状況把握
私はその後どうなったのか覚えていない。ただ、今の感覚的には何処か和室の部屋に寝かされてる気がする。まあ、ばあちゃんの家とよく似た、イグサの畳の匂いと線香の混じった香りがするから和室ってことにしてる。あいつらの格好的にもそういう感じだし、あながち間違いじゃないかな。まあ、目を開けば良いっていう話なんだけどさ。どうも身体が怠くて言うことを聞かない。
暫く寝たままでいると誰かが部屋に入ってくる。足音と襖みたいなのが開く音がしたんだ。そいつは私の元まで来るとしゃがみ込み、抱えるようにして私を上半身だけ起こさせた。誰かは知らないが、丁寧で気遣うような動作だ。偶然なのか、私のアザがある所に触れていないので痛みが走ることはない。相手の服から焚き火の様な香りがする。
なんだかんだで、久々に人に優しく触れられて安心していると、木で出来た急須ぽい注ぎ口が私の口に充てがわれ、液体が流れ込んでくる。鉄のような臭みとドロリとした食感が口に広まり、胃にせり上がるような吐き気に襲われた。けど、拒もうにも身体の自由が無い。しかも、飲まされた液体が身体に吸い込むような感じを覚える。胃に行く前に喉辺りで感覚が消える。
どうやら液体は全部飲まされたらしい。口に当てられていた物が外される。
そしてゆっくりと元のように寝かされた。多少身体の怠さが楽になったきがしたけど、すぐに意識が遠のいた。
次に意識を取り戻したのは、同じ人間が先ほどと同じように入ってきた時だ。
私の身体の起こし方が一緒だから多分同一人物だ。またあの気持ち悪い液体を飲まされるのかと思っていると、出汁の効いたお粥を口に含まされた。そのまま飲み込めるくらいドロドロだったおかげで、喉につっかえることなく僅かな力で飲み込めた。無意識だったけど、かなり空腹だったらしい。身体が喜んでいる。
徐々に腹が満たされていくと同時に、ばあちゃんの家で感じていた様な安心感が湧いてくる。たった14年しか生きてないけど、思い返せば碌な人生じゃない。私が当たり前のように被ってきたことの殆どは、世間でいう当たり前じゃなかった。何故私はこんな立場に生まれてきたんだろう。堪え切れない程の哀しみが心を震わせた。
そんなことを漠然と考えていたら、不意に私を抱え上げていた相手が私を抱きしめた。
ん?いきなり何してきてんの?
確かに感傷に浸ってたけど、こんなことされる謂れはない。というか、いい加減、目だけでも開けたいんだけど、相変わらず身体の自由がない。自由はない理由も、身体の怠さから来ているのであって、あの水の拘束みたいなのではないとは分かるんだけど……。
相手は、私の感情の変化を読み取ってかどうかは知らないが、身体を離して前回と同じ様に私を寝かせた。
はぁ、いつまで身体は動かないんだろう。
ていうか、マズくないかな。まず、間違いなく私は鏡を潜った先にいた連中の里にいるはずだ。まあ、意識失った後に別の人に助けられた説もあるけどね。どちらにしても、水を操ったりできる連中から私を連れてくる芸当ができる時点で、救世の主とかいうあの訳のわからない思想と近しい奴な気がする。そんな奴らがやることと言えば、結局あの厳つい男が言ったように強姦なんじゃないかと薄々ながら感じる。今は多分、気を失ってるから看病的なことをされてるだけで、目が覚めたらどうなるかなんとなく想像出来る。どうしたものかな……。
そんなこんなで危機感を募らせつつも、私は時々現れる同一人物から飯を食わされ続けることになる。
徐々に身体は自由になりつつあったけど、なるべく完治に近い状態になってからでないと危険だと思ったから気を失ったふりをし続けた。
4回目くらいの食事の後、この部屋に別の人がやって来た。何で別人か分かったかというと、足音が違うからだけど、やって来たのが2人っていうのもある。
「まだ、覚醒しないのか。本来ならとっくに覚醒してるだろ」
多分厳つい男の声だ。多少イラついてるみたいだな。まあ、私も意識はあるし、起きようと思えば起き上がれるくらいは身体が回復してる。私は狸寝入り中で、向こうにとっては起きているのに目を覚まさないとかいう選択肢は無いんだろう。起きてると感づかれないように目さえも一回も開けてない徹底ぶりだし、気づくはずもない。
「その様です。何分、今回の救世の主は女ですからね。今までの伝承とは勝手が違うのかもしれません」
こっちは、森で会ったお坊さんみたいな奴かな。
「ちっ、何故女など……これでは白族の笑い物にされるではないか」
「心中お察し致します。しかし、勝手は違えど此度の救世の主、些か使い用によっては今までにない力を我らに与えてくれるやもしれませぬ」
使い用……って、私は物か。もういいや、こいつら絶対信用しない。
「とりあえず、当面の間はヒスイどもに面倒を見させておきましょう。カホは例の稀なる能力を持っておりますゆえ、下手は打ちますまい」
「ヒスイはともかく、あの忌み子を信用しろと?全く、我が部族も墜ちたものよ。……しかし、それ以外に最善の方法も無いか。お前に免じて暫し猶予を置こう」
ヒスイ?カホ?よく分からないけどそいつらが私の面倒を見るのか。……ていうか、強姦の話は無くなったのかな。それならちょっとは安心する。
2人は更にいくつか私には理解できない、難しめな会話をしながら部屋を出て行った。
暫くして、また2人分の足音が近づいてきた。1人はいつも食事をさせに来ている人に近い感じの足音だけどなんか違う雰囲気だ。で、もう1人は不必要に足音を鳴らしている。部屋の近くまで来ると、強引に襖が開けられた音がした。
「何故私がこんなことをせねばならないのか……今は一刻も早く、里のために技を磨かねばならぬというのに……」
水色の目の奴の声がした。だいぶ苛立ってるみたいだ。
「……でもよ、これで講義をサボるのが公認された様なもんだろ?俺としては救世の主様様だな」
調子の良い感じで少し掠れた声が返している。赤い目だった奴だ。2人は私の傍に来て座り込んでいるらしい。きっと私が目覚めるまでいるんじゃないかなって感じだ。
うーん、どうしたものかな。身体はだいぶ回復してるし、強姦もされないんだったら暫くここにいた方が無難かもしれない。逃げ出したところで、父親に捕まれば死ぬし、こいつらの戦争とかに巻き込まれる可能性もある。
てか、戦争て。日本じゃないの?まあ、鏡を潜るとか、水を操るとか、現実世界じゃないのかもしれない。よく家に帰るまでの時間を潰すために通っていた図書館にあったファンタジー物が頭に浮かんだ。ファンタジーって言っても、ここは和風みたいだけどさ。
まあ、つまるところ、ここで目覚めて事情を聞き出す方が良いだろう。水色の目の奴は、なんだかんだ物知りそうな顔をしてたし。
そういう訳で、私は目を開けた。天井は木で作られていて、電気とかは無い。
「起きたか。随分とゆっくりなお目覚めですことで」
水色の目の奴が嫌味たっぷりに話しかけてきた。無視無視っと。私はとりあえず部屋を一頻り見ていた。やはり、昔の日本家屋的な作りだ。部屋の中央で敷き布団の上に寝かされていたのだと分かる。
「ここは?」
私は水色の目の奴に視線を投げて尋ねた。
「黒族の里にある城の中です。あなたは、こちらの界に来たすぐ後に、こちらで生きていく上での力不足のため、気絶なさいました。そのため、ここまで運ばせてもらったのです」
水色の目の奴が不服そうな顔のまま丁寧に説明する。どうやら救世の主という肩書きのおかげで一応は敬われている扱いなんだろうな。嫌そうだけど。
「……そう。あちらこちらって言ってるけど、つまり、私の生きていた世界とは別の世界に来たってこと?」
「はい。私たちと出会った場所はあなたの界と私たちの界の間にある繋ぎ目の世界です。あなたはなんらかの方法で、分不相応にもあの場所に来ていたのです」
「あ、そ」
分不相応って……気絶する前も思ったけど、こいつ結構ズケズケ言うよね。とりあえず、ここが異世界なのは理解した。まあ、納得できないけど、何となくここは私の今まで育ってきた環境と違うと分かるし。
身体を起こしてみる。結構すんなりと身体が動いた。むしろ、前よりも身体が軽い気がする。
「こちらで生きていくための力不足って何?」
「あなたのいた界には当たり前にあった物ですが、こちらの界には選ばれた血を持たねば持ち得ない物です。何も血を得ていない貴方には生きられないところでした」
「?」
よく分からない。
血?あの、最初に飲まされたドロドロの気持ち悪い液体が蘇る。
「まず、こちらの世界の説明をしましょうか」
私が混乱しているのを察したのか、相変わらず見下しつつも丁寧に尋ねてきた。
私が素直に頷くと、水色の目の奴は淡々と語り出した。
要約すると、この世界の人間は血に感情が宿っているらしい。その感情はこの世界自体の自然に影響を及ぼすのだとか。そして影響を及ぼせる様になれば瞳の色が変化するらしい。つまり、水色の目の奴は水を操れると同時に水を操るだけの感情を持つことができるって感じなのかな。
さらに、その力は血によって後継されて行くらしい。で、昔はそれぞれ操れる感情と力とで一族を作って生活していたようだ。
そんなある時、ある一族が、もう一つの一族と結託して自分たちの力こそ、この世界で最強なんだと言い張ったそうだ。それが、だいぶ初期からチラホラと出てきている白族と呼ばれる二つの血筋の集まりらしい。で、その自己主張を抑え込もうと生まれたのが、別の二つの血筋が対抗して集まった黒族。それから互いに牽制し、世界を巻き込む戦争が何千年と続いているらしい。
「ちょっと聞きたいんだけど、あんたの持ってる感情は何なのさ」
説明はまだ続きそうだったけど、遮って質問した。その都度質問しないと、それ以外の情報量に飲まれて忘れちゃいそうだ。
「黒族の持ちうる感情は、哀しみと感謝が水を操る一族、復讐と誇りが氷を操る一族です」
うーん、別に、他の感情も持ってるんじゃないのかなぁ。あんたらと話しててそこまで無感情とは思えなかったし……多分、そういう感情を強めていくと力が宿るとかそういうことなのかな?まあいいや。
「で?白族は?」
そこで水色の目の奴は目を伏せ、声を震わせた。
「白族は野蛮です故、大した感情など持ち合わせておりませんね」
……うん、これは根が深い因縁があるね。
と、ここで疑問が浮かんだ。今の話で出てきたのは黒族にいる、水と氷をそれぞれ操る人たちだ。多分、私の予想が正しければ、水を操る一族が水色、氷を操る一族が青だろうな。そう考えた時、若干水色の目の後ろあたりに座っている奴が身じろぎした気がする。
「じゃあ、水の一族と氷の一族の目は何色?」
「水の一族が水色、氷の一族が青色です」
やっぱりか。まあ、これで色々と仮説が浮かぶけど。
「じゃあ、あなたがヒスイで、後ろの奴がカホ?」
「……そうですが。何故それを?」
ヒスイは、多少警戒する様に眉を寄せた。ヒスイの後ろに座っているカホは特に反応していない。
「で、白族には火の一族が入っているでしょ」
あたかも知っているかのようにカマをかけてみる。相手はまるで冷水をかけられたかのようにびっくりしている様子だ。
「何故?どこからそんな情報を?」
そう言ってヒスイは不快そうに顔を顰めて、カホを一瞥した。カホは心外だと言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「さっき、2人組がこの部屋に来てカホのことを忌み子って言ってたからね。なんとなく想像して言ってみたけど」
赤い目はやっぱり火なんだ。なんか典型的な色の当て方だけど、別にいいや。分かりやすくて助かる。にしても、忌み子とか言われながらもこのアウェイ状態で匿ってるのにもそれなりに理由がありそうだ。
ヒスイは相変わらずしかめ面でいる。
「何故その時起きなかったのですか?」
「私へ強姦の指示を出してた男の前で目覚めるわけないでしょ」
「強姦など、そんな……」
と、ヒスイは言いかけて言葉を切る。否定できないらしい。
「あの時は色々と不測の事態でした。救世の主が女など、例がなかったのです。この界では女など、子を産む以外に仕事はない。当然の指示です。また、あの指示をなさっていたのは我が里の頭目です。今後、言葉使いには気をつけてもらいたい」
なんと。色々と物騒だとわかった。女は格下に見られ、強姦は当然と?ため息が出そうになる。流石に元いた世界だと考えられない。まあ、父親にされそうになったんだけどさ。私の世界じゃ犯罪だってことにはなるよ。救ってもらえるかどうかは置いといてだけど。それが正当化されてるこの世界は、やっぱり危険だ。マジでゴミだな、この世界。
とりあえずノーコメントで行こう。何を言っても無駄だろ。こういうのは早めに見切りをつけるに限る。
「まあいいや、話を戻そう。白族についてあんたが知ってる情報を教えて」
「……何故そのようなことを?」
「逆に聞くけど、救世の主に一族を救ってもらいたいんじゃないの?敵の情報って必要じゃん」
「しかし、お前は女ではないか」
相変わらず蔑みの目が私に向けられる。
あーはいはい、お決まりの男尊女卑ですか。
思わず漏れそうになるため息を飲み込む。情報はとりあえず集めるに限る。例えどんなに偏っていようともね。じゃなきゃこんな訳のわからない世界で生きられやしない。
「そもそも救世の主って何なのさ?」
「それは――」
ヒスイはまた一通り話し始めた。
どうやら伝承とかいうのに基づいて召喚されるのが異界の人間らしい。異界の人間は、本来全ての感情を持っていたから、ある意味最強なんだと。この世界のそれぞれの血を飲ませて、きっかけさえ作れば、あらゆる力を発揮するらしい。よくクラスの男子がゲームで騒いでいた、チート的な存在なのかも知れない。
で、数百年に一度その伝承によって召喚された人間は、起こっている戦争を止めるようだ。そして必ず、召喚した側の一族が発展して栄華を極める。それと同時に多くの子供を残して、チート能力がその一族に蔓延するんだとか。まあ、暫くしたら血筋も元の一つしか操れない状態に戻るらしい。期限付きのフィーバーでこの世界を支配できる感じなのかな。
まあ、これでさっきの疑問は解消されたかもね。本来一族の血筋には特定の感情しか無いはずが、何回か召喚した異界の人間の血のせいで副属性的に感情をもてるようになったと。確かに種馬的な観点から行くと男の方が便利だよね。と言った感じで、なんとなくだけどこいつらの考えていることが読めてきた。