第八話 灰色の世界
パーセラルト家で暮らしてしばらく経った夜。
俺とフレアはいつものように、2人で語り合っていた。
俺は、旅してきたという設定で現実世界のことを。
フレアからはこの世界のことを。
「旅人さんが行った国って凄いのね。
空を貫くほどの高さがある塔なんて、誰も見たことないわ。
それに、てれび? なんて言葉も聞いたことない」
「発展した国だからな。
あ、でもこの国と同じで戦争はしてないよ」
「野蛮なのは帝国だけで十分です。
最近は不思議な事件も頻繁に起きているし……」
「不思議な事件……?」
「えぇ。
なんでも、街が滅ぼる規模の火事が多発してるって。
つい最近はこの近くの街が丸々燃えてしまったってお父様が言っていたわ」
俺はこの世界で一番最初に見た街を思い出した。
なにせ目覚めたらいきなり滅びた街だ。
強烈に記憶に残っている。
木が焼け焦げていたり煤けた瓦礫が落ちていたり。
異様な光景とも言えた。
出来れば思い出したくないな。
「それは物騒だな……
フレア、何かあった時のために逃げる準備はしっかり整えておいて」
「大丈夫よ。
ここには何人も屋敷を守ってくれる兵士さんがいるもの。
それに……」
「それに……?」
「……私もパーセラルト家の1人。
一帯の住民が避難する前に、逃げるなんてことはできないわ」
フレアの言葉は、重く俺にのしかかってきた。
フレア・パーセラルトとしての言葉。
多分、お父さんが聞いたら喜ぶと思う。
同時に反対もすると思うけど……
「あら、もうこんな時間ね……そろそろ寝ないと。
明日は街に出て買い物でもしましょ?
旅人さん、この街は初めてだと思うから。
じゃあ、また明日ね!」
フレアはそう言い残し部屋を出て行った。
しばらく余韻に浸ってから、寝ることにする。
やがて睡魔が俺を取り込み、瞼が落ちた。
深い深い微睡みに身を解かして。
異様な暑さと明るさで目を覚ました。
汗が額を伝うとともに、信じられない光景が目に飛び込んでくる。
「……屋敷が……燃えてる!?」
なぜかはわからない。
しかし、確かにこの屋敷が、この部屋が燃えている。
真っ先に思い出すのは、フレアに聞いた不思議な事件。
でも今は悠長に考えている時間はない。
早くフレアを連れて脱出しなければ大変なことになってしまう。
「旅人さん!
はやく、はやく逃げなきゃ!」
部屋にフレアが入ってくる。
無事で安心したが、このままでは2人共危ない。
「フレア!
早く……早く脱出するぞ……!」
フレアの手を取り、走る。
あちこちに火の手が上がり、移動できるルートが限られてしまう。
途中の廊下に、力尽き血を流しながら倒れている兵士やメイドの姿が見える。
「……これはどういうことなんだ!?」
「け、獣よ……!
みんな、みんなそいつにやられて……」
獣……?
獣が襲ってきたのだとしたら、火事など起きないはず。
もしかしたら獣を退治するために銃を使ったが、暴発して何かに引火……
そう考えた時、屋敷の壁を勢いよく破壊し『何か』が姿を現した。
火の玉というには巨大すぎる炎の塊が、そこにいる。
よく見ればそれは炎の塊ではなく、四足の獣であることがわかった。
火炎を纏い、全てを燃やしながら獣は雄叫びを上げる。
「……フレア!
逃げるぞ!」
俺はフレアの手を引き全速力で走る。
後方には火炎の獣。
ゆっくりとゆっくりとこちらに近づいている……遊んでいるのか?
「お嬢様!
無事でしたか……!
はやく逃げてください!」
「ここは私達にまかせて、生きてください!」
生き残った兵士たちが、獣の前に立ちはだかる。
しかし獣がその腕で薙げば、火炎が渦を巻き兵士たちを焼きつくす。
「クリス! アルダー! レグスト!!」
「フレア……!
あいつらの死を無駄にしちゃ駄目だ!
走れ! 生き残るんだ……!」
後ろを振り向かずに走る。
フレアの泣く声と、何かが壊れる音だけが聞こえてくる。
息が切れるまで走り続け、ようやく屋敷の外が見えてきた。
「フレア!
出口だ! 助かるz……」
出口は目前。
そのはずだったのにフレアが出口手前で転んでしまった。
繋いでいた手は振りほどかれ、俺は少しだけバランスを崩す。
すぐにフレアに手を伸ばすが、何故か彼女はその手を取ってくれない。
無理矢理にでも繋ごうとした時、フレアは俺の手を弾き、地面に手をついた。
思わず一歩だけ後ずさりをしてしまう。
「……フレア?
どうして……!?」
「……ハァ……ハァ……
……私はもう……走れない。
この先、こんな私を連れて行ったら……確実に旅人さんも獣に食われるわ!」
「そんな……!
待ってくれ、俺が囮になる!
だからフレアは!!」
フレアに近づこうとした瞬間、屋敷を破壊しながら獣が再び姿を現した。
ジリジリとフレアの衣服が燃え、そして焦げていく。
あと少しでも獣が動けば、獣の纏う炎でフレアが……フレア自身が燃えて死んでしまう!
「早く行って……! 旅人さん!
旅人さんだけでも……生きて……!!」
涙混じりの声で訴えるフレア。
気がつけば、俺はフレアを背に走っていた。
涙と鼻水を垂れ流しながら、前も見えないのに走り続けた。
瓦礫の崩れる音と炎が燃える音。
全てを置き去りにしてひたすらに走った。
走って走って走り続けた。
やがて夜が明け、太陽の光が大地を包む。
獣は追ってきておらず、はるか遠くに今だ燃える屋敷と街が見えるだけ。
いつもは心地良いと感じる朝日も、今日に限っては憎くて憎くてたまらなかった。
なんで、どうしてこうなるんだ。
なんで俺だけのうのうと生き残っているんだ。
俺は……彼女を見捨てたじゃないか。
この怒りは何に向ければいい?
この悲しさは何に向ければいい?
この虚しさは何に向ければいい?
俺は一体、どうすればいいんだ。