行詰 2
「ただの夢だ」
ジェスはもう一度自分に言い聞かせ、布団代わりに掛けていた服を回収すると汗で濡れてしまっていた。
舌打ちながら着ている服も脱ぐとまとめて部屋を横断している棒にかけて干す。藁で編んだ筵も汗を吸っていたのでこれも干す。
ひどく喉が渇いていた。水を求めて井戸へ向かう。あたりはまだ暗かった。
家々に囲まれた広場のなかに井戸はある、村人たちは井戸を使いやすいうえ、よそものに荒らされることがないようになっていた。
「おはよう」
「おはよう、最近やけに早いな」
井戸にはすでに人がいた、みっつ隣に住んでいるセッダだった。
セッダは狩人で弓の達人だ、日が昇るまえから狩りにでると日が真上にくる頃には帰ってくる。だからセッダが村人に会うのは昼になってからが常であった。ジェスは悪夢のためにこんな時間に起きるようになっている。
「いいから水を飲ませてくれ」
井戸からくみ上げた水桶を受け取るとひたすらに水を飲む。
「おいおい、また例の夢か」
呆れた口調でセッダが慰めてくれる、もう毎朝のことになってからは夢についても教えていた。
「今日は顔が判るほど近づいた、明日か明後日には俺のところまで来るだろうな」
「なら悪い夢ともあと少しでおさらばってわけだ」
セッダは軽く笑いながら森へ向かう道を歩いていった。兵士たちは明日か明後日には俺のところまで来るだろう、この忌まわしい夢が終わるのか、そうあって欲しいと願いつつ、ジェスは頭から水を被った。
ジェスが畑仕事を終えるころにはすっかり日が暮れてしまっていた。
ジェスのような農民には自分の畑のほかに、税を納めるために協力して作業する畑がある。一度も顔を見たことのない領主のために自分の畑の倍ほどもある畑に種を蒔いて世話しなければいけない。
その畑の収穫の五割が領主で三割が村長の取り分となる。残りの二割は備蓄に回されるそうだが、いつも気が付けばなくなっていた。ばかばかしいとは思ったが村に来たときから一向に変わらず、こんなものだろうという諦めがあった。
今日はその畑に種を蒔く日だった。夢のおかげで余裕がなく、そのことを忘れていてすっかり遅くなってしまった。
「どうした遅かったじゃないか」
「ほかも蒔かないといけん、急げよ」
班の仲間が声をかけてくる。村へ課される仕事は班で行うことになるが、仕事をしくじれば班全員に罰がくる。追加の労役か税を払えば許されるがそんな余力のあるものはいない。
わるかったと謝り畑から出ていくとひとりの男が遠慮がちに声をかけてきた。
「ジェス」
とたんに場がしんとなった。
声をかけてきた男を無視することになっていたからだ。男は前回の仕事を途中で放り出しために班に迷惑をかけていた。男の母親が病で倒れたからだとジェスは知っていた、しかしそんなことは関係がなかった。投げ出された仕事はほかの班員が片付けたのだ。
ジェスは返事をしそうになるのをぐっとこらえ黙ったままうつむいた。返事をすればこんど無視されるのはジェスになる。へたをすると村長に訴えられてしまうかもしれなかった。
「……母さんのことで礼がしたかったんだ」
男もまたうつむいたがジェスに話しかけるのをやめようとはしなかった。
「……母さんはまだ畑仕事ができない、だからまたウチの畑を手伝ってくれないか」
もともと男と仲のよかったジェスはお互いに畑仕事を手伝いあっていたから、男の母親が倒れたときは男の畑を世話してやっていた。
班員たちは微妙な顔のまま歩き去り、気が付けばまわりは二人だけになっていた。ジェスは無視することができなくて、とうとう男に向きなおった。
「……今年は手伝えない、わかるだろ」
今年は出稼ぎに行かなかった、去年よりも多く実らせなければ飢えて死ぬしかない。他人の畑を手伝う余裕はなかった。それに男を手伝えば班の信頼を失う。そうなれば村で生きていけなくなる。
男は村から白い目でみられている、一人で母親の面倒も畑の世話もしなければならない。たぶんできないだろう。
――それきり何も話さないまま家路についた。