第5話 試練の条件 前編
ベル歴995年、火の月33日。
バーディア王家が誇る白亜の巨城、ウイング城での一夜が明けた。
昨晩は、再会を喜ぶ叔母リンジー王妃による熱烈な歓迎と、積もる話に花を咲かせた晩餐会が夜更けまで続いた。レオにとっても、久しぶりに親族の温かさに触れ、旅の疲れを癒やす安らぎの時間となったことは間違いない。
そして翌朝。
城の奥深くに位置する「王の私室」にて、人払いを済ませた上で、改めて今後の方針についての話し合いの場が設けられた。
豪奢だが落ち着いた雰囲気の室内で、レオは国王アーヴィンと王妃リンジー、そして聖女であるシルビアに加え、同席する聖猫と大聖獣の分身に対し、今回の来訪の主目的である「聖霊の試練」について、改めて説明を終えたところだった。
「――ご説明は以上です。それと、この場を借りて改めてお詫び申し上げます」
レオは居住まいを正し、深く頭を下げた。
「あの時、アーヴィン陛下の許可もなく、聖女であるシルビアさんを黙って借り受けてしまいました。クラルテを通じての事後報告になってしまったこと、改めてお詫び申し上げます」
「ああ、あれね……。確かにクラルテ殿からは伺ったよ。『ちょっくら借りてくぜ』と」
アーヴィンは困ったように眉を下げ、やれやれといった体で苦笑する。
「ガルズ湖の濁りの浄化は聖女のつとめだ。本来なら国の重要人物を無断で連れ出すなどあってはならないことだが、あの状況では致し方ない側面もあったろう。それに、大聖獣と聖猫の協力を得ていたのであれば、文句を云おうにも云えないしね。何より、私としてはシルビア個人の『行きたい』という意志を尊重したい、と言いたいところだが……」
そこでアーヴィンは言葉を切り、恨めしげな視線をレオへ向けた。
「クラルテ殿からのご報告はあくまで事後だ。聖女が突然消えた大聖堂側がどれだけパニックになったか、君に想像できるかい?『聖女様はどこだ』と騒ぎ立てる司教たちを、大司教の座にある彼女がどうやって鎮めたか……」
アーヴィンはそこで咳払いを一つすると、急に芝居がかった、慈愛に満ちた穏やかな声音を作り、両手を広げてみせた。
「『皆様、お静かに願います。これは聖霊様より賜りし、尊き極秘の使命……。彼女の無事を信じ、祈り待つのもまた、信仰でございますよ?』」
「やめろ、アーヴィン坊!真似すんじゃねえ!」
ソファで優雅に足を組んでいたクララが、顔を真っ赤にして叫んだ。聖母のような口調とは似ても似つかない、べらんめぇ調の怒声である。
「ははは、すみません。ですが、あれは実に見事な『聖母クラリベル様』の演技でしたよ。おかげで私の胃に穴が開かずに済みました」
「ちっ……。あの堅物どもを黙らせるにゃあ、あれくらい猫被らねえといけねえんだよ」
「被らなくても猫だろ……」
「うるせえぞ、レオ!」
クララが不貞腐れたようにそっぽを向くのを見て、レオは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。だが、笑ってばかりもいられない。元はと言えば、すべての原因はレオの無茶にあるのだ。国王と大司教(聖猫)にここまで気を使わせ、尻拭いをさせてしまった事実に、レオは改めて恐縮し、小さくなって答えた。
「と、とりあえず、そんなことになっていたとは……申し訳ございません」
アーヴィンはふっと表情を緩め、しかしすぐに王の顔に戻って拳を優しく握りしめる。
「まあ、終わったことだ。おかげでアイゼンは救われたのだからね。……さて、レオ君。君の話を聞いて決めたよ。その試練、私も同行しよう」
「えっ?アーヴィン陛下がですか?」
レオが目を丸くすると、アーヴィンは真剣な眼差しで続けた。
「あぁ。先のアイゼンの件……ニクラウス殿や君たちが命懸けで戦っていた時、私はこの国と国境を守るだけで、直接の助太刀ができなかった。そのことが、友として、王として、ずっと心に棘のように引っかかっていたんだ」
アーヴィンは静かに、しかし強く言葉を継ぐ。
「今回の試練は、我が国の守護聖霊ゲレオール様に関わるもの。ならば、バーディアの王として、そして君の叔父として、共にその試練を見届ける責務がある」
「いえ、ですがアーヴィン陛下。今回はあくまで私の個人の資質を問うものでして――」
レオがやんわりと申し出を断ろうとした言葉は、しかし、すぐに遮られた。
「素晴らしいわ、あなた!レオを守る盾となるのね!」
王妃リンジーが目を輝かせて夫の手を取る。
「ああ。任せておくれ、リンジー。この国の光の加護を持つ私が、必ずやレオ君の力になってみせるよ」
「……あ、あの」
レオの声は、王族夫婦の熱量の前に虚しくかき消された。助け舟を求めようとレオが視線を彷徨わせると、控えていたノイアーが一歩進み出る。
「恐れながら、アーヴィン陛下。聖域を守護する結界『五重輪』の〝試練の回廊〟には、厳格な侵入ルールがございます」
(ナイスだ、ノワル。アーヴィン陛下を止めてくれ)
レオが心の中でエールを送る。しかし、ノイアーの口から出たのは、レオが期待した「王族の参加は危険である」という諌めではなかった。
「挑める者は最大四名まで。そして何より――当該属性の聖猫は、試練の『答え』を知ってしまっているため、同行することが禁じられております」
(あ、違ったわ……)
レオの淡い期待は、あっけなく打ち砕かれた。
「つまり、光の聖猫であるクラルテ殿は同行できない、ということだね?」
アーヴィンの確認に、ノイアーが恭しく頷く。
「左様でございます」
「それなら、ボクも留守番だッチュ」
テーブルの上で、王家御用達の高級菓子を器用に抱えていた黒い影――闇の大聖獣カドリーの分身体、キュートが声を上げた。
「昨日の晩餐会で自己紹介した通り、ボクは聖獣の分身だッチュ。高位の魔力体は試練の場に干渉しちゃうから、入れないルールになってるッチュ」
「あら、嬉しいわ!キュートちゃんが残ってくれるってことでしょ?」
王妃リンジーが、パァッと顔を輝かせて身を乗り出し、テーブルの上のキュートに微笑みかける。
「昨日の晩餐会で仲良くなったばかりでお別れかと思っていたけれど、一緒にいてくれるなら心強いわ。よろしくね、キュートちゃん」
「任せるッチュ!」
キュートが頼もしげに胸を張ると、リンジーは嬉しそうにその小さな頭を指先で撫でた。
「なるほど、承知した。ならばこうしよう」
アーヴィンは迷いのない瞳で、隣の王妃へと視線を向けた。
「王都、王城についてはリンジーに一任する。彼女ならば、私が不在の間も十全に国を回してくれるだろう」
「ええ、任せてちょうだい!貴方が戻るまで、私がしっかりこの国を守ってみせるわ」
リンジーが頼もしく微笑む。すると、それまで退屈そうに自分の爪を眺めていたクララが、ニカッと笑って身を乗り出した。
「なら、アーヴィン坊ちゃんが戻るまでは、オレがリンジーの護衛としてここに残ることにするか。ルール上、どうせオレは入れねえからな」
「クラルテ殿が、ですか?」
「ああ。ここでお留守番なら文句ねえだろ?」
「ええ、それ以上の護衛はいません。感謝します」
「へっ。生意気な毛玉もいることだしな」
クララはニヤリと笑い、キュートの頭を軽く小突いた。
「素晴らしいわ!頼もしい遣い様と、可愛い相棒さんが守ってくれるなんて!」
リンジーが嬉しそうに手を合わせる。これで留守番部隊は光の聖猫と闇の聖獣(分身)という、とてつもなく豪華な布陣となった。
「……さて、ではレオ君、ノイアー殿、私。あと一枠空いているね」
アーヴィンがスマートに顎に手を当てた。
空席があるか否かではない。レオとしては、そもそも国王が参加するという前提そのものに異議を挟みたかったが、この場の空気は既にそれを既成事実として受け入れていた。
「いや、あの――」
レオが口を開きかけた、その時だった。
「でしたら、わたくしも名乗りを上げさせていただきます」
凛とした声と共に一歩前に出たのは、聖女シルビア・スワンだった。
「シルビア?」
「はい、陛下。わたくしは聖女として、そして『1級ハンター』として、いざという時の戦力になります。何より……」
シルビアはレオの方を向き、悪戯っぽく、しかし有無を言わせぬ強い意志を込めて微笑んだ。
「レオさんには、アイゼンでの借りをまだ返してもらっておりませんから。これをお断りになるなんて、言いませんよね?」
「え、いや、その……」
「よし、これで四名決まったね」
アーヴィンが満足げにポンと手を叩く。
「シルビア、レオを頼んだぞ。くれぐれも、ヘマすんじゃねえぞ?」
クララがニヤリと笑って釘を刺す。
「はい。お任せください、クラルテ様!」
シルビアが優雅に一礼し、アーヴィン王が優しく微笑んで頷き、リンジー王妃が夫の無事を祈り、クララが満足そうに頷く。
その完璧なまでの連携と、トントン拍子に進んでいく会話のスピードに、当事者であるはずのレオは完全に置き去りにされていた。
「では、各自準備を整えて一時間後に正門前へ集合だ」
アーヴィンの号令で、密談は一旦お開きとなった。
あてがわれた客間に戻ったレオは、ベッドの上に広げた装備を前に、大きなため息をついた。
「……はぁ。なんでこうなった?」
「なにが、でございますか?」
「え?なにがって、アーヴィン陛下が同行、いや、一緒に試練の回廊に臨むんだぞ」
「さようでございますね」
「さようでございますね、って、おまえ……」
「ご安心ください、レオ様。八英雄の国の王は、〝強い〟ですよ」
「いやまあ、そりゃ、そうだろうけども……はぁ。」
「まあまあ、レオ様。アーヴィン様のご意見もごもっともでございましたから、受け入れましょう」
「わかるけどさあ、とはいえだよ。一国の王自ら最前線に出張るなんて、普通ならありえない話だろ」
「ふふ。八英雄の国の長でございます。血が騒ぐのでございましょう」
「はぁ。そういうことにしておくか」
「ええ。そういうことにしておきましょう」
レオは苦笑しながら、上着を脱ぎ捨てていく。王城での公式な場では礼装に近い格好をしていたが、これから向かうのは「試練」という名の戦場だ。
レオは、ベッドに広げてあった真新しい装備を手に取った。それはアイゼン王国で対マオン用に新調した、特製の戦闘装備だ。
グレーのゆったりとしたオーバーサイズコート。一見すると厚手で動きにくそうに見えるが、裏地に刻まれた体温調節の魔術陣のおかげで、バーディアの陽気の中でも驚くほど快適だ。
生地は、闇の聖獣カドリーの分身体「キュート」の糸で織り上げられており、並の鎧を遥かに凌ぐ物理・魔法防御力を誇る。
コートの随所には無骨な革ベルトが締められ、真鍮の歯車ギアを模した装飾が鈍い光を放っている。この世界にはない「スチームパンク」の意匠を取り入れた、レオだけのオリジナルデザインだ。
最後に、丸いレンズのついたゴーグルを首にかける。これは強風を防ぐだけでなく、魔力の流れを視認しやすくする補助機能も備えている。
レオは装備の革ベルトをきゅっと締め直し、拳を一度握って感触を確かめた。
「ノイアー、そっちはどうだ?」
「準備万端でございます」
振り返ると、ノイアーもまた着替えを済ませていた。
いつもの執事服ではない。黒と濃い紫を基調としたジャケットに、機能的なタクティカルパンツ。レオと同様にベルトやバックルが多用されたその姿は、執事というよりは手練れの工作員や暗殺者を思わせる。
「似合ってるじゃないか」
「レオ様のデザインセンスには、いつも驚かされますよ」
ノイアーは苦笑しながらも、新しい装備の感触を確かめるように手袋をはめ直した。
約束の時間となり、二人は城の正門前へと向かう。そこには既に、アーヴィンとシルビアが待機していた。
「おや、二人とも面白い格好をしているね。レオ君が作った装備かい?」
アーヴィンが興味深そうに目を細める。彼自身は、バーディア王家に代々伝わる白銀の戦闘服に身を包んでいた。細身の剣を帯び、マントを翻すその姿は、まさに物語に出てくる英雄そのものだ。
「ええ。ですが、アーヴィン陛下こそ」
レオは足を止め、王の姿をまじまじと見上げた。
一見すると式典用の豪奢な鎧に見える。だが、レオの目はその本質を見抜いていた。
「その白銀の戦闘服……実にお似合いです。一見すると物語の〝英雄〟のような華やかさですが、関節の可動域やマナの伝導率……儀礼用ではなく、完全に実戦を見据えた『本物』ですね」
「ははは、さすがは『匠聖』の息子だね。良い目だ」
アーヴィンは嬉しそうにマントを翻し、胸を張る。
「その通り。これは代々の王が受け継ぐ守護の鎧だが、飾りではない。民を守るための刃であり、盾だ。レオ君にそう見抜いてもらえると、背筋が伸びる思いだよ」
「……こちらこそ、陛下の背中を預かる身として、身が引き締まります」
レオは心からの敬意を込めて告げたあと、隣に立つシルビアへと向き直った。
彼女が纏っているのは、いつもの格式ばった白い聖衣ローブではない。レオが設計し、キュートの糸で仕立て上げた特注の装備だ。
ベージュを基調としたフーデッドコートに、黒の機能的なショートパンツ。その下には機能的なタイツを着用し、足元は脛丈のプロテクター付きブーツで固めている。
聖女としての正体を隠し、1級ハンター「シルフィー」として活動するための偽装も兼ねた、アクティブな装いだった。
「いかがですか、レオさん?サイズもあつらえたように完璧です」
シルビアは、聖女としての重い法衣とは違う、身体能力を阻害しない機能的な装いに身を包み、静かにレオを見つめ返した。
「動きを邪魔することはありませんわ。これなら、いざという時も遅れを取ることはありません」
「ええ、よく似合っていますよ。……頼りにしていますね」
「はい!レオさんに作っていただいたこの装備で、全力でお守りします!」
「頼もしいね。では、行こうか」
アーヴィンの言葉に、四人は顔を見合わせ、頷き合うと、用意された車へと乗り込んだ。




