1.我、織田信長なり!
1534年5月12日。
前日までの悪天候にかかわらず、その日は晴天だった。人々は、ようやく訪れた好天に安堵し、水害にあった箇所の対策を行っていく。しかし、その表情は暗い。
季節が良くなると戦を行うため、領主が農民を徴兵するのだ。いつ自分が徴兵され、命を落とすか分からない。同じ村に住む村民は、来年も同じ人がいることが少ないのだ。
人々は安定を望んだ。そして平和を望んだ。人々はその期待を幕府へ望んだ。しかし、時の幕府は力を失い、権威もなくなっていた。
幕府では駄目だ。人々は時の天皇へ期待をした。しかし、幕府以上に権威を失墜していた。
世の中は荒れに荒れ、人々は誰に期待していいか分からない。
せめて人々は祈る。住む国が侵略されれば自身の家も畑も失ってしまう。だからこそ、自国の領主に勝って欲しいと願うばかりだった。
そんな中、尾張の小さな産小屋で物語は始まる。
「おぎゃーおぎゃー。」
「おぉ、立派な男の子だ!土田御前よ、大義であった。」
「よかった…。坊や、お顔を見せて。なんと聡明そうなお顔なのかしら。」
…。
……。
いったい、ここはどこなんだ?
何故、目が見えない。何故、体が動かないんだ?
誰かが俺を抱き上げている。おそらく、先程の声の主なのだろう。
動けないのに抱きかかえられるというのは、かなりの恐怖だ。
俺は声の主にされるがままとなる。
ん?この感触はなんだ?もしかして、乳!?
なんとなく分かってきた。俺は今、赤ん坊になってしまっているのか?
駄目だ。記憶が混濁していて、先程までのことが思い出せない。
「この子のお名前は、いかがいたしましょうか?」
「おぉ、そうであった。この子の名前は『吉法師』と名付けよう!」
はいっ?なんだ、その名前は?
いつの時代の名前なんだ…。
それにしても『吉法師』だと?何故か記憶にあるな…。
吉法師…。
そうか、思い出したぞ。
たしか、その名前はあの織田信長の幼名じゃないか!
つまり、この親は戦国時代マニアということだ。
なんて親の元へ生まれてきてしまったんだ…。
最終的に織田信長なんて名前をつけられたら、恥ずかしくて街中すら歩けやしない。
なんとか、全力で普通の名前にしてもらわなければ。
俺はジタバタと何とかもがいてみた。
しかし、体が動かないため、僅かしか動かない。
「ふぅむ、なかなかやんちゃそうだな。そうだ、平手政秀にでもお目付役を命じるか。暴れ馬をてなずけるのが上手なあやつなら、どんなわんぱく小僧をてなづけるのも得意だろう。」
「あのお方なら安心してこの子を任せることができるわ。」
結局、名前を変えることはできなかった。
俺の名前は吉法師か…。
幼稚園でのイジメは確定だな。
それにしても、いきなり母親が育児放棄か。
しかも、男に任せる気だと?
とんでもない両親だな…。
正直、先が思いやられるが、せめて食料にありつきたいものだ。
しばらくすると、その男はやってきた。
まぁ、顔は見えないので、音で判断するしかない。
「信秀さま、大任お引き受けさせていただきます。この命にかえても、立派に成長させてみせますぞ。」
…。
何かがおかしい。
演劇の最中とかも考えられなくないが、こんな長いくだりの演劇など見たことがない。
もしや、これはただの転生ではないのかもしれない。
過去への転生?しかも、転生先は『織田信長』なのか!?
織田信長…。
天下布武を掲げ、天下統一を目前にして死んでしまった男。
あまりにも有名すぎる男だ。そんな男に転生してしまったのか?
そうすると、母である土田御前は大うつけである俺を嫌うこととなり、この平手政秀は俺の奇行を諫めるために自害することとなるわけか。
少しだけ、やるせなくなるな。
まぁ、それは俺が歴史通りに動いたならの話しだがな。
それに俺の知っている歴史通りとは限らないし、もしかしたらパラレルワールドの可能性も否定はできない。
もしかしたらゲームの世界の可能性もあるだろう。
ただ、もし俺の知っている世界どおりなら、なんて心が踊る世界なんだ。
俺は歴史を知っている。詳しくはないが、一般的な知識がある。
俺は科学を知っている。詳しくはないが、一般的な知識がある。
この世界にしてみれば、予知のように出来事が分かり、未知の知識を持っていることは圧倒的に脅威だろう。
豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、今川義元…。
数多の英雄達が現れ、覇権を争う戦国時代。
俺はその時代に生まれたわけだ。
織田信長は歴史を変えた男。
俺は歴史通りに動くべきなのかもしれない。
そうしなければ現代まで続いた歴史が変わってしまうことになるだろう。
しかし、そうなると俺は天下目前で死んでしまう。
たしか死因は…ん?なんだっけ?
たしか非業の死だったような…。
まぁ、とにかく非業の死なんてのは嫌だ。
もし、俺が動かなくても、よくある漫画のように歴史の修正力が働き、他の誰かが歴史を変えることとなるだろう。
それなら俺が選ぶ道は、ただ一つ。
大うつけではなく、聡明な道を歩む。そうすれば母に嫌われずに過ごし、当面は平和な生活となる。
そして、できれば家督を弟に譲る。聡明と評されているのだ。それなりの弟なのだろう。
よしっ、まずはこの時代の学問や作法をよく学ぼう。
そして、体を鍛え上げなくては。
首がすわるまでは何もできない。だから、今はただ大人の会話を聞こう。そして知るのだ。
俺は、まったく別の『織田信長』となってみせる。
俺はしばらくの間、ひたすら、大人の会話を聞き勉強する日々を過ごした。
そして、首もすわり、はいはい歩きができるようになると、平手政秀へ書物を読むように促した。
「あー。」
「おや、また書物を呼んで欲しいのですか?それにしても吉法師さまは、聡明ですな。これほど手のかからない乳飲み子は見たことも聞いたこともありませんぞ。」
それはそうだろう。なるべく手がかからないように気を遣っているのだ。
大人なのだから手がかかるはすがない。
俺は聡明な道を行くと決めた。絶対に大うつけにはならない。
それが自らを平和に過ごさせるための道なのだ。
その証拠に、俺を嫌うはずの土田御前を見て欲しい。
「そうでしょう。さすが我が子なのです。あぁ、なんと愛らしいのでしょうか。愛らしすぎて、片時も離れられないわ。」
母は俺にデレデレなのである。
結局、母親といる時間が非常に多かった。
初めて産んだ我が子が誰よりも聡明で可愛らしいとなれば、そうなるのかもしれない。
まぁ、何よりである。少しサービスをするか。
「あー。」
俺は、にこっと笑ってあげた。
「きゃー、なんと可愛いの?もう可愛いすぎて、たまらないわ。」
母は当然、喜んだ。
そして、お目付役である平手政秀を見る。俺は一瞬、ハッとした。
何となくだが、俺のことを猜疑心のある目で見ている気がする。
この状況からすると、言葉を理解していると思われたのかもしれない。
まだ、それに気づかせるのは早いだろう。
俺は、母親が大好きなフリをして、愛想をふりまいた。
そして、先程の書物を読んでもらうことを忘れたフリをする。
無邪気な姿を見て、平手政秀はようやく気のせいだったと思ったのだろう。
「吉法師さまは、本当に愛らしいですな。」
基本的に、平手政秀も俺にデレデレだ。
だが、この戦国時代を生き抜いてきた者は、全員が勘に優れているのだろう。
注意していかなければならない。
まぁ、そろそろ、語学やこの時代の考えを知るための勉強をしたい。平手政秀にお願いして、書物を読んでもらう。
俺は、どんどん知識を仕入れていく。
ある時、不思議なことに気がつく。
全て一度で覚えられるのだ。
この体のスペックがそうさせるのか、それとも子供の能力なのかは分からない。
だから、当然こうなる。
「あー。あー。」
「おや、これは一度、読みましたかな?吉法師さまは、よく覚えてらっしゃる。」
同じ書物は見なくていいのだ。
そうやって、知識を仕入れていく。
次に体を鍛えることとする。
ひたすら、はいはい歩きを繰り返した。
「吉法師さまは、やんちゃですな。」
心配させると、大うつけの道に進んでしまうので、平手政秀の目の前で鍛錬をする。
戦国時代である以上は、どうしても戦うこともあるだろう。
その時を生き抜くために、体を鍛えなければならない。
そして、6カ月で歩けるようになった。
この時代の独特な言い回しも理解できるようになった。
歯がないため、発音が怪しいが、なんとなく話せるようになった。
「信秀さま、吉法師さまは神童ですぞ。こんな赤児は見たことがありませぬ。」
「ふふふっ。さすが信秀さまと私の子よ。」
「そうか。どれ、吉法師を連れてまいれ。」
俺は父の前に連れてこられた。
この時代、父といっても、めったに合わない。
そんな父がまず俺にしたことは、威圧だった。
場の空気が、ピリッとする。
だが、俺を試しているのだろう。
まぁ、残念ながらこの体は第六天魔王とまで呼ばれた男の体だ。
そんなことでは、苦にもならない。
「信秀さま、お止し下さいませ。」
「何をなさっているのですか!」
土田御前と平手政秀は、信秀を止めた。
そして、威圧を止める。
「すまんすまん。神童と呼ばれるからには、どれほどのものかと思ったが、まぁ、こんなもんか。」
「どういうことですか?」
「あえて威圧をしたのは、この子の感性を見たかったのだ。
威圧していることが分かれば泣くなどの反応があるだろうし、なければ鈍感ということだ。
どうやら、この子は後者のようだな。まぁ、初めての子に主君の子だ。他の子よりも出来が良いと思っても仕方なかろう。」
しまった、反応を見せないことで鈍感と捉えたのか。
土田御前と平手政秀は、少し残念そうな顔をしていた。
神童と自分たちが話していたのを否定されたように感じたのだろう。
まぁ、跡継ぎを弟に譲るつもりだし、父に凡庸と思われてもいい。
だが、半年とはいえ、土田御前は俺の母だ。平手政秀は、父である信秀より、よっぽど父親らしくしてくれた。
その二人を悲しませるのは、腹立たしい。
俺は、今さっき父が見せた威圧を信秀に向ける。
信秀は、ハッとした。
「なんだと!?」
そして、すぐに俺は威圧を止めて、顔を背けた。
我、存ぜぬと態度である。
まぁ、俺がやったのはバレバレなわけだから。
「どうされましたか?」
土田御前と平手政秀は気づかなかったようだ。まぁ、一瞬でかつ信秀に局地的に行ったので気付かなくてもムリはない。
信秀は、考える。
今のは明らかに吉法師が行った威圧だ。
こちらの言葉を正確に理解した上で、反抗を見せたのだろう。
土田御前と平手政秀を、あえて侮辱してみた。特に平手政秀ほどの男が神童と呼ぶからには何かあるのだろうと思い、やってみたのだ。
その効果は、想像以上だった。
神童と呼ぶだけの赤児なわけだ。
しかし、優秀すぎるというのは暗殺の危険がある。
「土田御前、平手政秀、よく分かった。この赤児は神童だ。もしかしたら、天下を狙う器量があるやもしれん。
あえて、この子を試したのだが、こちらの思惑を遥かに超えておった。
だからこそ、2人に命じる。
これほど優れていると知られれば、この子に暗殺の危険がある。
だからこそ、これよりこの子へ跡取りとしての作法を教えるのを禁ずる。
それと、土田御前は、建前ではこの子を大うつけと呼び、嫌うようにしろ。
それが、この子のためでもある。」
二人は信秀の言うことには逆らえない。
しかし、吉法師をそれだけ評価したことだけは分かった。
愛する吉法師のためだ。言いつけを守るしかない。
「「かしこまりました。」」
こうして、吉法師は、大うつけと周囲から呼ばれることとなった。
だが、俺はそんなことはさせない。
大うつけと呼ばれるのは歴史通りになってしまう。
それならば、周囲に神童であると思わせるための行動をしなければならない。
そして、当面の方針を決めたのだった。
まずは、周囲に聡明な子であると認知させる。そして聡明すぎると暗殺者の可能性があるということだから、暗殺者を倒せるだけの力を手に入れる。
こうして俺は、織田信長としての人生を歩み始めた。
次回、『2.大うつけと呼ばれし男』へつづく