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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第1章 光輝ヲ往ク

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第3話 白亜の王都フェザーレ

『――まもなく、終点、王都フェザーレ。王都フェザーレでございます』


 ベル歴995年、火の月31日、夕刻。


 スピーカーから流れる落ち着いた男性のアナウンスと共に、身体が前方へわずかに持っていかれる感覚が生じた。不快な揺れではない。滑るように疾走していた景色が、急速に、しかし滑らかにその速度を緩めていく。


 レオはソファに深く腰掛けたまま、流れる車窓の景色を眺めていた。


 夕暮れの斜陽が、バーディア聖王国の大地を黄金色に染め上げている。アイゼン王国の重厚で無骨な都市の造りとは異なり、この国の建物は白を基調とした石灰岩で造られているため、夕日を受けるとその白壁が淡いオレンジやピンクに色づき、幻想的なグラデーションを描き出していた。


「……綺麗な街だな。アイゼンとはまた違った、洗練された趣がある」


 レオが感嘆の声を漏らすと、テーブルの上をちょこまかと動き回っていた黒い毛玉――掌サイズの蜘蛛、キュートが同意するように身体を揺らした。


「キラキラしてるッチュ!あそこの高い建物なんて、お菓子みたいで美味しそうだッチュ!」

「あれは、たぶんフェザーレ聖堂の尖塔だよ、キュート。食べ物じゃないからな」


 レオは苦笑しながら、テーブルの上のティーカップを手に取る。向かいの席では、ノイアーがすでに荷物の整理を終え、優雅な手つきでポットを片付けていた。


「レオ様。間もなく到着いたします」

「ああ、名残惜しいけどな。親父たちの作ったこの列車の乗り心地と、流れる景色を肴にする紅茶は最高だったよ」


 レオは最後の一口を飲み干し、カップをソーサーに戻した。同時に、列車が滑らかに減速を始める。風属性のマナ流体ジェットによる逆噴射制御は完璧で、カップの中のスプーンすら音を立てない。


「さて……キュート、そろそろ頼むよ」

「わかってるッチュ!隠れんぼの時間だッチュね!」


 レオが苦笑気味にサイドテーブルのトランクケースを開くと、キュートは器用に跳ねて、トランクの奥、着替えの隙間へと潜り込んだ。カチリ、と金具を留めると同時に、列車は完全に停止する。プシューッという音と共に気密ロックが解除され、個室の重厚な扉が開いた。


 通路へ出ると、業務的な手つきで乗客を誘導する車掌に軽く会釈をし、レオはホームへと降り立った。


 肌を撫でるのは、僅かに湿り気を帯びた、しかし清浄な風が吹き抜ける。


 巨大なステンドグラスの屋根から降り注ぐ光の中、改札を抜けて駅舎の外へ出る。人波の向こうに、見知った顔が待っていた。


 白髪のセミロングヘアに、意志の強そうな金色の瞳。ラフなシャツにショートパンツ、上から白いサマーカーデガンを羽織ったその美少女は、レオたちの姿を認めると、ニッと快活な笑みを浮かべて手を挙げた。


「よう、相棒!待ちくたびれたぜ」


 光の聖猫クラルテ――ヒト化名「クララ」だ。


 レオは破顔し、歩み寄る。


「迎えに来てくれてありがとう、クララ。……いや、クラリベル様と呼ぶべきかな?ここはバーディアだし」

「やめろよ。外じゃあ『クララ』でいい。オレの正体なんざ、ここじゃ誰も知らねえからな」


 クララはケラケラと笑い、背後のノイアーにも視線を向けた。


「ノイアーも、長旅ご苦労だったな。……で、相棒。例の宿、取っといたぞ」

「ああ、助かるよ。大聖堂が見えるホテルだろ?観光ガイドで見て、一度泊まってみたかったんだ」

「おう、その『ホテル・ホワイトスワン』の最上階を押さえてある。シルビアんとこの実家が経営しているホテルだな」

「やっぱりか。ガイドブックで名前を見た時から、スワン伯爵家の経営だろうとは踏んでいたけど、最上階とはまた、豪勢だな」


 レオの言葉に、クララはニヤリと笑う。


「察しの通りだ。ジェームズの息がかかってるホテルなら、セキュリティも最高峰だし、何よりオレの顔も利きやすいからな。……ま、本当のことを言うと、選んだのがホワイトスワンで良かったよ。こうでもしなきゃ泊めさせてもらえなかったからな」


 クララは少しだけバツが悪そうに頬を掻き、苦笑いを浮かべた。


「ん?なにかあったのか?」

「ああ。……リンジーだよ」


 その名を聞いて、レオは「あちゃあ」と額に手を当てた。


 リンジー・バーディア王妃。


 アイゼン王国から嫁いだ、レオの母エリーザの妹であり、レオにとっては叔母にあたる人物だ。


「リンジーの奴が張り切っちまってなぁ。『可愛い甥っ子が来るのに、市井の宿に泊めるなんてとんでもない!ウイング城の貴賓室を用意させてあります!』って、すげえ剣幕だったんだぜ。なんとかスワン伯爵家の経営するホテルってことで納得してもらったがな」


 クララが肩をすくめてその時の様子を再現する。レオは申し訳なさそうに眉を下げ、城の方角――高台にそびえる巨城を見上げた。


「……叔母さんには悪いことをしたなぁ。せっかく用意してくれたのに」

「いかがなさいますか、レオ様?今からでもお城へ向かわれますか?王妃様のお顔を立てるのであれば、それが最善かと存じますが」


 ノイアーが静かに、しかし恭しく問いかける。あくまで主人の意思を尊重する、忠実な執事としての態度だ。


 レオは少し考え込んだが、やがて首を横に振った。


「いや、今回はホテルにさせてくれ。……なんていうか、今はまだ『旅』の空気を楽しみたいんだ。城に入ると、どうしても『外交』とか『親族訪問』になっちまうだろ?俺は一人の旅人として、この街の風を感じていたいんだよ」


 列車の旅で感じた高揚感、初めて訪れる街の匂い、行き交う人々の活気。それらを肌で感じるには、城壁の奥よりも街中のホテルの方が相応しい。


「……カッカッ。らしいな、相棒は」


 クララは呆れたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。


「まあ、リンジーにはオレから上手く言っといたから。『レオは年頃の男の子だから、堅苦しい城より自由な街の方がいいだろ』ってな」

「ありがとう、クララ。後で必ず、菓子折りを持って挨拶には行くからさ」


 レオは安堵の息をつき、トランクを持ち直した。






 

 駅舎を出て、王都フェザーレのメインストリートへと足を踏み出した瞬間、レオは肌を刺す夕日の強さと、それに反比例するような足元の涼やかさに納得の息を吐いた。


 今は夏の盛り、火の月31日の夕暮れだ。


 赤道に近いこの国の日差しは強烈だが、不思議と熱気による息苦しさはない。空気が驚くほどカラッとしているのだ。アイゼンの夏特有の、あの体にまとわりつくような湿気――じめじめ感が一切なく、むしろ高原の朝のような心地よさが肌を撫でていく。


「……なるほど。ここでもしっかり機能しているな」


 レオは立ち止まり、靴底で白亜の石畳を軽く踏みしめた。


 技術屋としての冷静な分析の眼差しが、整然と敷き詰められた石材に向けられる。


「都市が発達して建物が密集すれば、熱が逃げ場を失って気温が上がる。いわゆる『都市の熱病』だな。だが、八英雄の国々は建国当初からそれを見越して対策を講じている」


 レオはしゃがみ込み、ひんやりと湿り気を帯びた石の表面に指を這わせた。


 一見すれば、ただの美しい白い石畳だ。だが、レオの瞳にはその奥にある精緻な魔導回路が見えていた。


「アイゼンとリオルトの共同開発による透水性石畳だ。地の大聖霊タナターレ様を守護するリオルト芸術国が、素材となる多孔質の石と意匠を提供し、アイゼンが内部の微細加工と魔導処理を施した」

「へえ、詳しいな相棒。石を見ただけでそこまで分かるのか?」


 先行していたクララが足を止め、ニカッと笑って振り返る。レオは立ち上がり、懐かしむように石畳を見下ろした。


「実家の資料で嫌というほど見たからね。……正直、技術屋のアイゼンだけで作っていたら、もっと配管だらけのシステマチックなごてごて感が出ていただろうな。機能美と言えば聞こえはいいが、どうしても無骨になりすぎる」


 レオは苦笑しながら、周囲の景観に溶け込む石畳の美しさを指で示した。


「だが、そこをリオルトが上手く〝隠した〟んだ。八英雄の国随一の芸術国と言われる彼らのデザイン能力が、無骨な冷却機構を洗練された石材の美しさの中に封じ込めている。おかげで、こうして古都の景観を損なわずに、最新の空調システムが動いているってわけさ」


 この石畳は雨水を逃さず内部に保水し、乾燥した風に触れることで効率よく気化させる。その気化熱で地表の熱を奪い続ける仕組みだが、それを感じさせない自然な仕上がりこそが、両国の技術の結晶だった。


「特にバーディアは、このシステムの運用に最適化されている。日差しを弾く白い石灰岩の建物、乾燥した気候、そして何より……」


 レオの視線の先には、店の前や道路に桶で水を掬って撒く市民や修道士たちの姿があった。


「『清浄』を旨とするこの国の習慣だ。人々が祈りと共に撒く水が、常にこのシステムをフル稼働させている。技術と芸術、そして土地の文化が見事に噛み合っている証拠だよ」

「カッカッ、言うねえ!その通りだ」


 クララは愉快そうに喉を鳴らし、自分の庭を自慢するように両手を広げた。


「理屈はともかく、おかげでオレたちは快適ってわけさ。特にここは、祈りの水が絶えないからな」

「ヒュマーノ族にとっても快適ですが、我々にとってもありがたい仕様ですね。これなら真夏でも肉球を焦がす心配はありません」


 ノイアーも涼しげな顔で同意する。その言葉に、既にトランクケースから出て、レオの懐にいるキュートも同調するように小さく震えた。


「その通りだッチュ!アイゼンの夏はジメジメしてて辛いけど、ここはサラサラで涼しいッチュ!最高の散歩コースだッチュ!」

「だからといって、ここで降りて歩くのは駄目だぞ」


 レオは釘を刺しつつ、トランクを持ち直した。


 先人たちが遺した知恵と美意識、そしてそれを守り続ける人々の営み。それらが織りなす涼風を感じながら、レオは歩き出す。


「よし、行こうか。まずはホテルで旅装を解きたい」

「おう、ついてきな。腹が減ってるなら、道すがら屋台でなにか買うか?この石畳の上なら、熱気にやられずに食べ歩きできるぜ」

「いいね。ぜひ頼むよ」


 レオたちは、科学と芸術、そして祈りが生み出した涼やかな風の中を、予約していたホテルへと向かって歩き出した。

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