に絡みつき締め上げた。
ホルカッブは構わず、左手で器用に黒曜石のナイフを腰から引き抜き、地上に押さえつけた蛇の頭を切り落とした。
ホルカッブは音を立てないように行ったつもりであったが、木陰に佇んでいたインディオの一人が気付いたようであった。
ホルカッブが潜んでいる草叢を見た。そして、弓に矢をつがえようとした。ホルカッブは草叢を離れ、駆け出した。矢が右の耳をかすめていった。ホルカッブは後ろを振り向かず、ひたすら密林の中を走り、逃げた。
ボロンカルに辿りついたホルカッブは暫く、大きな樹の下で体を休めた。
「ホルカッブ、どうしたの?」
ホルカッブが眼を上げると、そこに一人のウィピル(マヤの貫頭衣で、脇を縫っただけの衣服)姿の若い娘が居た。色とりどりの花を手に持っていた。
「ああ、シュタバイか。俺は今、メシーカ族から逃げてきたところだ。あいつらはすぐ近くまで来ている。これから、アーキンマイかホルポルに知らせてこようと思っている」
「メシーカ族なの。あの残酷なメシーカなの?」
「そうだ。やつらは強い弓を持っている。逃げる俺に矢を射掛けてきた。それに、話に聞いたことのあるククルカンの末裔の男も一緒に居た」
「えっ、こんな近くまで来ているの」
驚くシュタバイを後にして、ホルカッブは村落に行き、首長のアーキンマイを探した。
アーキンマイはピラミッドの神殿の上に居た。
アーキンマイはいつものように、ケツァル鳥の青い羽根のついた頭飾りをそよ風にたなびかせていた。
マヤのピラミッドは階段状に造られており、ボロンカルのピラミッドは五十尺(15メートル)ほどの高さで、頂上に神殿が建てられていた。ピラミッド、神殿共、赤く塗られていた。
アーキンマイは魔術師のスキアと一緒にタバコを吸って寛いでいるところだった。
ピラミッドの急な階段を駆けるように登ってくるホロカッブを見て、少し驚いたようであった。不安が一抹の風のように、彼の心に忍び込んだ。
「偉大なる首長アーキンマイと偉大なる呪術師ウアイ(スキアのこと)よ。私はメシーカ族とククルカンの末裔の男を見た」
「勇者ホロカッブよ。お前はその者たちをどこで見たというのじゃ」
「北のヤシュチェー(セイバ)の樹の下で雨宿りをしていた。メシーカが三人、ククルカンの末裔が一人居た」
「お前はやつらに見つかったのか」
「見つかり、矢を射かけられたが、何とか逃げてきた」
「もう、あんなところにまで、メシーカは来ているのか。おそらく、その者たちは斥候であろう。周辺の部落はもう制圧されたものと見える。スキア、何か言うことはないか?」
スキアは葉巻を吸うのを止めて、アーキンマイに語った。
「おそらく、メシーカはこの村に奇襲をかけてくるだろう。神々が私に語りかけている。奇襲は明日か明後日であろう」
「ホロカッブよ。スキアの予言に基づいて、戦士の長に伝えよ。奇襲に備え、棍棒と槍を戦士に配れ、と」
ホロカッブが命令を持って、ピラミッドを駆け下りようとした矢先、アーキンマイが呼び止めた。
「戦士の長に伝えてから、ご苦労ではあるが、近隣の部落にもメシーカ族の来襲を告げてきて欲しい」
ホロカッブは駆け下りて行った。
「アーキンマイよ。どうするつもりだ。奇襲は何とかしのぐとしても、正規軍で来られたら、部落連合くらいでは太刀打ちは出来ないぞ。マヤパンの王にも知らせておくべきではないのか」
「スキアよ、わしもそう考えていた。マヤパンの王にも連絡をしておこう。ホルカンに命令し、マヤパンに行かすこととしよう」
アーキンマイはあたふたとピラミッドを下りて、ホルカンを探しに行った。
マヤの場合は、アステカ帝国を築いたメシーカ族とは異なり、王、神官の下で国家の運営にあたる官僚組織は無かった。従って、専制的リーダーである王自体の個人的資質に国家としての運営が依存していた。個人的資質に優れた王ならばともかく、資質で劣る王の在位時は、順風満帆に行っている時は良かったが、敵国の襲来といった異常な事態が起こった時はその国家は悲惨な運命を辿らざるを得なかった。
これはボロンカルのような部落の首長にも言えた。
スキアは再び葉巻を吸いながら、別なことを考えていた。薄い笑いを浮かべていた。
今までは、周辺の部落と力を合わせ、何とかメシーカ族の侵入を阻止してきたが、ククルカンの末裔がメシーカ側についたということであれば、話は別だ。ククルカンの末裔たちの或る者は四足の巨大な体躯をしているということであるし、剣も特殊な金属で出来ており、わしたちの黒曜石とか火打石から作ったナイフでは到底太刀打ちが出来ない、また、稲妻を発するという恐るべき武器も持っている。到底、わしたちに勝ち目はない。それに、今の首長のアーキンマイという男は翡翠とカカオの豆を集める能力しか持っていない強欲な男だ。頼りにならない。また、これから連絡を取ろうとするマヤパンも昔の勢威はもはや無く、王の人望だけで盟主の地位を占めているだけの国だ。まして、噂では北の海からもククルカンの末裔たちは上陸しているという話だ。北の海に近いマヤパンもそちらの対応に追われているらしい。もう、わしたち、マヤも時間の問題で滅亡する時か。
スキアはそんなことを考えていたのであった。
※ 筆者注記:カカオの豆は当時大変貴重なものとされ、通貨としても通用していた。
飲み物としては、磨り潰して、水や香料、唐辛子を入れて泡立てて飲
んでいたと思われる。砂糖を混ぜ、甘くして飲んだのはスペイン人の
征服以降である。
一方、ホルカッブはアーキンマイに命ぜられたことを忠実に実行していた。戦士の長はホルカッブも含め、十人ほど居た。それぞれ、二十人ずつの戦士を率いていた。合計、二百人の戦士がこの部落の防衛にあたる戦士だった。ホルカッブは戦士の長の家々をまわりながら、メシーカ族とククルカンの末裔たちを部落の近くで目撃した旨を告げ、スキアの予言に基づく戦闘の準備を呼びかけて行った。途中で、コチャンに遇った。コチャンは猟師で弓の達人だった。と同時に、シュタバイに恋しているということに関しては、ホルカッブの恋のライバルでもあった。しかし、二人は幼馴染であり、少年時代は若者宿で一緒に寝起きした仲良しであった。
「どうしたんだ。ホルカッブ、そんなに急いで」
「ああ、コチャンか。今日、部落の北のヤシュチェーの樹の下で、メシーカのやつらを三人見た。恐らく、斥候だろう。傍に、ククルカンの末裔も一人居た。アーキンマイとスキアに話したら、じきに奇襲があるかも知れないということで、今戦士の長の家々をまわって、戦闘準備を呼びかけているところだ。コチャンも矢をいっぱい作っておいた方が良いぞ」
「うん、そういうことなら、矢をたくさん作っておくこととするよ。時に、シュタバイは見なかったかい?」
「ちょっと前に、部落に入るところで見かけたよ」
「ああ、そうか。メシーカに襲われたら、と思うと心配でならない。シュタバイを探してくるよ」
ホルカッブはコチャンと別れ、また、戦士の長の家々に走っていった。
ホルカッブと別れ、コチャンは部落に入る入口の方に歩いて行った。
コチャンは、シュタバイには自分とホルカッブの他に、求婚者があと二人居ると思い、少し憂鬱になった。ホルカッブと同じ、戦士の長で格闘技の勇者、ホルカン、そして、天文担当の神官見習いのナチンの二人も数年前からシュタバイに求婚していた。メシーカ族の神官は独身を守るという定めになっていたが、マヤ族の神官は妻帯が許されていた。ナチンの家は神官を世襲しており、家格としてはアーキンマイに次ぐ家格の貴族であった。
娘の結婚に関しては、その娘の父親が絶対的な権限を持っていた。そして、シュタバイの父親、サーシルエークはこの四人の求婚者の中で、コチャン自身の目から見たら、どうもナチンに娘を嫁がせるつもりでいるように思えた。
村の入口から少し入ったところをシュタバイは摘んだ花を両手で持って歩いていた。
赤色、黄色と色とりどりの花は可憐で綺麗だった。まるで、シュタバイのようだ、とコチャンは思いながら、声をかけた。
「やあ、シュタバイ、元気かい。早く、家に帰った方が良いよ。ホルカッブから聞いたんだが、メシーカがうろちょろしているらしいから。明日か明後日か、メシーカが襲ってくるかも知れないって」
「私もホルカッブから聞いたわ。それはそうと、コチャン。村でウツコレルを見なかった?」
「ウツコレル? いや、今日は未だ見ていない。どうかしたの?」
「二人で花を摘みに行って、森で別れたんだけれど。メシーカが近くに居るらしいから、ウツコレルが心配なのよ。さらわれたりしたら、大変だから」
「うん、それなら俺が探しに行ってくるよ。シュタバイはこのまま早く、家に帰った方がいいよ」
シュタバイと別れ、コチャンは村の入口の方に歩いて行った。
ウツコレルはシュタバイの妹でシュタバイより一歳下だったが、実の妹では無く、サーシルエークが十年ほど前に交易のために部落を離れ、西方を旅した時に孤児となっていたウツコレルを連れて帰り、シュタバイの妹として育てていた娘だった。
サーシルエークが旅の途中で、燃えている家を見かけた。サーシルエークは恐る恐るその家に近づいた。中から、泣き叫ぶ女の子の声がした。思わず、飛び込んだ家の中で彼が見た光景は無残なものだった。
頭を割られ、血に染まった白い男とマヤの女が倒れていた。その脇で小さな女の子が立ちすくみ、泣いているのだった。炎は既に屋根に移り、いつ屋根が倒壊してもおかしくはない状態だった。思わず、彼は女の子を両手で抱きかかえ、家の外に転がり出た。その瞬間、屋根が落ち、家は黒い煙に包まれた。まさに、間一髪の出来事だった。
彼は女の子を連れて、部落に戻った。その後、彼が聞いた噂によれば、ククルカンの末裔たちの仲間割れで、一人が殺され、一緒に暮らしていたマヤの女も殺されたとのことだった。殺された両親の不運な混血の子がウツコレルだった。
ウツコレルは変わった顔立ちをしていた。肌の色は白く、顔立ちもマヤの顔をしていなかった。頭の形も生まれた時のままで丸く、マヤに独特な額の変形が無く、眼も斜視とはなっていなかった。恐らく、殺されたククルカンの末裔と思われる父親がマヤの風習である額の変形と強制的に斜視にすることを嫌がったためかと思われた。子供が生まれるとすぐに額と後頭部を板で挟み、額を後ろに強制的に反らせることと、額から紐で玉を鼻のところに垂らし、その玉を見詰めさせることにより、強制的に斜視にするといった風習がマヤ民族には共通していた。そして、反らせた額と斜視が顕著なほど、高貴であると見なされていた。シュタバイはそのマヤ独特の観点から言えば、高貴で美人であると評価されていたのであった。一方、ウツコレルに関しては、マヤの美的観念から言えば、完全な出来損ないの少女という評価でしかなかった。
コチャンはウツコレルを探して、村の入口を出て、北のヤシュチェーの樹の方に歩いて行った。そこは、ホルカッブの話によれば、メシーカ族の斥候が徘徊しているところであり、コチャンは弓に矢をつがえ、油断無く身構えながら、歩いて行った。
村の入口と北のヤシュチェーの樹の中間あたりに来た時であった。
突然、女の悲鳴が起こった。その声の方向にコチャンが素早く走って向かった。
巨木を背にして、ウツコレルが立ちすくんでいた。ウツコレルの前に、弓矢を持ったメシーカが居た。メシーカはにやにや笑いをしていた。
コチャンが鋭く、ウツコレルに声をかけた。メシーカはコチャンの方を振り向き、弓を構えて矢を放とうとした。コチャンの方が速かった。コチャンの放った矢がそのメシーカの胸を貫いた。メシーカは断末魔の声を上げ、崩れ落ちた。
「ウツコレル、速くこちらへ。逃げよう!」
コチャンがウツコレルを手招きしながら呼んだ。そして、ウツコレルの手を握りながら、部落の方へ駆け出した。耳元を矢がかすめて行った。コチャンが後を振り向くと、別なメシーカの戦士が居て、新たな矢をつなごうとしていた。二人は全速力で走り逃げた。
部落に着いた。大きく息を弾ませるウツコレルを身ながら、コチャンが言った。
「今日、ホルカッブがメシーカの斥候を見た。お前を襲ったあのメシーカもおそらくその斥候かも知れない。ここニ、三日の間でメシーカが奇襲をかけてくるかも知れないとホルカッブは話していた。当分は、ウツコレル、部落の中に居た方がいいよ」
「ええ、コチャンが助けてくれなかったら、私はどうなっていたかしら。本当に、ありがとう。シュタバイと別れ、森の中を綺麗な花を探して歩いていたら、ふいにあのメシーカが現われて、・・・」
そこに、ホルカンが走って来た。ホルカンは腰帯(褌のようなもの)姿であったが、戦士の長らしく、マント状の肩掛け布を上に纏っていた。
「ホルカン、そんなに急いでどこに行くんだ?」
「ああ、コチャン、それに、ウツコレル。俺はこれから、マヤパン王に会いに行くんだ。アーキンマイの命令で、メシーカ族の来襲を告げに行くんだ。ホルカッブが今日近くでメシーカを見たらしいんだ」
「知ってる。そいつらがウツコレルを襲おうとしたんで、俺はそいつらの一人を矢で射殺してやったんだ」
「おお、それはお手柄だったな。俺は急いでいるので、これで行くけれど、メシーカがウツコレルを襲った件はアーキンマイに言っておいた方がいいよ。では、・・・」
ホルカンは走り去っていった。
ナチンはコパルを焚いた部屋に座って、ぼんやりと考えていた。
マヤは滅びる、と薄々感じてはいたが、この頃の天文観察を行えば行うほど、マヤ滅亡の日が近いことを痛感させられていた。天文を見れば見るほど、マヤは近いうちに必ず滅びるという暗示に満ちていたのであった。
マヤはメシーカ族と異なり、強力な帝国をつくらなかった。都市国家として昔からそれぞれが独立国として存在していた。ただ、その時々で都市国家の盟主はあった。例えば、ウシュマルが栄え、次にチチェン・イッツァが栄え、マヤパンが盟主となった。しかし、今は盟主がなくなり、小さな独立都市国家が点在しているに過ぎない民族となってしまった。
この部落も名目上はマヤパン王国に属してはいるが、マヤパン王にかつての威厳はなく、メシーカの襲来、ククルカンの末裔たちの攻撃に対して、部分的な抵抗しか出来ない国家となってしまった。
このままでは、必ずマヤは滅び、都市を捨て、かつての森の惨めな暮らしに戻ることになり、マヤ文明は消滅する。その思いがナチンの確信ともなり始めていた。
俺はどうしたら良いのだろう。
俺は、シュタバイの父親のサーシルエークには受けが良いので、このまま順調に行けば、シュタバイと結婚出来るだろう。そして、親父が死んで俺がアフ・キン(太陽の男:マヤで神官を云う)となる。シュタバイを妻とし、幸せな一生を送れるはずであるが、肝心の部落が滅びてしまったら、俺の人生設計は狂ってしまうのだ。部落が何としてでも存続するようにしなければならない。アーキンマイもそう考えているだろう。おそらく、魔術師スキアもそうだ。メシーカ族、或いは、ククルカンの末裔と云われる男たちとも、うまく立ち回らなければならないのだ。
特に、メシーカ族との関係は微妙だ。このままでは、メシーカ族に滅ぼされてしまう。と言
って、メシーカに勝てるとは到底思えない。ホルカンとかホルカッブが率いる部落の戦士がいくら頑張ったところで、多勢に無勢だ。いつかは、滅ぼされてしまう。戦えば戦うほど、メシーカには憎まれることとなる。戦って、少し強いところを見せて、メシーカと和睦し、メシーカの中で有利な位置を占めた方が利口ではないのか。
かと言って、戦わずに降伏したら、その後はメシーカの言いなりになってしまう。
やつらの儀式の都度、生贄を出せ、という無茶な要求も出てくるかも知れない。これはまず
い。一度、力を示しておいてから、有利な条件で和睦するのが賢明というものだ。この件はアーキンマイにも秘かに伝えておかなければならない。
コパル香の淡い煙の中で、ナチンはそう思いながら、シュタバイの優雅な顔をうっとりと想い浮かべていた。
「お帰り、ウツコレル。シュタバイから聞いたけれど、メシーカに遇わなかったかい?」
ウツコレルが戻って来た時、母のイシュタブが訊ねた。
「ええ、お母さん、襲われそうになって、怖かったのよ。でも、コチャンが助けてくれたの」
「ああ、そうだったのかい。コチャンが助けてくれたのかい」
「ウツコレル。良かったわ。丁度、コチャンが居て」
シュタバイも笑顔でウツコレルを迎えた。
「それに、お母さん。コチャンがこれを呉れたの」
ウツコレルはコチャンから貰った兎を二匹、母に渡した。
「まあ、この兎を。いつも、ありがたいわねえ」
「コチャンは腕の良い猟師ね。いつも、私たちに何か獲物を呉れるわ」
「それは、シュタバイ。コチャンは貴女の気を引きたいからよ」
「まあ、ウツコレルったら、おませなことを言って」
シュタバイは妹にからかわれ、少し赤くなった。そして、ウツコレルをぶつ仕草をした。
「だって、シュタバイは男の人、四人から求婚されているのよ。ナチンでしょう、ホルカン、コチャン、それに、ホルカッブ。いずれも素敵な人ばかりよ」
「ウツコレル。お姉さまをからかうのはお止し。結婚を決めるのはお父さまなのですから。うかつなことはお言いでないよ」
母から叱られ、ウツコレルは舌を出して、シュタバイを見た。
「ウツコレルも来年、十五になったら、求婚されるわよ」
「それはないわ。私はお姉さまのように綺麗じゃないから。男の人から求婚されることなんかないわ」
「また、そんなことを。ウツコレル。自分をそんなふうに言うのはお止し」
母から注意されたが、ウツコレルの顔は晴れなかった。
奥から、父のサーシルエークが現われたので、母娘三人の会話は途絶えた。ウツコレルは自分の顔、そして肌の色が部落の娘のそれと違いすぎるのを恨めしく思い、悲しかった。
普通の娘になれたら、と思い、母と姉の居ない時を見はからって、斜視になるように練習をしたのであるが、どうしても駄目だった。
「イシュタブ。娘たちとどんな話をしていたのだ」
娘たちが自分たちの部屋に戻ったのを確かめてから、サーシルエークは妻のイシュタブに尋ねた。イシュタブは少し口ごもりながら、夫の問いに答えた。
「また、ウツコレルが自分の容貌について、悲しいことを言ったのよ。シュタバイと違って、私に求婚する人はいないって」
「そうか。そうなのか。ウツコレルも可愛そうに。赤ん坊の頃に普通のことをして貰っていたらなあ」
「でも、私はウツコレルを醜いとは思っていませんよ。綺麗な肌をしているし、顔だって、額の形と眼を除けば、十分綺麗なんですもの」
「そうだよ、お前。別な地域に行って、他の部族の男とならば立派に結婚は出来るのだから」
「ウツコレルのことはそれくらいにして、あなた、シュタバイの結婚について、どう思っていらっしゃるの」
「どう思うって、お前、四人の求婚者のことかい?」
「そろそろ、決めるべき時期と思うわ」
「コチャン、ホルカン、ホルカッブ、ナチンと、全て部落の中では良い若者ばかりだ。それだけに、誰と結婚させるか、なかなか難しいのは事実だ。妥当なところとしては、ナチンと思っているが」
「礼儀正しいし、家柄も良いし、将来はお父様の跡を継いで神官になる人ですものね。私も反対はしません。そろそろ、シュタバイに話してみたらいかが。あなたの決めたことですもの、シュタバイも嫌とは申しませんわ」
「そうか。それでは、時期を見て、シュタバイに話すこととしようか」
サーシルエークの言葉に、イシュタブも頷いた。
その翌日のことである。
朝から良く晴れ、暑い日となった。ホルカッブの知らせにより、戦士たちはそれぞれ戦士の長の家に集まり、武器を受け取り、思い思いに武器の点検を始めていた。
槍の穂先及び棍棒の端面には鋭利に削られた黒曜石かフリント(火打石)が使われていた。槍はアトラトル(槍を投げるための治具)を用いて遠くに投げられる投げ槍だった。
他、武器としては石斧、球状の石を放つ吹き筒があった。弓はあることはあったが、狩猟用であり、マヤの戦いにはあまり用いられなかった。一方、メシーカ族は弓を多用しており、これがマヤ族とメシーカ族の戦闘力の差にも繋がっていた。
それに、ククルカンの末裔たち(スペイン人)が持つ稲妻を放つ細長い棒(鉄砲)という強烈な飛び道具が加わり、メシーカ族とククルカンの末裔たちの連合軍は無敵の勢いでマヤの都市国家を次々と殲滅していたのである。
戦士の長にはそれぞれ二十人程度の戦士が割り当てられていた。いずれも、全身を黒い染料で塗っていた屈強の戦士だった。独身の若者は全て黒い染料で全身を塗るというのがマヤの習俗であった。
結婚すると、戦士以外は黒く塗ることは止めて、その代わり刺青を彫るという習俗でもあったが、戦士は結婚しても刺青は彫らず、独身の時と同じく黒い染料をそのまま塗っていた。
戦士の長はホルカッブ、ホルカンも含め、十人居り、総勢で二百人ほどがこの五千人足らずの部落の戦士軍であった。
全体の指揮は、ホルポルという中年の貴族が取ることになっていた。
ホルポルは部落の首長アーキンマイの副長であるが、小さな猿をペットとして飼っており、その猿はいつもホルポルの肩にちょこんと座って愛嬌を振りまいていた。厳めしい顔付きで笑ったことがないと云われているホルポルと、キーキーと鳴いて愛嬌を振りまく猿の奇妙なコンビは周辺の部落にも愉快な組み合わせということで知れ渡っているほどであった。
そのホルポルが巡回してきた。
「ご苦労である。武器の点検、補修が済んだら、神殿ピラミッドの前に集まるように。その際、胴着と盾も忘れないこと」
ホルポルは全員に鋭い一瞥を与えた後、次の戦士の長の家に向かった。
部落の中央に赤く塗られた神殿ピラミッドが在り、その前に二百人の戦士が武装して整列していた。
頂上の神殿の中央に、首長のアーキンマイが立ち、戦士軍を見下ろしていた。
アーキンマイの傍らには、ジャガーの毛皮を纏ったスキアが居た。
アーキンマイがおごそかに叫んだ。
「勇敢なるマヤの戦士よ。我が息子たちよ。心して聴くがよい。昨日、ホルカッブが近くでメシーカが屯しているのを見た。また、コチャンが商人サーシルエークの娘ウツコレルを襲おうとした一人のメシーカを倒した。ここに居る偉大な呪術師スキアの占いに依れば、今日か明日、メシーカの奇襲があるとのことだ。我々は全力を挙げて、メシーカを撃退しなければならない。メシーカの企みを成功させてはならない。メシーカを一人残らず、殲滅せよ。我々の戦いは記録され、我々は伝説となる。勇敢なるマヤの戦士よ。お前たちは伝説の戦士となる。お前たちは永遠となる。神々よ、ご照覧あれ! 我々の戦士の死を恐れない戦いをご照覧あれ。倒れた戦士は天の国に迎えられる。死を恐れず、戦え! 死を恐れず、戦え!」
アーキンマイの演説の後、戦士の長たちがホルポルを囲み、奇襲に備え、それぞれの防衛すべき場所を確認した。マヤパンに行っているホルカンは未だ戻っていなかったので、ホルカンの部隊はホルポル自身が率いることとなった。ホルカッブの部隊は村の背後にある洞窟で奇襲に備えることとなった。
ホルポルから少し指示があり、その後各部隊は持ち場に就いて待機した。
ホルカッブと二十人の戦士は洞窟で思い思いに寛いでいた。
やがて、ホルカッブが立ち上がり、指示を出した。
「ホルポルから、部隊を二つに分け、交代で奇襲に備えるよう指示されている。十人は配置に就き、残りの十人は待機ということになる。配置に就いた十人の内、二人は周囲を巡回し、異常があればすぐ仲間に知らせることとする。その二人は先ず、配置に就いている八人に知らせ、その後、待機している十人に知らせるように」
このホルカッブの指示により、十人が洞窟の周囲の警戒に就き、残りの十人が洞窟の中で待機した。
「ホルカッブが見たというメシーカはどうも、チチェン・イッツァを占領し、そこから出撃しているメシーカという話だ」
「ほとんど、毎日のように、あのチャック・モール(人身供犠で生贄の心臓を受ける石像)で、戦いで捕らえた捕虜を生贄にして心臓を取り出し、やつらの神に捧げているという話も聞いた」
「メシーカは残虐な部族だからな」
「捕虜は先ず、拷問で指先を潰し、部落の詳しい情報を得るということだからなあ。本当に残虐な部族だ」
「アステカがククルカンの末裔たちに滅ぼされて、アステカの主力であったメシーカ族が各地に分散し、俺たちマヤの領土を荒らしまわっているという話は聞いていたが、今度は自分たちの国を滅ぼしたそのククルカンの末裔たちと組んでいるようだな」
「ククルカンの末裔たちという話も本当かな? ククルカンの末裔にしては、やり方が残酷だ」
「そうだよ。アステカを滅ぼした時なんか、神官たちを並べておいて、あの長い良く切れる剣で次々と首を刎ねたということだ」
「それに、稲妻を発する細長い棒で撃たれて死んだ者の体はばらばらに引き裂かれているということも聞いた。見るも無残な死体らしいよ」
「本当に、ククルカンの末裔なのかなあ」
「でも、生贄を嫌っているのは事実らしい」
「ククルカンは生贄を止めさせようとしたからな」
「でも、そんなやつらに俺たちの武器で勝てるかな?」
「大丈夫だよ。槍もいっぱい作っておいたし、ほら、石だってこんなにあるし。何とかなるさ」
「そうさ、俺たちにはホルカッブという部落一番の勇者がついているんだから」
三の巻 終わり
四の巻
夜になった。
マヤ語で、サク・ベフ(白い道)という名前で呼ばれている天の川が空いっぱいに広がっていた。
静かな夜だった。
時折、密林の奥から聞こえてくる鳥の鳴き声の他は物音一つ無く、不気味な沈黙が洞窟の周囲を支配していた。
今夜か明日の夜あたりでメシーカの奇襲があるはずだと呪術師スキアは言っていた。
洞窟の奥の窪まったところでホルカッブは十人の戦士と共にうずくまっていた。
灯りは点けず、空の月のほのかな銀の光が全てであった。
時々、洞窟の外を見やった。外は漆黒の闇に包まれていた。
ホルカッブは気付いた。いつの間にか、鳥が鳴きやんでいた。
それまで、やや定期的に鳴いていた鳥が鳴くことを止めていた。
ホルカッブは部下の戦士に目で合図をした上で、そろりと洞窟を抜け出した。周囲を注意深く見渡した。
奇襲に備え、戦闘配置に就いている十人の戦士もホルカッブが洞窟から出て来て、周囲に目を凝らすのを見て、更に注意を尖らせた。
少し、右前方の小高い木々の葉が揺れた。
ホルカッブは石を掴み、揺れたあたりを目掛けて投げた。
石は葉を揺らせただけで、何の動きも無かった。
もう一つ、石を掴んだ。少し離れたところに投げた。
何かに当たったような音がした。
ホルカッブは弓を持って近くに居た戦士に目配せをした。その戦士はすばやく矢をつがえ、放った。
ぎゃあ、という悲鳴と共に、矢を胸に受けたメシーカの男が転がり出てきた。
同時に、前方の草叢から十数人のメシーカが歓声と共に躍り出てきた。
ホルカッブたちから槍が投げられ、五、六人のメシーカが倒れた。
後は、敵、味方入り乱れての白兵戦となった。
棍棒同士が打ち合う、鈍く重い音が辺りを支配した。
ホルカッブの活躍は凄まじかった。ホルカッブは両手に棍棒を持ち、相手の盾を打ち破り、鋭い黒曜石の刃先で肉を引き裂いた。正面から打ちかかってくる相手には、左手の棍棒で受け止め、右手の棍棒で相手の肋骨を打ち砕いた。
いずれにしても、奇襲は事前に予測され、準備を整えて待っていた相手には通用せず、暫く闘った後、メシーカは大損害を出して逃げ去った。
ホルカッブは当面のメシーカが逃げ去ったのを確認してから、半数を念のため洞窟守備に残し、半数を率いて他の守備隊の応援に向かった。
ウツコレルはシュタバイと一緒に家に居た。
遠くで、男たちの争う声がした。
その声はだんだんと大きくなってきた。
闘いが始まったことをウツコレルたちは知った。
サーシルエークは家のドアを固く閉じ、イシュタブに娘たちと共に、奥の部屋に籠もるように言った。
マヤの家は正面の入口のところだけが漆喰で塗られていたが、側面と背面は木で囲われているだけで、漆喰は塗られていなかった。ウツコレルは壁の木の隙間から外の様子を見ることが出来た。
暗闇の中で松明の灯りが時々見えた。
松明の灯りは地面に落ち、消されることが多かった。どうも、松明はメシーカが持っているようであった。部落の戦士が松明を持ったメシーカを打ち倒し、松明を消しているようであった。しかし、その内、松明の灯りが増えてきた。メシーカが優勢になったのかしら、とウツコレルはシュタバイと手を取り合って、迫り来る恐怖に震えながら思った。
その内、部落の家が一軒、また一軒と燃え始めた。
メシーカは家に火をつけ始めたらしい。燃えた家から人が出てきて、待ち構えたメシーカによって打ち倒されていた。
いつの間にか、ウツコレルが隙間から見ている目の前に、一人のメシーカが近づいてきた。手に赤々と燃える松明を持っていた。そのメシーカは当然であるかのように、ウツコレルの家に火をつけてきた。ウツコレルはシュタバイと抱き合いながら、恐怖に震えていた。その内、火がウツコレルたちの部屋にもまわり始めてきた。同時に、煙も充満し始めてきた。息苦しく、涙もぼろぼろと出てきた。その内、部屋の壁となっている木が燃えて崩れ落ちた。
ウツコレルたちは崩れ落ちた木を跨いで、家の外に飛び出した。
メシーカが数人近くに立っていた。メシーカは棍棒を振りかぶったが、娘たちと判って、棍棒を下げた。
にやにや笑いをしながら、シュタバイとウツコレルの腕を掴んだ。
そして、凄い力で軽々とウツコレルたちを抱えて走った。
部落の戦士はよく闘い、メシーカを撃退し、部落の損害を最小限にくい止めた。
ホルカッブは燃えている家の一軒がサーシルエークの家と知って、大急ぎで駆けつけた。
サーシルエークとイシュタブが茫然と立ち尽くしていた。
シュタバイとウツコレルが二人とも、メシーカにさらわれたことを知った。
ホルカッブは狂ったように、撤退したメシーカ族の後を追って走った。途中、逃げ遅れたメシーカを三人ほど打ち倒したが、本隊に追いつくことは出来なかった。それでも、メシーカ族が駐屯しているという方角に向かって、歩を進めた。
夜が明けた。
大木の木陰に、十人ばかりのメシーカが車座になって座っていた。
その輪の中央に、女が五人ばかり、手を縛られて座っていた。昨夜、部落からさらわれてきた娘たちだった。皆、恐怖に怯えた顔をしていた。
メシーカの戦士も昨夜は、部落の奇襲に失敗し、それから歩きづくめであったと見えて、皆疲れきった顔をしていた。部落から略奪してきた食料を分けて食べたばかりだった。
「少し、休んだら、また歩くぞ。午前中には駐屯地に着かなければならない」
「他の部隊はどうしただろうか?」
「俺たちも半分に減ってしまった。他もそうとうひどい状態かも知れない」
「しかし、昨夜襲った村の連中は強かったな」
「この女たちがせめてもの収穫だ」
「若いし、綺麗だから、隊長も喜ぶぞ」
「今、抱いてみたいものだ」
「馬鹿、言ってんじゃない。ばれたら、打ち首だぞ」
「ちぇっ、仕方がないか」
言葉が違うので、男たちが何を話しているのか分からず、娘たちの反応は無かった。
「ウツコレル、私たちこれからどうなるの?」
「シュタバイ、もしかして、生贄にされてしまうの?」
「卑しい目をして、私たちを見ているわ」
「ああ、怖い。部落の人は助けに来ないの?」
メシーカが何か叫んだ。黙れ、と言っているようにウツコレルたちには思えた。
再び、メシーカの戦士と囚われの娘たちは歩き始めた。
暫く歩いたところで、先頭の男が立ち止まった。何か、指を差していた。
「変な格好の男たちが居るぞ。注意しろ」
「白い服を着て、背の高い男たちだ」
「四人、居る」
メシーカたちは棍棒を持って、身構えた。
「私たちは怪しい者ではない。旅の者である」
と、白い服を着ている一人が言った。
現われた四人は竜王丸たちだった。
竜王丸は、このように話しかけた。
「それがしたちは怪しき者ではござらぬ。旅の者にて候」
その言葉はククルカンが呉れた襟元の自動翻訳器を通して、前述のようにインディオの脳に伝わった。
先頭のインディオが吼えるように叫んだ。
その言葉は竜王丸たちの耳の中に入れてある自動翻訳器を通して、このように伝わった。
「たわけが。信じられるものか。その服は何じゃ」
「これは、山伏行者の服にて候ぞ」
「そのような服はついぞ見たことがないわ。第一、こなたは誰ぞ?」
「それがしは竜王丸と申す者にて候」
「ここに住まいせし者か?」
「さにあらず。この星の反対側に住まいせし者にて候」
「ますます、妙にて候ぞ。おのおの、油断めさるな。討ち取るべし」
「いざ、討ち取るべし」
※ 筆者注記:以下、翻訳器を通した彼我の会話は現代の言葉で記させて戴く。
いきなり、先頭のメシーカが棍棒を振りかざして竜王丸に打ちかかった。竜王丸はひらりとかわして、棍棒を持った右手を手刀で打ち据えた。棍棒を落とし、そのメシーカは後に下がった。それが、戦闘の開始となった。
十数人のメシーカが四人を囲んだ。棍棒を持つ者、槍を投げつけようとする者、すばやく弓に矢をつがえる者など、メシーカたちは闘いに慣れた戦士たちだった。
竜王丸たち四人は固まらずに、ばらばらと密林の木々の間に散らばった。
竜王丸は走りながら叫んだ。
「多勢に無勢である。切り捨てもやむなし。いざ、まいろう」
竜王丸は黄金造りの太刀をすらりと抜いた。太刀の刃は南国の強烈な太陽の光を反射してギラリと輝いた。
竜王丸を目掛けて、槍が投げられた。竜王丸はかわした。槍は竜王丸の背後の樹に刺さった。竜王丸は槍を投げた男に走り寄った。今後は他方から矢が放たれた。太刀で払い除けた。正面の男が棍棒を構えた。竜王丸は構わず、斬り下げた。そのメシーカは頭の頂点から尻まで真っ二つに斬られた。凄い切れ味だった。まるで、西瓜を切るような軽い感触で屈強な男が頭から尻まで真っ二つに斬り下げられた。
この凄まじい光景を見たメシーカたちは顔全体に恐怖の色を浮かべた。
一方、南部義清の刀の切れ味も凄まじく、足元に、完全に胴を切り離されて臓物を溢れさせたメシーカが倒れていた。このような凄まじい切れ味は北畠弥兵衛、西田弥平次の槍や刀にも共通しており、洞窟を出る前にククルカンが刃に対して行った蒸着処理の効果の賜物だった。
メシーカたちは、瞬時の間に七人が無残に斬られた。残りのメシーカは、さらった女には見向きもせず、恐怖の悲鳴を挙げながら密林に消えて行った。
メシーカが去った後、竜王丸たちは震えが止まらなかった。
「これが武者震いと申すものでござるよ」
義清が全身を震わせながら言った。
「義清も、人を斬ったのは初めてか?」
竜王丸も声音こそ落ち着いていたが、やはり義清同様、身体を震わせていた。
「仰せの通り、初めてでござった。しかし、それにしても、この刀の切れ味にはびっくり致してござる。人の身体がまるで西瓜のように斬れるとは、思いもよらざることで」
「ククルカン殿のあのからくりにはまことにびっくり致してござる」
竜王丸たちは娘たちのところに歩み寄り、声をかけた。
「もう、大丈夫だよ。あの者たちは行ってしまったから。どれ、手を縛ってある縄を解いてあげよう」
娘たちは、歯をガチガチと言わせ、恐怖の目で竜王丸たちを見詰めていた。
無理も無い。竜王丸たちの剣で、憎いとは言え、メシーカが頭から尻まで真っ二つにされたり、胴斬りされた姿を見せられた後であるから、竜王丸たちが魔王のように見えていたことであろう。
竜王丸たちは娘たちを縛った縄を解いてやった。
ようやく、娘たちも竜王丸たちの善意が通じたのか、顔に生気が戻ってきた。
「助けて戴き、ありがとうございます。私たちはマヤの部落の者ですが、昨日あのメシーカたちにさらわれてきた者です」
女たちを代表して、シュタバイが竜王丸に話しかけた。
「それは大変でしたね。でも、もう大丈夫です。メシーカとやらは逃げ去ったし、ここには我々しかいませんので」
「私たち、部落に帰りたいのです」
「部落はどちらの方向かな。良ければ、送ってあげよう」
「はい、あちらの方角ですが、ここからは大分離れています」
「義清、弥兵衛、弥平次。それではまいろう」
竜王丸たち一行は、娘たちを前後に守りながら歩き始めた。
途中、竜王丸たちは娘たちと話し、いろいろと部落に関する情報を得た。また、マヤの風習、習俗に関しても興味は尽きず、いろいろと訊いた。
「人口は大体五千人といったところで、かなり大きな村でござるな」
「作物も十分に採れ、大分豊かな村のようでござる」
「五千人で兵士が二百人というのはかなり武装兵士の率としては低い。それだけ、平和であったという証拠でござりまするな」
「マヤの風習で奇妙なのは、何と言っても、赤ん坊の頃に板で額を押さえつけ後方に反らすように扁平にするとか、強制的に寄り目にするとかいったところでござる。まことに、世の中は広く、奇妙きてれつな風習があるものでござるなあ」
「かつ、扁平であればあるほど、やぶにらみであればあるほど、貴いとされる考え方なぞ、可笑しなものでござる」
「我が国にも、お歯黒と称して、貴人は歯を黒く、鉄漿で染めているわ」
「今、敵対しているメシーカ族というのは野蛮でござる。平気で人を生贄にするなど、言語道断でござるわ」
「そう、他国の悪口も言ってはおられまい。ほれ、我が国にもかつては、城を造る際の人柱とか、雨乞いの際の人身御供とか、いろいろとあってござるゆえ」
「しかし、斬首はともかく、人の皮を剥ぎ、その皮をかぶるとは気味が悪うござる」
「人肉も、生贄になったからには聖なる食物として喰らうとか。メシーカと比べ、この娘たちの村の方が大層ましでござるな」
「それはそうと、この防御服は涼しいでござるな。汗が綺麗に外に発散され、涼しく感ぜられるでござるわ」
「それに、ククルカン殿の話に依れば、剣とか槍、矢を受けても突き刺さらずに撥ね返すそうでござる。まことに、この服を着ている限り、それがしたちは天下無敵でござるな」
「しかし、多数群がって、押し倒され、脱がされたら、それまででござる」
「切れ味が素晴らしく、刃こぼれもしない刀を持ち、この防御服を着ている限りは、千人力でござる」
先頭を歩く弥平次がふと立ち止まった。目で彼方の木陰を示した。
そこに、ククルカンの館の画面で見た大きな野生動物がいた。黄色の毛皮に黒の斑紋が鮮やかであった。大柄な南部義清に引けを取らぬ大きさだった。
娘たちも気付いて、一様に怯えた眼をした。
弥兵衛が槍を抱えて、ゆっくりと前に出た。すたすたと、その肉食動物の方に歩み寄った。その動物は歯を剥き出しにして弥兵衛を威嚇した。威嚇しながら、飛び跳ね、躍りかかって来た。弥兵衛が空中のその動物に対して槍を繰り出した。
勝負は一瞬にしてついた。
弥兵衛の槍は首筋の真ん中を見事に貫き、勢いあまって、穂先が外に五寸ばかり出た。
地上に落ちたその動物は断末魔の痙攣を繰り返した。やがて、息絶えた。
「みごとである。弥兵衛、まことにみごとである」
「おみごと、おみごと」
竜王丸と義清に誉められて、弥兵衛は少し片頬を緩め、照れたように笑った。
娘たちも一様に感嘆したような表情をして、竜王丸たちを眩しそうに見た。
「ウツコレル。この人たちは私たちと同じ人間とは思われない。きっと、神様よ。メシーカから私たちを助け、今後はバラム(マヤ語でジャガー)を一瞬の内に殺してしまった」
「シュタバイ。私もそう思うわ。とても、人ではないわ。私たちの部落の窮状を憐れんで、神々がお使わしになられた、ククルカン様の軍神たちよ」
その内、部落に近づいたと見えて、娘たちの話にあったような洞窟があちらこちらに見かけるようになった。
中には、地上が陥没して、周囲が何十尺も絶壁となっている泉もあった。
いずれも、鬱蒼とした密林の中にあり、不気味な静けさに満ちていた。
シュタバイが竜王丸たちに言った。
「あの洞窟には、水が湧き出している綺麗な池があります。体を清められたら如何ですか。衣服にもメシーカの血が付いていますし、血を落としてから部落に入られた方が宜しいかと思います」
「それもそうだな。では、そのようにする」
竜王丸は続けて、義清たちに言った。
「一同、ここにてひとまず、休息と致そう。血に汚れた衣服を洗うことと致そう」
洞窟に入り、満々と水を湛えた泉のほとりで、竜王丸たちは衣服を脱いだ。衣服はシュタバイたちが洗ってくれるという。衣服を渡し、試しに防御服を着たまま、泉に入ってみた。驚いたことに、服の外側は水で濡れるものの、内側には水は入って来なかった。これも不思議なことよ、と竜王丸は思った。防御服の外側に付いた血は綺麗に洗い流された。
服はすぐに乾いた。血の沁みの痕は、少しは残ったものの、さほど気にならない程度にまで落ちていた。
竜王丸たちはまた歩き始めた。
「あなたがたは神なの?」
突然、ウツコレルが竜王丸に無邪気に訊ねた。どうも、道中ここまでの間ずっと訊きたくてうずうずしていたらしい。堰を切ったように、次々と訊ねてきた。
竜王丸も苦笑しながら、ウツコレルの質問に丁寧に答えていた。
「神ではない」
「でも、神のように振舞っているわ。強いメシーカをあんなに簡単に斬り殺すなんて」
「ククルカンを知っているかい」
「ええ、私たちの神の一人よ」
「我々はそのククルカンの家来だ」
「ククルカンが使わした戦士なの?」
「そのようなものだ」
「あなたの持っているその美しい、良く斬れるものは何なの?」
「ああ、これかい。これは、太刀という剣だ」
「あの人が腰に差しているものは何?」
「あれは、刀というものだ」
「また、あちらの方が担いでいるものは何? 槍のようなもの?」
「その通り、メシーカたちの槍は投槍だが、彼の持っている槍は投げずに、両手で持って闘う武器だ」
竜王丸は傍らでいろいろ訊いてくるウツコレルの顔をしげしげと見た。
他の娘たちと異なる容貌をしていた。
竜王丸の目にはこの世のものとは思われぬ美しい娘のように映った。
年齢は十四ということだった。
しかし、乳房の膨らみ、腰のなだらかな隆起といい、竜王丸の目には新鮮ながらも刺激的な魅力を持っていた。
顔も優雅に整った美しさがあった。
ウツコレルの話に依れば、自分は醜いということだった。
どこが醜いのか、竜王丸には分からなかった。
シュタバイは美人だとウツコレルは言っていたが、竜王丸の目から見たら、シュタバイの美しさは理解できず、むしろウツコレルの優雅な肢体、容貌に惹かれるものを感じていた。
村に近づいたらしい。
娘たちの顔もだんだん和らいだ表情に変わってきた。
娘たちは元気を取り戻したらしく、小走りで歩みを速める娘も居た。
四の巻 終わり
五の巻
村に着いた。
竜王丸たちは部落総出で出迎えられた。
メシーカの再襲撃に備え、物見に出ていた者が目敏く竜王丸たちを見かけ、部落に帰り、伝えていたものと思われた。
娘たちは心配していた家族に迎えられ、共々嬉し涙にくれた。
今まで、メシーカにさらわれて、このように無事に戻ってきた娘はいない、ということだった。
さらわれた女は一様に慰みものにされて、その後は奴隷となる運命であった。
竜王丸たちは村人の尊敬と驚きの眼差しのもと、部落中央の赤く染められたピラミッドの前の広場に案内された。
部落の首長のアーキンマイと呪術師スキアも頂上の神殿から降りて来て、竜王丸たちに丁重に挨拶と感謝の意を伝えた。
「このたびは、さらわれた娘たちを連れ戻して戴き、部落の長として厚くお礼を申し上げる」
アーキンマイが丁重にお礼を述べた。
「私はアーキンマイ。こちらはまじない師のスキアと申す」
「私は竜王丸、右から義清、弥兵衛、弥平次と申す」
「ところで、あなた方はここらでは見慣れぬ服を着ておいでだが、どちらから来られた?」
「私たちはククルカンの戦士です」
「おお、何と、ククルカンが使わされた軍神とは」
この言葉を聞いた広場の人々は大きくどよめいた。
「最近、ククルカンの末裔と称する者もこの地に来ておるが」
「その者たちはククルカンの末裔ではない。他国から来た侵略者である」
「何と、侵略者とな。侵略者がククルカンの末裔のような顔をしていたのか」
「ククルカンの末裔ではないのであるから、討ち果たしたところで、何のたたりもない」
「して、ククルカンは元気で居られるのか」
スキアが興味深そうな顔をして竜王丸に訊ねた。
「おお、息災にして居られる。ククルカンは年齢を取らない。かくしゃくとして居られる」
「軍神殿たちは暫くここにご滞在か」
アーキンマイが訊ねた。
「貴殿たちがご迷惑でなければ、暫くここに逗留致すつもりであるが」
「おお、それはありがたいことだ。いつまででも、この村に居られよ」
広場で固唾を呑んで見ていた村人が安堵の声を上げた。
メシーカの再襲撃を恐れている村人は本心から竜王丸たちの滞在を喜んでいたのであった。
その夜は、村をあげての歓迎の宴会となった。
神殿ピラミッドの前の広場で、竜王丸たちにご馳走がふるまわれた。
鹿、七面鳥、土鳩といった肉、パパイヤ、マンゴーといった果物、マメ、トマトといった野菜がところ狭しと並べられた。
とうもろこしを挽いて粉状にしたものを軽く焼き、薄いが柔らかい煎餅にし、中に鹿の肉、鳥の肉を挟み、唐辛子をかけて食べるのが義清、弥兵衛には気に入ったものとみえて、何個も平らげていた。
また、酒もふるまわれた。蜂蜜から作られたという酒はにおいがきつく飲めたものではなかったが、サボテンから作られた酒は飲みやすく、義清はぐいぐいと飲んだ。
「義清さまはお酒がお強いな」
スキアが感心したような口ぶりで言った。
「これはいかがかな?」
と、義清にタバコを差し出した。噛みタバコと葉巻タバコがあったが、スキアが義清に差し出したタバコは葉巻タバコであった。吸い方を教わり、義清も一口吸ってみた。
「ああ、これはいかぬ。煙うて、煙うて、いかぬわ」
義清はむせって、ごほごほと咳をしながら、スキアに返した。
「慣れれば、美味しいものよ」
スキアはさぞ美味そうに吸い始めた。
「時に、皆さまが着ておいでになるその薄物は何かな?」
ホルポルが弥平次に訊ねた。
「ああ、これでござるか。これは、いわば、鎧でござる」
「鎧とな。そんな薄いもので大丈夫なのか?」
「まだ、経験したことはござらぬが、ククルカン殿の話に依れば、矢も刺さらないとか」
「まことに。いや、驚いた」
「ホルポル殿。その肩に居る猿はおとなしうござるな」
「ナコンという名を付けています。今はおとなしくしていますが、敵が近くに居る時は私の耳を引っ張ったりして結構うるさくします」
「はあ、それは便利な生き物でござるな」
弥兵衛が汁椀を差し出しながら、ホルポルに訊いた。
「ホルポル殿。ちと、訊ねるが。この肉は何じゃ? 少し、香りがきつうござるが」
「どれ。ああ、その肉はあそこに居る動物の肉ですよ」
ホルポルが近くを指で指した。
「あの鶉の肉でござるか?」
「いや、その脇に居る動物の肉だよ」
「えっ。まさか! 犬の肉?」
「そうです。どこの家でも家畜として飼っており、このような宴会の時に、つぶして食べるのです」
「知らなんだ。竜王丸さま、この汁の肉は犬とのことでござる。それがし、犬と知っておれば喰わざるものを」
弥兵衛の顔は少し青くなった。ふいに、席を立って近くの野原に行った。急に、気分が悪くなったものとみえた。吐いたのかも知れない。
「それがしも、犬は駄目でござる。まして、あのような可愛い犬を喰らうとは」
義清も絶句してしまった。竜王丸も表情には出さなかったが、目の前の汁には未だ手をつけていなかったことを心中秘かに喜んだ。
「竜王丸さまたちは、犬の肉は嫌いなの?」
女の声がした。傍らを見ると、ウツコレルが微笑んで座っていた。ウツコレルの顔が間近にあり、息は芳しく甘かった。竜王丸は少しうろたえたように言った。
「これは、これは、ウツコレル殿か。実は私も苦手なのだ。私の国では犬を食べる習慣があまり無いので」
「私も嫌いなの。だって、あんなに可愛くて、なついている動物を殺して、食べるなんて出来ないの」
こう言って、ウツコレルは可愛い眼差しで竜王丸を見上げた。
そこに、一人の若者が現われた。
頑健だが、しなやかな体躯の若者だった。
「ククルカンの軍神殿。お初にお目にかかります。私は、ホルカッブと申します」
「こちらこそ。私は竜王丸です」
「このたびは、ここにいるウツコレルの姉のシュタバイを他の娘たち共々、メシーカよりお助け戴き、本当にありがとうございました」
「ホルカッブ殿、あなたについてはシュタバイ殿からいろいろとお噂は聞いています。この部落の軍隊の長とか」
「いや、長はあそこに居るホルポルで、私は分隊長に過ぎません」
「たいそう、勇敢な勇士とか」
「軍神殿からそう言われると、まことにお恥ずかしい。実は、あのメシーカ族の奇襲の時、私は分隊を率いて闘いました。メシーカを撃退し、部落に戻ってみたら、シュタバイたちがさらわれたということで村は悲嘆にくれていました。すぐ、私はメシーカの後を追いかけて行きましたが、どうしてもシュタバイたちには追いつけないで。ウツコレル、ごめんよ」
「ホルカッブ殿。誰もあなたのことは責めていない。それでも、たまたま私たちが通りかかったから、未だ良かった」
「ホルカッブ。竜王丸さまたちは凄いのよ。メシーカたちをあっという間に、やっつけちゃって」
「その太刀という刀で、メシーカを真っ二つにしたとか。シュタバイから聞きました」
「時に、その時の奇襲で、村の損害はどの程度でありましたか?」
「戦士が十人近く、討ち死にしました。他、戦士以外の村人の死者が五人ほど、負傷した者が二十人ばかり、といったところです」
「また、来ますか?」
「おそらく、近い内に本隊が来ます。その時は、奇襲では無く、本隊同士の戦いになります。部落の戦士で防げれば良いが、戦士で防御出来なければ、敵は村にも侵入し、村人を殺すか、捕虜にして引き上げることとなります。捕虜は、貴族、戦士が生贄となり、他は奴隷とされます」
「現在の戦士の数で防げますか?」
「戦士の数は二百人ばかりしか居ません。メシーカは噂に依れば、駐屯しているところの戦士だけで、千人は居るとのことです。余程の僥倖が無ければ、勝てません」
「村人が戦士になれば、勝てます」
「はッはッ。数としては、そうですが。戦士と普通の村人は違います。戦士は神から選ばれた者で、闘いで不幸にして死んでも、天の国に行けます。村人は死んでも、天の国には行けず、地底の国に行き、そこでいろいろな試練を経て、ようやく天の国に行けるということになります。これは、メシーカも同じで、メシーカの戦士も強靭な精神と強靭な体躯をしています」
「ホルカッブ殿。良ければ、明日にでも今後の闘いに関してお話をしたい。出来れば、首長にも同席戴きたいと思っているが」
「承知しました。アーキンマイさまに話しておきます」
ホルカッブが去って行った。ウツコレルがパパイヤを剥いて、竜王丸に差し出した。
竜王丸は食べながら、何か策があるはずだと考えていた。
朝になった。
「アーキンマイ殿。昨夜、ここに居られるホルカッブ殿に聞いたところでは、この部落の戦士は二百人足らず、一方、メシーカは駐屯地だけでも千人は居るとのことです。奇襲では何とか凌げたものの、隊を整えて、メシーカが攻めてきたら、勝ち目は薄いのでは」
アーキンマイは傍らに居るスキアの顔をちらりと見てから、呟くように言った。
「我らには、昔からの神々が付いている。これは、神々同士の争いじゃ。向こうの神々が勝つか、我々の神々が勝つか。誰にも判らない」
「アーキンマイ殿。確かに、宗教的にはそうであろうが、実際に闘うのは兵士自身であると存ずる。戦いで、五倍の敵に勝つのは容易ではない」
「確かに、竜王丸殿の言う通りだと思う」
マヤパンから帰ったばかりのホルカンが竜王丸に賛意を示した。
「マヤパンの王に会って来ましたが、マヤパン王国も北西から襲来するククルカンの末裔と称する者の対応に追われ、とても我々の部落に応援の戦士を派遣出来る状態ではありませんでした。メシーカ族との戦はマヤパンの助けが期待出来ない以上は我々だけで何とかしなければなりません。五倍の敵にどうやって勝利するか、それを議論すべき時と思います。」
「それで、竜王丸殿の策は? お聞かせ戴きたい」
じっと、聴き入っていた戦士の長・ホルポルがおもむろに言った。
竜王丸は静かに語った。
「まともに、戦士だけで闘ったのでは勝てません。村人を戦士にすれば勝てます」
「村人を戦士にするとは?」
ホルポルが驚いたように、首を捻った。
「村人を訓練して、戦士に仕立てるのです。勿論、体力、資質、共に劣る村人は一人前の戦士には到底なれません。しかし、有利な条件の下で、三人がかりならば、一人の敵の戦士に勝つことはたやすいことです。例えば、一人しか通れない道を作って、敵をおびき寄せ、三人がかりで一人の敵にあたるようにすれば、いかに屈強な戦士であっても、三人を倒すのは至難の業と心得るが」
「なるほど、竜王丸殿のご意見はもっともと思われるが、具体的にはどのような仕掛けをするのか?」
「案はあります。但し、これから、この村と周囲を隈なく見させて戴く。案はその後でお話することと致したく」
「あい分かった。ホルカッブ、ホルカン、両名はこれから竜王丸殿たちを案内して、部落の中と周囲を見て戴くこととせよ。アーキンマイさま、それで宜しいですな。では、夜にでも、また集まることとしましょうぞ」
竜王丸たちはホルカッブとホルカンに案内されて、いろいろと確認しながら、部落の内外を歩き回った。
小高い丘がある程度で、周囲は密林に囲まれているとは言え、平原であった。このままでは、周囲から殺到して来る敵に対して到底守りきれるものではない、と竜王丸は思った。
罠を仕掛けて、一人ずつしか入って来れなくするしか無い。ざっと、見て回った後で、竜王丸は義清たちを集めて、自分の考えを告げた。
「敵が侵入して来る入口を数箇所に限定する。後は、柵を巡らし、たやすくは入れないようにする。侵入して来るであろう入口は広く、出口は狭く作る。外からは分からないようにしておく。出口からは一人ずつしか出て来れないようにする。出てきた敵は村人三人がかりで確実に仕留める。ざっと、このような考え方であるが、そなたたちの意見はどうか」
「部落はかなり広うござるによって、柵を作るにしても時間がかかることと思われまする。明日からでも作るように段取りすべきでござろうか」
「義清殿の申すこと、もっともでござる。柵にする木は密林故、いくらでも手に入りもうす。まして、それがしたちの刀の切れ味は抜群でござるによって、柵となる木は簡単に作ることが出来もうす」
弥兵衛が義清の後を受けて、竜王丸に言った。
「それと共に、敵方の情報も必要でござる」
「それならば、この弥平次にお任せあれ。敵の戦士を一人捕らえてまいれば事は足りるかと存じ候」
「うむ、それも大事なこと。弥平次の申し出をホルカッブ殿に諮ってみようぞ」
昼間の照りつけた太陽もようやく西に傾き、赤い夕焼けが空いっぱいに広がった。
少し、涼しい風が吹いていた。
ピラミッドの前の広場に、朝に集まった者たちが再度全員集まった。
焚き火に照らされて、赤く塗られたピラミッドは不気味さを増していた。
竜王丸は今日観察した結果を簡単に述べた上で、義清たちと諮った防衛策を皆に説明した。ホルポルは大きく頷いて賛同を示した。
「軍神殿のお助けを得て、早速明日より柵作りに取りかかることと致そう」
「時に、部落の者に対する訓練は、どのようになさるおつもりか?」
ホルカッブが訊ねた。
「それがしたちにお任せあれ」
義清が弥兵衛の顔を見ながら、断固とした口調で言った。
「敵を一名、捕虜にする故、配下の戦士を二人ほどお貸し下されい」
弥平次がホルカッブに言った。
「承知しました。で、行動は?」
「今夜、今からでござる。夜の内に敵の軍営に忍び込み、一人掻っ攫ってまいる」
「おう、何と大胆な。後学のために、私とホルカンが同行することとします。ホルカン、いいな」
「ホルカッブ。言うには及ばず。望むところよ」
ホルカンが屈強な腕の筋肉を誇示しながら応じた。
早速、弥平次、ホルカッブ、ホルカンの三人が部落を後にして、メシーカの駐屯地に向かった。残った者たちで、柵の造営、村人に対する訓練の仕方といった事柄を話し合った。
部落の入口を出て、三人は早足でメシーカが駐屯していると目されているところに向かった。鳥の鳴き声と時折り密林に響く猛獣の唸り声を聞きながら、三人は歩いた。
二里(約8キロ)ばかりも歩いたであろうか、密林の樹々の間から灯りが垣間見えて来た。その内、密林から草原に出た。遠くに、灯りが散在して見えていた。メシーカが野営している駐屯地の焚き火の灯りと見えた。
夜の見張りが居るかも知れない。三人はそう思い、静かに歩いた。弥平次が不意に立ち止まった。そして、おもむろに身をかがめて前方を凝視した。ホルカッブとホルカンも弥平次に倣い、身をかがめた。弥平次と同じ目線で見ると、前方に人影が微かに見えた。
「見張りでござる。一人しか見えぬ。あの者が良かろう。捕らえてまいる故、ここでお待ちあれ」
そう言うなり、弥平次はするすると草叢を歩き始めた。ホルカッブ、ホルカンの二人は顔を見合わせた。今まで気付かなかったが、弥平次の足音は全く聞こえなかったのである。
弥平次は音も無く、その見張りの者に近づいた。そして、左手で口を押さえ、右手を首に廻して締め落とした。ほんの数秒の間で、その見張りの者は失神した。弥平次は担いでホルカッブたちのところに戻ってきた。猿轡を噛ませ、用意してきた縄で手と足を縛り、棒を通して、ホルカッブとホルカンが前後で担いだ。
明け方近くになって、弥平次たちは部落に辿り着いた。
捕虜は途中で蘇生し、暴れたが、弥平次に当て身を食らわされ気を失っていた。
捕虜は周囲を見て、愕然とした。いつの間にか、マヤの部落に居るのだった。
目の前には赤い血の色をしたピラミッドが屹立していた。
「お前は昨夜、私の捕虜となって、ここに連れて来られた」
頭の中で響く声を聞いて、捕虜は茫然とした。
「ここは、お前たちが襲おうとしているマヤの部落の真ん中だ。とても、逃げられるものではない。諦めることだ」
捕虜は話しかけてくる男を見た。見慣れない白い服を着ていた。顔は薄い透明な皮のようなもので覆われていた。手に、白い外国人と同じような長い刀のようなものを持っていた。その男の傍らに、二人のマヤの戦士が控えていた。なるほど、俺は囚われていると思った。これから、生贄とされるのか。首を斧で斬られ、生皮を剥がれ、無残な姿をさらけ出すのか。その男の脳裏に皮を剥がれた自分の哀れな姿がよぎった。絶望した。
「お前の答え次第では、殺さない。分かったか?」
捕虜の男は思わず大きく頷いた。マヤの二人の戦士がニヤリと笑った。
「お前の名前は?」
「アウイクック」
「年齢は?」
「二十歳」
「お前の身分は? メシーカの戦士か?」
「そうだ」
「お前たちの野営地はあそこだけか? 他には、無いのか?」
アウイクックは返答を躊躇った。
「答えることだ。答えなければ、ここに居るマヤの勇士が、お前たちの流儀で、石でお前の指先を一つずつ、潰していくこととなる」
アウイクックは少し考えていた様子だったが、やがて諦めたように重い口を開いた。
「そうだ。今はあそこの駐屯地だけだ」
「戦士の数は?」
「千三百人ほどは居る」
「ここに襲って来るのはいつだ?」
「よく知らないが、矢の準備が出来次第、ここを襲うと聞いている」
「矢の準備はいつごろ完了する」
「なかなか、矢じりが入って来ないという話だ。一週間はかかるだろう」
「よし、素直に話せば話すほど、お前の命は長く保証される。次は、・・・」
捕虜から、あらかた必要なことを訊き出すことが出来た。
捕虜は訊問の後、捕虜第一号として部落の裏手にある洞窟の岩牢に閉じ込められた。
「弥平次、お手柄であった。早速、ホルポル殿に話すことと致そう。弥平次は、昨夜は寝ていないであろうから、今日はゆるりと過ごせ」
竜王丸から褒められ、弥平次は心底から嬉しそうな表情をした。
「さて、義清、弥兵衛の両名はこれから、村人と共に、柵作りに行ってまいれ」
竜王丸たちが出かけ、弥平次は木陰でうつらうつらしながら、時を過ごした。
どこかで、自分を呼ぶ声がした。前に、ウツコレルが立っていた。
ウツコレルは不思議な女性だと、弥平次は思っていた。何故かは知らないが、息は甘く芳しく、体からは花の香りがするのであった。それに、見たことのない美しい顔立ちをしていた。
「弥平次さん。教えて。竜王丸さまは私が近づくと迷惑そうな顔をするの。それまでの柔らかな態度が急に堅苦しい態度になるの。どうしてなの。ウツコレルが醜いからなの?」
弥平次はびっくりした。ウツコレルは自分を醜いと思っているのだ。まじまじと、ウツコレルの顔を見詰めた。どうも、冗談では無さそうだ。そう言えば、マヤの美的感情は異なるとククルカンから聞いた。マヤには独特の美的感覚があり、後方に向かう扁平な額と斜視が貴いとされる、とか。その範疇から言えば、ウツコレルはマヤの美しさからは遠くかけ離れ、逸脱していた。しかし、弥平次の目から見たら、ウツコレルの容姿はまるで、子供の頃、絵草子で見た竜宮城の乙姫さまのように優雅で華麗であった。
思わず、この男には似合わないことであったが、上ずった声でウツコレルに言った。
「醜い、だなんて。ウツコレルさん、それは逆でござる。竜王丸さまは、ウツコレルさんがあまりに美しいので、つまり、その、・・・、男として照れているのでござるよ」
ウツコレルもびっくりした。今まで、自分が美しいだなんて、誰にも言われたことは無かったのだ。部落の者は皆、自分をあたかも出来損ないのものを見るような、憐れみを持った目で見ていたからである。私が美しいだなんて、しかも、竜王丸さまは私が近づくと照れるだなんて、思いもよらなかった。
ウツコレルは混乱して何も言わず、弥平次のもとを慌てて去った。
弥平次は苦笑いしていたが、またごろりと寝そべり、うつらうつらし始めた。
部落周辺の密林の中では、義清と弥兵衛が樹木を斬っていた。
日本では到底斬れそうもない太さの樹が簡単に切り倒すことが出来るのだった。
これも、ククルカンのおかげか、と義清たちは思った。
いくら、斬っても刃先の刃こぼれは一切無かった。斬れ味も変わらないのだ。
部落の者は皆、呆れたような表情をして二人の伐採を観ていた。
義清と弥兵衛が切り倒した樹を村人が総出で枝を払った上で、部落に運び、周囲に柵を巡らすという段取りで進んだ。五千人による壮大な土木工事と言えた。
竜王丸は柵の次は、門作りと考えていた。門と言っても、城門であり、三人は入れるが、段々と通路が狭められ、最後は一人ずつしか出られないという仕掛けの門である。奥が狭まっていくトンネルのような門である。警戒されないよう、入口は広くしておく必要がある。入口が狭くては、警戒される、と思ったのである。
また、夜は夜で、村人で屈強な者を選抜して、槍の訓練をさせることも考えていた。
当時、槍は投槍であった。敵目掛けて、アトラトルといった槍投げ用の治具を用いて槍を投げつける、ということが槍を使う常識であった。
竜王丸たちは槍を投げずに、手で持って突き刺すということを村人たちに教えるつもりであった。槍を持っては達人である北畠弥兵衛が居る。
そのためには、槍も作らねばならない。穂先には黒曜石とか火打石といった石器は付けず、鋭利に尖らすだけで良いと思っていた。槍になりそうな木の選定をホルポルに依頼しておいた。
数日が過ぎた。
部落の周囲は頑丈な柵で囲われた。柵は、木の枝で覆われ、中が覗けないようにされていた。柵では無く、塀のように見えていた。高さは十尺(3メートル)程度であったが、登れないように、外側に傾けてあった。
部落の正面と裏と、要塞みたいな門が二箇所造られていた。高さは二十尺(約6メートル)程もある頑丈な石積みの門となっていた。入口は五、六人は楽に入れそうな広さだったが、中は暗く、歩くにつれて、道幅が狭くなっていた。一人しか通れない狭さとなった。
奥が突き当たりとなっており、左に曲がると右手が明るくなっている。
そこがようやくこのトンネルの出口であり、そこに三人の村人が槍を持って、待ち構えるという仕掛けだった。敵の戦士一人には必ず、三人の槍を持った村人が応戦することとした。槍の使い方に関しては、弥兵衛が手を取るようにして、じかに教えた。
「敵に、情けはかけない。下手な情けは後日の仇となる。三人の内、真ん中の者は敵の顔を突く。左右の二人は、敵の足を突く。先ず、倒してから、今度は三人の槍で敵の喉を突く。こうすれば、必ず勝てる」
弥平次は村人と協同して、弓と矢作りに励んだ。
竜王丸はまた、敵の矢が上から飛来することを想定し、屋根付きの兵士道を要所要所に設けた。この道を通って、兵士が村の中を移動する限り、頭上から飛来してくる矢は無力化されると考えたのである。
村の婦女子、年少者並びに老人に対しては、避難所を設けて、戦闘時は一箇所に集めておくように手配した。避難所の屋根には厚く土を盛り、火矢に備えることとした。
竜王丸の指揮下、模擬戦も行い、連携する動き等で齟齬ある場合は即座に修正した上で、全体の統制を徹底した。
このようにして、一週間が瞬く間に過ぎた。
斥候に出していた戦士の一人がメシーカの本隊が粛然と村に近づきつつあるという知らせを持って、ホルポルのところに現われた。
五の巻 終わり