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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第1章 光輝ヲ往ク

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第8話 分光座の安息

 第一層の迷宮『光屈折路』を抜けた先、重厚な扉の奥には、静謐な円形の広間が広がっていた。


 天井の中央からは純白の光の柱が降り注ぎ、部屋の中心にある台座を照らしている。壁面には、赤、青、緑の三色のクリスタルが埋め込まれた受光部が配置され、部屋の隅には、古めかしい巨大なプリズム鏡が鎮座していた。


 レオは部屋の中央へ進み出ると、周囲を見渡して足を止めた。


「……陛下、シルビアさん。この仕掛け、どう思われますか?」


 レオの問いに、アーヴィンは顎に手を当て、中央の光柱と壁面の受光部、そして部屋の隅にある巨大な装置を交互に見比べる。


「うーん。構造自体は単純だね。あそこにある可動式のプリズム鏡を使って、中央の白光を三原色に『分光』し、それぞれの色の受光部へ照射しろということだろう」


 光の加護を持つ王にとって、光が複数の波長(色)を含んでいることなど、呼吸をするように当たり前の理屈だ。瞬時に仕掛けの意図を見抜いてみせる。


「ええ。ですが陛下、あれをご覧ください」


 シルビアが不安げにプリズム鏡を指差した。


 巨大な鏡の台座は床のレールに錆びついたように固定されており、人力で動かすには相当な労力を要するように見える。


「あの鏡を動かして、三色の光を同時に、しかも正確に受光部に当てるとなると……」

「……ああ。角度の微調整に、随分と骨が折れそうだね」


 アーヴィンがシルビアの言葉を引き取り、苦笑した。


 正規の方法で挑めば、ミリ単位の調整と試行錯誤で何時間も浪費することになるだろう。


「物理的に鏡を動かすのは得策ではありませんね」


 二人の分析を聞き、レオが結論を述べる。


「ですので、私たちの〝合わせ技〟で解決しませんか?」

「ほう?合わせ技、かい?」


 アーヴィンが興味深そうにレオを見た。


「はい。鏡を使わず、私が空間ごとねじ曲げて光を分けます。ですが、それだけでは光量が減衰して足りなくなる。……陛下には、大元の光源の増幅をお願いしたいのです」


 レオの提案に、アーヴィンは数秒ほど思考を巡らせた後、口元に楽しげな笑みを浮かべた。


「なるほど。物理的な反射ではなく、空間干渉による屈折か。……面白い。君の〝理屈〟に乗ろう」


 言葉を尽くさずとも通じ合う、技術者同士のような阿吽の呼吸。アーヴィンは一歩前へ出ると、中央の光柱にかざすように右手を掲げた。


「では、いくよ」

「お願いします」


 アーヴィンの手から純白のマナが放出される。光の王による、完璧な出力調整。不安定な揺らぎを見せていた光柱が、直進する純粋なエネルギーの奔流へと増幅された。


「ナイスです」


 レオは短く告げると、無言で指先を弾いた。刹那、光の柱を中心とした空間が陽炎のように揺らぐ。


 発動したのは、第五位階時空属性魔法≪ クロノ・リフラクト ≫。空間そのものの屈折率を書き換えるこの術式は、増幅された白い光束を、あたかも見えないプリズムを通したかのように赤、緑、青の三原色へと分かつ。


 ――光が、割れる。


 分光された三色の光条は、それぞれの色が吸い込まれるように壁面の受光部へと突き刺さった。


 アーヴィンの光操作と、レオの空間干渉。二人の呼吸が噛み合った連携だった。


 ゴゴゴ……と、重厚な地響きが広間を震わせる。直後、部屋の最奥――閉ざされていた巨大な石扉のロックが外れ、ゆっくりと左右に開き始めた。


 その向こうには、白亜の壁に挟まれた回廊が、緩やかなカーブを描きながら右(時計回り)へと伸びている。


 先が見通せないその道は、この広間が巨大な『輪』の一部であることを無言のうちに示していた。


 同時に、部屋の隅々まで満ちていた防衛機構へのマナ供給が断たれ、刺すような白い輝きが、照明用の柔らかな光へと変わった。


 張り詰めていた空気が、ふわりと緩む。


「……お見事だよ、レオ君」


 アーヴィンが開かれた扉を確認して感嘆の声を上げ、レオに向き直る。その言葉に、レオは照れくさそうに笑みを浮かべた。


「いえ、私は理屈を並べただけです。陛下が完璧な出力で光を増幅してくださったおかげですよ。私一人では、光量が足りずに失敗していたでしょうから」


 レオは素直に頭を下げる。それは謙遜ではなく、本心からの言葉だった。


 光の大聖霊の加護を持つ王の、圧倒的な魔力制御。それがなければ、いくら理論が正しくとも机上の空論で終わっていただろう。


「ふふ、謙虚だね。だが、その『最短経路』を提案したのは君だ」


 アーヴィンは満足そうに頷くと、ポンとレオの肩を叩き、優しく微笑んだ。


「胸を張るといいよ」

「……はい。ありがとうございます」


 叔父としての温かい言葉に、レオは短く礼を返した。


「さて。これで第一層は突破、ということでいいのかな?」

「……おそらくは」


 レオは慎重に言葉を選びながら続ける。


「次の層へ続くと思われる扉も開きましたし、この部屋の魔力反応も安定しました。確証はありませんが、少なくともここはセーフティーゾーンとして機能するようです」


 レオがそう推測を述べると、緊張の糸が切れたのか、シルビアが「ふぅ」と大きなため息をついた。


「疲れましたわ……。戦闘よりも、あの狂った距離感を歩き続ける方が堪えます」

「同感だね。少し、休息をとろうか」


 アーヴィンの提案に異論はない。


 レオは頷くと、何もない空間にスッと右手を差し出した。


「では、少し早いですが、ここで宿営にしましょう」


 レオの指先周辺の空間が水面のように揺らぐ。


 時空属性魔法≪クロノ・ボックス≫。


 レオはその波紋の中に手を沈め、そこから1辺が8センチメートルほどの白い立方体を取り出した。


 亜空間から取り出されたその物体の表面には、目立たないが、びっしりとルーン文字のような複雑な術式が刻まれている。レオはそれを無造作に石床へ置くと、指先を添えた。


「――展開オープン


 短く告げ、マナを流し込む。すると、立方体に刻まれたルーン文字が脈打つように輝き出し、内側から呼応するように震え始めた。


 それを確認したレオが後ろに下がる。


「少し離れていてください」


 パタパタ、という小気味よい展開音に合わせ、淡い虹色の光が明滅する。まるで折り畳まれた紙細工が自動で組み上がるように、立方体は複雑に面を増やしながら急速に巨大化していく。


 数秒の後。展開完了を知らせるように光が収まると、そこには1辺が3メートルほどの、白を基調とした巨大な立方体が鎮座していた。表面のルーン文字は、今は淡く静かに発光している。


 突然現れた謎の物体に、アーヴィンが目を丸くして問いかける。


「……これは?」

「家です」

「は?」


 アーヴィンの思考が一瞬停止した。


 レオは気にする様子もなく、懐から愛用の銀の懐中時計を取り出すと、目の前の巨大な壁面――ルーン文字の中心部へと押し当てた。


 カチリ、と小気味よい解錠音が響く。懐中時計を認証キーとして、術式が書き換わったのだ。


 ズズズ……と低い音を立てて壁面の一部がスライドし、そこに入り口となるドアが現れた。


「空間拡張式・簡易邸宅――【 クロノ・ヴィラ 】。外見は3メートルですが、中は時空属性で拡張してあります。どうぞ、中へ」


 レオがドアを開け、恭しく一礼して一行を招き入れる。


 恐る恐る中へ足を踏み入れたシルビアが、目を見開いて歓声を上げた。


「わあ……!広いですわ!」


 外見からは想像もつかない光景がそこにあった。


 広々としたリビングには、座り心地の良さそうなソファセットが置かれ、奥にはキッチンや複数の個室への扉も見える。空調も完備されており、外の環境とは無縁の快適な空気が流れていた。


「5LDK、お湯もすぐに出ますよ」


 レオが淡々とスペックを説明しながら最後に入り、重厚なドアを閉める。


 カチリ、という施錠音に続き、ヴン……という低い駆動音が室内の壁を走った。一瞬、空間が陽炎のように歪み、外の世界との隔絶を告げる。


「……今のは?」


 鋭く反応したアーヴィンに、レオは涼しい顔で答える。


「時空属性の防御結界です。ドアが閉まると自動で展開され、この空間を外部から位相的に隔離します。これで、寝ている間に魔物がドアを叩く心配もありません。まあ、この場所に魔物というものが出るかは知りませんが」

「ははっ、たしかにね。しかし、なるほど。空間そのものをずらして断絶した、か。……徹底しているね」

「ええ。休息とは、安全が保証されて初めて成立するものですから。抜かりはありません」


 レオの徹底した危機管理に、アーヴィンは感心したように苦笑し、天井を見上げた。


「これがベル様の時空属性というやつか。すごいね」


 八英雄の国の限られた者だけが知る秘密を口にし、アーヴィンは微笑む。そう言いながら、レオに続いてリビングへ進もうとするが、レオは玄関マットの上で立ち止まり、自身のブーツを脱いで揃えた。


「陛下、シルビアさん。申し訳ありませんが、ここでは靴を脱いで上がっていただけますか?」

「ん?靴を?」


 アーヴィンが不思議そうに足元を見る。この世界において、室内で靴を脱ぐ習慣を持つ国は少ない。


「ええ。その方がリラックスできますので」


 レオが答えると、アーヴィンはレオの脱いだ靴と、その所作を見て、ふと何かを思い出したように目を細めた。


「……ふむ。靴を脱いで上がる、か。オリガタ式だね」


 その言葉に、レオは苦笑して頷いた。


「ええ。フロー……マリノンの聖猫がオリガタの文化に嵌まっていましてね。ここを作る際、彼女のリクエストを取り入れたんです」

「なるほど、水の聖猫殿か。唯一国交のあるマリノンの聖猫殿であるならば、なるほど。納得もできる」


 アーヴィンは納得したように笑い、自らもブーツを脱ぎ始めた。


「わぁ、床がふかふかですわ!」


 靴を脱いだシルビアが、絨毯の感触を楽しむように足指を動かす。


「レオさん!このお家、お風呂はありますの?」

「ええ、あちらにありますよ。きっと、お湯も溜まっています」

「素敵!一番風呂、頂いてもよろしいですか?」

「どうぞ。ごゆっくり。脱衣所の棚にはサイズ別に部屋着を用意してますので」

「はーい」


 レオが許可を出すと、シルビアは嬉々としてバスルームへと消えていった。聖女といえど、年頃の女性だ。汗を流したい気持ちは強いのだろう。


「至れり尽くせりだね」


 アーヴィンが笑みを浮かべながらそう言うと、レオと共に、リビングのソファに腰を下ろした。


 そこへ、いつの間にかエプロンを着けたノイアーが、湯気の立つティーセットを盆に乗せて現れた。


「お待たせいたしました、皆様」


 ノイアーは流れるような所作で、アーヴィンとレオの前に香り高い紅茶を置く。主の休憩に合わせて、誰に言われるでもなく準備を整えていたのだ。


「気が利くね、ノワル殿」

「恐れ入ります」


 ノイアーは一礼し、音もなくレオの背後へと控える。その完璧な従者ぶりに、アーヴィンも感心したように目を細めた。


 紅茶の香りで一息ついたところで、アーヴィンがカップを置き、レオに向き直った。


「さて、レオ君。君はこの先の展開をどう読んでいる?」


 アーヴィンの問いに、レオは少し考え込んでから口を開いた。


「そうですね……。『光の回廊(ルクス・コリドー)』という名の通り、ここは単なる迷宮ではなく、光の『ことわり』をテーマにした試練の場であることは間違いないでしょう」


 レオは第一層での出来事を振り返る。


 視界を惑わす屈折。そして、色を分かつ分光。


「第一層は『屈折』と『分光』でした。ならば、この先に待つのも、光が持つ何らかの性質を利用したギミックである可能性が高い」

「ふむ。光の性質、か」


 アーヴィンが興味深そうに顎を撫でる。


「ええ。光は曲がり、分かれ、そして……他にも様々な振る舞いを見せます。回廊守護者だけでなく、環境そのものが牙を剥いてくることも覚悟すべきでしょう」

「なるほど。私の光魔法が通用しない、あるいは逆に利用される局面もあり得るということだね?」

「はい。光を操る陛下にとっては有利なフィールドですが、同時に、光そのものを封じられたり、逆手に取られたりするリスクも高い。……慢心は禁物です」

「違いない」


 アーヴィンは苦笑し、深く頷いた。光の王である彼が、第一層の輝きに目を焼かれたのが良い例だ。


「ですので、次の層への陣形ですが……私とシルビアさんが前衛に出ます。陛下には、中衛で全体の戦況を見つつ、臨機応変なサポートをお願いしたいのです」

「物理と魔法、どちらにも対応できる布陣か。……分かった。王としてではなく、パーティの一員として君の采配に従おう」


 王としてのプライドよりも、実利とチームの勝利を優先する。アーヴィンのその柔軟な判断力に、レオは改めて敬意を抱いた。


「頼りにしています、陛下」


 レオは力強く頷いた。


 休息の後、彼らは再び未知なる試練へと挑むことになる。


 何が待ち受けているかは分からない。だが、この絶対的な安全地帯セーフティーハウスと、頼もしい仲間たちとならば、必ず踏破できる。


 レオはそう確信し、温かい紅茶で喉を潤した。

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