派手です ~時司の愚痴日誌
『服装自由』と掲げている会社ほど、その内実が曖昧である事は珍しくない。
わが社も例にもれない。夏になればクロックスでの出勤は日常風景で、下駄履きの社員すらいる。Tシャツにジーンズなど、もはや説明するまでもなく許容範囲だ。
つまり、自由は確かに存在している。少なくとも足元と衣類に関しては。
そんな環境の中で、私はある日、自爪にネイルを施して出勤した。
爪の先の白い部分を5mmほど伸ばして。もともと細長い爪の形をしているため、ネイルをするには十分。濃紺をベースに、100円ショップで手に入る和柄のネイルシールをあしらっただけの、ささやかな遊び心だった。
仕事の合間、お客様との会話は自然とそこにふれた。
「そのネイル、器用やね」
指先を覗き込まれる。
「シール貼ってるだけなんです」
「ほんまに? 描いてるんかと思ったわ」
「最近は100均でもこういうのがあって」
少し傾けると、紺色が光る。
「和柄、ええなあ」
「つい買っちゃって」
「こういうの、若い子のもんやと思ってたけど」
思わず笑う。
「幾つになっても、いいと思いません?」
「・・・たしかに。やってみようかしら」
「ぜひ」
ほんの少し場が和らぐ。接客において、こうした小さなきっかけは決して無意味ではない。
だが、その空気は、上司の一言であっさり断ち切られた。
「ネイルはダメです。派手です」
「・・・あ、そうなんですね」
「はい、規則なので」
規則であるなら従うしかない。そこに異論はない。
ただし、『規則』がどのように運用されているのかについては、別の話だ。
同じ職場には、私より若い社員がつけ爪やネイルをしている姿もある。しかし、それに対して注意がなされている様子は見受けられない。
若いから許されるのだとしたら、それもまあ、世の中そういうものだと受け入れよう。年齢的に見苦しいという判断であれば、それもまた一つの価値観だろう。
あるいは、似合う、似合わないという、言葉にしにくい基準があるのかもしれない。
年齢や雰囲気によって、受け取られ方が変わる事は、確かにある。
ただ、『派手』という言葉だけが、少しだけ引っかかった。
もし純粋に視覚的な華やかさを問題にするのであれば、ふと視線を上げた先にある光景と整合性が取れなくなる。
上司たちの髪は、白髪を隠すためか、あるいは気分転換か、ワインレッドやベージュに染められている。
それは『派手』には該当しないのだろうか。
基準は明文化されていない。だからこそ、その場の感覚で揺れる。人によって変わる。気分によって変わる。
そして最終的には、誰がするかによって判断が左右される。
『服装自由』という言葉は、聞こえはいい。
だが実態は、自由に見える範囲を、その時、上にいる誰かから決められているに過ぎないのかもしれない。
そんな事を、ネイルを落としながら考えた。
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