焼失 4
ジェスが生まれたのは本当に小さな村。人が増えたとき開拓され、人が減ると共に消えゆく村。近くに沢があったほかには特別な産物はなく、街道からも遠い。山と森に囲まれた辺鄙な土地の、残る家族の一つにジェスが生まれた。
ジェスの父と母はもともと小作人だった。小作人は土地を持たず、雇われて畑を世話する。作物は雇い主のもので、生きるのに必要な量しか与えられなかった。それでも父と母の家族はありったけを用意して、小さな開拓村の畑と家を買った。
どんな土地でもありがたかった。土地のあるなしは人であるなしだ。食べ物がなければ奪うしかない。人の食べ物を奪うものを、人が許すはずがなかった。そういうものは仕事と食べ物を求め、けっきょく国を荒らしていた。
ジェスの家族は細々と暮らしていた。誰かのではない自分の畑を持ち、子を育て、成人させた。貧しかったがそれ以上に幸せだった。
あっけなく終わりはやってきた。
食うに困ったものが村を見つけ畑を荒らし、家を襲った。そいつはあろうことか火をつけた。騒ぎが収まるころ、家族は冬を越せなくなっていた。
ジェスの父と母はありったけを用意した。幸いにもジェスは戸籍を持ち、成人したために家と土地が与えられた。それを見届けるとジェスの父と母は山にきえた。かつて父と母の家族がそうしたように。ジェスは一人になった。
まなじりをひやりとつたうのをジェスは感じた。
何故だかジェスにはわからなかった。昨日は倒れるように寝てしまったから、悪夢を見なかったからかもしれない。
家のなかはまっくらだった。鳥の声もなく、まだ夜のようだ。
いつものように井戸へ向かう。遠くから低く震えるような声が聞こえた。
体がこわばり、心臓が暴れだす、この声を知っている。
(あの夢の声だ)
夢のなかで何度も聞いた声、ジェスを殺しにやってくる兵士の声。
はじかれたように声の方向を見ると、くすんだもやが地上から立ちのぼっていた。
(あれは――なんだ?)
空に赤い軌跡がいくつもはしる。家々に突き刺さると瞬く間に燃え上がり、あたりが明るく照らされる。
(――火だ)
ジェスには憶えがあった。父と母との温かい記憶、大人になればすべてが良くなると信じていた頃の、幸せな生活。そしてすべてを焼き尽くした紅蓮の灯り。父と母はいつものように笑って、気が付けばいなくなっていた。
火事だ、火事だと叫んだ。夢中で叫んでいた。
ジェスは火と戦ったことはない。近づけば焼かれる、近づかなければすべてを攫っていく。大人の力が必要だった。
村中から人が溢れていく、昼間のように照らされた村はたちまち騒然となった。
逃げろと誰かが言った。逃げてたまるものか、奪われてなるものか。ジェスは炎をにらみつけた。
悲鳴が聞こえた。人々はただ混乱している。火のない方へ走る人と立ち止まった人がぶつかっていた。
また悲鳴が聞こえた。火事によるものではない、人のいる方から聞こえてきた。
なにかがおかしい、そう思ってあたりを見渡すと、ジェスは硬直した。
村人を殺してまわる鎧の群れ。地面には人が倒れている。夢のなかの剣が斧が棍棒が目の前で振るわれていた。
太く鍛えられた丸太のような腕、がに股でどたどたと歩いている、次々と村人を殺しながら、うれしそうに歓声をあげている兵士。
夢の顔を思い出す、あの醜悪な怪物がジェスを殺しにやってきた。
(このままでは殺される)
隠れなければ本当にそうなってしまう。ジェスは近くの家に転がりこむ。ちゃんと体が動くことに安堵した。家のなかには誰か潜んでいた。
「――ジェスか?」
セッダだった。鉈を構えた狩人はたくましく心強い。セッダはすき間から外を窺う。
「聞け、この村はもう駄目だ、おまえだけでも逃げろ、裏から出て振り返らずにまっすぐ走れ」
合図をするぞとセッダは言った。
「――今だ、行け!」
ジェスは駆けだした、あたりは明るかった。降り注ぐ火の粉は天にうかぶ星のように綺麗で、まるで現実じゃないみたいだと思う。
兵士の脇を走りぬける、右腕が灼けるように熱い、うずくまりそうになる体を必死に走らせた。
道はなかった。まだ土しかない畑を踏みつぶしながら、がむしゃらに走った。
後ろでセッダがなにか叫んでいる、助けてくれと聞こえた。ジェスは止まらなかった。
畑を抜けて森を目指す、目の前が開けている、助かったと思った。
背中から衝撃を感じた。全身に力が入らない、ジェスは倒れていた。
――流れ出る血液が妙にあつく、視界が黒く沈んでいった。