白羽の矢たち『シルフ』 〜異世界転移したけど、低スキルでもやっていけますか?(弓道経験は有ります。)〜
王都ギルドの片隅、クエスト掲示板の前に立つ私の足元には、冷ややかな視線と冷たい石畳の感触だけが残されていた。
「おいおいシルフ! お前、またソロで討伐クエスト失敗したんだって?」
「いい加減諦めろよ! 氷魔法のくせに『発射速度が遅い』なんて、魔法使い失格だぜ!」
ガラの悪い大柄な男たちが、私を取り囲むようにして下卑た笑い声を浴びせてくる。
透きとおるような銀髪を揺らしながら、私は拳を固く握りしめた。
手に握りしめた精巧な杖が、悔しさと情けなさで小さく震えている。
「く……っ! 私の魔法は……遅くなんて……!」
言い返そうとした声を、男の嘲笑が容赦なく踏みにじった。
「遅ぇんだよ! 氷を形成して打ち出すまでに数秒もかかってたら、モンスターに近づかれて終わりだろうが! 無能が!」
乱暴に肩を突き飛ばされ、私はたまらず床へと尻餅をついた。手から離れた杖が、ガラガラと乾いた音を立てて足元を転がっていく。
周りの冒険者たちは、まるで厄介なものを見るような目でこちらを一瞥するだけで、誰一人として助けようとはしなかった。
誰もが私の魔法の欠陥を知っている。
どれだけ魔力を高めようとも、私の『極冷』は術式を構築するまでにほんのわずかな「タメ」が必要だ。
その致命的な隙ゆえに、いつも俊敏な魔獣に間合いを詰められ、敗北を喫してきた。
(やっぱり、私の魔法は……誰の役にも立たない。ただ、周囲を凍らせて遠ざけるだけの、欠陥品なんだ……)
冷たい絶望が胸の奥を這いずり回る。
俯いた私の視界の端に、一足の靴が止まった。
カラン、と転がっていた私の杖が誰かに拾い上げられる。
顔を上げると、そこにいたのは一人の青年だった。
見慣れない奇妙な木製の長物を背負った、無骨で飾らない佇まいの彼——蓮が、静かに私の前へとしゃがみ込んでいた。
「大丈夫か?」
「あ……ごめんなさい……ありがとうございます……」
私は目をうるませながら、申し訳なさで胸を詰まらせ、頭を下げた。
彼もまた、周りから「低スキル」と陰口を叩かれている新入りの一人だと聞いたことがある。
こんな私に関われば、彼まで標的にされてしまうのに。
「おい新入り! お前みたいな『種火』の無能が、同じ無能を庇う気か?」
案の定、絡んできた男——Cランク冒険者のバルドが、険をむき出しにして近づいてきた。
彼は蓮の胸ぐらに手を伸ばし、威嚇するように睨みつける。
「触るな」
蓮が低く、静かに言い放った。
その声には恐怖の色が一切なく、ただ冷徹な硬質さだけが宿っていた。
バルドはピクッと眉を跳ね上げ、顔を真っ赤に染める。
「あぁん? Fランクの分際で調子に乗ってんじゃねぇぞ! 魔法のイロハも知らねぇ木切れ持ちが!」
バルドが杖を構え、即座に中級火炎魔法の詠唱を始めた。
ギルド内が一気に緊迫し、周囲のギャラリーから「やっちまえ!」とやじ馬の声が飛ぶ。
(詠唱に2秒、魔法陣の展開に1秒……遅すぎる)
私の脳裏で、いつもの恐怖が蘇りかけた。
だが、蓮は背中の武器に手をかけることすらしない。
ただ静かに腰を落とし、無駄な力の抜けた美しい重心のまま、地面を蹴った。
——踏み込み。
それは、魔法の詠唱よりも、呪文の構築よりも圧倒的に速かった。
バルドの杖の先端に魔法陣が浮かび上がるコンマ数秒の隙を突き、蓮はまるで一筋の風のように男の懐へと滑り込んだ。
「なっ……!?」
バルドの間の抜けた声が漏れる。
蓮の手が正確無比な軌道を描いてバルドの杖を持つ手首を最小限の力で払い、同時に、その指先が男の喉元へとピタリと突きつけられていた。
彼の指先では、小さな、けれど強烈な熱量を秘めた赤い種火が、ぴくりとも揺れずに灯っている。
「……ッ!?」
バルドの動きが完全に凍りついた。
蓮の指先が彼の皮膚のすぐ手前で止まっている。
もしそのまま放たれれば、いくら小さな種火であっても耐えがたい激痛は免れない。
何より、「魔法の発動すら許されずに、一瞬で間合いを詰められた」という絶対的な敗北の事実が、バルドの顔を真っ青に染め上げた。
「魔法の詠唱に頼り切って、自分の身を守る動作一つできないのか? ……無能はお前の方だろ」
蓮は冷ややかに言い放ち、ふっと指先の種火を消した。
「ひ、ひぃっ……!」
恐怖に気圧されたバルドは腰を抜かし、這うようにして逃げるようにギルドを飛び出していった。
嵐が去ったかのように、静まり返るギルドのホール。
その中央で呆然と立ち尽くす私は、床に座り込んだまま、目の前の青年を見つめていた。
周りはみんな、私の魔法を「発射速度が遅い」「使えない」と笑った。
私自身も、自分のその遅さに絶望し、怯えていた。
けれど、この人は違う。
詠唱の遅さや魔法の形式に囚われるのではなく、もっと根源的な「間合い」と「動き」だけで、圧倒的な強者すら一瞬で無力化してみせた。
(この人は……私のこの遅さを、恐れたりしない……?)
凍りついていた私の胸の奥で、いつの間にか冷たい雪が溶け、ぽっと小さな灯火がともるような感覚があった。
恐怖でも絶望でもない、初めて感じる温かな胸の鼓動。
「大丈夫か?」
ふたたび掛けられたその低く無骨な声に、私は潤んだ目を大きく見開きながら、ゆっくりと首を縦に振った。
これが、私の凍てついた孤独が終わる、最初の一歩だった。




