三話 クラスメイト
「星美ヌードちゃんでーす! 好きな漫画と映画とアニメは、幽☆遊☆白書、トレマーズ、とんでぶーりんですっ!」
入学してから初めてのホームルーム。この学園では、生徒達が自主的に授業を行う。
教員の代わりに生徒会が活動の全てを取り仕切り、運営自体は外部の人間に任されている。
表向きには身寄りの無い子供のために設立された高等学校だが、その実は「英雄の力」と呼ばれる世間的には認知されていない希有な才能を保護するための施設……ということになっている。
斜め前の離れた席で自己紹介をする星美を見ながら、そわそわする巳弥は、不安を抑えられずにいた。
自分たちの正体は隠し通さなければ、それだけは絶対に守らなければいけない。だが初日から、最初の授業すらまだ始まっていない段階で、こともあろうか生徒会に勘付かれてしまった。いや、むしろ自分たちで勝手に自爆したような気がする。
これから一体どうすれば……と、いつもに増して頭を悩ませる巳弥であった。
「おはようさん!」
心彼方にうんうん唸っていると、視界の死角から少女の顔が突然現れた。
予期せぬ不意打ちに、ぴゃあっと大げさな悲鳴を上げて仰天し、椅子ごと身体がひっくり返りそうになる。少女は巳弥の両腕を掴んで引っ張り、慌ててそれを阻止した。
「おっと。んっんっん。驚かせてしもたな」
手で口を押さえて特徴的な笑い方をする少女は腕を組み、隣に居るポニーテールの少女を引き寄せた。
「ウチ、雨永ホタル。んでなぁ、この子が糸井キヌエちゃん!」
「……ちょ、ちょっと、ホタル」
「巳弥ちゃんやったっけ? これから仲良くしてなー。ほら、このクラス留年しとる人もおるし、みんなで支え合わんと」
誰のことを言っているのかは明白だが、気の毒すぎて視線も向けられない。
周囲がヒソヒソと話している内容を汲み取ると、なんでも凹坂は去年、奇声を発しながら校内中を全裸で駆け回り、各教室に自らの排泄物を投擲して、それを食い止めようと追ってきた生徒会役員の顔面にも同じく汚物をぶちまけた、ともっぱらの噂。
それが原因で留年したらしい、と全校生徒の記憶は改竄されている。肩を震わせ、赤い鬼のような形相で凹坂は、星美に対する怒りを抑えるのに必死だった。
「シケた面してんな、姉ちゃん」
前の席に居る背の低い男子生徒が、凹坂を気遣って話しかけてきた。
逆立った金髪で目力の強い、いかにも小学生向けの漫画に出てきそうな風貌だった。
「オイラは轟エレキマル。あー……その、なんだ。周りから色々と言われてるみたいだが、あんま気にすんなよ! クソ漏らしたぐらいなんだ! そんなんで女の魅力はなくなったりしねぇ! よく見りゃ結構、美人だしな! オイラは、姉ちゃんみたいな女、嫌いじゃないぜ……?」
「はああぁぁぁぁ~……? そりゃあ、どーもぉ……」
入学初日から女子へアプローチを掛けてくる轟を尻目に、何故か教壇に上がろうとしている星美を見てギョッとする。
今度は何をする気だと、凹坂と巳弥の二人は身構えた。
「ねぇねぇ、みんな! 一緒に部活作ろう!」
星美は上下スライド式ホワイトボードに「部員募集中」と大きな文字でクラスメイトたちに提示した。
「ほら、セクシーコマンドー部とかSOS団とか現代視覚文化研究会みたいなさっ! 主に創作活動をメインにするつもりけど、面白いなら何でもオッケーな部活! どう、どう!?」
ざわめきが止まって教室が水を打ったように静まりかえった。雨永が小さく笑う。
「んっんっん。星美ちゃんは元気やなー」
「あの子、入学式の前座でとんでもない事してたわよね」
「あれなー。色々すごかったわ。ええやん、オモロそうな子で。クラスのムードメーカーやな」
周囲の醒めた反応に舌打ちし、凹坂が渋々手を上げる。
生徒会に正体が曝かれるという、もう取り返しがつかない事態には至ったが、このまま星美をアウェイにするのは彼女としても望ましくはなかった。
「おれはサンセー」
「うおっ!? 姉ちゃん、やる気か!? オイラも部活はまだ考えてないしなぁ……うし、いっちょ入ってみっか!」
「あ、わ、わたしも!」
「おっ、巳弥ちゃん意外に積極的やな。よし、ほんならウチも乗ったるで! キヌエちゃんもええやろ?」
「ホタルがそう言うなら……」
そんなこんなで五人の部員を確保した星美は、予め記入しておいた部活申請書をさっそく隣のクラスにいるサザンカに手渡した。
「……なに、これ」
「部活創るんだー。サザンカちゃんって生徒会の人でしょ? 部室借りちゃうから、それよろしくっ!」
「そう……問題は起こさないでよ……」
「サー、イエッサー!」
生返事でそれを受け取る彼女はいまだ上の空で物思いにふけている。
昨日、生徒会室が影に包まれたその後は、いつの間にか寄宿寮の自室に戻っていた。サザンカは、『悪の力』と呼ばれる異能の力を前々から知っていた。
手から炎や電撃を出せたり、テレポーテーションなどを可能とする恐ろしい超能力の類い。その力を文字通り悪用する組織から彼女が盗み出した情報で、能力を有する六人全員の詳細が明らかになったのだ。
しかし、そのデータに星美の情報だけは一切載っていなかった。入学式や生徒会室で目の当たりにした彼の力は、実際に能力者たちを見たことのあるサザンカでも、あんなモノは規格外だと判断できる。
それを行使する本人も理解不能な性格なので、生徒会は対応する術を完全に見失っていた。建前かもしれないが、何かこちらに都合が悪いことを企んでいるわけでもなさそうなので、ひとまず泳がせておけとのこと。
しかし、秘匿していたこの学園の存在がすでに彼らの組織に発覚されたとなれば、オチオチしてもいられない。
サザンカは不条院に監視を任され、星美たちの動向を探ることにした。部活を始めて一つの場所に常駐するのは生徒会にとっても好都合のはず。放課後、こっそりと彼女たちの様子を窺いに行ってみた。
「ウーン。模様替えはこんなモンかな? ブヒヒヒヒヒ……次は部員のユニホームだね。シンボルマークならすでに考えてあるっぞ!」
「おい、やめろ! テメ、うおっ!?」
「ふぇぇぇん、ま、まま前が見えないですよ~」
「う、うっしゃあ! こうなったらトコトンまでやるしかねぇだろ!」
「ちょっと、これ大丈夫なの!?」
「あっはっはっは! あかんあかん、これ絶対に後で怒られるヤツや! あっはっはっは!」
なにやら外にまで声が届くほど騒いでいるようだ。中を覗き見る。
星美が模様替えをすると言い出し、窓をぶち抜いて増築を始め、最初に来た轟に壁のペンキ塗りをやらせ、その後で入ってきた凹坂と巳弥が二人を止めようとしたので床を潤滑剤で浸し、三人でヌルヌルになりながら狭い部屋の中で追いかけっこを始めた。
次にやってきた雨永はその状況に腹を抱えて笑い、糸井はただ唖然と立ち尽くしているだけだった。
「あ、サザンカちゃんもおいでおいで。楽しいよ、ほら、ガチムチでクソミソまみれの濃厚なホモセックス」
「誰がホモだ! 男はテメェだけだろ!」
「ウハッハッハッハッ!!」
マウントポジションで凹坂を押さえ込み、哄笑しながら制服を脱がそうとしている星美。巳弥は滑って何度も転び、顔まで粘っこいローションに覆われている。
くんずほぐれつの有り様になっている彼女たちに、俯きながら全身をブルブル震わせ、サザンカは堰が切れたように泣き出した。
「なにしてんのよ、バカー! 問題起こさないって約束したのにぃ! 嘘つき嘘つき! 言いつけてやるんだからねっ! うわああああああん!! お兄ちゃあああああああああん!!」
サザンカは間髪入れず、星美、凹坂、巳弥をワイヤーで縛り、引き摺って部室から去って行った。
再び生徒会室にやってきた三人を、不条院は冷厳な視線で見下す。
「一体どういうつもりだ、お前ら」
「こっちが訊きてぇよ……」
「特にお前だ、凹坂。前年度のあの事件を忘れてはいないだろうな? 次に問題を起こせば留年どころの騒ぎでは済まされんぞ」
「うんうん! いくらなんでもスカトロは校則違反だよねっ!」
「お前……後で覚えてろよ」
訝しげに星美を一瞥し、立ち上がって不条院はサザンカ経由で渡された用紙をひらひらと扇ぐようにして差し出した。
「聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずこの申請書は却下させてもらう」
「ええぇええぇぇぇぇぇ!? どこがダメなのー!?」
「まず、この活動内容だ。意味不明な隠語が羅列されているのは百歩譲っても、要約すると、文芸部に演劇部、吹奏楽部と軽音学部、映像研究部、漫画同好会、アニメ―ション制作部、自主ゲーム制作部……など、いずれにも取れる方針が漠然としすぎている。いま枚挙した中には本校に存在しないクラブもあるが、残念だったな。お前たちに部室の貸与は認めん。面倒も起こすな。放課後、散らかした全員で清掃の処分とする。以上だ」
「ぬもんちゅがー!!」
情け容赦なく一蹴された星美は残念そうに、凹坂と巳弥は肉体的にも精神的にも疲労困憊の様子。
生徒会室から出ると、外で待っていた雨永たちが心配そうな顔で彼女たちを労った。
「よ、よぉ……なんか悪いな。オイラもやったのにお前らだけ呼び出しくらったみたいでよ……」
「で、どうだったの?」
「ダメだって~。部活は作らせてくれないんだってさ」
「あっちゃあ……ウチもやりすぎたかなぁ。すまん、星美ちゃん!」
「まったく、融通の利かない頑固な生徒会長さんだよねっ。ヒナギクもびっくりだよ」
凹坂は相変わらず不服そうだが、それでも普通に星美と接しているクラスメイトたちを見て、少しだけ気が楽になる。巳弥はホッと胸を撫で下ろし、顔を綻ばして嬉しそうに笑った。