現実と嘘
後ろの方から喧騒が聞こえてくる。
けど、今の私にはその言葉一つ一つを拾える余裕なんか無い。とてつもない吐き気と眩暈がする。ヒスイの磔にされた木に思わず手をついてバランスを取るけど、症状は良くならない。
何だこれ、ヒスイが死んだ?私が殺した?
でも、ヒスイて、次期当主だろ?それって強い人がなる感じじゃないのか?暴走してるとこんなことになんのか?
確かに草は水に強いかも知れんけどさ、水あげすぎたら根っこ腐るよ?て、そんな問題じゃないか。
いやでもさ、これってどうなんだ。有り得ないだろ。
修練所を卒業したってことは、今日の授業で軽々私を追い越して行った人たちよりも格上なんだよな?私なんか足元にも及ばないレベルだろ。
でも目の前の現実は変わらないわけで。あぁ、悪夢みたいだ。悪夢であって欲しい。てか、現実なわけないじゃん。最初から全部夢じゃね。夢だろ。目を覚ませよ私。
………………。
………………。
変わらない視覚情報と埃と炭の臭い、手に伝わる木の感触が現実だってことを嫌でも知らせてくる。
どうしよう、私が殺したんだ。
え、何これ、意味わからん。
何であのクソ親父を殺せなかったくせに、私とちゃんと向き合ってくれたヒスイを殺しちゃうんだよ。何で人1人殺したのに私はのうのうと生き残ったのさ?何で私なんかが?
てか私が死ねば良かったじゃん。何でこんななんだろう。ヒスイは皆んなに様付けされるくらい地位があって、尊敬されてて、大事にされてる人だってことくらい今日1日過ごしただけでも充分分かってたはずなのに。ヒスイと私じゃ命の価値が、金の延べ棒と溝に捨てられてる1円くらい違うだろ。何で私が生きてんのさ。
「ごめんなさい。私の……」
私のせいで、と言おうとした。けど、背後から口を塞がれてしまった。
あたりは焦げた匂いで溢れているわけだけど、焚き火の香りが強くなる。
「カホ……?」
「ヒスイは生きてる」
カホの声が頭上から降ってきた。
「ヒスイの心の声が聞こえる。自分のヘマしたせいだから気にするなって言ってる」
「本当?!でも……えっと……」
私はカホの手を口から外しながら見上げる。
ちょっとした期待を込めて。でも、それはちょっと違うんだとすぐに分かった。
カホの手が冷たい。カホは血の気の失せた顔で私の手を握り返してくる。真剣な表情から深刻な状況だと受け取れた。
「カヨ、とりあえず部屋に戻ろう。ヒスイにかかった術は今すぐどうこう出来る程度のもんじゃねぇ。後は全部里の人間がやってくれるから今日は早く休んだ方が良い」
「え、でも」
「いいから」
カホは相変わらず青い顔色で、少し強引に腕を引っ張る。何か焦っている感じだ。
何でいきなり部屋に行こうなんて言い出すんだよ。目の前でヒスイがこんな状態なのに。こんなことにしたのは私なのに。
喧騒が強くなる。さっき来た4人のうちの2人が応援を呼びに行ったんだろう。部屋にいる人数が倍近く増えた。
「何てことだ、まさかこんな」
ヒスイの惨状を見て驚愕の声があがる。そして、幾人かが続けて糾弾する。
「お前、ヒスイ様になんてことをしてくれたんだ。ただで済むと思うなよ」
「許せない。絶対許さないぞ」
言葉の端々に憎しみの感情が込められているのが分かる。辺りの温度が氷点下に変わった。
心臓が跳ね上がる。
此の期に及んでも、私はどうやら死にたくないとか考えてしまっているらしい。本当に自分が嫌になる。
「カヨ、早く、こっち」
カホが私を後ろから押す形で部屋から出て行かせようとしている。
どういうこと?早く逃げようってことなのか?
でも出入口は固められてる。強行突破しろってことか?それって良くないよ。明らかに形勢不利だ。犯罪者の闘争補助は何処の世界でも犯罪だろう。カホは巻きこめない。私だけ罰を受けた方が良い。
「カホ離れないと攻撃され……」
「いいから、早く行け」
さっきよりかなり乱暴に押され、部屋の出入口の方につんのめって倒れかけたせいで近くにいた氷の一族の人にぶつかった。
殴られるかなんかされるだろうと身構える。けど、その素振りが見えない。
ぶつかった人を見上げると、多少気の強そうな顔つきだけど何故かヒスイの様に気遣わしげな表情を見せた。
「カヨ様、ご無事そうで何よりです。ここは我々に任せてお早く退出を」
「え」
私は言葉が出なかった。
どういう事?私がしたのに、なんのお咎めもなしってこと?
私は何か嫌な予感がして、カホの体越しに命の恩人の方を見やる。カホは仕切りと外へ出そうと押してくるし、人が多くて見えなかったけど、一瞬だけあの色素の薄い髪が乱暴に持ち上げられているのが見えた。
鼓動が早くなる。
「カホ……」
私の呼びかけに呼応するかのように、腕を掴むカホの指に力が込められた。痕が残りそうなくらいの痛みが腕に走る。
出入口を通ると、カホは私を半ば引き摺る様にして鉄の柵を潜りぬけた。そして階段でも何度か転けそうになったけどカホはお構いなしで引っ張り続ける。その間、私が何度カホの名前を呼んで止めようとしてもスルーされた。
地上に出て、廊下のロウソクの明るさに一瞬目が眩んだのか、カホの動きが緩む。私はその隙にずっと用意していた言葉を投げかけた。
「カホ、あの人たちに、何て言った?」
「お前は暴走してない」
カホは前を向いたまま、こちらを見ずに短く言った。それで答えたつもりなのか、最初から答える気が無かったのか、また強引に私を引っ張りながら大股で歩き出す。
何を言ってるんだ。それは私の求めてた答えじゃない。私は暴走していた。そんなのあの場にいた全員が分かること……て、え。
…………。
ここで漸く私は自分の置かれた状況と、現状を理解した。あの場にいたのは、私、カホ、ヒスイとあの樹葉族の人だけだ。そして、ヒスイは明らかに樹葉族の術をかけられている状態。そして私じゃなくて何故か樹葉族の人が責められていた。
カホが樹葉族の人、私の命の恩人に私の罪を着せたんだ。
ヒスイの状態がショック過ぎて思考が鈍ってたけど、多分それ以外にない。
その考えに至ると同時にカホに対してとてつもない怒りが腹の底から湧き上がってきた。でも同じ轍は踏まない。ギリギリのところで怒りを抑える。
空気がチリチリと鳴るのが分かる。ギリギリ……か……?
ちょうど私の部屋の前に着いた。カホは襖を開けて私を中に放り込む形で部屋に押し込んだ。そして自身も部屋に入ると後手に襖を閉めて立ち塞がる。私は押し込まれたけどすぐに踵を返してカホに詰め寄る。
「あの樹葉族の人に罪を着せるってのか?」
お腹の底が熱い。腹が煮えるって言葉がこういうことなのかって、自覚してしまう。
「お前は暴走してない」
カホは相変わらず真剣な表情で、真っ直ぐに私を見つめて先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「違う!あの人は私の命の恩人だ!あのままじゃ……あの人はどうなるんだ」
「アイツは人じゃないんだ」
何でだよ、何でそこに答えるんだ。今はその議論さえどうでもいいってことくらい心を読めばわかるだろ。
「人じゃないなら、助けてくれた相手に罪を着せていいのかよ」
思わず声が大きくなる。頬にチリチリと熱気が当たって、空気の熱がまばらに出来ていくのが分かった。まるで私の心の中を表しているかのようだ。今の私じゃ怒りの対象を絞れない。カホに怒ると同時にこの里の現状に対してもそうだし、何より自分自身への怒りがバラバラとまとまりなく感情だけが逆立っていく。
「私が暴走したからヒスイを……」
カホが言葉の途中で覆いかぶさってきた。私は咄嗟のことで反応が遅れる。
「なにを……?!」
続きが言えなかった。口を塞がれたから。
地下室で塞がれた時より柔らかくて温かくて濡れた感触。喉のあたりが熱くなる。
頭が真っ白になった。
何秒経っただろうか。
知らぬ間に後頭部に手を回されて固定されてて、もう片方の手で強く抱き寄せられている。最初の方に軽く力を入れたくらいじゃ拘束は解けなかった。というか、力が入らない。
完全に不意打ち過ぎた。
やっとカホの唇が離れた時、私は吐く言葉を吸い上げられたかのように頭から消えてしまった。ただ、怒りの残存のような熱いもので息をあらげさせているだけだ。
どちらのものか区別のつかない唾液を飲み込んで、ゆっくりと息を整えてみる。心臓は相変わらずうるさい。トチ狂ったこのBGMを止めてしまいたい衝動に駆られる。
「どうすれば、良かった?」
カホの掠れた低い声が、耳にこびりつく。
思わず眉を寄せてしかめ面になってしまう。さっきの感情全部が霧散してしまった。
何も言えるわけがない。
未だに私を抱き締めるカホの手も、身体も、耳元で発されたその声も、私以上に冷え切って震えているんだから。
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たくさんの方に読んで頂けて光栄です。これからも拙いながらも誠心誠意執筆させていただきます。




