第7話 光屈折路の幻影
『第零門』を潜り抜けた先に広がっていたのは、視界を埋め尽くすほどの純白と、鋭利な輝きに満ちた空間だった。
天井も床も、左右の壁に至るまで、全てが透き通ったクリスタルで構成されている。光源はどこにも見当たらないが、空間そのものが発光しているかのように明るい。
「……眩しいな」
レオは目を細め、首元にかけていたゴーグルを装着した。この装備は、今回の一連の騒動に合わせてレオが新調したもので、遮光機能だけでなく、魔力の流れを可視化する補助機能も備わっている。
ふと横を見ると、シルビアもフードの襟元から同型のゴーグルを取り出し、慣れた手つきで装着していた。彼女の装備もまた、レオが聖獣の糸を使って仕立てた特注品であり、標準でゴーグルが付属しているのだ。
一方で、バーディア王家に伝わる白銀の戦闘服に身を包んだアーヴィン王は、手で庇を作り、目をしばたたかせていた。
光の聖王国の主であり、自身も強力な光属性の使い手である彼には、光への強力な耐性が備わっているはずだった。だが、それでもなお、この空間の輝きは王の許容量を超えていた。
「ううむ……。ゲレオール様の加護を持つ私ですら、目を開けていられないとは。聖域の輝きは桁が違うね」
さすがの賢王も、自身の耐性を貫通する環境光までは想定していなかったらしい。
レオは≪クロノ・ボックス≫から予備のゴーグルを取り出すと、アーヴィンへと差し出した。
「陛下、これを」
「ん? ああ、すまないね」
アーヴィンは渡されたゴーグルを物珍しそうに眺めつつ、顔に装着する。瞬間、彼の表情が驚きに彩られた。
「おお、これはすごいね」
刺すような光が和らぎ、周囲の景色がクリアに見えるだけでなく、クリスタルの中を流れる微細なマナの脈動までもが視認できたからだ。
「それ、差し上げますよ。……似合うかどうかは別として」
レオは小声で付け加えた。機能性は抜群だが、デザインはレオの趣味全開の無骨なスチームパンク調だ。優雅な白銀の鎧を纏った美丈夫の王が着けると、どこかちぐはぐで、少しだけシュールな光景になっていた。
だが、アーヴィン本人は気にする様子もなく、嬉しそうにゴーグルの位置を直している。
「ありがとう、レオ君。これで戦えそうだ」
視界を確保した一行は、改めて回廊の奥へと足を踏み出す。硬質な靴音がクリスタルの床に反響し、どこまでも吸い込まれていく。
「美しい場所だね。我が国の五重輪内に、このような空間が広がっていたとは」
最後尾を行くアーヴィンが、ゴーグル越しの景色に感嘆の声を漏らす。だが、その美しさは致死の罠でもあった。
数メートル進んだところで、シルビアがふらりと身体を揺らした。
彼女は咄嗟に近くの壁に手をつこうとするが、その手は何もない空を切り、バランスを崩してよろめく。
「きゃっ……!?」
レオが素早く腕を伸ばし、彼女の身体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます。……おかしいですわ。壁があると思って手をついたのに、そこには何もなくて……」
シルビアが困惑した表情で虚空を見つめる。彼女の視線の先には、確かにクリスタルの壁が存在して見えた。だが、実際にはそこは通路の中央だった。
「光の屈折……か」
レオが冷静に分析する。この回廊を構成するクリスタルは、単純な平面ではない。複雑な多面体構造が光を不規則に乱反射させ、視覚情報と実際の距離感を狂わせているのだ。
真っ直ぐ歩いているつもりでも、気づけば壁に激突しそうになり、遠くに見える曲がり角が、実は目の前に迫っている。
「視覚を過信しないこと。魔力探知と、足裏の感覚を頼りに進みましょう」
レオの指示に、全員が頷く。
慎重に歩みを進める一行の前に、不意に風を切る音が響いた。
鋭い音が鳴り、レオが反射的に剣で弾いた場所から火花が散る。
だが、そこには誰もいない。ただ光が満ちているだけだ。
「なにかいる」
レオが警告を発すると同時に、再び不可視の斬撃が襲い来る。
今度はシルビアが反応した。彼女はベージュのコートを翻し、見えない敵の気配に向けて鋭い回し蹴りを放つ。
しかし、彼女の脚は空を切り、何の手応えもなく振り抜かれた。
「手応えがありません!ですが、確かにそこに気配が……!」
シルビアが体勢を立て直す隙を突き、虚空から透明な刃が振り下ろされる。
硬質な金属音が響き、アーヴィンが展開した光の障壁≪ルクス・シールド≫が、その刃を受け止めていた。
「ふむ。姿が見えぬとは厄介だね」
王が涼しい顔で障壁を維持するその目の前で、空間が揺らぐ。
光の屈折率を極限まで操作し、背景に溶け込んだ透明な騎士――プリズム・ガーディアン。
実体を持たない光の幻影でありながら、物理的な殺傷力を持つ厄介な守護者だ。
レオが踏み込み、敵の気配がある場所へと剣を薙ぐ。だが、刃は敵の身体を素通りし、クリスタルの床を叩いただけだった。物理攻撃が透過されている。
「物理無効か。なら――ノワル」
レオの意図を察し、黒衣の執事が優雅に指先を振るう。
「承知いたしました。光が強すぎるのであれば、影を落とせばよいだけでございます」
ノワルの指先から漆黒の霧が放たれた。
第二位階闇属性魔法≪シャドウ・ペイント≫。黒い霧は意思を持つかのように虚空へまとわりつき、そこにあるはずの「透明な輪郭」を黒く塗りつぶしていく。
見る見るうちに、透明だった空間に黒い人型のシルエットが浮かび上がった。
光で構成されたプリズム・ガーディアンにとって、対極にある闇属性の魔力は、その透過能力を阻害する劇薬となる。黒く染められたことで光の屈折率が狂い、彼らは強制的に実体化させられた。
「見えましたわ」
可視化された敵に対し、シルビアが即座に踏み込む。瞬時に練り上げたチャクラが、彼女の身体能力を爆発的に跳ね上げた。
聖女の拳が、黒く染まった騎士の胸甲を捉える。重い衝撃音が響き、クリスタルの騎士が粉々に砕け散る。
残る一体が背後からレオに迫るが、その動きは既に捉えられていた。
レオは振り返りざまに剣を振るう。今度は手応えがあった。闇に浸食され実体を持った光の身体は、物理的な干渉を拒めない。銀閃が走り、騎士の胴が両断される。
崩れ落ちたプリズム・ガーディアンは、光の粒子となって霧散した。
「……なるほど。光には闇、ということか」
「ええ。まあ、その逆も然りですけどね」
「とはいえ、ノワル殿をこのパーティーに入れるのは、割と姑息では?」
「ははっ。たしかにそう思われますが、猫……つまり八匹の聖猫は、私と共にあります。それをもとに何が最善策であるかを計るのもまた、私の資質だと考えます」
「ふふっ。物は言いようにも聞こえなくはないが、違いない」
この『五重輪』の試練は、単なる力押しでは突破できない。属性の相性と、ギミックの理解が不可欠だという、最初の教訓だった。
「攻略法は分かりました。さあ、先へ進みましょう」
レオが剣を納め、回廊の奥を示す。だが――この『光屈折路』の真の恐ろしさは、敵の強さではなく、その「異常な広さ」と「狂った距離感」にあった。
――それから、数時間が経過した。
一行は、終わりの見えない光の回廊を歩き続けていた。
景色は代わり映えのしないクリスタルの壁と床。そして、どこまでも続く純白の輝き。
直進しているはずが元の場所に戻り、すぐ近くに見える出口が、歩行距離に比例して遠ざかる現象が頻発した。
「これは……堪えますね」
シルビアが足を止め、乱れた呼吸を整えるように胸元を押さえた。
聖女の額が汗ばみ、疲労の色が濃い。肉体的な負荷以上に、上下左右の感覚すら曖昧になる「光の幻惑」が、精神を磨り減らしていた。
「外周距離とチャクラによる移動から計算すれば、とうに到着しているはずでございますが」
ノワルの言葉に、レオが懐中時計を確認し、首を横に振る。
空間が物理的に拡張されているのか、それとも感覚を狂わせる幻覚か。いずれにせよ、通常の物差しは通用しない。
「出口までの距離が、物理的な縮尺と一致している保証はないからね」
レオのつれない返事にも、ノワルは表情を変えない。隣のアーヴィンが代わって口を開く。
「やれやれ。これほど歩かされるとはね。良い運動にはなるが、景色が単調すぎて目が回りそうだ」
アーヴィン王も、額の汗を拭いながら苦笑する。その間にも、数度襲撃してきたプリズム・ガーディアンを、ノワルの闇とレオたちの物理攻撃で退けてきた。
戦闘そのものは危なげないが、終わりの見えない行軍が彼らの体力を確実に奪っていた。
「……おっ?」
不意に、レオが足を止めた。
ゴーグル越しの視界。そこに見えるマナの流れが、これまでとは明らかに異なる動きを見せていた。規則的な乱反射ではなく、一点に向かって収束していくような流れ。
「あそこです。マナの流れが変わりました」
レオが指差した先。光の屈折が不自然に歪む一点に、巨大な扉が鎮座していた。
幻影ではない、実体のある扉だ。
「やっと……やっとですわね」
シルビアが重い足取りで扉へ向かう。
レオが重厚な扉に手をかけ、ゆっくりと押し開くと――そこには、これまでとは異なる、幾何学的なプリズムが配置された円形の広間が広がっていた。
「まだ、なにかありそうですね」
レオの言葉に、全員が息を呑んだ。
長かった「武の回廊」を抜け、ようやく辿り着いたが、まだ何かあるのかと一行は気を引き締めた。




