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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第1章 光輝ヲ往ク

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第2話 オーレバード

 ベル歴995年、火の月30日。アイゼン王都、中央駅。


 巨大なドーム状の強化ガラス屋根に覆われたプラットホームには、早朝にもかかわらず、これから始まる旅への熱気が満ちていた。


 天窓から降り注ぐ真夏の日差しが、発車を待つ列車の銀色の車体を鋭く輝かせている。足元のレール周辺には、マナの余波による陽炎が微かに揺らめいていた。


「身分証の提示をお願いします」


 一等客室専用の改札口で、制服姿の駅員が恭しく声をかける。


 18歳の銀髪の青年、レオ・クロースは、白シャツにネクタイを締め、ブラウンのチェック柄ベストを羽織った、知的で軽快な旅装に身を包んでいた。


 その手には、使い込まれた大きな革製のトランクケースが提げられている。


 捲り上げたシャツの袖を革のアームバンドで留めた腕を伸ばし、ベストのポケットから一枚の金属製カードを取り出し、読み取り機の魔導水晶にかざした。


【エナドカード】。八英雄の国連合防衛組織(E.N.A.D.O.)が発行する、身分証兼決済機能付きのライセンスだ。


 『ピッ――認証。アイゼン王国、クロース侯爵家、レオ・クロース様。ハンターランク、3級』


 無機質な音声と共に、プレートに刻まれた紋章が淡く発光する。


 駅員の表情が一瞬で引き締まった。


 3級ハンター。それは都市を脅かす魔獣の討伐も可能な熟練者の証であり、15歳でこのランクを取得していたという記録は、十分に優秀な才覚を示している。


 だが、それ以上に「クロース侯爵家」という家名が持つ意味は重い。


 八英雄の国の重要家系であるクロース家のエナドカードは、実質的に最高ランクの外交特権ビザと同等の効力を持つ。なによりも、このマナトレインの開発者の家系でもある。


「ク、クロース侯爵家の方でいらっしゃいましたか!失礼いたしました、開発主一族の方ならば、顔パスも同然でしたのに!」


 駅員が慌てて最敬礼の姿勢をとる。アイゼン王国におけるマナトレインシステムは、クロース家傘下の魔道具開発局が開発から運用までを一手に担っている。駅員にとってレオは、いわば雇い主の息子のような存在だ。


「いや、正規の手続きは踏ませてください。今日はただの旅行者ですから」


 レオはカードを仕舞い、足元に置いたトランクケースを持ち上げた。飴色に変色した厚手の革に、鈍く光る真鍮の金具。ずしりとした重みが手に伝わる。


 本当に重要な物資は時空属性の収納魔法≪クロノ・ボックス≫にあるが、このトランクには着替えと――マナを消して潜り込んでいる「小さな密航者」が入っている。


「続いて、そちらの方も」


 駅員の視線が、レオの背後に立つ青年に向けられた。


 襟付きのシャツにラフなベスト、スラックスという涼しげな旅装に身を包んだ黒髪の青年――ヒト化した闇の聖猫、ノイアーだ。


 彼は無言で、漆黒のカードを水晶にかざした。


 『ピッ――認証。特級ハンター、ノイアー様』


 その瞬間、駅員だけでなく、周囲の乗客たちの視線が釘付けになった。


 特級ハンター。


 それは国家戦力に匹敵する、伝説級のハンターにのみ許された最高位の称号だ。


「と、特級……!?し、失礼しました! 直ちに通過を――!」

「騒ぎ立てないでください。今回はただのプライベートな旅行でございますので」


 ノイアーは人差し指を唇に当て、困ったように微笑む。その耳元では、紫色の宝石が埋め込まれた銀のピアスが涼やかに揺れていた。


 二人は呆気にとられる駅員を残し、ホームへと足を踏み入れた。


「やれやれ。お前といると目立って仕方がないな、特級殿」


 レオが皮肉交じりに振り返ると、ノイアーは肩をすくめた。


「レオ様の家名の威光も相当なものですよ。……この巨大なインフラを維持しているのが、貴方の一族なのですから」

「親父たちの仕事だからな。……俺は、その恩恵にあずかってるだけだよ」


 レオはホームを見渡した。そこには数多くの列車が並び、大陸各地へ向かう旅人たちを飲み込んでいた。その中で一際、重厚かつ優美な輝きを放つ車両がある。


「おお……いいねー」


 レオが少年のように目を輝かせて見上げたのは、深みのある紫紺しこんの塗装に、精緻な黄金の魔導紋様が輝く、重厚かつ優美な列車だった。


 先頭部には真鍮色に輝く円形の装甲板が鎮座し、側面下部には車輪の代わりに、浮遊出力を生み出す巨大な円環状のタービンが、温かな金色の光を放っている。


 クラシックな寝台列車の品格と、最新の魔導技術が融合したその姿は、まさに翼を休める黄金の鳥を連想させる。


「アイゼン発バーディア聖王国行き、直通寝台マナトレイン『オーレバード』。その名の通り、黄金のような輝きと、鳥のような優雅な旅を約束する、両国の技術と友好の結晶でございますね」


 ノイアーがパンフレットの情報を読み上げるように補足する。


「ああ。これに乗りたかったんだよ」


 レオが満足げに頷く横で、ノイアーがふと真面目な顔つきになり、声を潜めた。


「……しかしレオ様。我々には【箱庭】があります。転移を使えば一瞬ですし、百歩譲って列車を使うにしても、座席のみの高速特急なら半日で着きます」


 ノイアーの視線は鋭い。彼は主の安全と効率を第一に考える従者だ。


「これから向かうのは、新たな試練の地。それに、マオンのこともございます。時間がないかもしれないのに、悠長ではございませんか?」


 その言葉に、レオはトランクを持ち直し、淡々と答える。


「そもそも、マオンについては明日、いや今来るかもしれないんだよ。そんなことを考えていたら、何も出来やしないだろ」


 レオは『オーレバード』のボディに視線を移す。彼は英雄ではなく〝科学者ショウ〟としての考え方も持っている。科学の真髄は『観測』にあるが、それは同時に『今はこうだが、一秒先には変わっているかもしれない』という不確定性を受け入れることでもある。マオンが明日来るか、今来るか。それはレオたちには決められない変数であった。


「いつ敵が来るかわからないからこそ、乗れる時に乗りたいものに乗って、食える時に美味いものを食う。……到着は明日の夕方だ。親父たちが作った技術の結晶に揺られて、流れる景色を楽しむ。今はそれでいいんだよ」


 かつて世界を救いながらも、孤独と焦燥に心をすり減らした英雄ショウの記憶を持つレオにとって、それは単なる楽観ではなく、実感を伴う処世術だった。


「なるほど。確かに、仰る通りかもしれませんね」


 ノイアーは得心したように微笑み、恭しく一礼した。


「参りましょう、レオ様。発車時刻です」

「ああ」


 レオはプラットホームから、開かれた重厚な扉に繋がる魔導階段マナステップを昇り、車内へと足を踏み入れた。

          






 冷房の魔導具が効いた個室に入り、扉が閉まると、ホームの喧騒と夏の暑さが嘘のように遮断された。


 最高級のビロード張りシートに深く身を沈めるのとほぼ同時に、足元から微かな振動が伝わる。滑り出すような加速。窓の外の景色が後方へと流れ去り、見慣れた王都の街並みが瞬く間に遠ざかっていく。


 車体下部の誘導マナレールと小型エーテルリアクターが生み出すマナ斥力による浮上走行は、まるで氷の上を滑るかのように滑らかだった。


「快適だな。これなら王都フェザーレまでの長旅もなんのそのだな」


 レオが息をつき、テーブルの上にトランクケースを置いた。金具を外して蓋を開けると、黒い影が勢いよく飛び出した。


「ぷはぁーっ!暑かったッチュ!外の空気は美味しいッチュ!」


 手のひらサイズの黒い蜘蛛――キュートが、トランクから這い出してレオの肩に飛び乗る。そのつぶらな瞳を輝かせ、大げさに前足を振り回した。


 活発なこの子にとって、狭いトランクの中は退屈だったらしい。


「キュート、わざわざ隠れる必要あったのか?お前なら別に見つからずに侵入できたろ」

「いやいや!わかってないッチュね、レオは!そこがロマンだッチュ!旅には秘密が付き物だッチュ!」


 レオの苦笑に対して、気にする素振りも見せずに、キュートが胸を張る。その横で、ノイアーが慣れた手つきでサイドテーブルにアイスティーを準備し始めた。旅装とはいえ、その所作の美しさは隠せていない。


「最初の目的地は南のバーディア聖王国。光の大聖霊ゲレオール様を守護する国でございますね」

「ああ。そこで待つシルビアさんに、こいつを届けてやらなきゃならないしな」


 レオは≪クロノ・ボックス≫から、一つの包みを取り出した。


「クラルテさんの分は、よろしいのですか?」

「ん?ああ。あいつら、俺が箱庭を拠点にしてから、ちょいちょい顔を出してるだろ?2、3日前にクララが来た時、『完成してるなら貰っていくぜ』って自分で持って帰ったよ。だからこれは、その後に完成したシルビアさんの分だ」


 レオは包みをポンと叩いた。


「あの『収穫祭』の時、聖女としてのおつとめもある中、アイゼンのために協力してくれたからな。お礼も兼ねて、彼女の装備も新調したんだ」


 レオが包みの端を少しだけ開くと、中から真新しい生地が覗いた。


 それは聖女の白衣とは似ても似つかない、ベージュを基調とした機能的なフーデッドコートだった。


 しかし、ただのコートではない。随所に配された真鍮製の歯車ギアを模したボタンや、サイズ調整と防具固定を兼ねた無骨な革ベルトが、レオたちの装備と同じスチームパンク風の意匠を醸し出している。


「聖女としての身分を完全に隠せるよう、1級ハンター『シルフィー』のために調整した特別製だ」


 素材こそレオたちと同じ【聖獣の糸】を使った一級品だが、そこに宗教的な厳かさは一切ない。あるのは、荒野や遺跡を駆けるハンターとしての実用性と、魔導科学の粋を集めた機能美だけだ。


「機能性は間違いないはずだけど、あとはサイズが合うかどうかだな」

「その点ならご安心を。私が以前、目算で完璧に把握しております」

「……さ、さすがだな、ノワル」


 レオは呆れたように笑い、包みをサイドテーブルに置いた。


 隣では、自分の糸が使われていることが誇らしいのか、キュートが「えっへん!」とばかりに胸を張っている。


 レオはリラックスした様子で深くシートに背を預け、流れる車窓の景色へ目を向けた。


「飯はルームサービスにするか」

「左様でございますね。キュート様もいらっしゃいますし」

「楽しみッチュ!」


 銀輪のマナトレイン『オーレバード』は、明日夕方の到着を目指し、南へと滑るように加速していった。

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