えそらごと
『毎日に飽きていませんか?』
その言葉はとても魅力的だった。ちっぽけな紙切れにそうポップ字体で印刷された広告はあまりにもたくさんのありふれた求人広告に紛れ、普通の人なら気づきもしない。だが少なくとも、これが学校というものだから、学生ってこんなもんだから、ぐるぐる回ってるだけだから我慢するしかない、ととうに諦めていた私にとっては輝いて見えたのだ。自分の気持ちを分かる人がいるんだ。ああ紙様。
普通ならあることさえ分からないし、仮に見つけても怪しすぎてスルーなはずの広告を、私は全く疑うことなく書かれた電話番号にかけた。
「はいこちら株式会社......」
「私をつまんなくないようにさせて!」
「かしこまりましたあ!」
突然の私の叫びにもあっさり対応した。こういうのには慣れているのか。
「すぐそこに見える路地裏へお入りください!」
それはどこにでもある薄暗いものだったが、そんな怪しいところに電話一本入れてしまった時点で、もう引き返せはしない。むしろ意気揚々と進んでいった。
少しじめっとした道が長く続いた。ここまで長かったかと疑問に思い始めたその時、急に周りが明るくなった。
煌々と明かりがともり、楽しそうな笑い声が聞こえる。ここ最近自分が発することのなかったものだ。
「いらっしゃいませ!」
自分と同じくらいの背丈の女の子がやってきて頭を下げた。そしてその顔に妙に見覚えがあった。
「......彩」
「あれ、結じゃん。どうしたのこんなとこに来て」
「そっちこそ、なんでこんなところで受付なんかやってんの」
「バイトだよバイト。昔お世話になったしね」
「昔お世話に、って......」
「ささっ、中にどうぞ。ここに来たってことは、何かしらつまんないことがあるんでしょ?」
「そうだけど......」
正確に言えば何もかもつまらないのだが。
「初めて来るから、ハードルは低い方がいいよね」
独り言のような声で彩はそうつぶやいて、私を一番手前の部屋に案内した。
「ごゆっくり」
中には自分と同じくらい、あるいは年下の男子、女子たちがいた。
「はじめ......まして」
おそるおそるあいさつをすると、そこにいた面々は思い思いに会釈をした。
ーーーこの人たちも自分と同じなんだろうか。
そう思いながら空いている席に着く。
「あ、全員揃ったから、自己紹介しよっか!じゃあまず私から!」
やけに明るい口調の女の子だ。しかも自分と同じ高校の制服。
最後に自分の番が来た。前の人にならって簡単に紹介を終える。
「じゃあ、ここに集まったみんなはたぶん同じような境遇だから、とりあえず近くの人と話してみよう!」
その声を合図に、わらわらとみんなが動き始めた。少し状況が飲み込めず座っていると、その女の子が近寄ってきた。
「はじめましてのひとだね、よろしく!」
「......何年生?それ、うちの高校のだよね?」
「1年生。あなたが年上だっていうのは分かってるよ。けど、それも『学校が面白くない』理由の一つなんじゃないかな、って思って」
「なるほど......」
気がつけばそう言っていた。確かに先輩とか後輩とか、面倒な人間関係の犠牲になって楽しくなくなることはある。誰とでもこうやって気楽に話せたら、少しは楽しく......
おっといけない。流されるところだった。
「それで?何か見る限り、あんたはつまんなさそうには見えないんだけど」
「えー、でもこれでも、昔は絵に描いたような不登校生だったんだよ」
「不登校、ね......」
確かに楽しくない現実から遠ざかることはできる。その考えに至らなかったこともあるが、何より負けを認めてしまうことになるような気がする。
「でもここに通ううちに分かったの。楽しくないって思うから本当に楽しくなくなっていくだけで、努力が足りないのかも、って」
「努力?」
「楽しいことを見つける、努力」
「楽しいことを見つける、か......大変じゃない?」
「大変だって思うからダメなの」
「え?」
「大変なことだ、じゃあやらない、じゃ意味ないんだよ。大変なんだって実感したことは?」
「......ない」
「でしょう?やってみないと分からないんだよ」
年下の子に諭されているから、いつもなら嫌だっただろうけど、その時ははっとさせられて、それどころじゃなかった。流されたり、感化されたのとは違う気がするが、正しいことばかりではあった。
その子と話が終わるとその日は解散だったが、彼女の言葉はいつまでも私の心を刺していた。
「楽しいことを見つける......って、言ってもなあ......」
次の日から彼女の言葉を実践しようとしたが、案の定というか、うまくいかなかった。もともと楽しいことなどないと割り切っていたせいだ。
「もう一回あの子に会えるかな」
自分に1日でここまで変化を与えた彼女を、もう信頼してしまっていた。怪しい場所にしては珍しい。
「あれ結、またご利用?」
「そうよ、しつこくて悪かったわね」
「ううん、そんなことないよ。私もずっと行くべき方向が全然分からなくて、10回は行ったよ。1回で分かった結はすごいと思う」
「10回、って......」
「うん、さすがに行きすぎかな。でもそんじょそこらの相談室よりかは、頼りになったね」
ごゆっくり、と彩は中に案内した。
「それは自分で見つけなきゃダメだよ」
「うっ......」
「そこまでここに頼ってたら、逆に学校に行かなくなるよ?」
「まあ確かに......」
「でもヒントは教えてあげる。普段友達と話したりする?」
「話すけど、空回りしてるっていうか、噛み合わないというか......」
「噛み合わせるようにしよう。一番身近でしょ?」
「まあね」
ヒントにしては大きなものだった。
積極的に話しかけにいく。それができなくても、話しかけられたら興味があるということを示す。こう返したら話が続くな、盛り上がるな、と考える。
ヒントからそこまでの考えにはすぐにたどり着いた。
不思議と、上手くいく。こんなに積極的だったか、と自分を疑うほどだった。
「どう?最近、うまくいってる?」
ふと彩に学校で出くわした時も、その問いに自信を持ってうなずけていた。
再び私に衝撃が走ったのは、それから数ヶ月、久々に例の場所を4回目に訪れたときだった。
「......うちの学校の子じゃない?」
「そう。今までごめんね」
私の生活が一変したきっかけと言ってもいい彼女が、年下ではなかった。どころか、同い年でも、もっと言えば高校生でもなかった。
「私自身が、全然楽しくないなー、って思いながら生きてたからね。そしたらそのツケが今頃回ってきたの。あの頃も楽しくなかったのは確かだけど、後の方がもっと、恐ろしいぐらいつまんなかった。たぶん絶望に近いぐらい。せめてそんな大人にはなってほしくなくて、私が始めたこと。幸い童顔だから警戒されなくて、うまくいってるの」
大人になって、と聞いていくらかは、彼女の存在が遠いものになった気がした。けど、自分を変えてくれたことと、この場所に変わりはない。あといくらかの学校生活は進んでいく。......楽しいことが何か、探していきながら。