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001   見知らぬ雨

現行地球ではないようです。

気が付かれた方々は平行世界だとおっしゃいます。


「恋」と銘打っていますが、恋をする物語ではありません。

それを現世では「恋」と言うのではないかという【憶測】です。

恋愛物語にするつもりはありませんが、

ただ、そんな事はどうでも良いことです。


※作者注

お試し投稿のため、非開示及び改編を頻繁に行います。

ご諒承ください。

 

 ◇     ◇     ◇ 


 一滴

 ひとしずく


 一枝に凍みた氷雨に絡まる

 黄金の太陽の糸を

 今か今かと紡ぎ待つ


 監獄の白き一筋よ


 鞘を砕き鳴り響け

 それは崩壊の唱となりて


 “ウィルド”

 それは空白の宿命



 The ORPHAN 神伝 

 神々の黄昏 ~雲霄古事記





 ◇     ◇     ◇ 


「―――!」

 今にも触れそうだった指先を、風に流されるように振り降ろした。

 見開いた相手の瞳が(何故)と問いかけてくる。

 それに応えねばならない。

 言わねばならぬブレッシャーと、口にできない恐れとが混在して、さも時間が止まったように硬直してしまった。


 ―――その手には、さわれないの


 言い訳にするには言葉が足りない。

 どうしたら、この人には判ってもらえるだろうか。

 己ですら理解できずにいるのに、相手にそれを求めるなど……


 ――答えは、

『今も』

『昔も』

 ひとつ。


 ―――“アナタでは無い”


 たぶん、私だけに差し向けられた手を振り払って、私はその大切にすべき「何か」を切り捨てた。

 掴もうとした手を伸ばせずに降ろした。

 どうしていいか分からない。

 言葉も出来ない。

 込み上げる謂れ無き激しい拒絶感。

 ただ単に『アナタではない』理由が理由になるというのだろうか。

 何もかもが分からなくなるその一瞬に、私が必死で積み上げたものが崩れてしまっていた。

 頂きから生気を失ったように力なく壊れていく。

 これで何度目なのだろう。またイチから積まねばならない。

 後ろ姿を見送ったあと、心理的にも体力的にも激しく消耗していたことに気がついた。

 汗が背中を流れる。


 ―――教えて欲しい


 “アナタでない理由を”



 彼は、答えを持ってなかった。



 ◇     ◇     ◇ 



 その日は、その季節にしてはうだるような暑さだった。

 真珠香しずこは机の上でトントンとシートを纏めると、ファイルに挟んで引き出しに放り込む。

 ついで、メモリーをケースに入れて同じく放り込んだ。

 コンソールのモニターを消す。

 これで今週の仕事が終わった。

 週末の予定は無い。

 こんな日だったから、何か甘くて冷たいアルコールでも買って帰ろうかと考えていたが、この暑い空気の中を移動するのが苦痛である。

 上着を椅子の背もたれから取り上げ、バッグを机に乗せると、椅子を後ろに引いて立つ。

「お疲れ様でした」

 先に斜め前から声がかかった。

「お先します」

 汗ばんだ首筋の髪の毛を気にしながら軽く頭を下げ、バッグを取り上げてドアを出る。

 そんなに大きくもない規模の会社でも、廊下は終業直後のざわめきで溢れかえり、その間を縫うようにして歩いて抜け出した。

「シズコ!」

 後頭部に突き刺さらんばかりの勢いで、甲高い声が頭の上から降ってくる。

 いつの間に入りこんだのか、パンプスの中でゴロゴロする小さな塊を気にしながら首を上に向けると、真珠香を見下ろす女が週末を迎える喜びを隠さず手を振っていた。

「なぁに?」

「これからなんだけど、空いてる?」

「体調崩しそうだなぁ」

「…あっ、ゴメ…。今週は平日もやっちゃったからね!」

「この次でも?」

「そうする。ちゃんと休んで!」

 休日前の夜をゆっくり過ごす権利を獲得すると、真珠香は顔の脇でひらひらと掌を振って踵を返した。

 まだ日は高い。

 こんな明るさの中で酔うのも躊躇われる。

(時間が……)

 バスの時刻に合わせて今買い物をするか、それともアパートの近くに帰ってから買い物をするか、ちょっとだけ悩んだ。

 空を見上げると、ビルの谷間にぬっと立つ暑苦しい雲が視界に入る。

 それで真珠香は、住まいの近くのスーパーで買い物をすることにし、小走りでバス停へと急ぐ。

 今年買ったばかりの夏用バッグが、手の汗で汚れそうなのが嫌だ。

(ハンカチ二枚持って……夏前までに日傘を買わなくちゃ)

 ここで土曜か日曜、日傘を買いに行く予定が立つ。

 タイトスカートで思うように歩幅が出ず、バス停に着いたときは既に待ち客が大勢並んでいる状態であった。

 人の陰で太陽の熱線が避けられそうであるが、バス停のホームに入り損なった。

(俄か雨が来たら……どうしよう…)

 購入予定の日傘は晴雨兼用にすることにした。

 バスが来るまで十分近くあるため、手持ち無沙汰でパンプスの中にある気になる存在を指先で転がす。

 いま靴を脱いでひっくり返したい衝動に駆られるが、恥ずかしさを意識して我慢した。

 髪の毛が張り付くほどの首筋の湿り気を思い出して、我慢できずにハンカチを取り出し拭こうとすると、その手にボタッと音を立てて大きな粒が弾ける。

 途端に空気が動いて周囲がざわめく。

 ―――雨。

 避けようとして逃れられなかった春驟雨が来てしまった。

 ボタボタとした音と共に温い水滴を無遠慮に叩きつけて、そこかしこに水彩のような滲みが出来ていく。

(あー……サイアクだったね)

 先に買い物を済ませてからここに来るべきだったか。

 ホームの下にも入り損ない、ちょっとだけ幸せでない状況に陥った。

 この際、濡れて帰ろうか……

 気が重い。

 忘れたい昼休みの出来事が、胸に鋼の重りとなってふさぐ。

 こういう気分の時は一人で過ごすのが一番であった。

 誰かに相談するとか、愚痴るとか、そうする理由もない。

 波風立たぬように息を潜めて過ぎるのを待つ。

(いいよね、日常の自分が大事……)

 憎む気にもなれない雨粒、掌を額にかざし天を仰ぎ見ようとした。

 すると何かが真珠香の上にそっと被さる。

 それは降りかかる雨から彼女を優しく覆うように自然だった。

 だからと言って視界を遮るものではなく、ちゃんと上空の雲と大粒の水玉は見える。

 弾力のある玉が、跳ねて散る。

 幾つにも幾つにも砕けて飛んだ。

 強い吹き下ろしが、真珠香の黒髪をざぁっと乱した。

 フイの風に揺られて、一瞬何のことだか理解ができずに戸惑う彼女の耳に、控えめな声が届く。

「―――濡れますから、どうぞ」

 透明な傘を真珠香の上にかざして、男が見下ろしていた。



 ◇     ◇     ◇ 



「――あ……スミマセン……」

 この状況が、どうしたら良いか分からなかった。

 ありがとう、のお礼が出来ない。

 内心の緊張と焦りを自分なりに隠す努力をしてみるが、果たして相手はそこまで分かってくれるかどうか不明だ。

「降りられるバス停は、お住まいの近くですか?」

「はい、あの、そうです」

 社会人として俯くのはどうかと思ったので、優しさを含んだ声に答える。

 耳障りの良い、低く響く声だった。

「すぐに止むとは思いますが……」

 真珠香よりもアタマが一つくらい高い身長で、男は空を見上げる素振りをした。

「そう、だと思います。でも買い物…どうしよう……」

 余計だとは思うのだが、途切れ途切れに口が勝手に動いている。

 すると男は真珠香を向いて尋ねる。

「どちらのバス停です?」

 通りすがりの彼女、或いは男が、それぞれの乗降するバス停などどうでも良い話ではあるが、個人的な話をするのに警戒を抱くほど危険な人物にも見えなかった。

「ここから……11コ目の風斬町かざきまちです」

 言っていいものかどうか、遅れてやってくる躊躇いをどうにかかわして言う。

 彼は「ああ」と言う顔をして笑った。

「ちょうど、私もその町の事務所に用事があるんです。電車には中途半端な距離ですよね」

「ええ、バス停も近いですし……あの…何か車での移動はされないのですか」

「街の中をこうして歩くのも大事なんですよ」

 そういうところで滲み出る人柄。

 妙に人を落ち着かせると言うか、包容力があると言うか、個人の勝手な思い込みでも真珠香にとってはとても親和性のある笑顔である。

「あ……」

 そうですねとつられて笑みを返しながら、私よりも歳上なのかなと初めて男の素性について考えていた。

「バスが…来ましたよ」

 坂道を唸りながら登ってきたバスが、ホーム脇に滑りこんできた。

 数人の客が降りてくると、雨模様の天気をしかめっ面で見やって散っていく。

「先に」

 真珠香は、さりげなく誘導されて乗り込んだ。

 雨はまだ止まない。

 パンプスの中が、路面に打ち付けて撥ねる雨で濡れてしまっていた。



 そこそこの乗客があったので、二人はお互い隣に腰を掛けることとなった。

 とは言え、真珠香はどうして良いか分からず手持ち無沙汰である。

 それでもやっとのことで出たのが「制服の裾が濡れてしまいましたね」だった。

 男は、いいんですよ、と膝に制帽を置きながら言う。

 畳んだ傘の下に雫が溜まった。

「乾いても分からない程度なら誤魔化せます」

 春夕立の薄暗い風景に、街灯がようやく気づいたように仄明るく点灯しはじめた中で、彼の白い服装は妙に浮き上がって見えた。

 少年のような面影を残す横顔に、その陰影が何かを象るかの如く移り変わって行く。

 一瞬、そう見とれてしまった。

 ―――不思議。

 もし、真珠香がたった今の感覚を表現することができたら、そのようにハッキリと思っただろう。

 何の予兆も予感もなく、たった今逢ったばかりで、たった今会話を交わしたばかりで、たった今、彼の顔を見たところで、それに何の意味があるのか。

 そして「それ」を思った所で、何か真珠香に関わりがあるというのか。

 未来に交わる点が出来たとして、その先など―――

 少しだけ未来を覗こうとして、真珠香は自分を抑えた。

(この天気のせい……)

 途端に憂鬱になりそうになる。

 ガタゴトと揺られ、ギィギィと車体を軋ませ、バスが幾度目かの停車をした。

「風斬ですよ」

 隣から声を掛けられ、真珠香はふと気がつく。

「……あ…そうですね」

 ―――随分と長いこと乗っていたような気がしたんです。

 後半の言葉は飲み込んだ。

 日常とは異なる時間の流れに居た感じがした。

 いつも停車場を数えていたのに。

 それは今日だけなのだろうか。

「降っていたら、お送りして差し上げたのですが…晴れましたね」

「歩いて五分も掛からないですし、時間を取らせてしまうのも悪いですから…」

 できるだけ穏やかに微笑み返そうと努力する。

 世界は俄か雨の薄闇から、いつの間にか穏やかな夕景に変わろうとしていた。

 そして二人で降りたバス停は、見る間に夕焼け色に染まっていく。

「それじゃ」

「はい。ありがとうございました」

 短い遣り取りののち、二人は互いに別々の方向へと別れて歩き始める。

 雨は甘い香りと夜気を呼び起こしていた。




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