第五話 異世界語が全くわからない件
何とか俺は助かった。
崖から落ちて両脚を骨折したが、心優しいどこかのお嬢様に助けられたらしい。
言葉が通じないのは大きいが、それでもこの生命がまた尽きていないことに喜びを感じるべきか否か。
どうにかしてコミュニケーションを取りたいが、どうしよう。
「ガ イコナト ジバウツ……
ラドシウ カシノタモ……」
ベッドの脇に座ってお嬢様が呟く。
何とか文脈やそれっぽい言葉から言語を解読しようとするが、日本の知識がどこまで通用するんだろうか。
文脈といっても、俺が住んでいた地球の日本語的な文脈か?
それは言ってしまえば日本語のルール範囲内であり、ここでは全く意味を持たない可能性さえある。
「ダウソ! タタッシ アカレア……!
テステコ テシッダ マケ!」
お嬢様は何かを思い出したような動作をした後、俺を置いて部屋を出て行ってしまった。
扉がバタンと閉まり、静寂が訪れる。
えっと……完全においてけぼりなのですが、俺。
深く考えても仕方ないが、この様子だと俺の脚が治るまではここに置いてくれそうな雰囲気だ。
療養の間に出来るだけ異世界の言葉を覚えよう。
しばらくすると、再び部屋の扉が開かれた。
扉に目をやると、先ほど出て行ったお嬢様は分厚い本を持って立っている。
赤い辞書のようにも思えるほどに分厚いそれは、やはり異世界の言葉で書かれたもののようだ。
表紙や帯部分に見たこともない文字が書かれている。
街で見た文字に確かに似ているので、これが共通言語か何かなんだろうな。
「レコ! ノ チワタシタ ガ ゴンゲ ノカ ルイアテ。
ハ シココレ スデ ニ ウワヨカル モナカル……」
お嬢様はそう言って本を俺に渡してきた。
試しに開いてみたが、やはり何を書いてあるのかさっぱりである。
おそらく俺のような言語がわからない人向けに書かれた教科書みたいなものだろう。
家のイラストの横に謎の文字、ペンのイラストの横に謎の文字。
まずは文字読めなきゃ話にならないのでは……?
「……そうだ」
俺は辺りを見回して、何か使えそうな道具を探す、
すると、ちょうどいい感じの場所にクローゼットがある。
俺はそれを指差して、必死に身振り手振りで「クローゼットはこの世界でなんというのか」を聞こうとする。
「トク ッロゼー?
ガ レソ ノド タウシカ? 」
「とくっろぜー……
なるほど、待てよ……!」
俺は先程お嬢様から受け取った本のページをめくる。
しばらくして、クローゼットのようなイラストが描かれたページを発見した。
それを指差し、そのあとに再びクローゼットを指差す。
「ウソ! トク ッロゼー!
デ レソ ヨア ワッルテ」
お嬢様は両手を合わせてうんうんと頷いた。
どうやらこのイラストとクローゼットは同じもの。
横の文字を見て、発音と文字の形を覚えれば、少なからず「とくろっぜー」の書き方はわかる。
ある程度の数確認すれば、文字と発音を覚えられるはずだ。
果てしなく長い道のりかもしれないが、俺の両脚が治るまでの間をフルに使えばきっと覚えられるはずだから。
俺はしばらくの間、部屋にあるもの全ての発音と文字を確認した。
メモできるものを貰って、文字を書いて、文法も読み解いてみる。
単語はいいのだが、文法となってくれば難しいな……
そう考えていると、部屋の扉を開けて一人の男性が入ってきた。
スーツのようなフォーマルな服装で、見た目からは執事のように感じる。
「マオ サジウョ。
デ シモコウス ジオクショ ノ スジデカン」
「ワワ ルカテッ。
ハ ウキョ デ ココ スタマベ。
デハンコ カモ スラマエ?」
「……タワ シカマリ。
クシラバ イオサマ ダチク」
会話の後、執事のような男性は一礼してから部屋を出て行った。
会話となるとまったくわけがわからない。
出来れば今の発音も全て聞き取っておきたかったが、聞き取れたのは「まお」と「わわ」くらいか……?
これは習得に予想以上の時間がかかりそうだ。
再び文字と発音の確認をしていると、先ほどと同じように執事の男性が入ってきた。
メイド……のような人たちを引き連れているのが、一体何が始まるんだ?
メイドたちは手慣れた動きでテーブルを展開した。
後から料理を持ったメイドがぞろぞろと現れ、展開したテーブルに置いていく。
あれよあれよと準備は整い、ものの5分もかからずにベッド周りにフルコースが並んだ。
「……こ、これは一体……?」
コレは何かと問うようにお嬢様を見つめると、お嬢様はニコリと微笑む。
いや、確かにわかるっていうかある程度は予想できるよ?
これが食事だってことと、おそらく食べてもいいことも。
でも急に出てきたら流石に焦るというか……しばらく前まで果実しか食べてなかった俺にいきなりフルコースって。
俺がどうしようか悩んでいると、お嬢様がナイフと先が3つに割れたフォークを手渡してきた。
やっぱり食べてもいいんだな、これ。
俺は両手を合わせ小さく「いただきます」をしてから目の前の料理を食べ始めた。
久しぶりに生きた心地がした……そんなレベルで美味しい料理だった。