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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第1章 光輝ヲ往ク

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第4話 天翼のウイング城

 ベル歴995年、火の月32日、朝。


 宿泊先である「ホテル・ホワイトスワン」の最上階。朝の柔らかな光が差し込む一室で、レオ・クロースは鏡の前に立っていた。


 身に纏うのは、旅路で馴染んだ機能的な服ではない。濃紺の上質な生地に銀糸の刺繍が施された、クロース侯爵家の正装である。首元にはタイを締め、胸元には家紋である「歯車と槌」のバッジが鈍い光を放っている。


 これから向かうのは一国の王城。一介の旅行者としてではなく、アイゼン王国クロース侯爵家次男「レオ・クロース」としての公式な訪問だ。


「……やっぱり、肩が凝るな」


 レオが首を回しながらぼやくと、背後からスッと手が伸びて襟元を整えられた。


「お似合いでございますよ、レオ様。若き貴公子としての品格が漂っております」


 そう言うノイアーもまた、普段以上にパリッとした燕尾服――執事の正装に身を包んでいる。髪の一本に至るまで完璧に整えられたその姿は、どこからどう見ても名家の筆頭執事そのものだ。


「ケッ。二人して澄まし顔しちゃってさ。中身は変わんねーのにな」


 ソファでくつろぐ光の聖猫クラルテ――ヒト化名〝クララ〟が、リンゴをかじりながら茶化す。彼女は変わらずラフな旅装のままだ。


 レオは鏡越しにクララを見て、昨日の駅での会話を思い出したように口を開く。


「そういえばクララ。ここ、バーディアだよな?やっぱり公の場では『クラリベル様』とでも呼んだ方がいいか?」

「ブッ!」


 クララが噴き出しそうになり、リンゴを喉に詰まらせかけた。


「……おい。昨日も言ったが、その名で呼ぶのはやめろ。背中が痒くなる」

「響きは悪くないと思うけどな」

「却下。外じゃあ『クララ』でいい。それに、変に畏まられるとボロが出る」


 クララは憮然として食べ終わったリンゴの芯を放り投げ、空中で光の粒子に変えて消滅させた。


 彼女の正体は、光の大聖霊の遣いである「聖猫」。さらに裏の顔として、この国の国教・ベル聖教府の頂点に立つ「大司教」の座にある。


 だが、そのどちらもが一般には知られていない極秘事項だ。特に大司教としての彼女は「謎の聖職者」として神格化されており、その正体が猫(しかもこんな性格)だと知れれば、国中がパニックになるだろう。


 レオは苦笑しつつ、最後の身だしなみチェックを終える。


「よし、行くか」


 一行がホテルのロビーへと降り、正面玄関を出た瞬間だった。


 鈴を転がすような、しかし凛とした声が響く。


「――お待ちしておりました、レオ様」


 ホテルの前の石畳に、白銀の鎧を纏った一団が整列していた。


 バーディア聖王国の庇護下にある独立国家、トゥインクディーヌ市国が擁する精鋭、「トゥインクディーヌ聖騎士団」。その数、およそ十名。


 周囲の観光客や市民が、何事かと遠巻きに見守る中、その中心にいた声の正体が、満面の笑みでレオに駆け寄ってきた。


 聖女シルビア・スワン。


 純白の法衣に金の刺繍が入った聖職者の正装を纏い、プラチナブロンドの髪を陽光に輝かせている。


「シ、シルビアさん?」


 レオが目を丸くすると、シルビアは悪戯っぽく微笑んだ。


「お迎えに上がりました。王城までの護衛を務めさせていただきます」


 その背後で、聖騎士の一人が困り果てた顔で進み出た。


「あの……シルビア様。我々はあくまで聖堂の警備任務中でありまして、このように私的なお迎えに動員されるのは、その……」

「あら。アイゼン王国の〝あの〟クロース侯爵家の方を万全の態勢でお迎えするのは、国賓に対する礼儀でしょう? それに、もしレオ様に何かあれば、誰が責任を取るのですか?」

「そ、それはそうですが……しかし、聖教府の許可も得ておりませんし……」

「許可なら、あそこにいるクララ様が持っていますわ」


 シルビアがビシッと指差す先には、ホテルの入り口で「え?オレ?」という顔をしているクララがいる。


 騎士たちは怪訝な顔をした。彼らはクララを「聖女様の風変わりな教育係」程度にしか認識していない。


 だが、クララは懐から一つの紋章――黄金に輝く【大司教の聖印】を無造作に取り出し、騎士たちに見せつけた。


「……だ、そうだ。上層部オレの意向だ。文句あるか?」

「なっ!? そ、それは大司教猊下の聖印!?な、なぜ貴女がそれを!?」

「預かってきたんだよ。とっとと車を出せ」


 騎士たちは驚愕し、直立不動の敬礼をとった。


「はっ! 失礼いたしました! 全隊、護衛態勢!」


 聖印を持つ者は、大司教の代理人と同義である。彼らはクララの正体など露ほども疑っていないが、その権威には逆らえない。


「……相変わらずだな、クララ」


 レオが呆れたように呟くと、シルビアは「ふふっ」と笑ってレオの腕を取った。


「さあ、参りましょう。お車を用意してあります」


             





 王城へと続く大通りを、白銀の装甲に覆われた巨大な魔導車マナビークルが、音もなく滑るように進む。


 アイゼン王国製の最高級リムジンだ。

 

 本来、この世界で最高品質の魔導車を製造できる国家は三つある。職人国家アイゼン、東の皇王国オリガタ、そして西の山岳都市モンサンだ。


 しかし、オリガタはマリノンとの国交こそあれど基本的には鎖国状態。西方のモンサンに至っては、閉鎖的かつ「危ない国」という認識が一般的であり、その製品が正規の市場に出回ることは皆無に等しい。


 故に、現在大陸で流通している中で、最も高級で、最も信頼性が高いとされるのは、技術大国アイゼン製となる。

 

 バーディア王家が使用するこの車両は、そのアイゼン製の中でも特注の防魔装甲タイプだ。


 ボンネットには、バーディア王家の象徴である「広げた翼」のエンブレムが輝いている。シルビアの実家であるスワン伯爵家の「白鳥」とは異なる、より神聖で抽象化された翼の意匠だ。


 静寂に包まれた車内から、レオは窓の外を眺めていた。


 中央広場に差し掛かった時、彼の視線が巨大な構造物に吸い寄せられた。


 広場の中央に設置された、四面式の巨大【マナビジョン】。


 その周囲には講堂のような段になった観覧席が設けられ、大勢の市民が詰めかけている。


「……あれが、陛下たちが導入した新しい運用法か」


 アイゼン王国の事件を経て、ニクラウス王の呼びかけと、八英雄の国連合防衛組織エナドの協力により、マナビジョンの運用体制は刷新されていた。


 画面の右端には、エナド情報解析局(EIB)が提供する各国のニュースや正確な情報がテロップとして流れている。


 一方、メイン画面では娯楽であるスポーツ中継が映し出されていた。


 現在放送されているのは、魔法球技「エレメント・サル」のプロリーグの試合だった。


 画面内では、選手がマナを込めて属性を付与したボールが、火を噴き、あるいは稲妻を纏って三次元的な軌道を描いている。


 パブリックビューイングに集まった人々は、贔屓のチームのプレーに一喜一憂し、割れんばかりの歓声を送っていた。


 レオはその光景を眺めながら、情報の在り方について思考を巡らせた。


 かつてのように情報が王宮からの緊急通達のみに絞られる〝情報過小〟の状態は社会の脆弱性を生み、先の事件では、あわや洗脳や扇動を許しかねない危うい土壌となっていた。


 一方で、無秩序な〝情報過多〟はパニックや恐怖を引き起こすリスクがある。


 情報が極端に少なかった状態でも、少なくとも千年近くはこの世界は平和を維持してきた実績があった。


「情報の日常化か。娯楽の風景に情報を溶け込ませることで、不必要な不安を抑えつつ国民の知る力を養う。|八英雄の国連合防衛組織エナドの判断は概ね良かったと言えるな」


 情報の空白がもたらす免疫不全を、この新しいシステムは中和しようとしていた。


 独自の主義を貫くセルバン以外の国々が、この活用法を概ね受け入れたのも、アイゼンの件で情報の偏りが生むリスクを痛感したからだろう。


「バーディアでも、最初は戸惑いの声がありました」


 向かいの革張りシートに座るシルビアが、窓の外のモニターを見上げながら静かに言った。


「祈りの時間を妨げるのではないか、世俗的な娯楽に過ぎるのではないか、と。でも……こうして人々が笑顔で集い、同時に世界を知ることができる。これもまた、一つの『光』の形なのかもしれませんね」

「ええ。少なくとも、何も知らされずに怯えるよりはずっといい」


 レオが頷く。そこへ、ふと話題を変えるように問いかける。


「……ところで、シルビアさん。リンジー叔母様は、私が来るって訊いてどのようなご様子でしたか?」


 その問いに、シルビアはくすりと笑った。


「もう、それはそれは大変でしたよ。レオさんや、クロース家の皆様が生きていたと知った時から、毎日『早く会いたい』と仰っていたらしいですから。昨晩も楽しみすぎて眠れなかったとか」

「……な、なるほど」


 レオは顔を引きつらせ呟いた。


 今回、最初の旅先がバーディアになったのは、聖霊王とノワルから告げられた『聖霊の試練』の最初の地が、たまたまここだったからに過ぎない。


 いわば、ただの偶然だ。


 だが、偶然とはいえこの地に来てしまった以上、避けて通れない道がある。


 母の実の妹であり、幼少期から可愛がってくれたリンジー叔母様に、不義理を詫び、生存を伝えることだ。


 3年前の偽装死は、建国より約千年にわたりアイゼン王家を支え続けてきた聖猫ノワルがもたらした「警告」を受け、国王ニクラウスが断腸の思いで決断した極秘計画だった。


 当時の彼や両親に選択権はなく、従う他なかった。論理的に考えれば、彼一人が責を負うべき問題ではない。


 とはいえ、黙っていたことは事実だ。大切な肉親を3年も欺き、悲しみの底に突き落としていたのだから。


 何より彼女が会いたいのは、実の姉である母エリーザのはずだ。まずはレオがその露払いとして、生存の報告と感謝を伝え、安心させなければならない。


「アーヴィン陛下にお会いするのも、お二人の結婚式以来ですか……。といっても、あの時はまだ赤ん坊だったからなあ」

「いえいえ、陛下も歓迎なさっていますよ。もちろん、リンジー様ほど感情を爆発させてはいませんが」

「情熱的ですからね、あの人は。昔から母さんにも負けないお転婆だったらしいし」


 レオが軽く肩をすくめると、リムジンは広場を抜け、丘の上にそびえるウィング城への坂道を登り始めた。


                





 ウィング城。


 丘陵の頂に鎮座するその白亜の巨城は、アイゼン王宮の重厚な石造りとは対照的な、洗練された美しさを誇っていた。


 最大の特徴は、その名の通り「翼」を模した建築様式にある。


 中央にそびえる尖塔を胴体とし、そこから左右へなだらかな曲線を描いて伸びる回廊と別棟が、まるで大地を抱くように広げられた巨大な翼を連想させる。


 継ぎ目のない流線形のフォルムは、陽光を受けて真珠のような光沢を放ち、空に浮かんでいるかのような浮遊感さえ漂わせていた。


 城門の前には、バーディア王家の紋章が入ったサーコートを纏う門番たちが、槍を構えて整列していた。


 アイゼン製の重装甲リムジンが坂を登ってくるのを認めると、彼らの動きが一斉に変わる。

 

 隊長の号令と共に、門番たちは直立不動の姿勢をとり、槍を垂直に掲げて最敬礼の構えをとった。


 王家のエンブレムを掲げた車両。そしてその中には、王妃リンジーの実の甥であり、先の動乱でアイゼン王国を救ったクロース家の次男が乗っている。


 事前通達は、徹底されていた。


 シルビアが運転手に声をかける。


「止まる必要はありませんわ。そのままお通りください」


 リムジンは速度を緩めることなく、開け放たれた正門を堂々と通過する。

 

 車窓の向こうで、門番たちが微動だにせず敬礼を続けている姿が流れていく。


 レオは、シートの背に深く身を預けたまま、その光景を静かに眺めていた。


 無意識のうちに背筋が伸び、足先まで隙のない姿勢が保たれている。


 母エリーザは、元アイゼン王国第一王女。


 物心ついた時から母に叩き込まれた王家流のマナーは、レオの骨の髄まで染み込んでいた。意識せずとも、この程度の儀礼的な通過には呼吸をするように対応できる。


「……顔パスですか。さすがは王妃様の威光ですね」

「あら、レオさんの威光でもありますよ?アイゼン王国クロース侯爵家の技術は、八英雄の国各国のシステムと安全面に多く息づいています。その名は、八英雄の国々の王家にも劣らない程のものですからね。当然、このバーディアでも知らぬ者はおりません」

「大袈裟では?」

「大袈裟ではありませんわ」

「ははっ。まあ、でもそれは父も含め、先祖たちが代々培って蓄積した功績ですからね。私が関係あるかどうかは置いておいて、そう思っていただけているのは、ありがたい話ですね」

「そうですよ」


 シルビアがくすりと笑う。


 リムジンはそのまま城内へと滑り込み、回廊の入り口で静かに停止した。


「アーヴィンたちは、たぶん『天翼の間』でお待ちだ」


 車を降りたクララが、我が家のように先導して歩き出す。


 回廊の天井は高く、ステンドグラスから降り注ぐ陽光が、床に虹色の幾何学模様を描き出している。


 レオが居住まいを正し、ノイアーが衣服の埃を払う仕草をする。


 クララが巨大な両開きの扉の前で立ち止まり、振り返ってニヤリと笑った。


「心の準備はいいか?相棒。感動の再会だぜ」


 重厚な扉が、音もなく左右へと開かれた瞬間、視界が白く染まる。


 『天翼の間』は、壁一面がガラス張りになった、空に浮かぶ庭園のような広間だった。


 圧倒的な光の奔流。その逆光の中に、二つの人影が佇んでいる。


 一人は、玉座に座る柔和な顔立ちの男性。バーディア国王、アーヴィン・バーディア。


 そしてもう一人。その傍らに立ち、窓からの風にプラチナブロンドの髪をなびかせている女性。


 豪奢な純白のドレスを纏い、背筋を伸ばして彼らを待つその姿は、一国の王妃としての威厳と、神々しいまでの美しさを放っていた。


 元アイゼン王国第二王女にして、現バーディア王妃。


 リンジー・バーディア。


 レオの母、エリーザの妹にあたる人物である。


 レオが一歩、広間へと足を踏み入れた、その時だった。


「――レオ!!」


 凛とした静寂を引き裂くような、弾んだ声が響き渡った。


 王妃としての威厳などかなぐり捨て、リンジーがドレスの裾を翻して駆け出したのだ。


 護衛の騎士たちが驚いて目を見開く中、彼女はレオの元へと一直線に疾走する。


「リ、リンジー叔母様!?」


 レオが驚きの声を上げる間もなく、リンジーはその勢いのままレオに飛びついた。


 タックルに近い抱擁。


 レオはチャクラで強化された体幹でなんとかそれを受け止める。


「生きて……っ!本当によく生きていてくれたわ……!」


 レオの胸に顔を埋め、リンジーが声を震わせる。その背中は小刻みに震えていた。


 3年前の偽装死。その事実は、聖霊関係者を除けば、国王ニクラウスと側近のトーマスのみが知る極秘事項だった。王家の人間であり、母の実の妹である彼女にさえ、真実は伏せられていたのだ。


 最愛の姉や甥たちを失ったと信じ込み、喪失の中にあった3年間。その悲しみが深かった分だけ、今、こうして生きて再会できた喜びと安堵が、彼女の感情を決壊させているのだろう。


「ご心配をおかけしました、リンジー叔母様」


 レオは苦笑しながら、叔母の背にそっと手を回した。


 かつて何度かあったリンジーの里帰りの際、その都度王宮で遊んでもらった頃と変わらない、甘い香水の匂い。だが、その華奢な肩にかかる重圧は、昔とは比べ物にならないはずだ。


「もう……! お姉様も、お父様も、意地悪すぎるわ!私にだけは教えてくれていても良かったのに!」


 リンジーは涙目のまま顔を上げ、レオの頬を両手で包み込む。その瞳は、アイゼン王家の特徴である紫ではなく、澄んだ金色をしていた。母エリーザの面影を残しつつも、より情熱的で、少女のような純粋さを宿した瞳。


「こらこら、リンジー。客人の前で取り乱しすぎだぞ」


 玉座から降りてきたアーヴィン王が、困ったような、しかし愛おしげな笑みを浮かべて妻の肩に手を置いた。


「すまないね、レオ君。妻は君が来るのを、それこそ首を長くして待っていたんだ。昨晩など、楽しみすぎて眠れないと言って、私のワインを空けてしまったほどだよ」

「まあ!あなた、それは言わない約束でしょう!?」


 リンジーが頬を膨らませて夫を睨む。その飾らないやり取りに、レオの緊張もほぐれていく。


 ノイアーが恭しく一礼し、クララが「相変わらずだな」と肩をすくめて笑った。


 光溢れる『天翼の間』に、久しぶりの家族の温かい笑い声が満ちる。レオは、心の中で深く安堵のため息をついた。


 リンジーの涙と笑顔、そしてその瞳の深層に見えるのは、純粋な喜びと愛情だけだった。ここには、マオンの影も、政治的な思惑もない。


 ただ、家族を思う温かな光だけが満ちている。

 

 この光景を守るためなら、多少の不義理や苦労など、安いものだ。


 レオはそっとリンジーの背中を撫でながら、改めてそう確信していた。

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